nagajisの日不定記。
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ふらっと出かけた先で積年の謎が解けた。岸の社宅はやはり弘栄煉瓦のものだった。K刻印は弘栄のものだとも。Amida Brick Companyはどこいった。
機械成形をやってたというからおそらく戦後の話であるはず。となると社宅周辺に転がっている釘KもしくはKのみが弘栄煉瓦のものと思わる(社宅の基礎にも釘Kが使われとる)。数字がついているという話にはあまり反応されなかったが「煉瓦によって値段が違うからねー」と仰っていたのが気になるぞ。
そのへんもっと突っ込んで聞かねばならぬ。こんど手土産をもって再訪するよろし。今日は何の準備もしていなかったし、何より暑くて死にそうだった。
宝殿駅前の交差点の近くにある煉瓦壁はK4。位置的には弘栄と播煉岸工場が近い。最初にK4を見つけたのも岸だった。しかし弘栄=Kだとすると数字付きは何やねん。戦前は現想定のようで、弘栄煉瓦が興った頃か戦後くらいにはKオンリーを使ったか。S7 弘栄煉瓦 → S22 弘栄煉瓦(株) →S28頃廃業。間違えた、岸工場はS16.12. 弘栄煉瓦(株)岸工場 → S38頃廃業だ。
せやねんなー。釘Kは機械成形のに押されてるんだ。
加古川大橋の東のたもと、ニッケ社宅の辺りで上記の共使いを見る。播煉は線描のような細いやつ小さいやつ。ワはポップ体のごとくな丸っこいやつ。㋩(おやこんな機種依存文字があるんか)は以前加古川交通の前あたりで見たやつ。
遺構は国道2号に面した建物の跡。道路に面した一辺は播煉とワ、垂直な辺は㋩ばかりという妙な偏分布をしている。全部を共使いと見て可いなら遅くてもS3以降ということになり㋩=原田商会の可能性が生じてくる。あるいは播陽→播煉別所工場の切り替わりの頃とも考えられなくもないが、あ、そうすると「ヲ」はどないなんねん。播陽の工場主が小田千代蔵だったでしょ。そもそも播陽のあたりでは㋩は見てないんだよ。やっぱ原田煉瓦工場かしらね。
国道2号の加古川橋は1924(大正13)年8月11日開通。その取付き道路の縁にあたる建物なのでそれ以降の建設なのは間違いない。とするとS3以降でも間違いじゃない。
かといって思い出したように「大往生」を買い求めるのはいかがかと思う。たぶん氏自身の往生とは関係がない。
捨て猫の里親探しを兼ねてやっているという猫カヘに連れて行っていただいた。久しぶりに、実に久しぶりに猫と戯れた。猫じゃらしで遊ぶよりも膝の上に置いて撫でているほうがよく、そういう戯れができたので得心している。
ある程度の年齢になると、こっちに構いもせず、窓際に座って遠くを見つめるようになる。そうそう、そういうのだった。猫は。何を見ているのか訪ねても答えてはくれず、同じ方向を見たところで見えるのは街の喧騒ばかり。猫の思索に心を寄せることもできなかった。このつれない感じ。父親思いのうちの猫を思い出し切なくなったりした。
唐突に
季語「草萌える」が「草生える」だったらどうだろう
と思った。「草萌える」はいうまでもなく春の季語である。
天地に神おはしけり草生える 高橋淡路女
ひどく罰当たりなことをしたようだ。
発行した。。。と書くのも考えてみれば久しぶり哉。
今回は15日ではなく14日を休みにした。前日にほぼ完成させておいて15日は最終調整という魂胆。個人的には上手いこと行ったと思っているが、いつもどおり23時過ぎ発行になったので結果的には「いつもどおり」である。進歩がない。
明日はいろいろやらなければならぬ。土曜18時30分〆の件と19日までに用意しておきたい件を片付けねばならぬ。
書かれてあることは至極ごもっともなことで、うんうんとうなづきながら一気に1/3ほど読んだのだけれども、そういう入ってきやすい文章ほど眉にツバして読まなければならないと思っている。別に何かに/誰かに楯突こうとか、内容がどうのという話でなく。じゃないと「読んだ」という記憶しか残らない気がする。
産業技術博物館=技術者の卵を育成するために必要。科学知識を理解するためのものでなくて。自然科学の原理を模型で理解することは、科学教育には必要だがモノづくりへの興味には結びつかない、という説。そうだろうか? と考えてみた。ラジオの仕組みを模型や解説で理解することと、実際にラジオを組立ててみることと、どっちがエンジニアリング道へ入るきっかけになるか。人それぞれなんじゃなかろうか。実際に自分で作ってみることは理解の第一歩であり王道である。それを面白いと思い続けていこうと思うかどうかは、やっぱり人それぞれなんじゃないかな。技術が複雑化し深まってあらゆるものがブラックボックス化している。そのブラックボックスを理解するためには、例えば私が小学校の間に学んだことよりもはるかに多くのことを知らなければならない。それ考えると仕組みを手っ取り早く理解し、それの応用とか組み合わせとかをしやすくすることって大事なんじゃないか。まあ、そういうやり方の博物館が行き詰まっているのだから同じ轍を踏んだところで上手く行くわけないか。
思い切って「モノ作り=尊い」という構図をぶっ壊してみてはどうか。モノづくりにのみ依存してきて立ち行かないのなら他への転換を図ってもいいんでないか。それこそIT技術とかさ。あれは資源を必要としないのだから。モノづくりを生業とし続ける限り、原料を買ってくる手間とか製造コストとか人件費ガーとか続けなければならない。今外国で始まっている「Pokemon Go」とかすごくいい線行ってると思う。
この手の話では必ずアイアンブリッジ峡谷が出てくるけれども、日本があれをお手本にすることはできるんだろうか? ドイツの製鉄ミュージアムもそう。そういう場所がないというのもあるし、見て「すげえ」と思う心が、風土が日本にあるんかな。なんだろう、日本はこんなに素晴らしい国なんだ! っていう話を見たり聞いたりした時に、そうそうと納得する思いがある一方、自分のことではないような、こっ恥ずかしくて直視できないような感覚、がどこかにある(少なくとも自分には)。外国人が日本の良さを褒めて、それを聞いて「いいことだったんだ」と知るような感じ。知ったところでそれを宣伝してみようとは思わない、自分自身を褒めようとは思わない、そんなふう。アメリカ人がアメリカに対して抱いている愛国心のような愛国心は日本にはない。日本に住んでいながら政府のやること役所のやることに反感ばかり抱いていて、そのくせアクションは起こさない。そんな無関心。
日本人がアイアンブリッジ峡谷のミュージアムを見て、イギリスの産業革命を知り、その偉大な足跡に陶酔することはたぶんできる。けれども石見銀山や富岡製糸場などを見て、陶酔し、日本の過去に尊敬の念を覚えたりするかな。「すごいね」っていってお終いなのが関の山なんじゃないかしらん。そこで素直に誇りに思えるような、そういう風土をまず醸成する必要があったんじゃないだろーか。
てなことを、読みながら考えた。出版は2000年。それからもう16年も経過しているのにほとんど変わってない世界。
いくつかの疑問を解決。刻印を押すタイミングとか押し方とか。以下聞き書き補完。
土はその辺りに露出(○○寺の辺り)。トロッコで運んできて、穴に入れ、砂や水を加えて調整。かなり粘い土であった。
機械成形を担当。機械がこね、型を通して押し出し、(仰りはしなかったが平を先頭にして出てくる:平で切るタイプ)それをワイヤーで切る係が一人。切ると長手で立った2個並んだのができる。これはゲタのような板(ゲタと呼んではった)の上に切り出す。
その2個並んだ煉瓦を少し離して、ゲタごと次の行程へ運ぶ。運ぶ先は一次乾燥場(とりあえずそう呼んどく。庭で積んで乾かす前の予備乾燥をする場所)。機械の押し出す速度が速いのでゲタがどんどん溜まってくるのが大変だった。
運んだ先でゲタを8個並べて置く(積み上げる?)。これは仮置きみたいなもの?
ある程度乾いたら一間板に10個並べ、本予備乾燥。この段階で刻印が打たれる。作業する板に「K」の文字が作りつけてあって、その上に煉瓦を押し付けて裏表に打刻。この時小口を持ってクルン、トン、クルン、トンとやる。ここ重要。刻印は上下平の対角位置につくことになる(K刻印は平天縁中央付近に押されていることが多い。そして長手方向を軸に回転させると同じ位置についとる。社宅付近で採取した活字Kも釘Kも同じふう)。
乾燥は1週間くらいか。小端立てて長手も乾燥させた(全部が全部だったか?)
乾燥させたものは天日に干す。長手下で枕木状に並べ、その上は斜めの枕木状に、その上に一間板を載せ、また枕木状に、と10段。天日干しは1ヶ月くらいかかることも。
弘栄の窯は2個所あった。西のものは昭和30年代の大きな台風の際に煙突が倒壊。火入れしていた最中だったからものすごい火の粉があがって危なかった。なお工場はいま住宅街になっている一帯がすべて、と仰っていた。あの広場の辺りだけじゃない。社宅に隣接して工場敷地があったと考えるべき。
刻印を押す理由は特に把握されていず。上等なものには刻印を打ったんやろねと(煉瓦には等級があって云々)。そうすると焼く前から良否が決定されていたことになり、焼き上がりの不安定要素はどうしてはったんやろと思う。予備乾燥の段階で歪んだもの・手形がついたものはnegって、焼いてうまく行きそうなものだけ押したのだろうか。
数字付きのものは「知らない」と明確に否定された。
上記の話は岸工場の話。昭和16年以降30年代後半までということになる。一方東山のK2は戦前からあるとの話だった。当初想像していたように、戦前の一時期は(KasinoにせよKumiaiにせよ)各社共通フォーマットのKn刻印を使っていて、その後沙汰止みになり、弘栄はKoueiのKとして数字の部分を潰して使ったということになるかも知れぬ。そして釘Kは機械成形のものにのみ見られる。足りなくなったとかすり減って作り直したとか、そういうとこか。
就業形態は播煉と似たようなもの。トロッコ・板出し・ナンチャラと家族でやっていたところもある。Yさんのところは個数ナンボではなかったようだ。
赤煉瓦産地診断再読のこと。特に機械ー本乾燥の行程のところ。でもあれはどこの行程か明示されとらんかったからな。
そこなんだ。機械成形は長手で立った状態で出てくからそのまま乾かすことができる。手成形では平が板に密着した状態で運ばれる。それを起こして立てねばならん。弘栄社宅で眺めていた手成形のは裏の荒れ方が顕著だった。筋より細い側は撫で跡がきれいに残っていたが広い側はそうでもない。なんだかザラッとした感じ。撫で跡はあるが縁ほどきれいじゃない。かといって小口方向に傷があるでもない。
そういや・・・播煉の方も乾燥の時に「器用にくるっと回して」って言うてはったっけなあ。8割わかって1割間違う感じがする。聞き取り調査は難しい。帳面にいっこいっこ書いてくほど几帳面でないし。
印南郡の煉瓦製造業史の転変とか由良要塞への煉瓦納入の経緯とか吉野木馬道の謎とか、調べてくれんものだろうか。予算内で。
至極曖昧な定義の元で「ロマン」という言葉が使われていて、ここでいう「ロマン」には男の野望とか妄想とか目ぇ開けて見る夢とかは含んでなく、要するにハーレクイン系のロマンスのことをゆうてるんだとは理解する。「ロマン」という言葉の曖昧さは何も現代になって始まったこっちゃない。日本にロマン主義文学が紹介された時点でよくわかってなかったんじゃないかしらん。もちろん私も知っちゃいないが。
あ、それゆうたら樋口一葉は日本におけるハーレクイン・クラシックスの先駆者になっちまうな。えらいこっちゃな。
前日の晩+宝殿へ行く電車の中で読み終えて、帰りでまた2/3くらい読み直してしまう。読むと猫間川への愛惜の念が強くなる。笑うのにぶっ崩された煉瓦の行く末が気になる。全部あのへんに埋まっとるんやろか。平野川の底は浚われてるから無かろうな。
ここに描かれた情景はもうどこへ行っても見られない。新世界の辺りとか大阪城ホール周辺とその対岸とか、キレイキレイになりはてた大阪の元の姿が知れて興味深かった。阿倍野Q'sモールの辺りとかも多分あんなだったのだろう。観光でめぐるようなとこやないよね。人間が必死になって生きてた生臭い土地、生きることに倦まない真摯な姿勢には敬意を抱く私である。
構造物ごとに竣工年と検出刻印をリストアップしてみたが思っていたたほどウマくない。頭の中の漠然を形にしただけで、これから新たに感づかれることもなければリストの信憑性もない。砲廠とか司令所とか細かな構造物で刻印が見つかってないため随分漠然とならざるを得ないし、確実に構造物由来と言えるもの=持ち込まれた頃の年限が確定しているものが少ない故。友ヶ島電燈の背牆階段の堺煉瓦は友ヶ島電燈竣工年をオシリとしてよいものか? 完成後に追加で作ったんやおまへんか? てなところを完全に排除し去ることができない、そういうのが大半。まあ、それは当初から予想していた事と言えば言えるのだけれどもな。その言い訳を言ったところで言い甲斐のある内容じゃない。
せめてもの救いは仮にそうだと考えたところで会社テーブルと矛盾はしないというところ。
あとは、生石山第3砲台の大阪窯業が浮いていることとか、赤松山堡塁伊張山堡塁が空白地帯になってることとか。27年前後にぽっかりと穴が開いている謎。そしてここに現れない大量の無刻印手成形煉瓦の扱い。
集成2016を、と思って振り返ってみたが新規に発見した刻印って片手で足りるほどだったのだな。
・五本線+○@生石山第三
・*@友ヶ島第二
・カナ@深山第一
・■の試し押し?@大谷川上軍橋
と耐火煉瓦くらい。そりゃま、以前に比べて煉瓦探しに出かけることが少なくなったからなあ。
新規刻印よりも既知刻印とか工場とかの裏書をせねばならないものが多い。東山窯業所とか男山とかホーム聞き取りとか弘栄とか。主に印南郡か。
古くからの知り合いが次々と死んで自分だけになるという夢。知っている人間が一人もいない(自分のことを知っている人間がいない)という状況はひどく寂しく、そういう状況を想像してみたことは幾度と無くあるけれども、実際にそういう状況下に置かれるとやはり骨身に沁みるものがあった。黙っていても確実にそうなるはずのことなので(その前に自分が死ねば別だが)その予行練習みたいなものか。
という苦行をしている。
・最初からUTF-8で投げられたやつならサンプルコードが有る
・しかし元データとしてSJISのCSVが不動
・これをUTF-8なphpでなんとかしようとしている
時点でダメダメ。いらおうとしてmb_convert_encodingした時点でアウト。コード情報が失われて「?」になっちまう。
fgetcsvで読み込んだ直後に\x\xで置換したらいいんじゃね、と思ったら余計なところまで置換されてしまうのだった。三島郡島本町が三?莉」)S島本町になったり福島県福島市が福?莉」)ァ福島市になったり。故にmb_regex_encodingとか使って、そのうえ(株)の株をコード記述せにゃならんかったり。
自身の覚書として汚いコードのまま載せとく。㊤とか荒巻胚⑬とかは無視。
function ill_letter($in1)
{
//おまえら環境依存なんじゃぼけー
mb_regex_encoding('sjis-win');
$arr = array(
"\x87\x54" => 'I',
"\x87\x55" => 'II',
"\x87\x56" => 'III',
"\x87\x57" => 'IV',
"\x87\x58" => 'V',
"\x87\x59" => 'VI',
"\x87\x5a" => 'VII',
"\x87\x5b" => 'VIII',
"\x87\x5c" => 'IX',
"\x87\x8a" => "(\x8a\x94)",
"\x87\x8b" => "(\x97\x4d)",
"\x87\x8c" => "(\x91\xd5)",
"\x87\x83" => "K.K.",
"\x87\x41" => "(1)",
"\x87\x42" => "(2)",
"\x87\x43" => "(3)",
"\x87\x44" => "(4)",
"\x87\x45" => "(5)",
"\x87\x46" => "(6)",
"\x87\x47" => "(7)",
"\x87\x48" => "(8)",
"\x87\x49" => "(9)",
"\x87\x4a" => "(10)"
);
foreach(array_keys($arr) as $t)
{
$in1=mb_ereg_replace( $t, $arr[$t], $in1);
}
mb_regex_encoding('utf-8');
return $in1;
}
あと番地のハイフンを半角に揃えたいのだが何故か置換がうまくいかない。ハイフンに間違われやすい記号が山のようにあるせいか。-―‐-全部やってるつもりなんだけどな。
住所のcorrectionはB2のほうがやりやすいので、B2上で修正し、外部出力.CSVったうえでゆうプリRに取り込む、というのは以前からやっていたのだ。しかし全ライン必要というわけではないのでExcelで開いて利用するのだけ残して上書き保存して取り込んでいた。けれども☎が追加されたことによりCSV0落ち問題がここでも発露する事態に。
0落ちを回避するためには「ファイルを開く」→ウィザードで文字列指定とかやらんといかんし、下手すると番地の「1-5-3」を勝手に日付に変えやがったりする。余計なことすんなボケ。何にしろExcelは糞。聳え立つ芳しき糞。持て余す巨大な糞。やってられっかってんだばーかばーか。
なのでまたphp+ブラウザで処理体系を構築したった。要はCSVの必要なラインだけ抜き出してコンパクトにするだけだ。文字コードを気にすることもない。ついでにブラウザ上でパケットとパックを選べるようにしたった。73カラム目の「予備1」に種別、74カラム目にラベル番号、75カラム目にサイズを放り込んで、出来上がったCSVをダンゴ虫カスタムフィルターに通せば一発で登録できるうえ電話も郵便番号もエラーなしでゴーが可能になった。今まで見たく設定変えて二度取り込んだりしなくてすむ。これでまた時間短縮だワァオ。
ついでにkanri.phpから直でメール送信できるように修正してみた。send_mailとphpMailerの流用。実際に動くかは試してない。また明日。
追記:意気揚々と実戦投入したらチェックとデータラインが1行ずれることが発覚しugly hackで切り抜けた。ダボが。1行目はarray_shiftで抜いたんだろが。
メールの方は2、3の勘違いを修正しただけで動いた。action="post"とか。よくわからんけど動いているのは結構気持ち悪いものがあるが背に腹は変えられん。
「Pokémon GO」が日本でも解禁になり、案の定な騒ぎなので、便乗して「Jisüo GO」とか考えてニヤニヤしている。意味もわからずウムラウトをつけてある辺りにパチもん臭がプンプンするのがまずいい。阿久さんて牛。
・屋外のどこかにジスオがいる。
・生きづらい行きづらいところにはレアなジスオがいる。廃道の終点とか廃隧道の奥とか。
・見つけたら石を投げて倒す。
・倒したら草が生える。
ただそれだけのゲームである。ジスオだから捕まえても仕様がない。養う金なぞ無い。倒すことによってポイントが溜まったりするような特典はつけないほうがいいな。ジスオ狩り代行とか商売が起こりそうで気に食わない。
そうしてレアなジスオスッポトは電波圏外という嫌がらせをする。GPS座標に紐付けすりゃいいだけなんだから原理的には可能だろ。
「Bríck GO」でもいいぞ。
・屋外のどこかに刻印煉瓦がある。
・レアなやつだったら拾う。そうでなかったら記録する。
・1外出につき5個が限界。
・たくさん集めて自慢する。
いやそれ、スマホ必要ないから。近づいたら振動するとかだったら便利かも知らんが。
書いたものを通して自己の思想とか、その言葉が大げさに過ぎるなら「考え」でも別段構わないけれど、を表明するために書いてるのであって、それが共感を得られるか、はまた別の話なんではないか。認められることを望んで書いたものが認められたところでそれは自己正当化の謀略が成功しただけちゃうんか。例えばの話、自分の経験を題材にして人間の醜さを深く掘り下げてものしたところで「あるある」と認められたとしたら、自分の醜さが意外と誰にもある普遍的な醜さだと認められたことになって、自分は少し救われるかも知れぬ。が、そのために書いてるんだったら何だかなあだ。こういう人間を認めてよという認知の押し付け。エンターテインメントとして描いた極悪な人間像が人気を博せば「ワルでいいんだ」ってなる。その繰り返しがワルを実在させる。筒井御大がいってた「虚構が現実を侵略する」ってのはそういうことなんじゃなかろうか。
自分は自分を善き人間とは思っていないので他人にもそう認めてもらいたくはない。自分の思想はどうでもよい。ただ発掘してきた事実とか第三者の生き様とかは伝承しておきたいと思う。そこに自分の思想が混じって絡まってくる(取捨選択した時点でそうだし書くという行為の本質からして自己の思想から離れることはできないに違いない)故におかしくなるのだ。それがわかっていながら切り分けられないところにnagajisの救いようのなさの根源がある。自己を否定しながら書き続けて何のために。疲れて眠るためか。それもマタハリだなあ。
阿久さんて悠
でも全然構わないのだった。
アブサンをキュー
とか。だんだん山号寺号みたいになってきたな。清子さん水前寺。
パチモン:「パチッとモンスター」の略。モンスターを描いた駒で行なう将棋に似たゲーム。あるいはジップロックの袋で捕獲するゲーム。不思議と叩き潰すというのが浮かんでこないのは根が小心者だからだろう。潰したら可哀想やん。片付けが大変やん。体液とか粘液とか。
あれ。昨日も肉食ったったことを猛烈に書き込んだはずなのだが。まあいいや。
今日も肉食ったった。鶏レバーと牛切り落としだ。昨日は野菜が少なかったので今日は多めのキャベツと豊中産万願寺とうがらしをメインに。んで天津飯まで作ってやった。ざまあみろnagajis。
やっぱり鶏レバーは旨いなあ。暑くてバテ気味の時には特に旨い。鶏レバーで満足できる私は火砲者である。
Excelのデータの並べ替えで困っている。識者のご教示を頂ければ幸い。
こんな感じのデータ列があるとする。頭に2桁~4桁の数字、続いてハイフンがつく、というようなデータ。数字の桁は揃っていない。
これをExcel上で昇順に並べ替えるとこうなる。おそらく頭の一文字から順に見ていって、それで並べ替えていると思う。半角ハイフンの文字コード<半角英数字の文字コードなので「15-」が「155(-)」より前にくると。
ここで5行目の「15-」を「15-A」、6行目の「155-」を「155-B」と書き換え、同じように並べ替えをやると、
こうなってしまう。
こうなってしまう原理がさっぱりわからない。本来は「15-A」が先にくるはずで、実際phpでこのような配列を作りsortすると15-A、155-Bの順になる。DOSのsortでも同じだ。
「A」や「B」は実は関係なく、ハイフンのあとに何か入っているのとそうでないのとで並び替え順が変わってしまうようだ。しかもどうやらExcelだけではないらしく、Windowsのとあるプログラム上で同じデータ列を並び替えるとExcelと同じ並びになるのだった。
要はExcelやそのプログラムの「並べ替え」をそっくりそのままphpで再現したいのだが、どういう理屈でこう並び替えられるのかわからず困っている。
すくなくとも「ふりがなで並び替え」は関係がない。オプションを外しても同様だ。
元のデータをゼロフィルして4桁に揃えてしまえば万事解決するのだが、そしてそうしたいのは山々なのだが、それをやると2万数千件分を削除→再登録せねばらなず、それはそれで原理的には可能のはずなのだが未だ試したことがなく、仮に失敗したら命が死ぬことになる。100日分の作業量だからなあ。数千件の削除と登録はやったことあるんだが、あれは被害軽微なやつだったから踏み切れた。今回のはそうもいかない。
生きるか死ぬかを賭けて元データを修正するか、わけわかめなデータ整列を再現するか、入れ替わりが生じることを大前提として現状ママイキで行くか。悩ましい。この悩む時間が無駄だとはわかっている。他のことに手が付かない。思い切ってやってみて、失敗したら死ぬ気でリカバリするよう肚を括ってGOするほうがなんぼかましだろうと思う。思うが、なかなか踏ん切れぬ。
似たような逡巡で時間を浪費することが多い。探索に行くか行かないかとか、聞き込みするか否かとか。行ってイキアタリバッタリズムでなんとかしてきただろうが>nagajis。そのほうが面白かったりするだろうが。
わかりそうでわからないことほど意識の最前列を占拠しよる。片付けたいのは山々で早く片付けるためにそうやって見える所に置いてあるのだろうけれども、それに注意を払うことだけでも随分な時間を浪費している気がする。煉瓦刻印とか。煉瓦裏面の筋が出来る理由とか。刻印のない煉瓦の出処とか。ああ、無駄。
ふと気づくと流しの上に蟻の行列があった。
我が家はアパートの2階なのだが時おり蟻が出没する。せんだっても開け放しのベランダの扉を通って室内に入ってきていた。冷蔵庫の下に砂糖やら何やらを零しまくっているのでそれを嗅ぎつけてきたものだろうが、にしてもアパートの2階までどうやって入ってきたのだろうと驚いたことだった。最初の一匹はよほどの冒険をしたに違いなく、その一匹の冒険を連連と受け継いで行列している蟻達に敬意すら覚える。人間の文化とか神話だとかもこういう感じで始まり継承されてきたのだろう。
梅雨の終わり際に雨が激しく降り続き、それを境に蟻の姿を見かけなくなっていたのだが、それが本日ふいに再現されているのを発見し、なおかつそれが流しの上だったので吃驚した。前回は冷蔵庫の下あたりで終わっていたのに。しかも今回の行列はベランダを経由していないらしく、閉められた扉の下からモゾモゾ出てきているようでもない。どこからともなく行列が現れ流しの縁を横断している。
縁を横断した蟻たちは流し左手のスペースに置かれてあるまな板の辺りで蠢いている。そこで何かを探しているのかと思ったがさにあらずだった。まな板に放っておいた菜箸を、まるで丸太橋のように利用して渡っていっているのだ。その菜箸の先には昨日切って放っておいたレタスの根株。なんと蟻達はレタスに群がっていたのだった。えええ。蟻ってレタスも食うの。知らんかった。
レタスに甘い汁がかかっているわけでも糖分高めのフルーツレタスでも決してない。一昨日袋から取り出し二日がかりでかたした普通のレタスだ。その根株だ。消費するまでの間に何かに浸したり何かを零したりした覚えもない。ただ切り落としただけのレタスの根株である。当然ながら栽培物だから、天然界には無い旨味なり甘みなりを宿していて、人間にはわからないフェロモン様の何かを漂わせているのかも知れぬが、残念ながら蟻ではない私には嗅ぎ分けられない。にしても最初の一匹はよく見つけたものだ。菜箸渡りまでしてさ。
このまま放置しておくと台所中が蟻だらけになって収拾がつかなってしまいそうな気もするが、レタスに有難かる、もとい蟻がたかると云う事象は初めて見るものである故、もうちょっとだけ観察してみることにする。放っておいたら零した砂糖とか飛び散ったソースとかを綺麗に片付けてくれそうでもある。
流しの縁を行き来している蟻達。眺めているといろいろな発見があって面白い。彼らの旅の終着点であるレタスは流しの左手にあり、そこへ向かって右手からやって来ている訳だが、レタスを賞味して帰って行こうとしているやつと今から行こうとしているやつとがこっつんこっつんぶつかりつつ流しのへりを渡っていくさまは見ていて飽きない。ぶつからずにすれ違っていくということがないのはちょっと不思議でもある。まさに童謡に唄われたとおりだ。そのさまを見て会話をしているように見えるのはきっと万人共通の発想だろう。「レタスあっちやで」「旨いけ?」「(゚д゚)ウマーやで」「マジで?!はよ行こー」。時おりこっつんの勢いでか来た方向に戻ってしまうやつもいる。レタス手に戻っていくのならまた食えて宜しいが右手から来て右手に帰って行くやつは哀れだ。君何しに来てんねんと。
流しの途中にちょうど蟻の大きさの黒いゴミが落ちていて、蟻はそれにもぶつかっていく。通りすがりに挨拶をしていくかのように。蟻が何度もぶつかるものだからフェロモンが移ってしまっているのだろう。
右手には調味料置き場にしている板が渡してあるのだが(流しの槽の奥行きに幅20cmほどのコンパネ材を渡してある。一応見た目と防腐を考慮して柄もののビニールクロスを張ってある)、蟻はその下にできた数ミリの隙間を通ってやってきている。この板の右手奥のあたりに蟻行列の湧き出づる場所があるはずなのだが、流しの端1/4ほどを覆い隠している板のためにそれを特定することができない。板の下からひょいと現れ、つとととと縁を渡っていく、帰りの蟻とぶつかりすり抜けていく、帰って行く蟻が板の下に消えていく。まるで板の下から行列が生まれているように見える。その光景はモブ役の俳優が舞台の袖袖を行き来しているかのようでもあり、しかも個々思い思いに動き回っているから一匹一匹に注視しても飽きない。美しい風景を「まるで絵画だ」と褒めそやすような逆輸入の例えだが、ジブリアニメのモブシーンみたような感じだ。
蟻はレタスだけでなく菜箸の先端にも多数たかっている。昨日これで炒め物をしたからその汁気油気を舐めておるのだろう(それが彼らの大目的かとも思ったのだがその下に敷かれているレタス株にも多数集っていて菜箸組よりもじっくり食している様子である)。この菜箸は川上村の物産展で購入した栗の木の菜箸である。腐りにくくて宜しいと紹介され、確かに酷使に耐えてくれているのだけれども、先端がどんんどん丸くなって使い回した爪楊枝のごとくになってしまっている。舐める序に齧り削ってくれないだろうか。ちなみに同じ時に購入した木べらも栗製である。どちらも粗削りな素っ気ないやつだが丈夫なことには及ぶものがない。蟻もまさか栗の木だとはご存知あるまいて。
しつこいようだが翌日朝に更なる発見があった。早朝に目が覚め、自販機のコーヒーを買いに出て、いまだ続いている蟻行列を眺めつつそれを飲んだのだが、飲みさしの缶を行列のそばに置いておいた所、その缶に生じた結露に蟻集りができた。別にコーヒーをこぼしたわけでもなく、缶の冷たさによって凝集した水滴を蟻達は舐めているのだった。きゃつらは水分を欲してレタスに集っていたのだろうか? それにしては流しの槽の水滴には目もくれておらなんだが。
昼前に外出し、戻ってきた頃には空き缶にも、どころかレタスにも菜箸にも蟻は居なくなっていた。日中の暑さで乾涸びてしまったからだろうか。日が落ちた今は1匹2匹モソモソと迷走しているだけで、今朝までの行列が嘘か幻のように静かになっている。
これで心置きなく流しが使えるぞ、と思ったのもつかの間。彼らはターゲットを移しただけであったのだった。今度は冷蔵庫の上に置いてある小麦粉に集り始めている。水分の次は粉もんか。君らの好みはようわからん。しかし実際のところは小麦粉が目当てではなく袋の外側についたベタベタした何かであるようだった。小麦粉の袋(日清製粉のふつうの小麦粉だがビニール包装でチャックがついているやつである)の口が開いているわけでも口周りの零れた小麦粉を運び去っているようでもない。ただ表面をわさわさと歩き回っているだけである。これ、砂糖と小麦粉を見間違えてたりしたら面白いのだが。本物の砂糖は流しに渡した板の上にある(タッパーに入れた状態で)。封はしていないから気づかれたら全部持っていかれるかも知れぬ。
myさんのお陰で謎が解けました。これで無謀な冒険をせずに済む上に日々のルーチンワークがちょっと楽になります。有難や有難や。
(間違った感謝の表し方であることは承知している)
到底、とか、絶対に、断じて、とかいう意味で使われる言葉に
金輪際
というのがある。
で唐突に、臨終とか死に際とかの
今際 の際
とこんりんざいって似てるよな、つか、こんりんざいを分解して読んだだけじゃん、と気づいた気がした。
金 輪 の際
おおnagajisすげー、実は金輪際は今際の際やったんや、と感心してみたものの、それから約4時間後に間違いに気づいた。「金」を「いま」とは読まんだろ。頭の中ではちゃんと「金輪際」とゆう文字で把握していたにも関わらず「いま」と読めると思っていたnagajisの頭はどうかしている。「今輪際」だったらこんりんざいではあるだろうけれどもそれはそれで元の木阿弥な気もする。ひょっとしたら一画目二画目の笠が似ているから取り違えたとか、そういうことか。
ちなみに金輪際という言葉、長いこと
たった今から以降は絶対に(~しない)
という意味だと思っていた。「金輪際お付き合いをお断りする」みたいな文脈で覚えたからだ。
ほぼこれを撮るためだけに姫路に行ってきた。なんや、文学館リニューアルなんて待つ必要なかったんや……。
文学館裏手の男山にある煉瓦壁は濱本氏別邸(→男山市民寮→現・望景亭)のために作られた煉瓦壁。濱本氏は山陽窯業の創始者の一人で、その縁で山陽窯業の「山」刻印煉瓦が使われている。このことは山陽窯業と袂を分かち東山工業所となった旧見野工場の関係者からお聞きしたので間違いない。そうしておそらく、この丸みのある「山」こそ、山陽窯業見野工場で使われていたやつだ(ここは推測)。
男山配水池公園から眺めた姫路城。こう見るとひどく小さく見え、賑わいの町並みから浮いてしまっている。結局今回も姫路城へは行かなかった。かわりに姫路市近代美術館に立ち寄った。これっぽっちも収穫を期待していなかったのに(思わぬ|重大な)発見があった。もちろん煉瓦刻印に関しての。しつこさでは水野先生の後塵を拝さないつもりでいるnagajisである(←小栗っぽい慣用句の誤用)。
_ my [突然失礼します。 ハイフンの件ちょっと気になったので調べてみましたが、どうもハイフン(と引用符)のみ文字として認識せずに並び替えするようです。 http://www.asahi-net.or.jp..]
_ my [参考までにコミュニティの方のURLです。 http://answers.microsoft.com/ja-jp/office/forum/office_2010-excel/%E3%83%87%E..]
_ nagajis [あああ! そういうご教示を待っておりました! 有難うございます有難うございます。。。 ハイフンを削除……。なるほど、それは案外有効かも知れませぬ。このデータ列がデータベースのプライマリキーに相当す..]