nagajisの日不定記。
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戦いの跡。へんなやつが2、3疋混じっている。が、気にしてはいけません。
廃道本もいよいよ大詰め。誌面校正にかかっている。最終ダッシュは当然Bボタンで! (この調子じゃどこにも行けんかも知らんな・・・)
飛行機の室内のような所にいる。客は少ない。というより空港に着いたので降機しなければならないようだ。2+4+2列になった広い座席の4+2の間の通路を、何やら大きな荷物を抱えて通る。居眠りしたままの乗客が独り。降りすごして元の空港に戻ってしまったりしないだろうかと心配する。
通路を抜けていくといつのまにか操縦席に出てしまう。コクピット、というよりも列車の運転席のようだ。電車みたいだ、と思った途端に眼前の窓の外は駅構内になってしまう。ここからは見えない機体の下から伸びる二条のレール。さてはこれ、新幹線だったか。
誰もいない運転席からは誰もいない駅構内が見える。目の前は操車場のような広い敷地。なぜか在来線のそれのような草々した広場だ。空が青い。視界の果てにはやわらかな低山の山波が見える。
ここでふと、新幹線を運転してみたくなる。どこをどう動かしたのかは覚えていないがともかく新幹線を勝手に操縦し始めてしまう。ゆっくりと、そして車のトップスピードほどまで速度が上がり、駅を離れてゆく新幹線。
止める方法など知る由もない。むしろ「行け行けどんどん」な高揚感でもってずんずん突き進んでいく。新幹線はやがて操車場の果てに至り、車止めもないその軌条の先の、赤錆びたレールへと突入する。青草に包まれ枕木も埋もれた線路はまるで廃線。しかもレールの幅が広すぎる。脱輪の感触。さすがにまずいと思った。脱輪してしまったら、バックで戻ることもできないじゃないか。そうしてその勢いのまま小橋を渡り、その向こうの荒涼とした広場まで突っ込んでいってしまう。
この辺りから罪悪感が襲ってくる。やばい。怒られるかも知れない。怒られるどころではない。逮捕だ。お縄だ。こっそり戻さなければならない。しかしどうやって引き返そう? そう思っているうち、(現実には絶対あり得ない取り回しだが)レールがうまくループしていて、引き返せることを発見した。こちらに入れば。
脱輪しガリガリとバラスを噛みながらも方向転換する新幹線。そうして全く逆向きになることに成功した。このまま進めば駅に戻れるだろう。しかし新幹線は脱輪している。先ほど渡った小橋の上の、土くれと雑草にまみれた軌条はすっかりボロボロだ。まるで片輪走行をしたかのように一筋の堀返しができている。しかも、さっき渡った小橋の向こうの土砂盛りの陰に、慌てふためく整備員たちの姿がちらりと見えた。やばい、新幹線がないことに気づかれている。小山のこちらの新幹線にはまだ気づいていないようだ。逃げろ。
何故か、反対方向へは逃げない。その小山を右手に回って、駆け回る整備員たちの傍らを縫って走り去ろうとする。犯人がわかっていない=顔を見られても不審に思われるはずがない、という思い込み。事実小走りに駆け抜ける整備員とすれ違うがこちらを見向きもしない。大丈夫だろう。しかしそう思う自分もまた駆け出している。その行為の怪しさにはまるっきり気づいていない。
やがて周囲は里山の遊歩道とでもいう態の薄暗い森になってしまう。土々した谷。川筋に沿う小道。薮の斜面につけられた捷路。そこを青い服青い帽子
の整備員たちが新幹線を探して駆け回っている。小路を外れ斜面を駆け上がって逃げる。階段状になった岩崖に取り付き、登っていけば、岩盤だと思っていたその崖が実は巨大な一枚岩だと気づいて感銘を受けたりもする。その傍らを整備員が駆け抜ける。
谷の高みを巻いていく小道はやがてぐるりと巡り始め、小山の向こうへ下っていこうとする。この場所から谷側を見ると水路の跡の如きもの。使われなくなって久しい廃水路のようだ。逃げなければならないという切迫と何だろうという好奇心から道を外れてその水路のほうへと降りて行く。
コンクリート製の水路は朽ちてスカスカだった。底に穴があって空が見えている。ひどく切り立った斜面のようだ。しかし恐怖を伴うような高度感はない。それは周囲を包む杉林の鬱々さのせいだ。じめじめしている。崖の上から宙に向け、朽ちかけているとも生きているとも取れるような木々が大水の直後の取水堰堤のごとくに絡まり合いながら伸びていて、その隙間からはるか下方の杉の森が見えている。こっちへ逃げよう。
宙に絡まる木の幹と木の枝とを八艘飛びして駈けてゆく。湿気た杉丸太の滑りやすさを思うが足元はマジカルフォレスターだ。むしろそれより捕まりたく無いという一心が、そしてこのままどこまで行けるだろうかという心持ちが追い立てる。気にしているひまなどない。だんだんと木の幹が細くなり、太い枝を踏むようになって、さらにその先の絡まった杉へと飛び移り。
ついにその先に飛び移るべき杉の枝が無くなった。かわりに奇妙な、全く逆向きになった杉の木が数本、足元のやや離れたところに「生えている」。ジャンプして3mほど飛び下りれば取り付けそうだ。
えいやっ、と飛びながら、ひょっとしてあれは朽ちた杉なのではないかと疑ってしまった。その通り、逆さ杉は朽ちていた。根ごと倒れた杉が杉の絡まりに引っ掛かっていただけなのだ。うまく飛びついたのはいいが、その重みで杉の絡まりから抜け落ち、その格好のまま、落ちていく。
「ああああー」と落ちていく感触はマンガのようなスローモーション。そのスローモーのせいで命の危険を感じない。相当な高さがあるに関わらず「助かるだろう」という確信めいたものさえある。そうしてその通り、フカフカの杉の葉の敷き詰まった地面にボトリと落ちる。杉の木の空位抵抗があったのと、着地のショックを垂直になった杉が吸収してくれたようだ。
とりあえず助かって、逃げおおせた。家に帰ってくる。実家にいる。誰もいない。しかしこのまま匿ってもらうわけにもいかない。遠くまで逃げて来たせいで余計に心が重い。指紋が残っていたりしないだろうか。いや自分の指紋なんて今まで採取されたことはないからわからないはずだ。荷物はどうしただろうか。持ち出したはずだよな。そのうち追っ手がこの山のなかまでやってくるかも知れない。家族に顔を合わせる前に天井裏へ逃げようか。そうして必要な時だけこっそり抜け出して。
そんな生活は、いやだ・・・。
・・と思ったところで目が覚める。心底ほっとする。いろいろ病んでいるのかも知れない。
ご存知の通り、イカロス版廃道本が10/31に発行予定。その一週間後の11/6に実業之日本社版が出る。いじょ。
ここ(部録")で書いても仕方ないしな・・・もちっと何かせんと。明日明日。
3カ所問い合わせ。一カ所OK。メモしとかないと忘れそうだ。
実業之日本社版のほうで写真・情報をお借りすることになる皆さんにはすでに確認を終えている。イカロス版のほうはもうちょいお待ち頂きたい・・・。
ついでに個人的な問い合わせ2件。こちらはORJ用に深い所まで突き詰めておきたし。あとは紀勢国道事務所と・・・。吉野は評伝が届いてから。
本編の原稿を書く。案外短くなった。資料一件だからふくらませようがないし、丸写しになりそうだし。せいぜい4〜5ページくらい。
何故廃、とりあえず書いてしまう。写真ほとんどなし。何のための記事かよくわからんくなった。まあいいや、nagajis貶めるための企画だからな。
完了。あとは使うか使わないか決断するだけ。ここでnagajisがムソルグスキーのこの曲を選んだところに意味が…あるはずがないだろ。毛頭ないからな。
確認1件終了。塩田さん快諾してくださった。いつも下のお名前を覚えられなくて申し訳ありません・・・。
別件問い合わせ×1、中継。不通区間に明治道があることは知られてなくても酷道であることは知られているという現実。当たり前っちゃあ当たり前だが・・・。バナナみたく売り切れになったりしたら嫌だからな>廃道
もう一件の問い合わせはファウルチップ気味。だが資料を送っていただけることに。基礎を抑えておくのも大事さね。ただ頭が頭痛の時に電話をするもんじゃないと思った。いったん休む。今日はもう電話かかって来ないだろ。
ゲラゲラ笑いながら校正している。ムンクの出現率高し。ヨッキれんパターンを増やさなければならない。また自分で首を絞めている・・・
ひとくくりにしてしまいがちな「おもしろい」という感情だが、分析するとさまざまな成分なりベクトルなりが含まれている。例えば英語のfunnyとinterestingのように。
アホして笑う面白さはそれはそれで捨て難い。けれどもfunniesばかりでは揺り戻しの空しさがキツい。喉が渇いて死にそうな時に炭酸飲料をガブ飲みしたような、一時しのぎの癒しにしかならない。
知的好奇心を満たすinterestsは、先のたとえを引っ張るならコーヒーみたいなものかも知れない。時に興奮し時に心を落ち着かせる妙なる飲み物。かといって飲み過ぎれば体に毒だ。酒に例えたほうがいいのかも知らぬが、寝るためにしか酒を飲まない私にはかえってピンとこないのでやめておく。
最近、世の中にはfunniesしかないように思われる。そうして人も大半はfunniesを求めている。それを嘆くのではない。世の中の大半がfunniesでできあがっていて、本質的なものは決して表に出て来ず、そのことに些かの不満もない人が大半であるということにもっと早く気づくべきだった、という反省をしたい迄である。
とある偉大な先輩の残してくられた箴言に「楽しむことと楽することは違う」というのがある。ここでいう「楽しい」はinterestingに属するものだろうと思う。何かinterestingなことをする、あるいはinterestingなものを作るにはそれなりの労力を要する。ORJの原稿も然り。チョチョイのチョイで出来るものは、funniesにはなるかも知らぬがinterestsたり得ることはない。ここ数カ月間に書いた原稿を読み返しつつそんなことを考えている。
といっても、時間をかけたからといって良いものができるわけでもないのだが>nagajis。もうお笑い担当でいいんじゃね? とか思う。などと投げやりっぽく書いてみたくもなる。この点においてnagajisは大阪人にはなり切れない。かといって最早大分県人でもなく、強いて言えばさまよえるナガトミ県人でしかなく、流浪の果ての安住の地はどこにも存在せず、岬のをちにはただ蒼き海があるばかりなのだった。
ぶんしょーがまともにかけなくなっただす。なきそう。
鶏はそう言うかも知れないが叩き切っておきたい相手というものはあるものだ。このクソ忙しい時に限って余計なことに手を出したりする自己のシャドウであるとか。お陰で14日締め切りの何かと戦わなければならない羽目に陥っている。
書いたもののリライトだと思ってタカを括っていたのがそもそもの間違い。本気で書こうと思えば、否、書かなければならない状況なのだが、相当に時間を食っている。次号大丈夫なのか。
いずれにしても自業自得。それはそれで菊の花。
TUKA氏の助言を得てアンケートを一気返答してみる。そういえばReaders'voiceに書いたものはこちらには反映されないのだよな。次号が出てから少し対策を考えよう。一つひとつコピペするしかないが。
で、少しは真っ当になったかとおもいきやそうでもなさげ。だいいち受付に手伝ってもらわないと書けないようではどうにもこうにもな話じゃないか。え。どうにかならんもんかいな。
第一漫才では喫緊の課題をクリアできないのだ。単なる気休めにしかならないのだ。それでも何かをかかなければ、書かなければならないのにちっとも進まないというフラストレーションを解決することはできず、それが凝り固まってにっちもさっちもいかなくなっている現状を打破することはできないに違いないことは確かなのである。さすがTUKA氏であると思う。
でもって校正のラス2。「廃道を読む」のように核心の周囲をうろうろしながらああかも知れないこうかも知れないと呟くばかりの原稿である。正直あんまり役に立たないかも知れない(特にORJをお読みの皆様方には)。ただORJをご存知でない皆様向けにはああいう書き方しかないと思うのだ。いきなり廃隧道のキワミ、アッーと叫んでも頭上にクエスチョンマークを5、6個飛ばすだけに終わってしまうだろう。それはそれで面白いかも知らぬが各方面に申し訳が立たぬ。そういう好き勝手はもう一方の廃道BONでさせていただいているしな。
この校正も最後の一件が残っている。それが終わったらここで少しずつ内容リークしてみたりなんかしちゃったりして。多分途中で息切れするだろうけれども。
アンケートで好評をいただくと正直恥ずかしい。どう返答していいか困る。ありがとうございましたと書くのもわざとらしいし(というのはnagajisだけだろうが、間違いなく)、かといって嬉しくないわけがない。アンケートの返答が毎回毎回遅れ気味なのはわずかに頂く好評が勿体無いと思うからだったりするがそんなことを書いたところで誰も信じてはくれまい。
かっこいいこととかっこ悪いことのどちらかを選べと言われれば散々迷った挙げ句にカッコ悪いほうを選ぶ、というのは以前も書いたような気がする。基本的にnagajisは後ろ向きである。後頭部に目鼻口を書いておけば誰も解らないだろうと思ったりもする。そういう人間である。だからnagajisを切り離して文章だけお楽しみいただければいいと思う。
永山則夫という作家がいた。死刑囚として投獄されている最中に作家活動を始め、それは文学作品としてそれなりの評価を受けた。しかし作家協会への加入は拒否され、それに抗議して筒井康隆らは協会を脱会した。確かに文章は人の書いたものではあるけれども、書いた人の人となりで判断されるべきものでも、書いた本人の名声を高めるためにあるのでもないと思う。ただ書きたいという思いがあって、書いて、書いたものだけが残る。それでいいと思う。「あたし彼女」だってものの書き方の一携帯を示してみせた功績くらいはあるはずだ。みたいな。
とはいいながら、何で書きたいのか、何で書いているのか、ということの背後には多少なりとも自己実現を計りたいという思いがあるからには違いなく、そうやって表現したい自己とは幾許の価値ありやを考え出すと泥沼にはまる。今はただ読んで下さる方が(ごくわずかでも)いる限り書かなければと思う。自己よりも先に書かなければならない何かがある。あってほしい。なくてはならない。そんな思い。そもそもnagajisは人を楽しませようという意識が薄い。結局のところ「イメージを言葉にする」という楽しさを享楽的に味わっているに過ぎないのだ。ここでぐだぐだ管を巻くのもその一環であるとしかいいようがない。
それが(書いたものが)どれだけ人の役に立っているかわからないから余計に悩むのだろう。いっそのこと何も書かずにオペに専念すればいい。何も書かずに一号出して、前回と同じ評価であることをその目で確認してみるのも一興ではないか>nagajis。右に振れ左に振れする意識のうちで浅はかな期待を抱くのはやめにしよう。言いたいことはもう充分言い尽くした。そうではないのかな?
そういう点においてORJみたいに比較的しがらみなく直接ご意見いただけることは有り難いことだ。ただしその背後にはこの世のどこかで「プギャーm9(^Д^)」されている自分を常に見ておかなければならない。いるものとして構えなければならない。寂しい人間だとは思うがそもそもnagajisは人でなしだからノーマーシーだろう。
暴論に暴論を重ねてnagajisを貶めてみる。それくらいしないとこの高評価を受け止められないnagajisは哀れである。
俺、廃道本と次号が終わったら、大台が原に行くんだ・・・。行けたらの話だけど。
関西随一の(というのが弱いが)廃林鉄跡である大杉谷林鉄はたぶん誰かが探してくれるだろう。むしろ自分は明治半ばに大台が原を突っ切って開かれたという船津街道・別名土倉街道を歩いてみたい。人跡疎らな大台が原に何故かある2つの峠が、実は確かな意味を持っていたという驚き。そして土倉庄三郎という剛毅の人のこと。真に偉大な人は表には出て来ず、そうして吉野の山中で独り静かに眠っている。
もし大台に行くなら3泊は難い。それだけの荷を運んだ経験はない。装備も貧弱だ。山歩きに慣れた人なら何でもない行程かも知れないが、山素人のnagajisが、しかもここ数カ月デスクワーカーでまともに飯も食ってないnagajisが行ったらどうなることか。脂肪だけは今のうちからつけておこうと思う。というわけで寝る。
写真を探していると古変なnagajisが出てきた。王将中華鍋で料理中。ええとどこだ、30th記念行事の富良野か美瑛かどっちでもないか。昼食のサンドイッチの具を作ろうとしていたのは間違いない。モヤシをクリームシチューの元入れて炒めてたんだったか。手に取ろうとしているのは何だろう。油か醤油だきっと。
この時かけているメガネも○メガネだったがJohn Renonだったかなんだったかとかいうブランドのフレームでそれだけが気に入らなかった。その後紛失。赤いのは30th記念バンダナであったが、はて、どこにやっただろ?青いジャケットは減価償却したうえで未だに着ている。魔法のTNFジャケットである。ベストは。。。これは大したものじゃない。02の旅行中に永久デポした。これについているUKAIのリムのワッペンだけは未だに手元にある。
と、逃避しているうちにDistill終了。またこんど。
力つきた...ご返事ご連絡は明日させていただきます>各位
m(_ _°)m
ガタガタなnagajis。あれもこれも・・・だな。
15日中には準備を終えていたのだけれど、一つミスがあって「前号購入されている方は無料でダウンロードできてしまう」という大変な状況になっていた(ごく一瞬だが)。ので、慌てて.htaccessでロックして修正したのだけれど、そのロックを忘れてた。
眠りに落ちる直前に投書でご指摘いただいたので0:30には復旧したのだけれど。どのみち15日の終いの終いまでかけるな、という話か。こればっかりはあれだな。言い訳なし! nagajisの担当記事もいまいち!
14日締め切りは間違いなく首を絞めたなあ。いらんことをした、とは思わないがもうちょっとスケジューリングを上手くしないと。次は11/9だから・・・だったかな。これ確認しとかないと。
最後の校正が届く。まだ未開封。中に入れるハガキまで届いているらしい。
ということは、早いうちにpdf作って練習しておかなければ。月末までには発表用pdfを終わらせる。その前にpdfでできるのか>発表。まるまる1週間はかからないだろうけど、ちまちま作ってそんな感じか。
旅はその前だな...(大台はちょっと延期。来月末に)。筋力をつけてる暇はないかも知れない。来週? 独りで慎んできますわ。
この数カ月でてきめんに目が悪くなった。裸眼でモニター見ていると目がショボショボする。しかし何の対策もない。
出力見本が届いた。凄い量である。といってもこれには再校(前回の校正)の控えが含まれているので実質的にはこの1/2が本である。その再校控えの束を取りのけると・・・
ワラタ。裏扉はIさんに任せっきりだったのだが、本当にこうなるとは(@_@
表紙、裏表紙。特色である。贅沢なのである。謹告やエセには間に合わなかったが文字は銀色になる。
なお、表紙・裏表紙周辺のキャッチコピーはすべてIさんによる。一部誇大広告が入っているがJAROに電話したりしないよう>各位。
旧道倶楽部は超人気サイトではありません!!!
戦いは続く。
…というわけで広告を修正した。実業之日本社「廃道本」の発行は11/8(土)です。6日は本屋に納入される日。よっぽどなことがない限り6日には入手できません。ごめんなさい。
Iさんがさらに徹底チェックして下さっている。チェックの甘さは実証済みだからな>nagajis。あはは...で済まされないってば。
うーん。つまんなかったかなあ。元々センスがないのはごもっともなんだけどな。「上から目線」なんてワードを使ったから? 仕方ないか・・・煽り広告なんだから。いろいろ酷い言われようを想像しつつ見に行くつもりは毛頭ないnagajisだ。
というわけで山行がからはリンクしてもらわないようにした。恥さらしはここだけにしておこう。2chの言論をおもねるつもりはないけれど、つまんないっていう人がいるんだったらつまんないんだろう。
で、言い訳じみたことを書く格好悪さを追求する。元になるフラッシュを廃道本にかかる前に作っていて、ゲラゲラ笑いながらORJと廃道本を作っていた。けれども公開する勇気はなし。予定では9月中に廃道本がほとんど終わるはずで、その間の3号はもちろん廃道本も本当に出せるかどうか不安だったからな(一文字間違ってるし)。そうしてようやく目鼻がついて、3号無事に出たところで作り直した。それで安堵して気を大きく持ったのがいかんかったかな。制作期間が4号目までかかってアレしたのは予想外だったけど。
いま見たらorj.s97.xrea.comの有料期間が過ぎてた(爆 入金だけしてアカウント購入してなかったようだ。馬鹿也。
書いて気を紛らす。最寄駅の看板。やたらときれいな色の看板だなと思いつつじっくり読んでみたところ近くの産婦人科のものであった。ステージによって色が変わるようである。ここまで大がかりに鼓舞しなければならないものなのだと知って愕然とした。分娩したことのないnagajisだがその大変なことがなんとなく察せられた。一生しないでおこうと思う。
ホハレ峠の地図を探していたらFOR NEW FACEが出てきた。今度追加しておこう>何故廃
ときおり美しいから、大阪は嫌いになれない。
前回間違ったナンバーで書いてしまったので埋め合わせをする。要は書き直すのがよだきい。
市立図書館中央本館から梅田駅まで歩いて帰る途中のとある街角で、書道教室の優秀作品が掲げられているのを見た。確かに難しい筆法が含まれる文字であり題材としてはあり得るが「理想実現」に並ばれるとちょっとどうかという取り合わせになる。人生目標がカリウムナトリウム水溶液かと勘違いしてしまいそうな気もする。
書の鑑賞というのはそういう外乱因子を鑑賞者が自らシャットダウンしたうえで1つの作品に集中しなければならないのだろう。筆者のようにpotential of stangenessに弱い者には向かない。ということに気づかされた。
習字の時間に手本以外の文字を書いてふざけた思い出のある方は多いだろうが、そんな遊びの結果がみせしめのために採用された、というわけではないようだ。「海」は確かに残念な感じはするが「水」はそれなりに上手く書けている。「母」の幾何学的筆法と対比をなしていてそれはそれで面白いのではないか。
ちなみに筆者は「屑鉄処理」とか「免許皆伝」とか書くのが好きだった。
ちっと調べてみたがそうなんだそうだ。意識したことがなかった。
実はそもそも言葉の定義なんてどうでもいいと思っている。方言に共通語と比肩する、いやむしろ共通語よりも尊い価値があることと同じで、基準は基準としてあるべきだがそれを守らなければならぬ義務は実際のところこれっぽっちもない。「正しい日本語」なるものは自分が恥をかかないために覚えて使い自分の感情を当たり障りなく表明してなあなあのうちに自己をニホンジンのなかへ紛れ込ませようとするためにあるのではないかとつねづね思う。それは言い過ぎかも知れないが恥をかいたり意志伝達に失敗したところで損を被るのは自分である。いくらでも損してやるさ。
畢竟、(゜∀゜)やm9(^Д^)やwを使うのも共通語的な価値が便利だからというそれ一点に尽きる。それで心の襞まで表明できたと思い満足するならそれで充分なのだろう。あるいはわざと用法を間違えて自身を貶めるか、だ。
ということをここで表明しさらに渾沌へと誘う。果たしてnagajisに価値ありや否や。たぶん否。きっと否。そうでないと思っているのはnagajisだけで包囲網はすでに出来上がっているんだろう。
…出発点からかなり遠い所に着地したな。K点越えだ。
そうして唐突に業務に戻る。ここにまで日本語のnagajis独自拡張を持ち込むつもりはない。念のため。
zwiebelさんから寄稿をいただいた。pdfでの寄稿だし内容も非の打ち所がないので間違いなく次号にはお届けできるだろう。ちょっと欲を出してあれこれしているうちに時間が過ぎてしまった。少々お待ちを。
そういえは北海道の旧廃道ネタというのはまだ取り上げたことがない。個人的にも一度行ったきりで深く知っているとは言い難く(そのくせ廃道本で取り上げざるを得なかったのは内心忸怩たる思いがする)、寄稿も興味深く拝見した。余計な知識がいろいろ増えた今、もう一度北海道へ行ってみたく思う。アンケートでも以前にそういうコメントをいただいていたしな。
以前に(はるか以前に)TUKA氏に提案されていた旧橋のデザイン変更に今さら取りかかる。理由はない。
「絵巻に見る道路と交通の歴史」土史6P85-91を参考に書き始めてみたが、書き終えたところでドツボにはまってしまった。単純なベクトル線にすると味気ないし、かといってブラシで筆書きっぽくしたらこの部分だけで200kbくらいになってしまう。軽さがウリであるサブ企画にしては贅沢すぎるだろう。一枚画にすると今度は細部が潰れてアラしか残らない。うーむ。没かも試練。それにそもそももっと書き込まないと現状では中途半端にスカスカだ。
大人しくいまのパターンでトラスとか桁とかにしたほうがいいんじゃね。今回作成したのだと、色で変化をつけるということもできない。
なお次回は愛知県城嶺橋を予定している。四条大橋のセセッション風を継承するもの、とは愛知県近代化遺産調査報告書の弁だがあんまりそうには見えない気がする。城嶺橋のほうがはるかに上等な何か別のあるものだ。
この道が2重線で描かれている地形図は初めて見た。昭和48年測量の第一版。飯台の図書館にあったものは実線道だったから60年代の修正版だったんだろう。高々35年であんなにズタズタになるものなのか。
舗装や石垣工のなかった昔は毎年春になると雪で破損した山道を補修することが村の最初の共同作業だった。そうやって道を作らなければ暮らしていけなかった。その時代に戻れと言う訳ではないが認識として忘れたくない史実である。
なじみの古本屋で初めてエロマンガを買ってみる。これといって理由はないしわざわざここへ書く必要もないのだが取り巻く環境をいろいろとブッ壊してみたくある昨今である。
むしろ一緒に買った高取正男著「日本的思考の原型」のほうが有益であった(店の主人もそう薦めてくれた)。この本のなかに「カッタイ道」のことが出てくる。不治の病(とされていた病気)に冒された者が人目を避けて辿ったというもう一つの四国遍路道である。柳田国男もそんな道があることを書き残している(「山の人生」かその収録巻だったか?)。カッタイ道・カッタ道は「旅と交通の民俗」でも触れられていたが、この本も「日本的思考の原型」もともに宮本常一の「忘れられた日本人」を参照している。結局は2つしか出典がなく、そのどちらも道筋を明確に示してくれるものではない。そういう意味においては儚い幻のような道である。ただ存在したことは間違いないようだ。
今号のTRDBもそうだが、道は決して美談や喜劇憚ばかりで出来上がっているものではない。あかるい一面ばかりを取り上げてことさら美化するのも−−−ブンガク的にはあり得るかも知らぬが−−−つまらない視点だ。かといって厭世感に満ちた記事なんて誰も読みはしないだろうし書く側も息が詰まる。いつまでも自己批判していては先に進めないというのもある。今すぐにはかかれないだろうが記憶に刺さった棘として残しておこう。着手はもう少し資料が揃ってから。
ついでに読評。導入の茶碗の所有権の話はいかにも自然でわかりやすかった。自分の茶碗、自分の箸という意識は明治以前のもので、明治になって西洋から入ってきたもの(おかず皿やフォーク・スプーン等)にはそれがなく、そもそも日本よりも個人主義的である「とされている」西洋には食器の所有者という意識がないという指摘は、ちょっと瞠目した。しかも食器所有の意識は近代化の過程でことさら強調されたものである云々。明治以降に育まれてそれがあたかも古来日本の当然のしきたりのごとくに勘違いしていることが何と多いことよ>nagajis。京都の鍾馗様の由縁もわかってちょっと得した一冊。
念のため断っておくがエロマンガの読評はしない。そこまで思慮のないnagajisではないつもりだ。
旧サーバへ移転。かなりドツボった・・・。他のも移そう、あとで。
移転完了。categoryプラグインを使っている場合はデータフォルダのcategoryやcacheを削除する必要がある。
いろいろ馬鹿馬鹿しくなってきた。頭が痛い。寝たい。
休みます。今度は全く休みです。早くて24日、次は25日まで。
廃道本のデータのやりとりに使っていたサーバ(旧the-orj.orgのレンタルサーバ)へ部録"を移転。the-orj.orgが落ちている時の連絡はこちらに書くことにする。
www.the-orj.orgからの転送は基本的にredirect permanentで飛ばしているだけなので迂闊するとここのアドレスが不明ということになる。「編集部録 謝罪文例」で検索されると吉。多分"は不要。
ああ...検索ができなくなるのか。またあれこれいじらなんか...頭痛いわ。 ついでに記法がwiki記法になっちまった。明日からは変わるんだろlか。
OK、ビバークザック出てきた。残りは何だ、食料、ガス、電池...ロングソックスを買ったあの店はどこだっけか。
未来の日記を書くというのはちょっと不思議な感じがする。が、分けておいたほうが良さそうだ。
そろそろ具体的に中身を宣伝しておかなければならない。が、基本的に面倒くさがりなので逐一説明を入れたり画像を入れたりしてられないと思う。追って追記する。かも知れない。
Tactics
姑息な戦略を考えていた。イカロス出版の廃道本が先に出ることが早くに決まったので、誰にでもわかりやすい、初めて廃道の何たるかを知ることになる方々にも楽しめるような内容に、後から出る実業之日本社版「廃道本」はよりディープな内容にすることを考えた。「廃道をゆく」で気に入っていただけた方がもしあったら、すぐ直後に出る「廃道本」を購入しても損しないような内容であるようにという狙いである。これは実業之日本社の編集担当さん自身が廃道好きであることからも自然な流れであったと思う。誓っていうが決してどちらかを手抜きしたということはない。
どちらの廃道本も構成はほとんど同じ。最初に「廃道グラビア」と称して廃道の美を見ていただくことになる。その後に具体的な廃道ガイド。そうして廃道をより深く楽しんでいただくための「企画ページ」が入ることになる。
発行日がかなり接近したのは僥倖であった。これは意図したものではない(どちらもどちらで当初の発行日を延期しこの日付けになった)が、畳み掛けるような効果があるだろうと思う。ご購入される方々には申し訳ないが。
イカロス出版「廃道をゆく」
巻頭特集と称してR158旧道のガイドが入る。内容はお楽しみということにしておく。JIS男が登場する。
nagajisの原稿の大部分は旧道倶樂部の焼き直しかつダイジェストである。それだけでは申し訳ないので
市蔵新道
旧坂下隧道
の2点を新規に書き起こした。ただ全体としてnagajis原稿のインパクトは弱いだろう。これは当初から予期したことだし読者の大部分には関係ない話だ。(ガイドも文字数制限その他で100%を言い切ったとはいえない。その辺りはORJその他でお楽しみいただければと思う)
企画ページも(nagajisについては)これまで書いてきたことの焼き直しの感が強い。ただここであんまり濃いことを書いても読者層をせばめるだけだと思い、廃道を楽しむにあたって必要最小限のことに絞っている。ORJ読者の皆さんにはつまらないかも知れないとは主にこの部分を指している。
全体としてソツなくレベルの高い本になった。これが出れば旧道倶楽部の報告書など削除してしまっていいだろう。
実業之日本社「廃道本」
グラビアページは例のアレである。nagajisがレイアウトした。このトップの写真は新たに撮り起こし(?)。インクジェット出力をいただいたので実際の仕上がりがよくわかる。狂いがなければそれなりに迫力のある見開きになるはずだ(キーストーンが中央になるのは仕方ない・・・バックリ開いてまじまじ眺めていただきたい)。匂い立つような某廃隧道の写真を堪能されたし。
ルポはできるだけ「廃道をゆく」と被らないようセレクトしてある(ヨッキれん氏の万世大路は協議の結果両方に載せることにした)。ただ北海道の旧道、大分の古洞のように「廃道をゆく」で詳細なガイドを出していつつ「廃道本」では概略っぽくなってしまっているものはある。これはnagajisのネタ不足に起因する力不足である。大分の古洞については両者で徹底的に書き換えているので、これは多分お楽しみいただけるものと思う。
文字を読むのが苦でない方には「廃道本」のほうがオススメかも知れない。企画ページも(どこかで見たことがあるような企画が)パワーアップして(?)載っている。
「廃道本」には巻末グラビアもある。これもnagajisがレイアウトした(デザインしたとは胃炎)。全体的に好き勝手させてもらった本である。
…実はこちらの本は「日本の廃道」という名称を使わせてほしいというオファーを頂いていた。相当悩んだ結果、お断りさせていただいた。「日本の廃道」を銘打つには余りにも個人的に過ぎる(2人しか書いていないしな)。この名称は自分達だけのものではない。
そんなワガママを聞いて下さったうえに、徹底的にORJのノリの本を作っていただいたことに今さらながら申し訳なく思ったりもする。実質的にはORJの紙版であるといって過言ではない。
そういう差異があるとはいえ、くどいようだが、どちらか一方を手抜きしたつもりはない。「酷道をゆく」がヒットしたことを考えると、些末なことを追求するORJのノリはいささか斜め上にあると(私は)判断した。「廃道をゆく」で廃道に初めて触れる方を取り込み、そのうち興味を持って下さった方々が「廃道本」でより泥沼に嵌っていただけたらと思う。「廃道本」に最初に触れる方ももちろん楽しめるだろう。その辺りは編集Iさんが徹底的に導入して下さっている。これでダメならnagajisの力不足に他ならない。
もう一つお詫びしなければならないのは、中国・四国地方の情報がかなり手薄になってしまったことだ。四十曲峠や明地峠辺りを入れられれば良かったのだが、写真を撮り直しに行くだけの時間と余裕がなかった。これについては、きっとどこかで穴埋めをさせていただく。
という言い訳は、付け合わせのnagajisには必要無いな。
あと、当然のことながら電子媒体のORJの写真と紙媒体の写真とでは結構違った印象になる。拡大して隅々を見ることのできるpdfも魅力だが、一目で大量の情報を把握できる紙媒体も同じレベルの魅力がある。ORJ読者のみなさんはどこかで見た写真がまた違った印象で再現されるさまを楽しんでいただくことができるだろうと思う。写した本人が言うのだから(多分)間違いない。
送られてくるSPAMは読まずに瞬殺する。それでも溜まってしまうことがあり、Subjectが「Breaking News」なんたらかんたらというのが混じっていることは知っている。最近そこへ「Breakfast News」とかゆうのが混じり始めた。お前らおれを馬鹿にしてるだろ。絶対読んでやらないからな。
いかにも生半可な小見出しである。8月の尾鷲行きについて書きはじめる。ネタ的な濃さはないのでどういう切り口にするか悩んでいたが、ふと「自転車旅行」で切ればいいんじゃね?と思い付いて即実行する。我ながら明暗だガハハ。
その通り、書き始めてから「徳川道」辺りと大差ないことに気づいた。今の書き方(起こった出来事を時系列で追うだけ)では冗長過ぎる。自転車旅なんて得てしてそんなものなのだが、それを誌面で再現しても誰も喜びはしない。後のほうはカスカス飛ばして、とりあえず1日目の前半だけ終え、2巡めに入って書き直しを先行することにした。結構時間がかかるかも知れない&出来事を思い出すのに四苦八苦している。自転車で走っている間は注意力散漫なのだから仕方ないと言えば仕方ないが。すぐに煮詰まるだろう。というかもう煮詰まっている。
自身が飽きなければこんな感じで細かく区切るといいかも知れない。
第一回:出発〜荷坂峠
第二回:紀伊長島〜榛峠
第三回:榛峠、三浦隧道、夜
第四回:三浦隧道〜旧橋〜尾鷲+坂下?
第五回:相賀林鉄、隧道、尾鷲隧道、猪鼻水平道
第六回;矢の川峠
第七回;矢の川〜木本
第八回:帰阪
長過ぎ(汗 2、3回は合わせてもよい。水増しは仕方ないとしても、あまり冗長になり過ぎない程度にしとけよ>nagajis
そもそもこの旅では日記を書かなかった。旅日記をつけなくなってどれだけ経つのだろう。たぶん近代土木遺産巡りが中心になって、撮ってきた写真を穴があくまで眺めることが日課ならぬ旅課になったなった辺りからだろうと思う。もうずいぶんと昔の話である。
サイヤ人A:「2万・・・2万5千・・・に、2万9千・・・!!!」
サイヤ人B:「何という注意力だ! こっ こんな人間がいたとは・・・!!!」
注意力散漫となりスカウターBOM。
そんなことを考えていた幼い頃。なおドラゴンボールを原作で読んだり アニメを欠かさず見たということははない。いつだって聞き齧り半可通で生きてきたnagajisである。
tDiaryからpingを送るプラグインを利用しthe-orj.orgにpingを送って空ファイルを作成しその更新時間から更新の有無をチェックするという本末転倒七転八倒な仕組みをでっち上げる。rubyはわからんちん。明日辺りからうまく機能するはず。
ひととおり角。表紙が思い付かない。大人しく地図にしとけ>nagajis
最大瞬間風速72位を記録。そんなものなのか。
分量的にいうと、「廃道をゆく」はガイド(廃道紹介記事)が8割近くを占める。ガイドには3パターンほどあって、地図+写真(位置指定)という王道のガイド、簡単な地図とそれとは独立した写真からなる見開き1ページ、それを縮小した形の1ページ記事。例えば地図つきガイドはこんな感じ。写真と地図は離れているが、写真キャプションを順に読んでいけばだいたい流れを掴むことができる。
地図ガイドなしの見開きパターンは写真を大きめに使って。贅沢なダイジェストである。
小ネタというべき1ページものは上記を縮小したもの。
全体として写真を大きめに使い賑やかな感じの誌面である。見て楽しめる本といえるかも知れない。ちなみにキャッチや小見出しは編集Oさんがつけてくださった。このお陰で1冊の統一感が強くなっているはずである。個人的には「トンネル界のシーラカンス!」が地味に気に入っている。
「廃道本」のガイドはAmazonの中身紹介を見ていただくほうがよいだろう。こちらはすべての記事に地図ガイドがつく。写真が小さいかわり点数は多く、微に入り細に入っている。多分、本文を読みながら逐一写真と対比していく読み方には向いていない。
後半のガイドは白黒になってしまうが、これはnagajis担当分なので問題ナシ。その分後半の企画ページにカラーが入るという贅沢。なのにアレという。
「廃道のガイド」(地図+写真+本文の組み合わせ方)というのはORJを作りながらいつも悩む。これがベスト!というやり方がない。htmlのように写真の隣に本文を入れて(写真キャプションの連続として)縦にズラズラ並べてしまうのは(htmlの1パターンというよりも、わかりやすいガイドとしての)一つの解ではあるのだが、記事としての締まりがなく、メリハリもない。それならば割り切って本文と写真とを分けてしまったほうがいい。
他には地図の上に写真とキャプションを載せていくパターンもあるが、これはガイドの進行方向と目の動きとの兼ね合いで必ずしもうまくいくとは限らない(文章は上から下に読んでいくが、必ずしも北→南という探索ばかりで無い。地図を回転させるという手はあるが地形図には使えない)。地図のアキスペースと写真点数、本文分量との兼ね合いが予測しづらく、作るのも大変だ。そのうえ、全体のバランスがうまく取れたとしても「ここを見て!」というポイントを出すのが難しい。かえってごちゃごちゃするというか、目移りするというか。とはいえ、否定的なことばかり書いてしまったが、地図載せパターンは成功すればもっとも面白く、わかりやすいガイドとなる。
今回2冊の廃道本で計らずもすべてのパターンを試すことができた。残念ながらORJでこの通りを再現することはできない。紙媒体だからうまくいくレイアウト、pdfならではのレイアウトというものがあるのさ。といって逃げる。
zwiebelさんからpdf届く。nagajisは何もすることなし! これを初校として編集部に回す。最初に回せって? アレ? 見てなかった?
東紀州はとりあえず「明治県道・熊野街道自転車旅」とか何とか名前をつけてみた。もっと自転車旅っぽい内容にしたくもあるがこの区間にはこれといった見どころなし。
その他旧橋、TUKA氏岩城5をできるところまで上げておく。
いつ復旧するやら。とりあえずss1.coressl.jpを経由しないルートを確保。お名前・パスワードが盗聴される危険性に目をつぶってもよいという方はこちらをお試しください。
PayPalからの戻りもss1.coressl.jpを外した。最悪入金処理が反映されないということはないと思うが。バナーが壊れているのは仕方ない。このページからhttpな画像を呼び出すとIEで警告が出る。
元に戻す。
行きたい所・やりたいことはいろいろあるんだがな。しなければならないことがそれをケシケシしてしまう。その手を動かす張本人は自分自身なのだけれど。
出なかったことでいくつかの緊急ミッションに対応できた。それを喜んでおこう。
隧道なら何でも良かった。
そうか・・・これを受け取るために家に居なきゃいけなかったのか。
中身は恥ずかしくてまだ見てない。ただ届いたという眼前の事実を確認するに留めておく。
というか今猛烈に眠い。梗概初校も目通さなきゃいけない。
書くべきことがあるだろうという突っ込みはないものと予測し奇妙なポテンシャルについて考察する。
先日、Fさんに質山峠へ連れていっていただいた帰り。デカンショ街道と√423の分岐付近で矢印だけの青看板を発見した。右上のシールの下に国道なんちゃら号と書いていたのだろうか。この場合左下に丁字の注意標識もあるわけで二重に無意味である。
で、写真を撮りながら「どこかで見た覚えがあるよなあ・・・」と思い出す。ようやくさっき、それがコレであることに気づいた。2002年の夏、母成峠の北側の旧道であったと思う。国道おにぎりと矢印だけが描かれている。
どこが奇妙なポテンシャルか問われたら、ちょっと返答に困る。どちらの写真も光量不足で似たような写真だった、というだけである。
看板撮るのがめっさ下手なnagajisである。
ネタが尽きたので工事画報に手を出す。軽い気持ちで始めたが無限の時間をかけても終わらなさそうな塩梅になってきた。しかも例のように役立たずである。単に時間をかけたという満足感または言い訳の種を得たいがための企画というべきであろう。
で、八木博士の殺人光線の件に引っ掛かった。しかも2年も前にすでに掛かったトラップだった。迂闊というか記憶力低下というか。
今月後半に奈良県の林鉄跡探索OFFを計画。索道の上なのでそこまで2時間半の薮漕ぎあり。たぶん前泊する。求む探索者。
至難の旅。
僅かな報酬。
極寒。
暗黒の長い日々。
絶えざる危険。
生還の保障なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得るだけの、簡単なお仕事です。
自分の書いた本を自分で買いに行くという大変ベタな行為。これも一種の通過儀礼か。二度とないだろうしな。ちなみにnagajisは現役時代?に書いたものが載った雑誌を購入した覚えがない。買う気にもなれなかった。それに比べればニンゲンらしい進歩と思わねばならない。
そもそも「廃道本」が書店のどこに並ぶか想像がつかなかった。車・バイクコーナー? まさか自転車? いろいろ考えたが結局はこれもまた順当な配架であるアウトドアコーナーであった。廃道本コーナーとか出来てたらどうしよ、とか考えてみたりしたnagajisはあな哀れである。
そもそもどちらの廃道本も見本紙として何部かいただけることになっている。写真や情報を提供して下さった方々に送らなければならない。しかしそれ以外にも進呈したい先がある。そのための2册である。行帰りに電車を使ったりわかばを買ったりしたので地域経済にも貢献しただろう。
発送が少し遅れますのでご容赦ください>各位。
_ いし [変な夢って、目が覚めた直後に全部記録しておくと、 あとあとかなり笑えますよね。]
_ nagajis [見てる時にはホンキなのですけどね。何でこんな展開に疑問を持たないんだ、って思います。 訓練すれば夢だと意識して夢を見られるそうですが(明晰夢、でしたか)、そんな境地には到れないようです>nagaj..]