nagajisの日不定記。
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nagajis乙。そしてここに帰結するわけか……。感無量というやつではないか。
湖東組と勢陽組と㋛の工場と。他の構造物でもそれぐらい混じっているのかも知れないが、壊さずに確認できるという点で海サンバ川暗渠は特異点だ。
あ、釘印を撮り忘れてた……。それで4工場以上になるんだ。
エッタ川暗渠の不思議空間で超発見をしたつもりになったが、残念ながらそうではなかった。割れた煉瓦をモルタルで埋めたうえで継いでいる。
そのかわり、Ⓓの欠けについての気付きはよかった。
向山尻暗渠。M22.3.
向川暗渠。M22.1.
伊勢道川暗渠。M21.11.
市三宅田川暗渠。M21.10.
下ノ沢架道橋。M21.10. これと同程度の欠けが荒砂川暗渠M21.7.にもある。
エッタ川暗渠。M21.10.
欠けていく順と竣工年が逆という不思議。実は着工年で見なければならない。
直江津線の煉瓦も追いかけてみようと思ったら石造アーチがやたらと出てきて、確かに石造アーチの暗渠が残ってる。すげえ。やっぱり先入観はよくないなぁ。
ノーマークだった浅川暗渠。1@4ft。
拡幅部のみねじりまんぽで仕上げてあった。こういうパターンがあるとはな……!
それほどきつい斜交ではないのだが(むしろ直角に見えるんだが)わざわざ難しい技法を採用してあるところに職人の気合を感じる。接合部はあまりきれいでなかったがさほど傷んでいるようでなかったのも多分職人の腕によるものと思う。個人的には大発見だが、市街地だし目につく位置だしで誰か気づいているんだろうと思う。
寝過ごして昼から出かけたような中途半端な日だったけれども、発見はなかなかに多かった。諦めていた瀬田川橋梁でも右岸の洲に異形煉瓦が転がっているのを発見できたし。
転じていた煉瓦は笑ってしまうほど"B"ばかり。最初のほうで一個だけ"シ"="C"を見つけられただけで、残り10個くらいはみんな撥形。その"シ"が全形でなかったのが残念で、1時間ほど粘ってみたけれども、そもそも扇形異形からして見当たらなかった。溜まっているくさぐさをかき分ければもっと見つけられるかも知れないので、また隙を見つけて潮干狩りに行ってみることにしようと思う。
いまの下り線は昭和25年に複々線化された時の建造物。上り線は確か昭和40年代(46年だっけ)にPCで作り直されたもの。開業時の橋梁は地形図上では現上り線の位置に一致する。ということは初代の12ft井筒も複線化時のもまとめて取り壊されて瓦礫となり転じていることになる。故に”B"と”シ”の製造時期を絞り込むことができない。そもそも湖東組の”ビ”はどこへ行ったという話だ。
ややこしいことに、瀬田川左岸の大江二丁目の旧市街で”A”と”7丁”をみつけてしまった。湖東組の製品がここまで来ているのは確かなことだ。して”A”は”B”と対応する同工場のもの。そこに絡んでくる”シ”はどっちかの工場の製品なのか、それとも第三社のものなのだろうか。”7丁”は傷みが激しくて形状指示印は見つけられなかった。測るのを忘れていたが”C”相当のサイズ感。”シ”は欠けていたのでそこに甲乙か丙丁があったかも知れない。いや待てよ、Cは12ftと9ftで共通だから甲乙とも丙丁とも割り振り難い。。。てな感じでますます謎が深まるばかりの発見なのだった。
(”ビ”の採取型と比較すると大きさはよく一致する→”シ”)
ああそうか、近江八幡で”B”相当の”丁5”を検出していたんだった。別に丙丁=9ftと限ったことではない。限れば別に形状指示印を押す必要もなくなってしまう(んなことはないか、施工する側にはなんのこっちゃわからない)。やっぱ7丁も計測しておけばよかった・・・。
一番の目的である小口印については収穫なし。今回の暗渠はすべて左右にBCを添え継いであって、その関係でアーチの小口がうまく確認できない。限界の深さに動きを制限されたのも多かった。2、3日前の雨の影響もあっただろうか。
どれがどれかわかるやつはnagajis。やーいやーい歩く生き恥ー。
①仁保川橋梁 9ft "E" 湖東組 | ②前河原避溢橋 12ft "B" 湖東組 | ③瀬田川橋梁 12ft/9ft "C" 湖東組? |
④揖斐川橋梁 12ft "A" 西尾士族生産所? | ⑤木曽川橋梁 12ft "B" 西尾士族生産所? | ⑥揖斐川橋梁 12ft/9ft "C" 西尾士族生産所? |
①、②は明らかに同系統だが③はどうだろう。わずかに大きい気がする。その③の"シ"の書き方と⑥の"シ"がよく似ている気がして気になっていたが、比較するとやはり違うものであることがよくわかる。
似たようなことが④、⑤、⑥にも言える。④⑤は同じ系統とわかるが⑥だけ一回り小さい。して④には□+圡、⑥には□+子の添印がある。添印の形は若干違う(前者は真四角、後者は縦長四角)。製造時期が若干違うらしい。
考えてみればこの刻印(判)は、同時に複数個作られていた可能性を考えないといけない。作る人数分作ってあって、添印と同時に押されていた可能性。しかし①②や⑤などは現場で見る限りどれもよく似た感じであった。