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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1943-10-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月一日 金 快晴

代日休暇。〇五・二五たゝき出し会を行う。予は竹刀はぜまけの為握られず見学す。残念。腕むずヽしてたまらず。午前中は日誌整理午後は五時間集会所へ。夏の如く暑き日にして居るに困りたり。愈〃快晴なり。運動の時期なるもはぜまけ遺憾なり。今日は些かぼーっとして休養完全ならず休日の用い方としては不可なりき。十月に入りやるべき時は来たり。


1943-10-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二日 土 曇

今日まで相当暖かりしも夕方より風加わり寒感を感ずるに至る。射撃に備えて午後は照準鑑査予行演習及び密集教練・散開を行えり。大部射撃は下手になりぬ。明日も休日かと思うとうんざりしたり。今日は誕生日会にして部長殿の詩吟を初めて聴く。又川原の誕生日は今日なりと。いずれも為になる会なりき。

大学の文科系統は修学停止になり理科増加し愈〃陸海軍は多くなれり。要するに今からは軍人と科学が物を云う日にして決戦下の日本にしては当然と思われるも尚一段と覚悟を新にしたり。指揮官たらんとする者の自覚。良好。


1943-10-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月三日 日 曇

〇五・三〇空襲警報(演習)にたゝき起され約四十分行わる。予はポンプ班にて最先に小屋に行くも寝取なるを思い出し建物自衛につく。
今日より一週間軍事援護強調習慣にして今日は八時より雄建社前にて一三・一〇・三に近衛文麿に下賜されし 軍事援護に関する 直後奉読並に校長訓示あり。「我々は援護を助けられるべき立場にあるを思い戦意の昂揚に努めよ」とて具体的に示されたり。何事も積極的にやる事なり。尚正午には黙祷を奉げたり。
午前中は手書き書き「秀穂さんに初めて」及び整理を行い午後は三時間集会所に遊べり。今日も学習すること能わず一日がうやむやに過ぎたりと後に思えり。然し大体に良好に用いたる日曜なりき。良好。


1943-10-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月四日 月 曇

愈〃冷気を増す。今日より一週間予科の区隊長殿が視察に来られたり。元気ぱりヽの如く頼母しきものなり。午後は狭窄射撃にて乙。何故か演習の時は十分と思いしもが緊張の余り手が震えたり。又据銃にて左手の置地近し。のばせるだけのばすべし。落着く事が先ず第一と思いたり。伏にて依託なしなりき。丙甲甲乙の順なり。今日は特に引しめて物事を徹抵したることを反省し愉快なり。はぜまけも癒り今からやるぞ。山岳訓練にて腕力喊りたるを増すを第一とす。元気余る。
あり余る元気の出す所無く竹刀振り


1943-10-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月五日 火 晴

一時限目の独乙語の時予科区隊長殿の見学ありて些か後席だけありて胸震えり。朝の時間は手入・射撃予行演習・整頓・寝取等の為相当困難なるも意気にて押し通せり。午後訓学にて 勅諭本文謹書あり。三十八字誤る我乍ら情無く感じたり。軍人精神は此の五条の他に一物も無し。知りて行う。軍人たらんもの己の物となさゞるべからずと感ず。銃剣術は黒田中尉殿(区隊長)の指導にて之を行いたり。若き元気、これならば生徒としても自ずと元気は出るなり流石予科なりと感ず。予科は元気の固まりならん。入浴も区隊長殿と共に行えり。頼母き限り。良好。


1943-10-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月六日 水 快晴

実包射撃。先発は〇五・三〇出発。本隊は〇五・〇〇起床し〇六・二〇出発。予等は一〇・〇〇よりの師団衛生部長殿話を承るべく寝室より三名宛後発とし、それまで随意自習にて、一〇・五〇出発、午後直に行う。伏にて今日は大部胆座りいたり。甲なりき。甲はざらなり。未だヽ上には上があるなり。講話の要資は統率保育にして特に我等の立場として長となる者の心掛けを承りたり。職責は責任必ずあり、長は部下の骨肉の情を以て教育すべし。一六・三〇帰校。射場に行きて食事撃ちて帰りし故勤務にもつかず者足らざりき。酒保はたんまり区隊長殿話に耳を傾け林の一喝に止む。真の勇者なりと思えり。良好。


1943-10-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月七日 木 快晴

今日より正式に運動会準備を始めたり。朝八百走りたるも大部せざりし故呼吸は平なるも足いたし。運動時も相当にこたえたり。長距離の外に障碍物も引受けたり。予は如何にしたら勝つかに苦しむ。先ず念頭にあるは之のみ僅か七日間の練習にては唯攻撃精神と人にわからざる努力が必要なり。別になし。良好。


1943-10-08 フィリピン独立 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]〔日の丸を朱書きし〕十月八日 金 晴

大詔奉戴日。「熊農生徒数百見学に来る」校長閣下訓示=戦意の昂揚につきての先日のを具体的に。崑崙丸(関釜連絡船)沖島付近にて五日二時敵潜艦の魚雷に沈没す。我々としても一層敵愾心に燃え目的に邁進せざるべからず〔一層~べからずに朱傍線〕。午後正科の二時間目及運動班運動は運動会準備に鍛う。烈しき運動三時間にして自習時大部眠たし。日曜が待ち遠しくなれり。運動しすぎたる感あり。
比律賓独立す。昨日、日本より帰国せしラウレルが大統領なるべし。独立せんとするもの一度は日本に来るを本則とするが如し。猶独立宣言は十四日なり。アジヤ人愈〃一丸となり米英に対すなり。アジヤの幸も目前にあり。陸軍服制改訂。中隊長以上の長は章をふし航空生徒は右胸に〔二葉プロペラを正面から見たような図〕なる章をつり統帥を明かなるべくするものにて肩章大きく各部の〔陸軍Mマーク〕はやめ襟につく


1943-10-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月九日 土 曇

九九式軽機関銃を習う。分解・取扱い等特に興味ありて面白し。之寝室にも一挺備えられたり。研究の要あり。運動会準備大場淳二のお母さんが長崎より明日面会に来られ、ついでに予も面会。休暇中信義守らざりしことを侘びたり。明日は日曜を利用し熊本見物をされる由承る。予を思うに大部物事に軽薄なり。特に然るべきは約束を忘れ易きこと、自己主義の念が会頭にあり打算的なり。此数年の事共にて明なり。後悔する事も度々あり。要するに西洋的物の考え方を一新することこそ先ず行うべき手段なり。之予の最大欠点なり。自己本位→之より要領なるもの生ず。恥ず。良好。夕方より雨あり。


1943-10-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十日 日 晴

〇五・五〇ー〇七・〇〇運動会準備。〇七・三〇ー一一・一五臨時外出して黒石原に至り唐いも・栗に腹を充たす。(志水・方倉と)午後一時間午睡し一四・〇〇ー一七・〇〇集会所に読書す。久し振りに小説を読み熱血をたぎらせり。近日無象〔性〕に小説読みたし。後にてぼんやりなれり。今日は午前に鍛い午後休養と物のけじめがはっきりして休日の用い方大率可なり。唯今日は学科に全く手をつけざりき。臨外も残り少なくなり秋の中にやるべきなり。良好。


1943-10-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十一日 月 快晴

起床後一時間夜が明けず宛ら冬を思わせり。昨日学習不足にて国漢乙考査ありて困れり。滑空訓練。厳々と行い必要以外の時間を潰さざることに留意すべしと。要は十八名の団結にあり。千二百米走るも意外にきつく運動会を思いて武者震いしたり。思えは昨年は競技後立つこと能わざる程のきつさを感じ脚を伸ばすこと不可能なりき。食後の台上は特に近日愉快とする所にて、全校としても台上の利用は伝統となれる模様にて嬉し。良好。


1943-10-12 切磋会 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十二日 火 晴

朝は相当に冷ゆ。一段と馬力がかゝるなり。 聖旨奉戴日にして去年の本日は感激の日なりき。食前に「今日よりはかへり……」を合吟。〇七・三〇より朝庭に於て式典行わる。校長閣下訓示→益〃熱を入れてやれ。一年はあれより過ぎたり。はたして此に報ゆべき何等かを一年間になしたかと思うに此の間予は体育に重点を置きし故身体と能力方面は極めて進歩せり。
精密身体検査。身長一六五・三糎
体重 五五・三瓩 胸囲 八四糎にて視力左右共一・二なり、陰金検査もありて不可と言わる。今月中は一回も腹をこわさず愉快に咀嚼し得たる故太りたるなり。
烈しき切磋の日。食後生徒監殿より先日射撃に当りて監的手が人により採点管〔環〕をのばして点をよくしたることとて幼年学校教育の目的は飽くまで品性高潔を第一とすること等順々と解かれたり。泣くが如き沈目〔黙〕の時なりき。夕食後切磋会を行い以上の事を反省す。点・目をくれざること。即ち名誉欲を去ること。自由米英思想の打破等なり。本年一月寝室に食して注意を受けて以来烈しき切磋会にて合〔相〕手に投〔殴〕ぐられ〔殴〕ぐりて心を洗いたり。此の切迫せる感何に譬うることも能わず。良好。

〔欄外朱:血も涙もある正義の士たるべし〕


1943-10-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十三日 水 晴

〔冒頭に赤鉛筆で○、欄外「東久邇宮厚盛王殿下照宮成子内親王殿下御結婚の佳日〕井内良治のお父さんの六年忌の日なり。慎みて哀悼のの意を表す。昭和十三年十月十三日九江兵站病院にて戦病死されたるなり。我父も十三日頃は九江にあり。之を思い感慨無量なりき。今日は学科甚だ不振にてしゃくにさわりたり。午後訓話・銃剣術にて防具をつく。運動会の運動の準備も大部上手になれり。良好。十五夜。


1943-10-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十月十四日 木 晴

〔冒頭に赤鉛筆で○、欄外「今日フィリッピン共和国独立宣言し我国と同名を結ぶ ラウレル大統領となる〕

校内は今や運動会に対する気分充満す。午後は十四・〇〇より運動会予行して団体の物があり。至極順調、此の程度なら土曜は最も調子よく行われるものと確心〔信〕す。夕食後天気づけの為運動班の集会あり。一途に正々堂々と戦い必勝の信念の下攻撃精神を充溢してやることを決せり。我の血液型B型と知る。代数の考査行わる。どうもそわヽして困る。良き胆を据える練習と思うべし。良好。


1943-10-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十五日 金 曇

早や明日に体育会は迫れり。午後は軽機の構造機能一時間ありて後明日準備あり。障碍物を練習す。夕食後檄す。攻撃精神と最後のがんばり。
思えば家は今頃父の命日を明日に据え物語りに耽れる事と思う。早や五ヶ年の月日は流れたり。父と別れてより五年余、深く深くたゞ父に感謝の誠を奉〔捧〕ぐるのみなり。必ずや父の命日の明日優勝は必然なり。良好なり。


1943-10-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]〔冒頭に赤鉛筆で日の丸〕十月十六日 土 晴

父の命日にして戦死してより満五ヶ年なり。丁度七時過ぎ手紙を出す。〔欄外朱:謹みて追悼の意を表す〕
秋季体育大会、朝は雨の如くなるも開始頃より晴れ、快晴となり終了して曇る。天候にめぐまれたるは今年が初なり。時局柄客も少なし。八板少佐殿が比島セブ島より幾用で内地に来られ今日は終日見えられたり。懐かしの情にて合う。留守師団長・予備士官学校長(本校出身)も来られたり。初の合戦準備次の一番乗りついで一着にして優勝確実と思いたるも奇数は団体振わず惜敗し四位なりき。四・二・六・三・一・五の順なりき。予は障害物(四等)・線合早馳千五百米(一等)に出で、ある力を全く用いたり。長距りは団体にして決勝二百米前に竹棒あり之につかまり入る。山根・森木・前原・高橋の五人なりき。一年保育班なりといえども侮るべからず。運動班会、残念の極なり。良好。
靖国神社臨時大祭にして一〇・一五 天皇陛下御親拝ありついで三十分後には 皇后陛下御親拝あり。有難き極みなり。父も命日に当りさぞ感謝の至ならん。此の度は一万九千九百九十二柱合祀さる。陸軍論功行賞あり。


1943-10-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]〔冒頭に赤鉛筆で日の丸〕十月十七日 日 曇

新嘗祭の佳日にして十時には 伊勢神宮の参拝を行い感謝す。田代週番士官殿の新嘗祭の意義・食料問題米につき話あり。お百姓さんに感謝し一層米不足を我慢せざるべからず。十三日より水前寺グランドにて大相撲ありて今日にて幕を閉ず。
朝は両手軍刀術を一ヶ月振りに行えり。午前中学習其の他、午後三時間集会所へ読書に行き以後は休養、夕食後もすこぶる気抜けして能率上らず。運動会の為に頭の方大部おろそかになりたり。今週こそ充実せる週なり。いざやらん。良好。


1943-10-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十八日 月 晴

牧之内淳のお父さんの御命日なり。同じく昭和十三年十月十八日北支に散られしなり。慎みて哀悼の意を表す。井内にせよ十三年十月にして此に何かの因縁あるを感ず。今日も亦頭朦朧として勉強に心向かず。午後は滑空訓練にして第二回目の地上滑走を行えり。柔道は久しくして要領悪し。今日は新たなる第一日の出発の日なりたるも主に力を基礎方面に用い己人の考としても余り優れざる日なりき。良好。


1943-10-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十九日 火 晴

松浦の命日にして日夕点呼後前例の如く雄健神社前にて切磋会行う。早や七ヶ月は過ぎたり。化学は今日も実験なりき。二十分休憩の利用→体育的に価値あらしむべし。素振は腕力と下腹の力が丈夫になるのにて精神・技の外にかゝる事もあり。午後は軽機と教練にて突撃・斬突あり。小銃に於ける突は木銃の其と趣を異にし要するに実戦に供すべく意気が必要なりと信ず。随意運動は頗る快調なりき。良好なり。


1943-10-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十日 水 曇

冬衣袴に着換えたる十五日より急に暑くなりその価値無し。今日は雨もありて寒を増す。西部第二十一部隊見学。野砲兵連隊なるもあれのみにては砲兵になりたしという感も起らず。四噸索〔牽〕引車に乗る。藤田 定中尉殿に大部失礼し十ヶ月振りに今日会えり。色も黒くなられて探すのに苦労したり。特別肝銘したるものも無かりき。ドル教官殿は一泊され見学さる。又故梅田中尉(四九)の弟の方の梅田中尉(五五)が来られて夕食会食す。体躯すぐれ見るからに立派なる方なり。傾日又摂生乱し消化不良にて玄米のかすが便に多し。今や殆ど玄米にて消化不良の欠点あり。良好なり。


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