nagajisの日不定記。
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しんどい時は何を書いても愚痴になる.愚痴を言うのも聞かされるのも嫌なので,こういう時は黙っていたほうがいい.こぼして解決するなら必要でなくなるものは世の中に幾らでもある.世の中そのものがなくなったっていい.
とはいえ,さすがに黙りすぎた.これから少しずつ復帰したい.ついでにここもnagajisのブログ化してしまえ.閑古鳥なら慣れている.鳥相手に語っていくか.
たぶん逐一書くのは無理.箇条書きで.時系列無視.
課題だったインターフェイスの悪さが改善できてない.多分改善できない.そのへんのセンスがないし,index.phpを一から作り直すには時間がかかりすぎる.
ドキュメント類は未完成.早くpdbのデータを持ってきて峠データベースを立てたいが,後回しになるだろう.それより地図エクスポート(仮)できたほうがいい.
ただいま「特濃!」の粒様奥地線前編を蒸留中.結構時間がかかった.
終わったかな?
あんまり気にされませぬよう...書きたい時に書く,でOKです.いままでもさんざん協力いただいていますしね.
11月の高知って,大変ですか? 可能なら年内にもう一度やりたいなあ>OFF
それから,今度CD用に調整したpdfをお送りします.マフ巻さんだけじゃくて,いままで寄稿してくださった方に.最終確認をお願いすることになります.
nagajisの戸人災と・nagajis.dyndns.orgを運営しているサーバは今まさにこれを入力しているマシンでBeOSが入ってる.ネットワーク周りが弱いくせにサーバにしているものだから目も当てられない.家に帰ってきたらhttpdを立ち上げ直すのが毎度.今日もそれで数人に迷惑かけてしまった.
いちばんの癌はBFSを使ったヘタレデータベース・pdbqだ.どこかにある間違ったリンクを辿ってGoogleのbotがアクセスするだけでSEGMENT VIOLATION FAULTを起こして止まる(直ちにhttpdが止まることはないが,エラーが溜るとネットワークごとダメになるようだ).だからさっさとpdbqをどこかへ移したいと思う.別サーバ立てるほうがいいかも知れないが,BeOSは捨てられんのよ.金もないし.
それでもORJを始める前はこんなにひどくなかったよなあ.ヨッキ氏にお守を頼んで3日間家をルスにしても平気だったもんな.
ようやくアンケートの回答部分ができた。。。力尽きた、続きは明日。
少しは楽しめるアンケートになったかも知れない。またドン引きさせるかも知れないが、まあいいか。
表示確認.前半の説明が冗長.明日には記入できるようにします.
自然な数え方(1、2、3...)と配列の番号(0、1、2、...)の違いは頭で解ってても、処理するのが下手だ.
特濃!粒様後半.組み変えはできたが10m間隔の等高線の地図が必要だと悟る.以前のトシピロさんの俺流の2倍の範囲を描かなきゃいけない.しかもあの谷だ.残り2/5で挫折.明日へ持ち越し.
作業報告ばかりではつまらないので.帰省した折にへなり氏のところでも紹介されている川原隧道へ行ってきた.江戸時代の石隧道という時点ですでに珍しいが、ハの字に組んだ石の梁の構造をつぶさに見てみるととても興味深いことがわかる.ハの字の接点は拝み合わせ?というよりも、ごく原始的に、直方体の角どうしを合わせるような恰好になっている.AAで書くとこんなかんじ.
/¥/¥
/¥
もちろん角はそれなりに丸められてあってそう簡単に外れたりしないだろうけど、結構危なっかしい.それでも150年近くこの形が保たれているのは、梁の上に大量の石を乗せて重みをかけているからだ(中央付近は石組がないのでその断面を見ることができる).
もう一つ、正面写真では石梁が二重になっているように見えるが、大部分は一重のようだ.二重だと地盤が緩んだときに内側の梁が外れてしまうに違いない(外側がつっかえ棒みたようなことになるので).このへんは工夫があったのか、それともたまたまなのか.
この隧道がある日田市にはほぼ同じ頃に石橋が造られている.当然普通の石アーチだ.すでに技術が確立しているアーチではなく敢えて梁にしたところにさまざまな物語りがありそうな気がする.
当初はアンケートの設問のなかで機能説明しようとしてたんだけど、没になっちゃった。てへ。(こっちのアンケートは遊びにつかってください。とすると、モード切り替えもいらないなあ。そういえば)
一応意図を書いておくと、もうちょっと回答がもらえたらなと思うので簡単に済ませられるよう三択回答にしたのと、こちらの想定外の答えがあるに違いないので「その他」の項目を作ったこと。微妙に違うんだけどな、というときはその他項目に書いてください。同じ思いをしている人が助かります。遊びの回答入れてもOKです:-)
<覚え書き>フォルダと質問回答テーブルのパーミッションに注意。.dat類は質問回答テーブルを除いてすべて削除しておくこと。
05年12月号の2本が終了.残り2編3本だがあとは地図を描くだけで組み変えはない(06年1月号から横組になったので).終了目前!と思ったら、次の皆瀬林鉄ってすごく大きな地図使ってる...ちょっと萎えた.
新たにリンク貼ってくださっている方がたまっている.こっちも早くしないと...バックナンバーを休めてこちらを進めるべき.
PM11:00,一応終了.
7月後半からの苦束っている時期に少しは朝方になるかと思ったが、また元に戻ってしまった.25時帰宅→作業にかかると朝寝るコースになって生活のリズムも糞もなし(苦他張った原因もそれだしな).へろへろになったうえで作業にかかるからミスも多くなる.リンクミスとかパスワードかけっぱなしとかゆう単純なミスを起こすのは夜作業の最後の作業の時だ.かといって朝早く起きて作業するコースも、へろへろになった上で出社することになり、気がすすまない(仕事が捗らないからとかそういう問題ではなく、単に疲れて動きたくないだけだ).勝手なものだと思う.
結局、いまは夜作業のほうがまし、と思うようになった.今日で何日目?今のうちに遅れを取り戻さないといけない.頭がジンジンしながら書くこの部録"、面白くないのはそのせいだ、と責任逃れしておこ.いらんこと書かんと早よ寝ぇ
協賛リンクを作成.みなさま遅くなってごめんなさいです.今回の更新分はすべてnagajisですので,嘘大袈裟紛らわしいの苦情はこの部録"までお願いします.
_ MIMIZUK [スミマセン、回答と結果が全部ズレちゃってるんですけど、訂正か抹殺かいずれかお願いします! って、誰の回答だかバレバレですな. ちなみに使用ブラウザは Safari 2.0.4 です.FireFo..]
特濃!の06年1月号「皆瀬森林鉄道」地図描き始める。かなりかかると覚悟していたが1時間半ほどで50m等高線を描き終えた。明治隧道projectの地図一つがだいたい30〜1時間だからずいぶん早くなったものだと思う。(こんなことが上手くなってどうするよ>おれ)
今回は市街地がない分楽かも知れない。そのかわり岩崖土崖多め。続きは明日。明日はちょっと図書館へ行きたい。
日に20人もココを見てくださってる方がいるとは思わなかった。ありがたいことだ。何か書くことで御礼の代わりとさせていただく。
という割には大変どうでもよいことだ。メガネを新調した。先日帰省したときに壊してしまい、そのままだったものだ。
メガネなしでは生きていけない、というほど目は悪くない。ただ乱視がずいぶん入っているため、ディスプレイを見る時とても疲れるし、外に出た時も視界が微妙にぼやけて気持ち悪い。なので眼鏡を持つことにしている。どんな眼鏡が似合うか(一応)人並みに悩んだ結果がこの眼鏡。何だかお判りだろうか?
元は溶接用の保護メガネ。2重になっていて外側がパカッと開くやつだ。遮光板が入っていたのをとっ外してレンズを入れてもらった。ついでにちょうつがいの部分を切って常用してもおかしくない(えっと本人はそのつもりです)形に改造している。レンズの上端にちょろっと出ているのが残骸。
目が疲れた時、カメラのファインダーを覗き込む時はレンズをオープン。のつもりで作ったのだが、意外と探索の時にも使える。汗をかいた状態でうつむいた時に汗が滴ったりメガネが邪魔に感じたりすることがよくあるが、このメガネならすぐに拭くことができる。滴りを予測してオープンすることも可能。何よりかけたまま顔をクーリングダウンすることができる。
もう一つ、効果がある。自分は頭と顔がいかついから、見知らぬ土地に行くと不審者がられて警戒されることが多い。しかしこのメガネをかけていると(一応)普通の人らしく見えるらしくて。聞き込みには欠かせないアイテムだったりする。
そんな情けなーい使命を背負わされたメガネ。これからもこのメガネを使ってぬるーく社会との接点を持ちながらいこうと思う。
ちなみに以前のはレンズが2重になっていたもの。今回は外側だけレンズのものにした。フレーム交換費1380円也
ははは,またやってしまいました&ツッコミに気づかず.すみません.これにめげずに怪しいプログラムを作り続け書き続けます.
いや,たくさんの方に答えていただけたのは心底感謝してるんです.本当にです.だからかえってミスすると心苦しく.真面目に受け取るとドヨーンになってしまうので,軽く受け取ってるふりをしています.いやはや申し訳ありませぬ.
最後に「その他」へ1点加える修正をしたのが.Q1は正しく反映されるという罠にはまった.ほんとに治ったのかなあ...
皆瀬の地図up.しかし上記の修正で時間を取ってしまいpdf化まで至らず.あほなり.
月曜日は図書館休みじゃボケィ! だんだん夜作業の弊害が現れつつあるな.
06年1月号の「特濃!」地図を上げ、一気に配置まで。こうして第一号から通して作業してみると、この号から始めた横イチデザインで(自分が)相当吹っ切れたのがわかる。なんだあの贅沢な写真の使い方は。
カミングアウトするわけではないが、ヨッキ氏の「特濃!」のデザインにはずいぶん気をつかってきたつもりだ。紙面にするとどう頑張っても「山行が」を越えられない。ヨッキ氏が希望していたような「山行が」とは別のもの、にもなり損ねていた(特にpdfの見にくさのせいで臨場感を全く出せていなかった)。山行が以上に気合いを入れて書いてくれていたヨッキ氏にも申し訳なく、初めの頃は毎号毎号デザインに苦労していた覚えがある。それがまあ、この号でようやく、山行が以外の別の優れたものとして作れたと思う。
バックナンバーCD用に組み換えるにあたっては(これまでさんざんこぼしてきたように)すべての地形図を書き直した。それは以前のアンケートで指摘していただいたように法的な面をクリアするためだけではない。もし自分が彼の原稿に応えるとしたら、これしかないと思うからだ。随所で地図を使えるようになり、(行程図の書き方も変えたので)初版よりは臨場感を出せるようになったはずだ。
とまあたっぷり捲し立ててしまうくらいに変なテンションになっているうちに、と思って最後の槇木沢橋にかかった。この回の地形図は槇木沢橋周辺の狭い範囲だから10m間隔だ。2時間ほどで等高線まで完了。
せっかくなので作業中のひとこまを紹介させていただく。これくらいならいいでしょ>国土地理院殿。
作業は大変単純だ。マップ画像を配置し、その上を鉛筆ツールでなぞっていくだけ。等高線の数だけこれをくり返す。動きを補完して曲線にしてくれるので、それなりに見られる線になるのがありがたい。一時期タブレットを使おうとしたことがあるが、かえって使いづらくて結局ほぼすべてマウス一つで描いている。集中し過ぎるとトランス状態になって神が降臨したりヤバくなったりするのでほどほどにしないといけない。以前にコレで人事不省になった。
等高線が終わったら道や家、地名などのパーツをレイヤーで載せていく。50m間隔だとすかすかになってしまうが、植生のマークや岩崖などを入れていくとそれなりに様になるようだ。山ほどトレースしたおかげでそんな記号のパーツがそれなりに揃ってしまった。今後何に使うというのか。
ええっと、御要望があれば地図書きしますのでお声をおかけください。できれば有料で。いや冗談です冗談
今日はちと出かけなければならないので朝作業。毎度ご指摘感謝いたします>MIMIZUKさん。つかもっとしっかりしろ<自分
唐突にPC環境についてのアンケートを始める。おおもとはバックナンバーCDのおまけの壁紙のため。
ではそろそろ行ってきます。
書きたいことが2、3、いや、もうちょっとある 時間がほしい。自由に使える時間が、書く時間が。しかし現実には書く時間よりも寝る時間のほうを取るのだろう>自分。動かないと何も始まらないのは回転カゴの外だって一緒なんだってこと、解ってないだろ。
書かなければいけないことではなくて、書きたいことがあるということ。言葉があることの幸せ。まだ幸せ。
考えてみると、PCアンケートの結果へのリンクがなかったですな.折角なので常設アンケートとして左のコンテンツから飛べるようにした.
作業してると「水没意識アンケート」が出てきた.ずいぶん以前に作って編集部MLに投げたのだけど、何だかそれきりなってたやつ.お遊びコンテンツとして入れる.いいよね?(こっちはそのうち削除になるかも知れない)
バックナンバーの目処がついてきたので原稿にかかっている(並行して少しずつ書いていたのだけど、今日はそのための時間をとって).「喪われた〜」は家棟川の天井川隧道.ひねくり回しただけの報告書調ではなく、さらっと読めるものにしたいのだけど、そう簡単にはいかない.染み着いてるからな.
「物語」を標榜するからにはむしろ情緒的なものを目指したほうが良いかも知れないんだけど、もっと苦手.不安定なやつが情緒を語るなと.ともかく一通り完成.結構な長さになってしまった.
明治隧道projectはひとまず資料の揃っている大分県西南部編から.あまりに隧道が多すぎて自分の撮った写真がどこのなのかを思い出すのに苦労.現地でほとんど聞き込みできなかったのが心残りだが、鳥養氏の報文のおかげで主要なやつについてはほとんど素性が知れている.「勝手にリスペクト版」とでも銘打っていくか.
この編が終わったら、アンケートで希望の多かった三重県にかかりたい.たまたま選択肢に加えた(失礼!)県だけど意外と注目されているみたいだ.しかし現時点で自分が知っている明治隧道@三重県は坂下と長野くらいなんだよなあ...熊野街道沿いの煉瓦隧道は大正期だしね.その当たりから情報収集を始めないといけないので大変だ.
もう一つの収穫だった例の隧道は、書きかけて、かなりノリノリになったのだけど、やっぱり場所が悪すぎる&素性がわからなすぎる.もう少し聞き込みなり資料調査なりしないと「やっちゃった記」にしかならないようだ.碓氷線の記事を蹴ってしまったあの方にも申し訳がたたないし.というわけで暫くはお蔵入り決定.写真もそれまで待ってもらおう.
危険な場所はともかく、立ち入りが禁止されている場所に立ち入るルポを書くことを控えるスタンスにしているORJだが.それは例えばORJの風評に影響するからとか、編集部の誰かがタイホされるのを恐れているとか、苦情が入るのを避けるためとかいう保身の術ではないつもり.探索者の規範を目指すなんて大それたことも考えてない. 世の中にはネットの裏情報を専門とする雑誌もあって、そういう雑誌ばかりが生き残っている現実がある.生きる術としては賢いかも知れない.しかし社会道義的にどうよ?と思わない訳でもない.そういう建前と本音の狭間の葛藤.考え方が古いのかも知れない.
…などといいながら簡単に翻して、明日から悪のORJになる可能性も無きにしも非ず.そんな時は変わらず生暖かく見守ってください>各位
ではなぜ載せない?<ここに結構悩むのも事実.保身しないのなら載せたってええやん.普通は見ることのできない光景を皆さんに提供することができるし、そういうのを喜ぶ方が多いのも事実.逆に公開しにくい情報を引き取って、かわりに公開する媒体として機能させるという考え方だってできないことはない.
でも、載せない.載せて得をすることがないからだろうと思う.プロメテウスは神の車から火を盗んで地上にもたらし、人類に文明を与えてくれた.そのかわりに無間地獄を味わった.苦しむのは構わないが、それに見合うものでなければ損だ.今書かなければ歴史に埋もれてしまうに違いないこと、伝えることで価値が生じるかも知れないことがない限り、個々人の栄光あるいは良き思い出に止めておくべきかと思う.という個人見解.
何より、頑張れば正面突破できないものではないのだし.
件の隧道も───後付けだが───突破口としての歴史なり価値なりを見つけて陽の目を見せてやりたい.直感だが、何かいわくがありそうな気がする.あそこまで前後の道がないなんて.
至極バラバラなのだが日記なんてそんなもんだろう.ついでに[隧]カテゴリを作ってみる.
先日、和歌山の毛見隧道に行ってきた.pintrussさんの弥生の森の散歩径を見て一目惚れして以来長いことになる.
pintrussさんも仰っているように、土木遺産と銘打つに恥じない隧道だと思う.壁面に使われているのは(多分)紀州青石.今じゃ採掘禁止になっている名石だ.そんな石がどこから?と思ったら、出どころは隧道そのものらしい.ポータルの上に登ってみたら山手に全く同じ石の露頭を発見.全山是青石也といった状況で、工事の際に出てきたものを流用したと見える.
構造もユニークだ.ピラスターが帯石の高さまでしかなく、実質的な仕事をしていない(本来は足元まで伸びて柱の役割を果たすもの).かわりに多分に装飾されて、意匠的な役割を担わされている.全く同じデザインのピラスターをもつコンクリート隧道・小野坂隧道が同じ和歌山県の田辺市にあり、それとの関係も気になるところだったのだが、下端の処理がわずかに違うだけでほぼ一緒と言っても良かった(小野坂はコンクリート製だが毛見は石.このへんかなり徹底している).
惜しむらくは竣工年が不明なこと.和歌山市街側の扁額に書かれていそうなのだが全面を蔦が覆っていて読むこと能わず.「乾坤純和」───陰陽調和して平和なさまを言う───と刻まれた反対側の額には書者名しか刻まれていない上にちょうど悪い角度でシダが生えていた(pintrussさんの所にある写真にご注目.あれがさらに一回り大きくなっている).あれこれやって「久一書」と書かれていることを確認したのだった.
ここからがまた長いのだが、続きは次回の講釈で.結果だけ書いておくと大正14年共用開始とのこと(!).
バックナンバー用に仕上げたものを見返す。05年10月号・隧道レッドデータブックにうおっちず画像を使ってたのを発見。速攻で描いて差し替え。その他、寄稿してくださった方への最終確認の準備を。
ちょっと技術的な話。バックナンバーCDはできるだけ多くのOS・環境でも読めるようにしたい。WindowsでもMacでも*nixでもBSD系でもBeOSでもPlan9(!)でも。なので、CDのデータフォーマットはISO9660を考えていた。が、よく考えたら小文字が使えないんですね>ISO9660。すでに小文字のファイル名でファイル間のリンクを貼ってしまっていたからさあ大変。このまま焼くとリンクが一切機能しないCDができてしまう。
pdfはある意味テキストファイルに近い構造をしているので、スクリプトをかけてリンクのファイル名を大文字に変換することはできる。しかし、PDFの仕様書を完全に理解しているわけではないし、いつもの手抜きぷろぐらみんぐでミスをしそうな気配がムンムンだ。できれば小文字のままで進めたい。
あれこれ調べた結果、mkisofsのオプション指定で小文字のファイル名を許可するちうものがあった。厳密にはISO9660の仕様を外れるそうだが、これでいくかも知れない。
いまもう一度調べ直したらLevel2のISO9660なら問題ないんじゃね?と思ったり。Helios(BeOSでのmkisofsのGUIフロントエンド)で設定しても焼きあがったのは大文字になっちゃって困ってたのだが。もう一度CLIで試してみよう。
嗚呼無駄な書き込み一気にここまで。
今号のアンケートはもちろん、PCアンケートにもたくさん記入いただいている。心から感謝! 遊んでくださって感謝! よーしパパOSに超漢字3書いちゃうぞー、などとすぐに浮かれるのがnagajisの欠点だ。そもそも超漢字はふだんお使いのOSではない。
冷静になって分析してみる。OSがWindows2000overの方がトップというのは至極当然の結果。細かく分けたほうがよかったかな(実質的にはそう変わらないと思うけど)。画面サイズも1024×768がトップ。このへんは想像通りだ。もっと広いサイズの方も多いので、バックナンバーのおまけ壁紙はできるだけすべてをカバーするサイズを作りたい。もっとデカイの!というのも至極ごもっともです。某所の30インチCinemaDisplayで試したら1024×768なんて屁のツッパリにもならんかった。
気になるのはpdfについての質問。pdfはHTMLより人気がないのだなあ、と改めて感じる。やっぱりみなしゃんに苦労かけとるとねー。すみません。や、pdf大好きな方ありがとうございます嬉しいですワタクシ。ってまるでAdobeの回し物みたいだな。
現実問題、HTMLで作るほうが利点が多いことは認めなければならない。地図にしたってGoogleMapsを利用すれば権利関係など簡単にクリアできるし、いろいろと応用が効く。寄稿だって楽になるに違いない(例えば「ORJ寄稿バナー」みたいなのを自身のサイトの記事に貼ってもらう───うちなら報告書の体裁で報告書を書いて、そこにバナーを付け加える───と自動的にORJ寄稿になるとか)。いま現在のORJのボトルネックは間違いなくnagajisの作業時間だ。しかしこれ以上ペースを上げるのは不可能と先日悟った。デザイン力の無さと合わせてデュアルで凹んでいる。
だけどやっぱりpdfでいきたい、っていったら以前某さんに言われたっけ。望んで苦労するのは愚かだ、みたいな感じで。確かに正論だ。それでもあえてpdfにこだわりたいと自分が言ったのは、pdfであることにただのwebマガジンではない何かを求めているからだった。そして、すぐには書き換えられないpdfであることによる緊張感(これは作成する側にとってだけど)。HTMLでやってたら「すぐ書き直せるや」と手を抜いて、ここまで気合いを入れてやってないような気がする。あ、今でもミス多いですけどね。その10倍くらいになりそうだ。もちろん「記事」として配布可能・環境にほとんど依存しないという利点もある。HTMLだったら能勢電さんに送り付けたりはしなかったはずだ。
聞いといて「でも変えません」じゃ怒られるかも知れない。でも、pdfは最後の砦として守らせていただきたく思う。ただし今回のアンケート結果で自分の意識がずいぶんHTML寄りになったのは事実。あと2、3回突いたら崩れそうな脆い砦だ。
あ、あと、「もっといいのくれ」の方、ご期待に添えるよう頑張りますがあまり期待されますとクシャミが出ますヘックション。壁紙じゃだめかなあ。あの壁紙がだめなのかなあ。
そして最後に、「こちらからもなにかあげたい」を作ってくれた方、投票してくれた方へ。心からありがとう! お気持ちだけで十分です('-'*)。この形式にして良かったと、苦労が報われた思いがします。
会社に行こうと思って階下に降りると、いつもの場所にあるはずの自転車がなかった。あれ?どこ留めたっけ? しばらくして昨日コーナンに行ったことを思い出した。
キャリアのネジがなくなってしまったので、出社前にそれを買いに行ったのだ。ついでにいろいろ物色しているうち、そろそろ棚が一杯なのを思い出して、急遽スチールラックを購入。担いで持って帰ったのは覚えている。帰りに雨が降り出して傘がわりにした。スチールラックで傘かいな。お目出度いな。んなことを思いつつ。
で、行きがけに自転車に乗ってって、乗って帰り忘れたのだった。すごい馬鹿。その雨のせいで電車で行ったものだから余計に気がつかなかったのだ。
慌てて取りに行く。相棒を置き去りにしてきてしまったことへの自責の念にさいなまれる、というようなこともない。直観的に「まだそこに残っている」ということがわかるから。(10年乗ってきたんだ、それくらいわかる<なんて偉そうなことを一度言ってみたかった)
確かに自転車はあった。が、サドルと、キャリアにつけていた輪行袋が奪われていた。ついでにタイヤの空気も抜けてシオシオ。状況はヒサンだが不思議と悲しくはならない。あんなボロイもの持って行くとはよほど恵まれない環境のひとなのだろうと思う。タイヤの空気は放置自転車っぽく見せかけるフェイクだろう。
サドルはどうでもよいがシートポストはちょっと惜しい。CONTROLTECHのノーマルサイズ。値段は覚えていない。考えてみれば一度も変えたことがなかった。確か2年の時に買ったから95年のこと。あれ以来、ともに峠に登り、ホハレ峠に立ち、3カ月旅をして軽岡峠を二度越えた。五僧峠の峠道から転落した拍子に思いっきりおれの頭をぶん殴ってくれたこともある。そして今の隧道探索。それらを地味に支えてくれた重要なパーツだ。寡黙なぶんだけ喪われた時に気づかされるその重要さ。
輪行袋は自転車関係では最古参のアイテム(念のために注釈しておくと、自転車を分解してこの袋に入れ、電車や飛行機などに積み込むためのもの)。入部と同時に買わされたオーストリッチのR-420。正確には部推奨の袋があまりに高かったので自分で見繕って買ったのだ。たかが袋に9800えんもするなんて、と憤慨したのを覚えている。しかしこれがなければ自転車旅は始まらない。自転車を遠く離れた場所まで運べる魔法の袋だったし「大阪から来ました!」「ほう大阪から自転車で?そりゃすごいな」といういつもの誤解を生み出す元凶だった。時には枕になり───大きさは手ごろだが硬くてうまく寝つけない───それでもあるほうがマシ───、時には防寒具になり、時には荷物のデポ・バッグになってくれた。穴が開いたのを縫って補修してほつれてまた補修して、ショルダーストラップのフック部分が(留めていたリベットが錆尽くしてふっ飛んだため)壊れてしまったのを平ネジで直した。チャックなどとうの昔にハジけていた。12年か。もうとっくの昔に減価償却済みだ。
ブレーキワイヤーやタイヤみたいな消耗品と違って、こういう機会でないとそうそう買い替え直すこともないであろうパーツたち。それがためにかえって愛着が湧いて、さらに使い続けるはめになる。確かに不満はあった。シートポストはやたら重いし長すぎてシートチューブに収まり切らないし、輪行袋も修復不可能なまでにボロボロだった。しかしそれを失ったいま、本当になくしたものは記憶の重要な1ピースだと悟らされる。心に寒い風が吹き抜ける小さな穴となって、それは未来永劫、塞がることはない。
…というわけで、記憶を盗まれた話。なあに大丈夫、KUWAHARAのフレームさえあれば、ね。
ちうわけで誰かシートポストと輪行袋恵んで下さい(爆
シゴトが佳境なため今日も作業できそうになく。明日朝また出直してきます。メールが途中だ。。。
ヨッキ氏からOK出たので特濃!リンク貼りにかかることができる。こちらも佳境。
一昨日あんなふうに書いたが本気でお口あーんして待っている訳がない。さっそく近くの自転車屋で一式買って来た。安売り組合せで7000円強の臨時出費。CDプレス前にちと痛い(いっておくがとても貧乏だ>nagajis)。ついでにサドルがえらく硬くて尻も痛い。99年頃に使っていたサドルといい勝負。
覚えているぞこの感覚。99年の夏は初めてまともに北海道を走った年で、行く前に買い替えたサドルがこれと同じ硬さだった。板のように硬いうえに骨盤の先端の幅より狭いからアノ辺をひどく圧迫するのだ。木古内辺りを走ってた頃は苦労したよなあ。。。 輪行袋は3000円ちょっとで軽いものがあったためそちらにする。前輪を外すだけでいいタイプなので機動力はアップしそうだが以前の袋より薄手だからあまり無茶できなくなるかも知れない。R420は自転車だけでなくキャリアにテントにシュラフにロールマットにコッヘルにはんごうにサイドバッグ×2を入れても平気だったが。その前に自分自身がそんな大荷物を担げなくなっている。強力伝はすでに過去のものだ。
_ マフラー巻き [お疲れ様です。私も橋を寄稿すると言ったまま何も動かなくて申し訳ありませぬ。 それと、猪ノ峠ですがリンク先のPDFが壊れて閲覧できませんでした。 いつかオフ会というか、一緒に探索できたら良いですね..]
_ nagajis [ありがちな罠です.スミマセン.うちのサーバが落ちてました. 何とかしろ>robinhood]