nagajisの日不定記。
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恒例の行事を恒例に執り行う。三年連続で同じのだったら動詞様とビクついていたが、今年は吉だった。「旅行 良い出会いあり」だけでも有り難し。争事は負けておくほうが利ありとか。そして今年も太鼓判の安産である。
頂き物を詰めた御節を頂きつつ雑煮を食う。子供の頃は三が日後半の肉とか刺身とかが底をついてゴマメ煮付け黒豆の類ばかりになった御節が侘しくてたまらなかったのだが、いまになって考えればそれこそ正月らしいものだったのではないかと思う。うえに普段の食事は一汁一菜だ。いろいろなものが一度に食べられる有り難さを身に染みて感じつつ頂く。こんな贅沢な正月でよいのだろうか。後ろからナイフを突き立てられたりしないだろうか。
午後からは誘われて大神神社へ。今年も奈良にお世話になりそうなことと、巳年であることを掛けての行動。同じことを考えた人々が波のように押し掛けていた。三輪駅から出るのさえ困難だったほどだ。
参道に着いても、あと一歩というところで入場制限に引っ掛かってしまった。しかしこれがこの日最初の制限であったらしく、 1度の通せんぼで済んだのだから、どちらかといえば運が良かったほうだろう。帰る頃には参拝人渋滞が参道入り口まで伸びていてまんじりともしていなかった。
そして正月早々調査である。取得し損ねていた2標を回収。いずれもT11or12の設置。参道の踏み切り脇にも興味深いものを発見した。
帰ってみると・・・ISOさんからの年賀状に加え、なんとお年玉がッ!!! JIS男にもッ!!! かみさまありがとう!!!
そうして今に至るの助。乾麺蕎麦を茹でて昨晩とほぼ同じ食事をした。至って平和な一年の始まりである。
昔は正月三が日なんてどの店も閉まっていて(うちの田舎にはコンビニすらなかったからな)、世界がパタッと止まってしまったかのような違和感を感じることができた。その静けさが正月の象徴のように思っていた。今はいろんな店が開き、賑やかしい都会の正月を味わえるようになっている。有り難いことであるが、その反動で静かさが足りないようにも感じていた。
帰ってきて、駅前の閑散ぶりを見て満足した。求めるものがあるなら工夫して求めればよいのさ。
小中学校時代の同級生の千原君通称ちゃーちと小学校の時に引っ越していったみかじり君が登場する夢。結構奇妙なストーリーのある夢であり起きた直後には覚えていたのだが雑煮を作って食っているうちに忘れてしまった。なぜこの二人であったのか、およびどのような役柄であったのか(ちゃーちがちゃーちとして出てきたのか、それとも違う配役の役者としてだったのか)、その他の出演の有無、もろもろを忘れてしまった。そもそも二人ともそれほど親密な仲ではなかったし卒業後に会ったこともない(そもそも^2同窓会に呼ばれたことすらねえ)。後者だったようなおぼろげな記憶があるのだが。して自分は何をしたのだっけ。若干苦手だったちゃーちを相手に四苦八苦しているのをみかじり君にたしけてもらった気がする。肩が凝っていたのはそのせいかも知れぬ。
もうちょっと愉快で、ネタにできるような夢が初夢であってほしかったようにも思うが、この時間帯の夢は正確には初夢と言わないらしいので、今夜に期待しておこう。またいつもの通りの四苦八苦夢だろうが。苦しいのはわかっとるんだ、夢で再認識させんでもええやろうに、と毎回思うのだがこればかりは仕方ない。夢は自分の責任範囲外だからな。
『時局下に於ける土木工事の施工法に関する講演会講習(第3報)』所収の内務技師藤森謙一「無筋コンクリート拱橋に就て」に無筋コンクリート橋の一覧を発見。あれだな、この間市図でコピってきた本の著者だな。
鉄道省建設関係無筋コンクリート拱橋実施例 昭和15,5調査
線 | 区間 | 名称 | 連 | 径間(m) | 拱頂厚(cm) | 形状 | 活荷重 | 着手/竣功年月 | 方法 | 記事 |
伊佐線 | 滑滝-吉井 | 福井川 | 3 | 20 | 75 | 半円 | ks15 | 着手14-2/竣功14-10 | 直轄及請負 | 九州 |
吉川 | 5 | 10 | 70 | |||||||
吉井川 | 4 | 10 | 70 | |||||||
日田線 | 彦山-岩屋 | 第二大川内川 | 1/2 | 7/10 | 70/80 | 〃 | 〃 | 着手12-6/竣功13-10 | 請負 | 〃 |
第一大川内川 | 1/2 | 7/10 | 70/80 | |||||||
日田線 | 宝珠山-岩屋 | 原 | 3 | 7 | 70 | 〃 | 〃 | 着手11-12/竣功13-10 | 請負 | 〃 |
柿原 | 3 | 7 | 70 | |||||||
第二大行司 | 2 | 10 | 80 | |||||||
栗木野 | 2 | 10 | 80 | |||||||
日ノ影線 | 槙峰-日ノ影 | 網ノ瀬 | 43 | 7 | 70 | 〃 | 〃 | 着手11-5/竣功13-9 | 〃 | 〃 |
興地 | 5 | 7 | 70 | |||||||
第一小崎 | 12 | 7 | 70 | |||||||
第二小崎 | 6 | 7 | 70 | |||||||
宮原線 | 麻生釣-宮原 | 広平 | 9 | 7 | 70 | 〃 | 〃 | 着手11-12/竣功13-10 | 請負 | 〃 |
堀田 | 4 | 10 | 80 | |||||||
汐井川 | 3 | 10 | 80 | |||||||
堂山 | 3 | 10 | 80 | |||||||
北里 | 5 | 10 | 80 | |||||||
幸野川 | 2/4 | 10/20 | 80/73 | 着手12-2/竣功13-9 | ||||||
田原川 | 4 | 10 | 80 | |||||||
音更線 | 清水谷-糠平 | 第一音更川 | 3 | 10 | 70 | 〃 | 〃 | 着手10-5/竣功11-12 | 〃 | 北海道 |
第二音更川 | 3 | 10 | 70 | |||||||
第三音更川 | 3 | 10 | 70 | |||||||
第一音更川陸橋 | 3 | 10 | 70 | |||||||
第二音更川陸橋 | 3 | 10 | 70 | |||||||
同上 | 幌加-十勝三股 | 第五音更川 | 7 | 10 | 70 | 〃 | 〃 | 着手11-12/竣功13-9 | 〃 | 〃 |
第六音更川 | 6 | 10 | 70 | |||||||
十三ノ沢 | 5 | 10 | 70 | |||||||
十四ノ沢 | 5 | 10 | 70 | |||||||
大畑線 | 陸奥大畑-木野部 | 二枚指 | 7 | 12 | 65 | 〃 | 〃 | 着手14-2/着手14-2* | 〃 | 東北 工事中 |
下川 | 1 | 12 | 65 | |||||||
清水沢 | 2/2 | 12/8 | 65/56 | |||||||
木野部 | 8 | 8 | 56 | |||||||
大沢目沢 | 2 | 8 | 56 | |||||||
釜石線 | 宮守-柏木平 | 宮守川 | 2/6 | 20/8 | 80/70 | 〃 | 〃 | 着手13-6 | 〃 | 東北 工事中 収縮及温度応力に対し鉄筋挿入 |
川口線 | 会津宮下-早戸 | 阿寺沢 | 1 | 10 | 70 | 〃 | 〃 | 着手12-9/竣功14-10 | 〃 | 会津 |
第二左靭 | 4 | 10 | 70 | |||||||
山中沢 | 3 | 10 | 70 | |||||||
萬歳窪 | 1 | 10 | 70 | |||||||
山中桟拱 | 1 | 10 | 70 |
深い意味はないが丸餅を使ってみた。 見た目は白味噌の雑煮っぽい。かつおぶしをまぶしつつ食う。
指定府県道、県道について稍参考になる一文を発見。愛知県の事例。「 愛知県史. 第4巻」 第五章・土木と交通/第四節・道路より。
(第二項 県道)
右の如き認定標準に基いて編入された県道の中にも交通上の価値に於いてかなりの差異があり、又郡道の県道編入により一層その懸隔が大となり、監督の寛厳を要することとなったので、大正九年三月内務省令第六号道路法第五二条但書の規程が公布され、指定府県道の制が採られるに至った。その標準は(一)府県庁所在地より隣接府県庁所在地に達するもの、(二)府県内指定枢要地(市又は二千以上集団戸数を有する地区)よりこれと密接の関係を有する指定枢要地・指定港湾(大正十一年内務省訓令第六号第二条に規定するもの)又は枢要な停車場に達するもの、(四)国道又は以上の各号の一に該当する府県道より分岐し、数個の枢要地を連結する重要な幹線にして、指定枢要地・指定港湾又は枢要な鉄道停車場に達するものの四項である。かくて同十五年九月内務省訓令第八三二号により一号即ち名古屋市より岐阜県土岐郡多治見町に達する道路経過地を初めとして、全二十一号に亘る県道が指定されている。( p.972)
ありゃ、これは一般論的な話だったな。いまいち。
第三項 郡市町村道
郡道・市道・町村道と明確に区別せられたのは、大正八年公布の道路法に於てであり、それ迄は総称して里道と言っていたのである。明治三十四年八月に至り、訓令第三七号道路築造規程を発布し、
郡市町村に於いて道路新築又は改築の許可を申請せんとするときは、実測平面図(三千分の一)、実測縦断図(高さ二百分の一、横三千分の一)、隧道図(二十五分の一乃至二十分の一、工事設計書・計画書及び構造説明書を添附すべき事を通達している。続いて同三十七年二月訓令第七号により郡町村に於いて車道の目的を以て道路を新築改築せんとする時は、その路面の幅員(側溝等を除く)は郡費負担の道路に在っては九尺以上、町村費負担の道路に於いては七尺以上とすべき事を定めている。然し町村制及び郡制の実施により従来地方税規則中に単に区町村費とのみあって郡費の記載なく、従って郡費支弁にかかる道路を如何にすべきかの疑義を生じた結果、同四十五年二月土木・地方両局長は知事の指定により町村費より郡費に移す事の差支えない事を回答している。それにも拘わらず、その後も各府県に於ける郡費支弁里道指定に関して取扱方法に区々なるものがあったのに鑑み、大正七年二月内務省発土第一一号を以て重ねて右の趣旨を各府県に通達した。而もその際国道・仮定県道に属しない郡役所所在地より隣接郡市役所所在地、管轄内町村役場所在地、管轄内枢要の地区・港津・鉄道停車場に達する路線、郡内枢要の地区・港津及び鉄道停車場よりこれと密接の関係を有する枢要の地区・港津及び鉄道停車場に達する路線及び数町村を連絡する幹線にして、その沿線と密接の関係ある枢要の築・港津・鉄道停車場に達する路線に就いて調査すべき事を附言している。かくて本県も同年五月に土第一〇一九号を以て郡費支弁の道路を指定せんとする時は右の標準により調査し、地形図及び路線調書を具して県の認可を求むべき事を通牒した。(p.975-976)
ここでいう訓令は愛知県訓令であるらしく、独自の規定(道路築造規程)で郡費弁里道が制度化されたということらしい。それが内務省の追認を受けたのが明治45年と。んで大正7に再度文書化。
田中好の library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/12-01-0205.pdfも参照のこと。明治32年郡制が始まり法人としての郡が道路を運営することが許された結果、郡費支弁里道と府県費支弁里道が併存することになったとある。が、府県が郡を管轄するという関係上、府県が郡道の制度なり規格なりを定めておかないといけなくて、それをやったところとそうでないところがあるらしく見える。
笑い飛ばすだけで理由を考えてもみないような愚は避けたい。
_ nagajis [生駒山の陵線上にあって、大阪側から強い西風を受けるからみたいですね。一枚目の写真でいえば右が大阪です。 昭和15年ちう戦時中に作られたことも関係あるかも。]
_ おろろん [ 時間経て改めて見ますと、高射砲塔というよりは潜水艦の司令塔そっくりですね。風も水流も同じ流体力学に属しそうですので潜水艦をモチーフにしたのでしょうか。ついでに表面の模様は明細塗装なのでしょうか。]
_ nagajis [横っちょに羽根がついてたらまさしくそうですね。あ、表はずいぶん変わっているようです。窓はすべて塗り込められてしまい、塗装もつい最近の補修によるものの模様。竣工直後は迷彩色に塗られていたそうですけれ..]
四谷御所隧道は昭和3年4月竣工。画報第2巻9号・10号、3巻5号参照。その前に浅草の地下鉄道と本郷隧道。クッサクだったら良かったんだが大軌30年史に「地表を掘削して構築」とある。延長207m、約1/4の急勾配。
t/o.赤福もよいが意外性で僅差勝ち。
なんだかんだで正月からここまで突っ走り来た感じがする。消化しなければならないもの・こと・抽象概念が溜まってきて片付けに四苦八苦している。うえにどれを片付けるにも新知識が必要という。少年老いやすく学成り難し、そして既に少年でもあり得ないのである。うきゃーうきゃきゃきゃ。ぽひ。
町村史や社史の引き写しで済ませられたらどんなに楽か・・・しかしその楽は身にならないからな。わかってるだろうな>nagajis。
生駒航空灯台について根元的なミスに気づく。あれって厳密に言ったら東大阪市の中にあるんじゃね???
なんかこんなん多いよなー。白砂第二発電所とか五月橋とか木津浄水場とか。大阪府の近代化遺産には出てたっけ?
pdf作成まで一気に終わらせる×2。それしかすることができないからな。
よく考えたら次回の探索ルポネタが尽きている。。。奈良関係はあるだろうけれども月報に行くだろうし、ルポっぽいものにはならないだろうし。つくづく勿体ないことをしていると思う>月報
CPUクーラーのファンがいきなり停止した。諏訪と思って開けてみたら思いの外ほこりだらけになっていた。外して掃除しシリコンスプレーを吹き付けたらとりあえず復活したが、それよりもこの一連の事象によってファンの音が凄まじくやかましいことに気づかされた。気になっていなかったわけではないのだが、ここまで酷いとは思わなんだ・・・・・・。
いつも身近にあるものだから(ディスプレイの隣に位置している)、毎日ちょっとずつ変化していくと、かえって気がつきにくい。気がついたときにはもう手遅れになっている。なんだか人生のいろいろに似ていると思ったことさ。とかなんとかそれっぽいことを書いてご満悦のnagajisである。
こんど大阪市街に出ることがあったら、ヨドバシかポンバシで静かなやつを買って来よう・・・・・・。さすがにそのためだけにでかけるのは(電車代を使うのは)憚られる。
5m先のレール刻印が読めれば万々歳です。
辛い経験・悲しい思いを人に話してみたくなるのは人類共通の性なんだろうと思う。語ることで気分が晴れるから。自分が話題の中心になれるから。それで何が得られるわけでもないことが身に染みて解っているから黙っている。まさしく人でなしである。まあ書くことも似たようなものだけどな。例えそれが心理だったとしても解り切った結果しか生まないなら抗ってみようじゃないか。
年越しから松の内にかけての充実ぶりの反動で気分が落ち込んでいる昨今である。面倒くさいpdf作業が続いているのも緊張感を下げている原因らしい。毎回変わらぬ内容の原稿を書き、明日食うものにも電車賃にも汲々として、単調な日々のうつろいに飽きている。改善する見込みもない(というよりも改善しようとしていない、だな)。
ふと長年日記をクリックして、2006年の同じ日にも少し高尚なことを考えていたことを知った。professionはおろかearningもままなってないなと思いなおさら落ち込む。ただし少しは成長した。2013年の私は落ち込んだところで何も起こらないことを知っている(だから落ち込むな、ではなくて、落ち込む気分ならそれに従うといいよ、という諦観の境地に近いもの)。無理矢理なんとかしようとしたって歪みが溜まるばかりだからな。
幸せって積み上げたり蓄えたりできるものじゃないと思う。常に得て、消費していないと生きていけない、空気とか水とかみたいなものなんじゃないだろうか。だからいくら「幸せだ!」と思う瞬間があっても、時間が経てばそのうち忘れてしまうのんじゃないか。幸せを味わえば味わうほど閾値があがっていって、より大きな幸せを求めたりするのは、きっとそのせいだ。それを考えるとアルコールや煙草のほうが近いかも知れない。不安・苦しみ・悩みを抱えてそれに向き合って過ごすことは断酒・断煙みたいなものであるに違いない。次のいいことを最大限に喜ぶための準備期間だと考えるようにすれば、不幸をかこつ愚を晒すこともないよ。きっと。
月報も含め予定記事を全up音符(音符記号が出ないので漢字で代替する音符)。ついでに新企画まで始めたった音符。うすぼんやりと考えていたネタがたった一言の思い付きでここまで膨らむとは。言葉の魔力おそるべし音符である。
久しぶりにS9100を引っ張り出して来たりなどしている。あのようなモサモサ音符したものはEXRセンサーではまともに写らないらしい。ISO80が使える 第四世代 HONEYCOMB-HRでなければならぬ。
はてここからどうしようか。TRDBくらいなら追加できるが、無理に突っ込むよりあげたpdfを洗練させる方向へ持っていってもよい音符。年始に作ったものは結構手抜きになっている。
奈良市にある帝塚山大学。最寄駅が「学園前駅」なのでキャンパスの名称は「学園前キャンパス」なのだそうだ。しかしもともと1941年に帝塚山学園が開校し、そのために学園前駅が設けられたという歴史がある。学校のほうが先だったわけである。時系列に従えば学園前にできたから学園駅−>学園前駅前にあるから学園前キャンパスという流れになるが、とすると学園前キャンパスが前だと看做す学園ってどこ? と思ってしまう。卵が先か鶏が先か、あるいは自己言及の無限ループがひっそり潜んでいる。
要するに「学園前」ということばが地名として固有名詞として確立しているということなのだろう。
陸の道、空の道に続く第三の道・・・残ってるんかいな。
ファンいっこ夏目さんするんや・・・センサーなんていらんっちゅうねん。
「鉄道構造物探見」より。大正5年達1111号「鉄筋混凝土函渠標準」で甲(地盤良好・一径間)、乙(地盤不良・一径間)、丙(地盤良好・二径間)、丁(地盤不良・二径間)が定められた。昭和8年には鉄道省大臣官房研究所「単ラーメン函渠標準設計」で径間1.0m、1.2m、1.5m、2.0m、2.5m。「二連続ラーメン函渠標準設計」で1.2m×2、1.5m ×2、2.0m ×2、2.5m ×2。KS15。昭和12年建工第1109号で「鉄筋コンクリートラーメン設計標準で甲型(ボックスラーメン、1.0~2.5m0.5刻み)、乙型(門型ラーメン)。KS15。大正6年達第572号で鉄筋コンクリートボックスラーメンによる「停車場内地下道標準」。トンネルのほうは特にない? 御所トンネルが開削トンネルの例として出てる。
_ しとろん [すまん、腹減ってたので美味しいかと思ってしまった。]
奈良県統計書 大正12年 第1編(T1-T10)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973034/77
奈良県統計書 昭和4年 第1編(T13-S2)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448630/117
奈良県統計書 昭和5年(S3-S5)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448662/312
奈良県統計書 昭和9年(S5-S9)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448695/269
奈良県統計書 昭和14年(S10-14)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448602/110
第65号(1941)奈良國道コンクリート鋪裝調査
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140737/1
14.4調査
第19号 橋梁に就きて
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113667/9
第21号 聖天坂試験舗装
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113675/1
第23号 鋼橋 熊本県道路技師 佐藤文哉
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113694/28
トラス構造と静定不静定の説明
第23号 鉄筋コンクリート桁橋に就て
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113694/61
ゲルバー桁と突桁の違い(吊り桁を省略=突桁)
第26号 広島県道路講習会講演集 広島県の道路に就て
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113705/1
当時の広島県の道路について
第27号 六甲登山県道一部路面舗装工事報告 岩崎久作
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113709/1
麓からケーブルカー駅まで
第28号 橋面コンクリート舗装 河村協
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113710/2
府県道彦根八幡線宇曽川架設天満橋、犬上橋(残存)の鏡面舗装
第29号 経済的コンクリート舗装の研究 内務省大阪土木出張所 江守保平
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113714/3
国道15号舗装 第65号に続く
第37号 石川県の道路に就て 石川県土木課長 杉山宗次郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113752/24
石川県下隧道
[日本ポルトランドセメント同業会]パンフレット. 第36号
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142522/1
土木材料の代替品。
かねがね違和を感じていた「続きはWebで!」広告。難読広告主の場合はこんな苦しいことをしなければならない(らしい)ことを知ってさらに違和感を強くする。なお括弧のあるなしで結果は変わらなかった。
それに加えて・・・これだ。手抜き過ぎちゃうんか広告屋。この看板を見ただけでは二つの生命保険会社の差異がわからないのは明らかに広告失格ではないか。
なんでおれ電話下手なんだろう! ちゃんとシミュレーションしただろ! その通りにしゃべれ馬鹿jis!
あるに違いないと思っていたものがなかったり、そうなってるとは思ってなかったという新事実が見つかったり、まさかあるまいと鷹を括っていたことが出てきたり、ただの参考情報だと思っていた一枚の絵葉書が無上な価値をもつものだと知ったり・・・。今日一日でずいぶん忙しい思いをし、それだけで満腹した。 叩かなければ扉は開かれず誰が為にも鐘は鳴らず故に自ら鳴らして和田アキコにあなた呼ばわりされるのだ(意味不明)。
いまこの世に存在しているものの来し方素性を知ることが、いかに大変で、そして面白いことであることかを書いてみたい。どうだわかったぞスゲーダロ、ではなくてその考察過程が間違ってないか検証してもらうためにね。
ついでに奈良跨線橋を「喪われた~」でやったら如何という姑息な案を検討中。また奈良かよ!というご意見は甘んじて受けるが聞き流す。だって仕方ないじゃん。他に世の中に役立つことないんだし>nagajis
かなり悲しい罰ゲームを執行中・・・。最初は「仕方ないよね、提出の仕方も悪かったし、あちこちからいろいろ届くから混乱するよね」と思っていたのだが、やるにつれ、あんだけ頑張って書いたのにXXとはどういうことだ! と叫びたい気分になってきた。まあ・・・提出後に見つけた間違いとか追記とかもあるから、まとめてリカバリーできて良しと思うべきなんだろう。
表記が揺れている。今直すには余りに時間がなさすぎる。他にやらなきゃいけないこともある。嗚呼。
松波さんのところから拝借、旧漢字カナを新字かなに変更。
内務省告示第二百二十号
国道十五号並十六号路線を変更し大正九年四月内務省告示第二十八号中左の通改正す
昭和五年十一月十八日
内務大臣 安達謙蔵十五号「東京市ヨリ奈良県庁所在地に達する路線」とあるを「東京市より和歌山県庁所在地に達する路線(甲)」と改む
経過地中「同府久世郡宇治町」の下に「奈良市、奈良県磯城郡田原本町、同県高市郡八木町、同県北葛城郡高田町、同県南葛城郡御所町、同県宇智郡五條町、和歌山県伊都郡橋本町、同県那賀郡粉河町」を加う
十六号 「東京市より和歌山県庁所在地に達する路線」の下に「(乙)」を加う
奈良から府県道奈良和歌山線、八木から府県道高田八木線、高田から府県道高田御所線、御所五条線を使って和歌山へ、か。大正8年の奈良和歌山線は重坂峠経由だったらしいのでT12の奈良和歌山線=国道15号かは微妙。このへんはちゃんと告示を追わないといかんなあ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136392/1236
大日本商工会「大日本商工録」昭和3年版
会社の屋号・社章がわかる。 土木請負業 井上組(大阪市西区)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136392/1234
津守煉瓦 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950529/58 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017477/513 大正15 林商店 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017477/434 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031570/8 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802715/139
同上 煉瓦セメント類 土佐商店 泉四郎 大阪市南区難波新地 創業明治20年。 灘萬=大正3年、楠本栄三郎 これも大阪市 しかし分類的には土佐商店のほうが太井桁の出処かも知れぬ。ただし下市方面との繋がりは不明。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956917/166
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136392/1406
同上 屋根瓦製造 ○八 和歌山 たぶん違う
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/928269/10
奈良県原蚕種製造所編「事績報告」大正6年度
奈良県原蚕種製造所の所在地=宇陀郡榛原町萩原
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950537/338
東洋蚕益社「帝国蚕業大鑑」大正9
宇陀郡曽爾村 穐原亀吉
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950442/45
桑原義彰「大日本桑苗業者名鑑」大正3
曽爾村大字今井 田合静松 と穐原亀吉。もうひとつ田合の名を見た気がするが・・・
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951945/33
奈良県「奈良県産業案内」大正3
これはマストリード。内牧村立高城養業学校、養蚕史
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951945/57
林業 吉野山林、大和索道二見駅P 他に上谷での カリカワ、シュラの写真あり
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951945/72
郡山町 小松養魚場の景(金魚) 郡山の金魚養殖:小松春鄰
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951945/74
初瀬水力、奈良瓦斯P 前ページに関西水電第一発電所の写真(県議会史にあるのの鮮明版)、第二の貯水池P。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454868/88
「奈良県統計史」昭和12
大正4からの索道統計、明治期からの荷車、自転車、自動車数の統計
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956917/166
「京阪神商工録」大正7
いくつかの煉瓦会社あり。東洋白煉瓦とか。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956917/356
林土管。大阪窯業と超紛らわしい。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956917/356
岸和田煉瓦
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956917/386
大日本耐火煉瓦
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1033763/60
「帝国商工録」昭和9
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953068/13
「時局と工業」第2 大正3
大高のコメント
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140990/236
「耐火物年鑑第2巻」昭和16
広告に耐火煉瓦の刻印多数
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920412/77
「 泉州商工便覧 」大正5
岸和田煉瓦に関する詳細。八王子にも工場があったのだな。
『奈良県統計書』昭和14年度版(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448602/145)より、水道表を引用。
昭和十三年度末現在 | ||||||||||||
認可又は許可 | 起工 | 竣功 | 給水開始 | 布設総工費(円) | 給水区域 | 当初計画給水人口 | 極度給水人口 | 一日一人 給水量(平均・㎥) | 一日一人 給水量(最大・㎥) | 水源 | 水圧の概(kg) | |
奈良市水道 | 大正4年10月30日 | 大正4年12月1日 | 大正11年9月30日 | 大正10年1月16日 | 1548722 | 奈良市一円 | 50000 | 70000 | 0.159 | 0.197 | 河水 | 最高7.7/最低1.0 |
郡山町水道 | 昭和13年3月25日 | - | - | - | 451092 | 郡山町一円 | 19000 | - | - | - | 鑿井 | - |
生駒町水道 | 昭和5年3月4日 | 昭和5年5月7日 | 昭和6年3月末日 | 昭和6年4月1日 | - | 生駒町一円 | 5300 | 7200 | 0.085 | 0.180 | 鑿井 | 平均4.0 |
大阪電気軌道株式会社水道 | 昭和12年9月4日 | 昭和12年9月5日 | 昭和12年11月20日 | 昭和12年11月21日 | 85000 | あやめ池遊覧地一円 | 平吋2000/遊覧施設70000 | 2000/70000 | 0.248・0.006 | 0.370/0.0006 | 鑿井 | 平均3.25 |
丹波市町上水道利用組合 | 昭和6年9月25日 | 昭和6年9月25日 | 昭和7年1月21日 | 昭和7年1月21日 | 74852 | 丹波市町の一部及び二階堂村の一部 | 5000 | 20000 | 0.099 | 0.108 | 鑿井 | 平均3.5 |
高田町水道 | 昭和8年12月27日 | 昭和9年5月26日 | 昭和11年2月20日 | 昭和11年3月1日 | 287148 | 高田町一円磐園村浮孔村の一部 | 8406 | 33405 | 0.125 | 0.205 | 鑿井 | 平均2.0 |
大正村水道 | 昭和2年3月22日 | 昭和2年3月27日 | 昭和2年6月5日 | 昭和2年6月8日 | 4790 | 大正村大字小林一円 | 1106 | 1500 | 0.069 | 0.069 | 鑿井 | 不詳 |
野原村水道 | 大正11年4月19日 | 大正11年4月21日 | 大正11年5月20日 | 大正11年6月1日 | 9254 | 野原町大字牧字上牧 | 357 | 412 | 0.100 | 0.110 | 湧水 | 平均0.018 |
吉野町水道 | 大正14年9月24日 | 大正15年11月1日 | 昭和2年5月30日 | 昭和2年5月1日 | 107503 | 吉野町吉野山区の大部 | 4000 | 5000 | 0.070 | 0.140 | 渓水 | 不詳 |
大塔村水道 | 昭和4年1月26日 | 昭和4年2月1日 | 昭和4年6月30日 | 昭和4年9月20日 | 6500 | 大塔村大字阪本の一部及大字簾の一部 | 350 | 400 | 0.060 | 0.080 | 渓水 | 不詳 |
郡山町は昭和17年送水開始(http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/life/env/jousui/000663.html)。生駒市は市の年表に水道開通がある。天理は立派な調査票があがっている。
通水開始は奈良市が最初なのだが、竣功は野原村のほうが先という謎な状況・・・。
配水管延長 | 給水戸数 | ||||||||
総数 | 鉄管 | 鉛管 | 其他 | 総数 | 専用栓引用戸数 | 共同栓引用戸数 | |||
(放任) | (計量) | (公設) | (私設) | ||||||
奈良市水道 | 84828 | 71088 | 13178 | 562 | 8433 | - | 6404 | 431 | 1598 |
郡山町水道 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
生駒町水道 | 10838 | 4680 | 5996 | 162 | 399 | - | 392 | - | 7 |
大阪電気軌道株式会社水道 | 7352 | 6552 | 800 | - | 136 | 36 | 100 | - | - |
丹波市水道 | 16033 | 16033 | - | - | 621 | 21 | 584 | - | 16 |
大正村水道 | 734 | - | 734 | - | 212 | 2 | - | 210 | - |
野原町水道 | 1137 | 1137 | - | - | 80 | 3 | - | 77 | - |
吉野町水道 | 6754 | 3272 | 3482 | - | 198 | - | 197 | 1 | - |
大塔村水道 | 2268 | 2268 | - | - | 66 | 9 | 9 | 48 | - |
落ちた落ちたよ全部消えた。ちぇっ、ちぇっ、ちぇーーーーっ! と何度舌打ちしたって帰っては来ないのである。ここに愚痴を書いても戻ってきやしないのである。
西の谷橋I=17.6m、泰原橋I=15m、太古良橋I=15.6mの重要性。蟻通橋I=13.3mの三連も結構いい線行ってること。
撮ってきた公文書の画像を整理する。時間が経っているせいもあり、どの公文書を写したのか思い出せないやつが多数・・・。それってすげー意味ないじゃん! ちゃんと表紙も撮っとけよ! 最終的にはもう一度関連するやつ全部見ないといけないかもな・・・。。。なんて無駄だ。
吉野の水路橋は「水路橋一般図」しかねえのよな。ワンスパンだけ書かれてるやつ。それで全部を作ったのかよほんとかよと思う。三径間で2:1のサイズ違いなんだぜ。あと樋口谷と喜佐谷の土場が特殊な構造だということに気づいた。 喜佐谷のほうはこの水路(発電所)の特徴を最も端的に表しているものだろうと思う。残っていればの話だが。
いろいろ頑張ってはみたけれども、産業関係は弾不足だ。モノとして残っているものが余りに少ない。今に続いているものに乏しい。煉瓦作りの工場だとか創業当時のRC造だとかがいくらもある地域がうらやましい。近代工業は諦めて農業とか林業とかでいくしかないのかも知れない。もしくは地域史産業史の文脈の中でこういう位置付けだったと語らないといけない。
全国に影響を与えた産業か・・・・・・。郡山の金魚、宇陀の養蚕、吉野の林業。そして観光。やっぱりウスいなあ。靴下、皮革は変わりすぎている。伝統産業もいまいち変化がない。
近代化遺産も土木遺産も、今まで光が当たっていなかった物件が脚光を浴びることができるから価値があるのだと思う。どんな小さな物件でも近代化遺産たり得るからいいのだと思う(土木遺産はそれが徹底している。例えば橋単体、駅単体でもちゃんと評価されるものな)。大きな物件・見映えのする物件しか評価されないのであれば1300年分の歴史に太刀打ちできるわけがない。
会を重ねるごとに前準備とか後片付けとかいろいろ大変になる・・・。隅の方に座っているだけで済んでいた頃が懐かしい。それだけ働いたところで見返りが約束されてるわけでもない。しかしかといって以前に戻ったところでますます黙阿弥だし、自分で見返りを見つけたらいいだけの話だ。都合よく利用してやろうというのであればいかにも都合よく利用されたらいいんでないの?>nagajis。いやそう露骨に言われたわけじゃないんだけどな。しなければならないことを「仕事」と捉えているうちは甘いんじゃないかしらん。
バック。フォーマット(原稿整形)。データ送信。見るところリスト。全部急ぎだ! しかし明日以降連日出なければならん・・・。
症状:水洟がしきりに出る。脳味噌の奥の方の軽い鈍痛。意識のもやもや。腕の倦怠感。貧乏。
一週間前から全然変わってねえのはいい加減どうにかしてほしい。薬も飲んだし括弧ンとうも飲んでいるのに。栄養のあるものが食いたい。
_ yuta [大丈夫ですか?僕は口内炎が一週間以上治りません]
_ T_Kaz [1/1 の正月の日記に今さら突っ込むのも無粋ですが・・・。 関東?では 1/3 に「とろろ(山芋)飯」を食べるのですが、関西ではそういう習慣はないのですかね。 割と良いアクセントでした。]
_ nagajis [うーん、うちだけかも知れませんが、正月はお汁粉が定番だったことを思い出しました。雑煮+御節、雑煮に飽きたらお汁粉。粒が残っていたからぜんざいといったほうがいいんですかね。特になんという言われもなか..]