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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2018-06-01 0.4mmのエクスタシー [長年日記] この日を編集

[古レール] 60-9の謎に迫る試み

画像の説明

明治40年、鉄道国有法によって大小様々な私鉄が国有化されたが、その結果として国鉄が管理しなければならない軌条の種類が馬鹿みたいに増えた。その結果布達されたのが明治42年7月12日逹第623号「軌条及付属品称 呼ノ件」。種々断面の軌条を整理して新しい呼称をつけたものである。それでも60ポンドレールなんかは9種類もの分類を必要とした。重量が同じくせに、なんて思っていたのだけれども、軌条を繋ぐ継目板は軌条断面毎に違うので異種軌条を連結することができない(そういう時には専用の異形継目板を必要とした)。また断面は同じでも継目板のボルト穴の位置が違ったりする場合もある。なので細かい分類が必要だった。

鉄道院が作成した「軌条及付属品図」にそんな軌条断面・継目板の形状が寸法つきで描かれている。古レール研究家はこの図に描かれた断面と逹623号の分類を信じてレールを調べている(はず)。

なのだが、どうも納得がいかないところがある。阪鶴鉄道で使われていた軌条は60ポンド第4種と同9種に分類されているのだけれども、福知山線柵には阪鶴発注の第9種断面の軌条というものが存在しない。60ポンド第9種には阪鶴線で使用されていたものだけが割り当てられているにも関わらずだ。

60ポンド第9種の断面は同第5種とほとんど同じで、軌条の「ノド」の角度がわずかに違うだけとされている。なので断面ゲージも第5種のを流用している。その第5種のゲージがフィットするものからして無いのである。 ただ2つだけ、

CARNEGIE 96 IIII STK

6007 ILLINOIS STEEL Co SOUTH WKS V 1897 STK

はフィットしたけれども、これは山陽鉄道の発注品であるので第5種に分類されるべきものだ(逹623号でも新山陽型→第5種と改名されている)。6007 ILLINOISには山陽鉄道マークが入っているものさえある。ともかく上記以外に第5種/第9種のゲージが入るものが存在しないのである。

そのくせ、明らかに阪鶴鉄道発注品だとわかるものは

CARNEGIE 1896 IIIIIIIII HANKAKU

6015 ILLINOIS STEEL Co SOUTH WKS X 1897 HANKAKU

の2系統がある(Illinoisのは1898年1月製造のもあり)。そうしてどちらも60ポンド第4種のゲージ がはまるーーー形状は60ポンド第1種即ちASCE断面と類似しているのでそれと共通のを使っているーーーそもそもIllinoisの6015番はこれがASCE規格の元になったという断面だーーー。ここでCARNEGIE 1896に第5種ゲージがはまれば全ては解決するのだが、現実にはそうなってはいないのである。

明らかに阪鶴発注品とわかる軌条が2種類あり、どちらも第4種であって、だのに第9種が見つからないという謎状況なわけである(ついでにいうと昭和5年『保線統計』の断面別統計の解説でも「この断面の軌条は現在見当たらない」と書かれている。60-9は80年以上前から行方知れずなのだ)。これは一体どういうわけなのか。

余りに瑣末なことなので、長いこと見て見ぬふりをしてきたけれども、調査が深まっていくにつれてモヤモヤの堆積を無視できなくなってきた。あれこれ考えた末、最終的に「『軌条及付属品図』が間違ってるい」という判断に至らざるを得なくなった。この図は意外とデタラメなところがあって、50ポンド軌条の一つも明らかに寸法が間違っているものがあるうである。60ポンド第9種も実はそうなのではないか。

改めて逹623号を読んで見ると、第4種に分類された阪鶴線軌条は、それ以前は「60封度(ウェブ厚31/64”)」と呼ばれていたことになっている。んで第9種に割り当てられた阪鶴軌条は 「60封度(ウェブ厚1/2”)」。ウェブというのは「工」の字型をした軌条の縦棒に相当する部分のことで、 旧呼称時代にはその厚さが31/64インチなのか1/2インチなのかで分けられていたということだ。

てことは、CARNEGIE 1896と6015 ILLINOISのウェブの厚さを測り比べたら、疑問が解決するんじゃないか。同じ断面のように見えて実は微妙に形状が違ってるんじゃないかーーー6015は後のASCE規格だから、CARNEGIE 1896が第9種相等の軌条なのではないか。

そう想像したところまでは良かった。問題は、どうやってウェブ厚を測るかだ。しかも相等精度良く。

31/64インチ=12.3mm
1/2インチ=12.7mm

わずか0.4mmの差、なのだから。

福知山線の柵なら、それができる。写真に掲げた如くである。

そうして想像通りの結果を得た。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 藤本 [すごい!]

_ nagajis [まだ数本でしか確認できてないんですけどね・・・福知山線は奥深いですよ。]


2018-06-03 [長年日記] この日を編集

[古レール] 五條史跡公園

画像の説明 金剛ハロー号が踏んづけているのは、
画像の説明 皇紀2607年7月銘の八幡製レール。6を7に打ち替えてある。

[古レール] MOSSBAYとかLORAINとか

画像の説明

国道脇のこの跨線橋、意外と古いレールが使われている。安全に見ることのできる範囲だけでもMOSS BAY STEEL 1894 SEC313とかBV&COLD 1893 NTKとかBARROW STEELの1894とか年度不明のLORAINとか使われている。福知山線の柵と同じ匂いがするが、LORAINはなかったなぁ。

元々は真土の中の古レールを確認したかったのだけれども水没してしまうようになったらしく完全に水漬く屍に成り果てていた。あれがCambriaのシベリアに行くとか行ったとかいう67.5ポンドだと思っていたのだけれども。端のほうの乾いているところで測定してみたものの、分捕も60-2もはまるようじゃあ、どうしようもない。

そちらで収穫がなかったかわり、隧道前の築堤の下ででっかい暗渠を発見した。嗚呼近遺調の時に降りておけば良かったなぁ。スパン7.0mは残念ながら関鉄の大崖川橋梁に負けるけれども紀和鉄道の本気を見たようで一寸嬉しかった。

その足で野田尾へ行き(どういうワープだ)、BARROW STEEL 1897 SEC166 が 7/1894 であることを確認し、ついでに横材に複数の56ポンドレールを発見して----帰ってきた。京都線のBARROWって一体ナニなんだろうなあ。KIOTO BV&COLD 1899なんて見つかってないしなあ。


2018-06-04 [長年日記] この日を編集

[納得がいかない] もやもやする

画像の説明

間違ってはいないと思うのだけれども、とてももやもやする。名前を覚えてもらいやすくするために苗字か名前かをひらがなにしとこう的風潮が納得行かない。そんな姑息手段で票を集めなければならないのかと思う。それをXORしたルビになおさらもやもやする。ひらがなルビ、漢字名前を並べれば済む話ではないか。

という攻撃はそのままブーメランして自分に返ってくる。要するに有権者がバカだからこんな姑息手段を用いなければならぬのだ。自分の意志で選挙公報を読むなり講演会を聞くなりしてその人の掲げる政策を理解した上自らの志を代弁してくれる人物を選び出しさえすれば、名前なんて自然に覚えるだろう。そういうことをしない自分にこの看板のモヤモヤを愚痴る資格などないのである。

駅舎のイラストデコレーションのほうは、あれはあれでいいんだと思った。訪れた人を楽しませよう、自分たちが毎日使う駅舎を明るくしよう、という前向きな試みに対して、私のような滅多に利用しない第三者が口を挟む筋合いはない。なんだか「ゆっくりしていってね!!!」と喋り出しそうだな、と思ったことだけ書いておけばよい。

和歌山線、もうちょっと本数増えないかなあ。ふらっと訪れると30分に1本とか1時間に1本とかで行程を組み立てにくい。かと思ったら橋本で1、2分差で見送らねばならなかったりする。あれに乗れてたら30分違うんだ。

[奇妙なポテンシャル] 言偏

近頃急に「言偏」の漢字に違和感を覚えるようになった。全ての言偏の漢字にではない。駅のポスターや車内広告を見ていて急に「あ、変な漢字」と思うことがある。何と表現したらいいのか……その言偏の漢字だけが中国の簡体字になっているように見えてしまうのだ。

その漢字のどこに違和感を覚えるのか、今日やっと判明した。言偏の一画目の「点」の書き方に因るらしいのだ。

画像の説明今日見たのは市営地下鉄めとろの車内広告であったのだけれども、写真など撮っていないので掲げられない。かわりに以前違和感を抱いた、東京書籍小学二年生用「新しい国語」の表題を掲げる。違和の臭いはまだ柔いほうだが、この「語」の一画目に違和感を感じたことがあった。

見慣れているフォントの場合はどうだろう。
画像の説明

「丶」ではなく横棒に近い書き方をする。雑誌本文でよく使われるこれなんかもそうだ。

画像の説明

しかしよくよく考えてみれば、これはこれで「書いた文字」とは乖離している。普通こういう字を書くことはない。が、至極落ち着いて見ることができる。しっくりくる。なぜだろう。単に記号として・デザインとしてバランスが取れているからだろうか? 見慣れているから、だけだろうか?

画像の説明

これなどは逆に、「丶」であるけれども、全く違和感がない。

教科書体

画像の説明

だとなおさら違和感がない。

画像の説明だけれども、東京書籍「新しい国語」の「語」は臭う。「丶」の辺りから臭いが発せられている。(そういえば、他の臭った「言偏」では、この「点」がもう少し左に寄っていたような気もする。二画目の辺から転げ落ちるんじゃないかと不安になるような「丶」であったような記憶がある。上二つの「言偏」の「丶」は文句のつけようのない位置に収まっているように思われる)

こうやって並べてみた結果、それはどうも、「横棒の反り」あるいは「文字の傾き」があるかないかにも因るらしい、と気がついた。東京書籍「新しい国語」は、横棒が直線であるのに「丶」だけが書き文字風で、だからそこに不統一感を嗅ぎ取ってしまうようだ。そういえば今日市営地下鉄めとろで見た広告の言偏漢字はゴシック体でありながら「丶」だけがこの角度で書かれていた。なおさら臭ったわけである。

同じような違和感を「示偏」の一画目に感じることがある。「丶」を使うか「縦棒」を使うかの違いのようで、「丶」の場合に臭うようだった気がする。煩雑なので例は挙げないが多分上記と同じ理由であると思う。今度気をつけて見ておこう。

広告業界、DTP業界に、密かにそういうフォントが混入してきているのかも知れない。あるいはデザインまで海外に発注しているのかも知れぬ。こういうのは結局のところ「見初め」のタイミングであったり「馴れ」であったりの違いでしかなくて、たとえば戦前の雑誌の活字体に微妙な違和感を感じ「古さ」を読み取ってしまうのも、写研写植とかモリサワフォントとかに馴れてしまっている自分たち世代だからそう思うだけであるだろう。後の世では直線横棒に「丶」を添えた言偏でも違和を感じることなどなくなるのだろう。ともかくまあ、流行り廃りの変わり目にいるらしいことに気がついた私であるらしい。


2018-06-06 [長年日記] この日を編集

[] デザインにかかる

帯と段割、文字級数まではすんなり行ったがその後が思いやられる。どんだけ長いねん、という内容。やはり前後編で区切るべきなのかも知れない。ちょうどよいところで目玉が出てくるのだし。

柵に使われているレールにまつわる話題を逐次的に入れ込んでいくスタイルはまったくの苦肉の策である。自分自身がレールの話題に詳しくない(俯瞰的にレール史を観るまでには至れていない)ので、聞きかじり読みかじりした「おもろい話」をその都度思い出したように突っ込んでいくしかできないのである。もし本当にレール史軌条商工史を綴りたいのであればもっと知識を練り上げた上で別の書き方をしなければならないと思う(いや自分が書くつもりは全然ない。相応しい方に相応しく書いていただかないといけない)。今回の記事はダメな例として作ってみるつもり・筋のよくないと思われる方式を筋が良くないと確認するつもりですすめている。

前後編に分けるか分けまいか悩んでいる一方で後編範囲に書き加えたりしているのは全くダメダメさんである。いい加減方向を固めないと間に合わないぞ。

[独言] 今年も落ちなかった

6月6日である。

[独言] こっちのほうがらくでいい

生半可な知識でそれらしいことを書くことの難しさを弥が上にも実感させられるような書きものがここ一ヶ月ちかく続いていてそれはそれは大変なフラストレーションなのであった。ここにぐだぐだテケテケ書いている時の気安さが恋しい。のだけれどもここに何かを書いている暇があったらげのほうを進めないといけないという切迫がそれを許さない。書く暇がないのではない。暇ならいくらでも見繕える。げを休んで書けば済む話である。そうではなく書けないのである、後ろから追い立てられているようで。我ながらバカだとおもう。こっちに書いてもあっちに書いても同じ地獄だというのにな。

パートさんの愚痴を聞いているとなんであんなに同じ愚痴を繰り返すことができるのだろうと思ってしまう。飽きてしまわないのだろうか。自分で嫌にならないのだろうか。自分だったら同じ愚痴ばかり繰り返していたらだんだんその愚痴に取り憑かれて喋るのも考えるのも嫌になってしまう。愚痴の元を取り除く、もしくは愚痴の元を忘れられるまた別の何かを考えると思う。同じことを同じ調子で同じように繰り返されるのは聞かされるほうにとってはこの上ない苦痛である。とはいえ最近はそんな愚痴を「他人事だから」と思えるくらいにはなってきた。同情したところで何も解決しないし本人も多分そんなことは望んでいない。ただ愚痴を述べることだけが愚痴の目的になっていて、そういう愚痴が世間一般でいうところの愚痴なのであり、即ちそれが世間話と呼ばれる部類の会話なのだと、この歳になってようやく解ってきたようなお子ちゃまnagajisなのであった。

結局のところ、いらいら、フラストレーション、皮肉、そいったものを他人に向けて発射するのは何の益も齎さない。世間話的愚痴話でもやめといたほうがいい。誰あてでもないこの場で虚空に向かって投げておくのが吉なのである。最上なのはそんなこと考えてないでげんこうかけってところだがそれも最近佳境続きで疲れているのであるなあ。

今年の梅雨は昨年よりも過ごしやすい気がする。日陰夜陰が涼しいのはとてもありがたいことだ。夜になったら涼しい空気に包まれるというごく当然のことさえ大阪の夏は許さない。許さない?もうちょっと他に適当な語がありそうだが思いつかぬ。それくらいには疲れている。何一つ取り柄無き身の憂さ晴らし。

[独言] レールは重い

あまりおおっぴらには書けない場所のおおっぴらには書けないレールをごろごろひっくり返してみたときに、レールってこんなに重いんだなあと実感した。当たり前なのだ。1mあたり30kgもあるんだから。2mあれば自分の体重と同じくらい、3mならそれよりも重い。至極当然の掛け算ができていなかった。いや数値としては理解できてても90kgの重さを知覚で理解できていなかった。

福知山線で散々レールを触って、その手触りからくる重量感には慣れていたつもりだけれども、その手の感じた重量感と、実際のそのレールの重さは全然違う。もしあの柵が、たとえレール1本だけでも倒れてきたら大変な目に遭うに違いない。あんな重いものをどうやって崖の上まで運び上げたのだろうと思う。あの不安定な崖の上でどうやって立てたり組んだりしたんだろうと思う。横材なんか5、6mもあるんだぜ。単純計算でも150kg以上あるわけなんだぜ。必死になって転がしたあのレールの数倍の重さがあるんだぜ。そうしてそれが何十本何百本と固まって崖の上にある。よく足元が崩れないものだ。

感覚、を理解するのは難しい。ましてやそれを人に伝えるのはもっと難しい。

そういや伊賀上野で電車を待っている時だったっけ、隣で保線作業の準備をしていて、貨車にレールを積む作業を見たことがある。硬くて微塵も曲がらなそうに見えるレールがびよんびよんとしなっていたのが、意外でもあり当然のようでもあった。この「硬さ」のイメージも掴みにくい。あれはあれで貴重な実験だったと思う。

重さの感覚、硬さの感覚、自分が知り得るその感覚の範囲は、結局のところ「自分で持てる重さ」「自分で曲げられる硬さ」が上限値になるのだろうな。あるいは「自分で操ることのできる重さ・硬さ」か。車やバイクに乗らない自分は数百キロのものが時速数十キロで動き回るという感覚を知覚できない。百キロも持ち上げたことがない故にその重さを知覚できない。せいぜい懸垂で自分の重さを感じるくらい。60数キロであんななのだから、百貫氏などはいかなる感覚なのだろうと思う。自分の体重を支えて歩くというだけでも相当な負担だと思うし、自分にはできそうにない。

[奇妙なポテンシャル] 「だし」

「~だし、~」という言い回しがここ数年で急に増えたように感じている。何故かはよくわからないが鼻持ちならない印象を受ける。これが40年前だったら確実に筒井御大が「言語姦覚」に取り上げて分析してくられていただろう。

鼻持ちならなさを感じるポイントは、前後の文の関連の無さ、よりもむしろ類似性、同じ内容のことを言い換えているに過ぎないところにあるかもしれない。多角的にものを言えるのだ・見ているのだという自慢が暗に込められていて、しかもそれを糊塗し切れていないところに鼻持ちならなさを嗅ぎとってしまうようだ。試しに「だし、」を「。」に置き換えても文意が損なわれることなく伝わる。しかもそちらのほうがすっきりしていて耳障りもよいことのほうが多い。「だし」はあくまで風味のベースであり使い過ぎると不味くなるものである。(それで旨いこと言ったつもりか>nagajis)

[独言] 指先のしびれと脚のしびれ

暖かくなってきたせいかおくすりのせいか、最近は指先のしびれにぢりぢりさせられることが少なくなった(だからこんなだらだら書いているのである)。診断の通り首と腰のなんとかいうやつのせいであるとは正直思えなかったのだけれどもやっぱり診断通りであるようだ。当たり前だど素人めが。あ、変な訛りだな。

膝下の慢性的な違和感は未だすっきりせずのままである。じっと座りつづけていられないので合間に小作業を挟みながら騙し騙し生きている。ある区分、もとい歩く分には支障がないので幾らでも出歩いてはいるがむしろそれはこのまま歩くことさえできなくなったらという恐怖心に駆られてのことである成分に因るところのほうが大きい。動けるうちにやっときたいことをやっとこうというさもしい魂胆である。いわゆる新消防大というやつである。


2018-06-09 [長年日記] この日を編集

[煉瓦刻印] ああわたしのぱらいそが。

画像の説明 埋め立てられてただの磯に。残念だが仕方ない、あれ放置していたら公園が削れて無くなるからな。

うわーぱれもっちゃべろぺろー。ふんぬがー。みよんみよん。


2018-06-10 [長年日記] この日を編集

ちっともすすまないではないか。はんぱなりかいでものをかくからこうなるのだがそれいじょうにげんごのうりょくのおとろえというかはっさんしんどうというかをかんじるのである。


2018-06-11 [長年日記] この日を編集

[] やっと

やっと終わりが見えてきたがこの期に及んで写真の不味さに気づいている始末である。撮り直す暇など無い。

次の関門はIndesignで表作成。うまく収まるのか、統一的作れるのかまだわかっていない。

[] Illinois 南工場

https://en.wikipedia.org/wiki/South_Works

ILLINOIS SOUTH WKS。Illinois成立時の3会社のひとつ、North Chicago Rolling Mill Companyが所有していた工場、シカゴのChicago工場、South Chicago工場 (1880)、 ウィスコンシンのMilwaukee工場 (1868)のうちのSouth Chicagoがこれに相当するはず。他の2社はUnion Iron Company (1863)とJoliet Steel Company (1870)で各社とも1つの工場だったとおもわれる。Joliet Steel Companyは2つのベッセマー転炉で操業。レールとワイヤーロッドを盛んに製造していたが1898年にIllinoisがFederal Steelになる数年前にはレール製造を止めている。

https://books.google.co.jp/books?id=GQV4qKcpHXcC&pg=PA72&lpg=PA72&dq=%22Joliet+Iron+and+Steel+Company%22&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q=%22Joliet%20Iron%20and%20Steel%20Company%22&f=false


2018-06-13 [長年日記] この日を編集

[][pdf] できた

前半が。おかしい。5万文字を半分にしたはずなのに54820文字もある。ってそうか、表の文字まで含んでおるのだな。そうしてページ数はいうほど伸びていず内容はヘラジカの角の如くである。でかくて複雑でその迫力だけがウリ。そんなこといったらヘラジカに失礼か・・・

タイミングとしては6/17しかないのである。ついでに六甲に登ってくるのもアリだがその日のうちに帰ってこれるんだろうか。後者はやめておこう・・・

ふと我に返ってこれだけ頑張って何になるのだろうと思ったりしないでもないわけで、しかしそんな「醒め」を今まで幾度となく繰り返したにもかかわらず続けているのは何でなんだぜとメタ醒めしながらなお書いているのは、哀れも呆れも通り越してなんだかよくわからない境地である。それしかできないのだから困っている。書いて書いて書いて書いて 書いて 書いて 書いて 書いて 藻書き続けた上で死ね。ざまあみろnagajis、と言った時に見るべき様もないくらいに無意味な人生を送ってみている。

これ終わったら長浜み〜なのを書かなきゃ。そしてやましろのをあげなきゃ。息もつけない七転八倒(って何だか神坂一のラノベのタイトルみてえだな)の末に待ち構えているものは一体何だ。自己満足か。え。自己満足か。それだけか。それすらいらないか。

ORJ始めてからこれまでにいったい何文字書いたんだろうと思い調べてみたくなる衝動に駆られることが多々あったりするのだけれども実際にそれを数えるのは大変なことだし数えたところで価値のない文字に価値はないのであって仮に数えてみたところでその比較対象とすべきものさし例えば東京ドームの如きものがなく例え新聞紙○枚分と換算してみたところで新聞1枚を作成する手間を知っているわけでも知られているわけでもないのだから結局は無駄。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [無意味かどうかなんて、マラソン同様に必死こいて走ってる間は考えないものですよ。 そういうのは止まってから振り返るものです。人生と一緒。 「メールして聞け!」と言われそうですが、バックナンバーのC..]

_ nagajis [うん在庫なし。以前はあまぞんで売っていたらしいよ。]


2018-06-14 [長年日記] この日を編集

[独言] みなおす

そうして酷さに呆れるといういつものパターンなのである。書き直せば書き直すほどガチガチに凝り固まっていくのがわかる。

こういう書き方および生成物を総称してパドル法錬鉄文書と呼ぶことを提唱したい。敲いて敲いて作り上げても所詮はナマクラなのである。嗚呼ベッセマー転炉で一気にガーッと焼けたらどんなに楽なことか。

[独言] みなおした

全然変わっちゃ阿蘭陀。

表にヘッダーをつけ、本文中で言及したレールのマスを色つけることにしてみたが、前編最後のTHE-GREATEST柵の所まで進んだところで宜しくドツボにはまってしまった。調子こいてあれやらこれやら言及しているものだから色が足りなくなったのだ。こまごまと色を変えたら見にくくなるだろうし。全く余計なことを思いついたものだ。

扇情的に取られかねない記述を書き直し。これ読んで行きなはれと言っているつもりはnagajisの毛ほどもないのであったが「行き方」を書いている時点でそりゃ誘導だわなと思い直す。かといって秘匿するつもりもないのである。天秤の両側を同時に挙げるような無理難題に取り組んで、そうしてそれなりの答えを出してみた。うんこれでいこう。

問題は第二手第三手なのである。

[独言] さがされていた

ありがたいことだうれしいことだ。でも「へえそうなんスか」くらいに取っておかないとnagajisが調子に乗るからよしたほうがいい。 久しぶりに遊園地行きたいなあ。全部回れてないしなあ。


2018-06-16 [長年日記] この日を編集

[独言] 発行

久しぶりに二部構成にしたらトップの書き方忘れてんでやんのばーかばーか。

メールのご返事が溜まっているので本日夜にがんばらなければならない。

[独言] 記憶違い

南和鉄道史を大阪中之島で見たもんだとばかり思っていたが、そんなこたあねえ、旧交通科学博物館の図書室で見たのだ(だからコピーが存在しないのだ)。ばーかばーか。京都に移ってからはどうなってるんだろう?→図書室はあるが検索してもでてこねえぞ。交通科学博物館でも現場で何か調べて見つけたのだっけか。

紀和鉄道の社史は土地収用の大変だったこととか資金繰りに苦しんだとかの話ばかりで技術的な話題がほとんど載っていない。困ったものだ。

[古レール][] 八幡・1901

●製鉄所製造の軌条 標本として農商務省へ廻送し来り製鉄所出張所内に陳列したり
(朝日新聞東京版1901年12月13日朝刊2面)

その一本?がどっかから出てきたり、しねえよなあ。

1903.6.17には日本郵便船の伏木丸が秋田土崎港にむけて製鉄所製造レール1700トンを積んで出港する、という記事。この頃磐越西線だったかを建設中だったはずでこの年の別の日の新聞にその記事があった。コピっておいたがまだ確認できてない。

1902年の11月に6回連続で八幡製鉄所の記事があった。高炉は予定の半分くらいしか出銑しない、しかし大冶鉱山とは15カ年契約で輸入を取り決めてる(手放せば列強他国に取られかねない)ので鉄鉱石はどんどん入ってくる、頑張って銑鉄を作るもののそれを製品部で処理しきれず(予算削減でラインが不完全だったため)。銑鉄塊だけがどんどん出来上がるという状態。それで高炉を停めざるを得なかった。あとコークス製造工場が(仮)のままだったことも影響している。してその熱を効率良く使うことができてなかった高炉の設計不良、というところは記事になかった。しかも6回連続の第4回、ベッセマー転炉のことを書いている日のをコピーし忘れてくるという体たらくを演じる。ばーかばーかばーか。

官営釜石の時代にすでにレールを作る気であったらしく、機械を購入するとかしたとかいう記事もあった(明治10年代)。どうなったんだろうな・・・

第一次大戦末期にカナダのバンクーバー港に係留されていたロシア宛発送の軌条をカナダ政府が譲り受けたいと連合国に働きかけているという話。どうもこの頃カナダ<>ロシア間で折り合いが悪かったらしくカナダ>ロシアあて金輸出とかが禁止されたりロシア人バンクーバー港立入禁止とかいう報が出てくる。1918年の話。あれロシアもカナダも連合国なんじゃねぇ?と世界史不取得の私にはうまく理解できない。ので帰りがけに中公新書「第一次大戦」を購入してしまって帰りに半分ほど読んでしまった。

そっか、大戦中にロシア帝国がひっくり返っちまったんだな(1917)。だからロシア宛荷物が出せずにたまってたんだ。んで戦線のカナダ軍補給用鉄道を建設するのに使いたかったんだろう。じゃあシベリアに行ったとか行かなかったとかいうやつとは違うのか。和歌山線に敷いたのはシベリア出兵のときにゲッツしたのかな。

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_ TAKA [南和鉄道史は京都鉄道博物館の図書室にありますよ。コピーできないかも(未確認)。蔵書検索で出ます。]

_ nagajis [わ!「南和鉄道」では出ないんだ! 「南和鐡道」だと確かに所蔵が確認できますね。ありがとうございました、今度行ってみます。。]


2018-06-17 追悼:秋元橋 [長年日記] この日を編集

[独言] えー

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あの秋元橋が撤去されてしまったそうな……(現地を訪れたKさん報)。世に二つとないユニークな存在、実物を目にする前に失せてしまったとは。いや自分の眼はいいのだ、在るか無いかが問題。

東電さーん、桁とレール、どこやっちゃったんスかー。

[独言] 姫路へゆく

情報の押し売りをしに姫路まで出かける。劫火に焼かれて灰になるといいよ>nagajis。

帰りに"FALL-DOWN"柵で厚みを再計測しちゃろうかとも思ったのだが宝塚線が信号トラブルで遅延中・振替輸送中とのことで諦めた。三宮をうろついて古書店巡りをしたりなどするが、これといった収穫は何もなし。えー。

CARNEGIEの阪鶴レールは継目穴の周辺がサンダーか何かで削られているものが多い。兵庫県立歴史博物館の展示にあったCARNEGIEレール(伊丹市立博物館蔵)もそうだったし、"HANKAKU-ONLY"柵に使われてあったやつもそうだ(当初はこの柵のレールで測り比べようと思っていたのだけれども、主柱はすべて継目穴のある末端が頭になるように使われてあって、かつウェブ回りが削られていることに、2、3個測ったところで気づいたのだった。慌てて"FALL-DOWN"へ行ったらそちらは無加工であったという次第)。CARNEGIGのほうが確かに0.4mm厚かったのだとしたら、そしてそれ以外の断面形状が同じであったなら、ウェブ回りを削ってやれば60-4用の添継板で繋げたのかも知れない。百年前のバッドノウハウの痕跡。

"HANKAKU-ONLY"のILLINOISのレールはどうだったっけ・・・あれも削ってあったら上記論は元の木阿弥だな。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [あの橋無くなったんか・・・]


2018-06-18 笑犬樓無事 [長年日記] この日を編集

というネタを、一度はやってみたかった。そこまで広範囲に心配されてもないだろうが。

画像の説明

我が家の被害。本棚の歪みは元からである。あと室内の煉瓦壁が倒壊した(復旧済み)。

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それよか倉庫のほうがたいへんだ。激甚災害ではないか。


2018-06-20 [長年日記] この日を編集

[独言][] み~な記事

仕事にあぶれてしまったカンジなので(笑)書き始める。2時間ほどで骨格ができたが、自分が書いたものを読んで泣くようじゃあ世話ないねえと思ったことだった。

ここからforgeして圧縮せねばならぬ。うえに顔写真まで必要なのか。そんなものないぞ。


2018-06-23 [長年日記] この日を編集

[] やましろ記事

ようやく骨格ができる。しかし「と思われる」「可能性がある」ばかりで全く締まりがない。無い中身を無理庫裡捏造している感が凄まじく、故に何とか実のある事実を入れ込もうとして余計にごちゃごちゃしてしまっている。堪忍していただくほかない。

こういうのは諦めが肝心。文字にするという行為により固定化された事象には大なり小なりの欠損があり誤認があり推測があり100%の真実たり得ずしかし人間は書くことによってしか思考を形にして残すことができぬ。書くことで事実を歪め曲げている可能性を百も承知しながら書くことしかできぬ。仮に100%余す所なく書けたとしてもその事実は誰かに伝える価値もない極々つまらないものであるに違いない。新たな地平を開拓するものにはならないに違いない。書くという取捨選択を経たアウトプットに完璧を求めるほうがいけないのだ。

少なくとも今回は自身の保身を図る必要も振りかざして戦うべき主義主張もない。こんなのがあったよ、という報告である。その程度で抑えておけばどんな[げ]も容易にこなすことができるだろうにと思ったりもする。勝手に仮想敵を拵えてそれから身を守るようなことばかり書いているからいかんのだは。その程度しか書けないという揺るぎない事実を書捨て御免の気楽さで書く、のではなくて、それを現実と受け止め曝け出して批判を乞うのスタンスのほうがまだ、自分のタメになるだろう。

ふいに「技巧ちない」という当て字を思いつく。してやったり感たっぷりなアレの感覚。あまり宜しくないなあ。


2018-06-24 [長年日記] この日を編集

[古レール] ○S 60 A 1920 2

画像の説明

前撮った写真がいかにも甘かったので再撮。確かに2で安心した。

本来の目的はこちら。夜中に撮ったんじゃ目盛りさえ読めんからな。 画像の説明

[橋梁] 武庫川第二橋梁と6/18地震

件の地震で傷んでるんじゃないかと心配していたが、微塵もそんなことはなかった。

生瀬方(右岸側)は固定のピン支承、武田尾方にローラーを挟んだピン支承。後者の支承を確認すると1cmほどズレた痕跡がある。まるっきり腐っているように見えて実はちゃんと機能してくれていたようだ。

画像の説明

右下に大きく見えるのはローラー支承を左右から挟んで浮き上がりを防止する金具。その下にあるのがピン支承の沓(その下にローラーが挟んである)。上に積もった土がめくれているから、沓がいちど右にズレてまた戻ったことがわかる。

画像の説明

(ということを、撮影して歩道に復帰しようとした時に驚かしてしまった人に教え込むnagajis。RDF健在とわかってよかったものの何とも非道い話である。)

考えてみれば阪神大震災のときも落ちなかったんだ、この橋は。偉いもんだ。

[独言] お釣りの虫ゴム

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帰りに宝塚駅で切符を買ったらお釣りと一緒に虫ゴムっぽい何かが出てきた。なんだこりゃ?

食い物だったらイブツコンニュ-とか何とか騒ぎ立てられるかも知らんがお釣りと一緒にじゃハナシにもならんよな。せいぜいTwitterネタにするくらか。と思った時点で何だかつまらなくなった。ネタにするために奇跡を待ちわびるようじゃ無駄遣いも甚だしいしそういうのを上げて喜ぶお年頃でもあるまいに。

などと言いつつここに上げる外道である。


2018-06-25 [長年日記] この日を編集

[][古レール] 誤記の伝播

画像の説明まったくどうでもよい話題。例えば昭和11年、鉄道技術社が発行した「保線ポケット・ブック」など、保線工夫向けに作られたハンドブックにレール標記の解説がある。保線の仕事をしていると「いつどこで作られたレールなのか」がわかっていたほうが捗っただろうから、まあ必須な情報ではあっただろうと思う。

けれどもこれ、あちこちに間違いがある。例えばCammellの標記。

画像の説明CAMMEIL.SHEFILD.70UGHENEDXE EL.1804.9.I.K.J

手書き文字なので一瞬自分の読み間違えかと思ってしまったが、そんなことはない。確かにこの通りに書かれてある。

画像の説明昭和12年鉄道時報編輯局編纂「最新工学宝典」にも全く同じものが載っていて、やはり同様の間違いをしている。さすがに「eV&CoLo」を「BV&CoLo」に修正するくらいはされているが(それでもCoLoなのだが)。

画像の説明さらには戦後も戦後、昭和60年に鉄道現業社が発行した「保線ポケット事典」第8版にも同様の項があって同様の間違いをしている。写植文字に変わるけれどもやっぱり

画像の説明CAMMEIL.SHEFILD.70UGHENEDXE EL.1813. I.K.J

だったりする。恐ろしいことである。

画像の説明国立国会図書館データ送信で得られる、芹沢茂作著「鉄道分岐器類詳説 上巻」(常磐書房、S12)にも同様の図説があるのだが、これは大変正確だ。文字も写植で

画像の説明CAMMELL.SHEFFIELD.TOUGHENED.STEEL.1884.9.I.R.J.

と書いてある(ただし2本めの銘は「CAMMEIS」になってるな)。他のメーカーの銘は総じて完璧に近い。

画像の説明これより前、昭和10年に保線工学会が作成した「保線作業必携便覧」がこの手の標記解説の走りのようだ。ここには「鉄道分岐器類詳説」にあるものよりもメーカー数は少なく、手描きでもあるが標記は略正確である。なおかつそこに書かれている文言は「鐡道分岐器詳説」にも「保線ポケット・ブック」等にもほとんど無フィルターで使用されている。

画像の説明

画像の説明さらに調べてみると「最新工学宝典」の昭和7年版にも標記解説はあるのだった。文字のみの説明で掲載数も少ないが精度はかなり高い。ここで合っていながらなぜS11版でおかしくなるのか。

画像の説明

以上のような状況から、「最新工学宝典」昭和7年版の記述を振出しとして「保線作業必携便覧」が作られ、その記述を拡充する形で「鉄道分岐器類詳説」図が作られ、その図の手書きコピペ劣化版がハンドブックに掲載され(「最新工学宝典」にもバックトラック(バッドトラック?)され)、そのまんま、昭和も末頃まで間違ったまま延々流用され続けたらしい(S11「保線ポケット・ブック」も「鉄道分岐器類詳説」をパクったくさい。載っている銘柄もその製造年も同じなので。発行年が齟齬するのは謎だけれども。もう少し前に正確な記述の載った何かがあったのかも知れぬ。まさか「工政」のを引用したわけでもあるまいしなあ)。

(以上、Tさんに頂いた資料などから試みた追跡)

[] 錬鉄作業

サイゼリ屋に篭ってforgeするつもりだったのだけれども、なんだこりゃ、こっからどう錬ればいいのだと呆れるばかり。所詮屑は屑、スラグの塊であって、いくら叩いたって鉄にはならない。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TAKA [一言、恐れ入りました。 追、これらの資料はレールに記されている記号や文字の呼び方が、刻印、マーク、記号、標記などいろいろあるようなので文献などでの呼称を調べることが目的でした。それにしても読み取り..]

_ nagajis [個人的には何でもいいのかなあと思っていたりします(ここみたいな適当なトコロでは特に)。ことばは世につれ時につれ変わるものですし。 [げ] 錬鉄作業、ああそうか、月末締め切りの投稿原稿をサイゼリヤで..]


2018-06-26 [長年日記] この日を編集

[] ただ長い

書けば書くほど買わねばならないというM仕様だというのに書き加えてばかりなのを振り返って、こいつぁ真性だなと思うばかりである。大丈夫なのかしらん。


2018-06-27 [長年日記] この日を編集

[] 想定の範囲内

言いたいことを言わずして何かはあるとばかりに詰め込んでみたり収拾がつかなくなることを怖れて諦めたりしつつたぶん9割くらいは入れ込んで想定の範囲内におさまつた。結論じみた結論がないのはご容赦いただく他無い。

ちょっと動かしたしただけで写真やキャプションがどっかへ言ってしまううんこWordと大格闘。久しぶりにあのイライラを味わった。いくら「文字といっしょに移動する」チェックを外してもいつのまにか元通りになってやがるうんこWordのうんこ仕様にうんこうんこと叫びつつうんこのイライラだと反芻しつつ調整する。編集のTさんがあとで苦労するのではないかと危惧するが悪いのはMicrosoftなのであると開き直って提出するつもりでいる。非道である。

画像は白黒で作ったほうがよいかも知れぬ。地図なんかはカラーだから判別できているだけで白黒にするとわけわかこになるかも知れぬし罅も見えないかも知れない。罅の方は半分諦めているが折角図をたくさん入れたんだから活かしたいものだ。もっと拡大したやつを入れるか。

とにかくあと一息。

[独言] phiの河原。

地震のせいで呆れるほどの量を再出品せねばならない。 3歩進んで2歩下がるほうがまだ良かったかも知れぬ。 1万積んで5000崩されたようなものだから絶望感半端ないし物理的なダメージも大きい。

[独言] ラーメン

家にチリヌードルがあることがわかっていながら何故そこで袋ラーメン5in1パックを買ってくるのか>nagajis。お前オコだろ。漢字変換でけへんけどオコだろ。

[独言] えー

Chromeで別アカウントログインしてログアウトして痕跡を消そうとしたら元の設定ごと全部消してしまったようである。ちょっと困ったことである。パスワードとか忘れてそうな気がするしブックマーク類も未だ使う奴があったような気がする。


2018-06-28 [長年日記] この日を編集

[] すべておくる

酷いものを発酵させても腐るだけだろうということで手放す。.疲れた。

隧道群の代弁者みたような偉そうなことを書いているが素直に書いたらこうなったのであってnagajisが悪い以外の何物でもない。ついこの間秋元橋の喪失を知った手前でもある。もうこれ以上の損失を私は見たくないのだ。

[橋梁][近代化遺産] 秋元橋続報

その秋元橋。北塩原村に問い合わせてみたら(先方さんの話しぶりから察するに)他からも問い合わせがあったようで日置駅しているような印象を受けた。こちらは無くなった勿体なさを追及するつもりは毫もないのだけれどもなあ。

んでクラベン兄弟(迫真)の銘板だけ残してあるそうだ。nagajis思うにあの橋は「クレーン梁の流用」がキモなのであって「クレーン梁そのもの」「銘板だけ」という状態には価値が見いだせない。いっそ全部喪失してしまったほうが(nagajisが)スッキリしたかも知れぬ。

どのみち某先生に「ゲテモノ」扱いされた可哀想な橋である。橋形レールとともにFeに還って世界の何処かで役に立ってくれればいい。あるいは朽ち尽くして土に還るのも可。人間の業によって眠りを覚まされいいようにこき使われた地の精よ、再び地に戻って安らかに眠れ。

[独言] さて

喫緊の課題に区切りがついたので次何しよう。とにかく年老いた。


2018-06-29 [長年日記] この日を編集

[独言] 野宿がしたいなあ

野宿がしたいなあ。

[独言] 書き疲れない

しごとでかいて帰って書いてが続いたせいかこの時間になっても気が散じない。眠くならない。ちょっと使っただけでアレするのはダメな兆候だと思うのである。

使い方が足りないのかなあと思ったりもする。深く考えることをせず脊髄反射で書いているから神経が昂ぶったままなのかも知れぬ。脳みそが宇宙ゴマみたいな動きをしてくれない。それを集中力があるとは言わないな、目の前にあるものに条件反射で応対し続けられているだけで深い思慮なり思惟なりがない。たまたま出てきた腑に落ちる言い回しを後生大事に抱え込んであーだのこーだのとちまちま削って見栄えをよくしようとするばかりだ。もちろんここもそう。


2018-06-30 [長年日記] この日を編集

[ph.] 有馬温泉でカメラ目線を狙った

画像の説明もっと角度つけないと。


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