nagajisの日不定記。
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請取峠の掲載許可を取ってきた。ついでに伊勢本街道の続きと初瀬新街道と和歌山街道と熊野街道と。疲労困弊党。
今回はISOの切り替えがうまく行ったかんじ。必要充分な写真が手ぶれなしで撮れた。
帰ってきたらおためし購入がうまくいってなかった…そうか、そこは書き換えられんのか・・・どあほ。CD-Rの発送もせな。
この時期に自転車旅をするのはやはり好んで苦行するようなものだと思う。収まりかけていた蕁麻疹が再発し(痒みはそれほどでもない)、右足もギシギシ軋んでいる。寝ては起き起きては寝て体力回復に努めている。
でもまあ予定の9割5分はこなせたんじゃないか。請取峠の掲載許可取得で下らぬ倫理を貫き通したし、謎峠を自転車で越えることができなかったのは想定の範囲内だし、驚きの新発見もあったし、探していたキロポも無数に見つけられたし。意外とあちこちにあるもんなんだな>キロポ。08に尾鷲へ行った時には全然気付かなかったが。気を配っていたら幾つもあったのかも知れない。
あと、久しぶりに快適な廃道泊ができたのも良。
有機農産物ェ・・・
動画の手ぶれを後付け補正するソフトがあると知りいろいろ試してる。
使用前:http://www.youtube.com/watch?v=ymEy-_UbP-c
使用後:http://www.youtube.com/watch?v=_slQWI6ow8w
どちらにせよ酔う・・・
もう9日か・・・。
承後のpdf化を開始。唐突な感じを片付けること(前はともかく後ろへの繋ぎ)と、転への繋ぎを書き直すことが課題として浮上。明日こそは片付けてしまわないと。
関連ワードにキノコが出た記念に新カテゴリを作って祝う。
たぶんフクロタケ。この質感がたまらない。
たぶんカエンタケ。3gで氏ねるという猛毒のキノコ。仮にベニナギナタタケだったとしても食う気にはなれない。無味無臭で彩りにしかならないようなものに命を賭したくはない。
軽岡峠隧道前で。これは間違いなくホウキタケ。
松ノ木峠で。毒キノコだと思っていたが、食えるタマゴタケのような感じ。
@愛宕山。手ぶれしてしまったのが惜しまれる。
ここだけ切り取って提示するとシュールな感じがするのではないか。
肩の荷が降りて気が楽になったので書いてみるという以外に意図はない。今度の記事で唐突に独白が入ることに対する言い訳をあらかじめ言い訳ておくものではないと思う。多分。
道を歩くということは、そう意識しようとしまいとにかかわらず、道の一部になることだと思う。道すなわち人が作ったものを利用した一人となって、道の歴史の一齣を担うこと。二千十何年かの何月何日に歩いた人がいたという史実を演じること。時間が止まったようで刻一刻変わり続けている道の姿のある一瞬を作り上げ切り取ってくること。公園の遊具でも駅でも同じような歴史があり出演があり得るだろうけれども、廃道の場合はそれが独占的というか主役的というか、まるで自分のためだけにそれがあるような錯覚を−−−そう、錯覚だ−−−味わうことができる。道自体は自分のものにならないけれども、演じた時間と空間の記憶だけは我が物にできる。我が物にしたところで誰かから非難を浴びることもない。
歩いたことが特段特別な歴史になったりしないのもいい。数多の足跡に埋もれてユングの謂う集合的無意識のようなものの一部になる。気安いことだ。
だからどうせ演じるなら、積極的に、真摯に演じたほうがいい。誰かに誇るためにでもなく、誰かの耳目を楽しませるためにでもなく、自分のために。その道を使った大勢がそうであったように。
懸念の記事を作り終えた気軽さでもって2つ記事を作る。一つはホルモン焼きさんからいただいた旧大阪府庁(2代目)の件。作り込まずにさっくり仕上げた。もうひとつ、これは全くの思いつきで両郡橋を旧橋にする。62号に追記するつもりだったけれども旧写真や周囲の旧街道を入れようとしたらでかくなりそうだったので別立てにすることにした。こちらもさらっと。62号にはデータのみ追加しておく。この調子だと水越のCEHもいけるんちゃうん。
で、懸念の記事のほうは最後のチェック中。あんまりいらうと収拾がつかなくなるだろうが、例えば地図にラインがないとか何とかいろいろ出てきてやりなおし多数。むー。
作り終えたところで無性に腹が減って吉牛をキメたッた。久しぶりの肉である。贅沢である。
「転」用の原稿に手直しを入れてみたりする位で実質的には何もしなかった一日。背景の背景を読み込んだのがずいぶん前の話なので「これ本当に合ってるの?」というところが多数。虫食いで残した所も多々あるし、また県議会史読まなあかん。あと前半の終わりと最後に2,3追記しておかなければならない。これは来月になってからでいい。
田舎の小さな商店には必ずといっていいほど置かれているパン。発酵酵母にコモ・パネトーネ種を使っていて賞味期限が異様に長い。1カ月近くある。自転車旅の時は必ずといっていいほどよくお世話になるパンだ。
以前は単に賞味期限が長いというだけのパンだったように記憶するが、この間贖ったこのパンは其他の素材にも気配りがされてて驚いた(会社が違うので厳密な意味でのコモパンではないが)。屋久島の水にオーストラリアの天然塩まで使ってあるらしい。確かにうまかった。一気に3つも4つも食いたくなった。コーヒーデニッシュの他にもベリーや何だったかのジャム入のものも多数あってバリエーションも豊かだ。
こういう技術発展で田舎の暮らしが少しでも豊かになるといい。
そういえばこれも旨かった。御杖の道の駅で購入した長芋の細寿司。シャキシャキした長芋としそ梅の酸味が絶妙に合う。欲をいえばもう少し量が欲しかった。自転車旅の空腹でもってバリバリ貪り喰らうにはふさわしくない。
部屋掃除とデータ整理をしたので少しは有益か。晩飯に久しぶりにカレーを作った。しいたけ+じゃがいも+たまねぎ+なすだと彩りがいまいち寂しい。もう少し野菜がほしいところだがこの時期に余らせるとヤなことになるのでやめた。常温保存できるやさいでないとかえない。
みじん切りのたまねぎをじっくり炒めて最後に砂糖とはちみつを入れて少し焦がしてみたのを最後に入れてみた。離散的なほどよい甘みがそれなりに美味し。
ここ一ヶ月の部録”の情報量の無さは何だ。あってもなくてもどっちゃでもええことばかりや。日記でもなければブログでもない。ただ書いて気を紛らすだけのページや。もとよりそのつもりだが。
たぶん使う場面がないので放出。線つけたらドヤされるねんで。
寝ている間に、枕元に置いていたノートパソコンにコーヒーを零してしまった。まだ壊れていないがそのうちヤバくなる可能性大。早く分解掃除したい。。
賞味期限が1週間も過ぎてしまったきしめん(ゆで)を頂いた※。常温保存であったにも関わらず微塵も痛んでいない。黴の一つも生えてない。若干固くなったところがあったが茹でれば一緒だ。
これってすごいことだと思う。よほど清潔な環境で密封梱包されたということである。賞味期限≠消費期限だと知っている私でも驚く。
※もっと早くにいただいていた頂き物なのだがうっかり見逃していた一袋があったのである
最近胃袋が小さくなったことを実感する。承前のきしめんをカレーうどんにして食おうとしたのだが全部食べ切れなかった。2玉入りのきしめんゆえ量的には2人前で、それくらいならいとも簡単に入る程度の胃袋を自負していたのだが、まさかの敗北を喫してしまった。先日のカレーもヒダル神のためにわざと食べ残した弁当の如き残し方をしてしまった。そのくせ空腹感は以前通りのインターバルで襲い来るのである。これは自転車旅を開始した直後の胃袋の状態にも似ている。無理にでも2合飯3合飯を突っ込んでいれば2、3日ほどで最適化され晩に4合朝に2合食うサイクルになるが、エナジーを要しない普段の生活でそんなことをしていては収支が破綻してしまう。何より無駄なことはしたくない。
これを何十年も繰り返していたら「おじいちゃんさっき食べたでしょ」になることがありありと想像されて薄ら寒かった。その前に「おじいちゃん」と呼んでくれる存在がいるかどうかあやういが。
八鹿のあの歌は春日八郎が歌っていたのではないか。と、ラジオ深夜便の春日八郎特集を聞きながら気づいてしまったのである。嗚呼アメリカ製のジャンバーを着た花売り娘。
@PM6:45。しばし待たれ碓。
発行した@PM7:45。
ラーメンスープを自作するというミッションを遂行中である。中華スープの元としょうゆと塩があれば何とかなるだろうと思い、ただいま全ての材料を投入した。いずれも目分量である。
塩をいれ過ぎた。辛い。水と砂糖で薄めてみる。
麺を茹で始めたところで「これは焼きそばもしくはちゃんぽんの麺なのではないか」と気づいてしまう。どうしろというのだ。
案の定湯が足りなくなって別鍋で煮始める。ぐだぐだである。
起死回生を願いつつ煮卵とチャーシューとのりを載せる。ぞんざいな盛り付けである。
フツーに旨かった(爆発。完食した。塩辛さがちょうどいいくらいに中和されてて極太めんとジャストフイットだった(ひょっとしたらじゃじゃ麺用のかも知れぬ。ちゃんぽんでもこんなに太いはずがない)。むしろ最後にやけくそで湯通しせずに入れたもやしが余計。多少は湯に潜らせたほうが宜しい。
というわけで大多数にとって期待外れな結果に終わってしまったことを申し訳なく思う。今度は味噌で試してみよう。カレーばかりだと思うなよ。
明日の市街戦に備えてバーテープを巻こうと思ったらステムが固着していた。CRC-556をぶっかけてハンマーでぶっ叩いても駄目。シートポストに続いてステムもか。
フレームが折れるまで乗ると約束していたKUWAHARA。思い通りに頑張ってくれている。しかしそろそろ新しい・軽い・取り回しの楽な自転車に乗ってみたい気もする。ただその自転車を購う金があるはずもない。思いつきでホイホイ自転車が変えられる人間がうらやましい。
とりあえずは今のままだな。どのみち以前ほど頻繁に旅に出られないnagajisだ。15年分の思い入れを食って余生を過ごせば宜しい。頑張れKUWAHARA。
ごめんよ、おじさんは旅に出なきゃいけないんだ。
人生で最も試された誕生日を過ごしてきた。翌日は翌日で糞のつく熱波と豪雨に巻き込まれてゴローウニンである(謎。そうして帰ってきて一日ダウン。もうちょっと楽な旅だと思っていたのだが神様はそういうのをお気に召さないらしい。
要するにこの人の足跡を回ってきた。くわしくはまた今度、どこかで。
今回は廃道分ほとんどなし。矢田川のほとりでこんな道を見つけた程度。それでもしんどかったのは天気によるところ大である。それそのものが戦いの相手であったと言っても過言ではない。一泊二日かつ市街戦になることを想定して荷物を極力減らして行った。フロント+1サイド、テントなしシュラフロールマットありという軽装。にもかかわらず苦戦した。立っても座っても汗が滲み出0.5秒間隔で滴り落ちポーチに収めたカメラが湿気るような暑さの中で峠登りすりゃ、そりゃおかしくなるわーと思う。降れば豪雨だし。
福井の夕立ちは海からやって来る。片側だけ真っ黒に染まった空。その方角から押し戻されるような強風が吹く。それをつんざいて走って行く時の、焦りと諦めの入り交じった、泣きたくなるような気分。懐かしい。あれはどこだっけ。広島のおろちループの辺り@1995だったっけか。
目の焦点が合わずショボショボしているが何か一つは奇ぽてを入れておかないといけないような気がして。しかし今回の旅ではこれといったキポテがなかったような気がする。それっぽい唯一のものをあげてお茶を濁す。
自分が卒業した後のチャリ部のTシャツがこれのもじりだったことを思い出す。当時からテレビがなかった自分は何のことやらさっぱりわからなかったのだが後で番組内容を聞いて「ふーんわが部にもそういうのを求める世代が入ってきたかー」と感慨深く思うと同時に自分のおっさん性に気付かされこれまた感慨深く思ったりしたものだった。洗いもしない饐えた匂いのするTシャツを着て駅公園で寝泊まりし荷物つきで日に2500upしたうえに晩に4合食ったり時にポカリ飯を食ったり食わされたりするような連中が何の出会ひを期待するものぞ。しかし初代の部長(S41入学)は旅先で奥さんを見つけたとかや。侮りがたし。
念のために書いておくが、件の写真はただの糊屋である。
17日の薔薇の花。だてさんが誕生日プレゼントにくださったものだった。大阪発始発に乗るために準備をしていた午前3時頃に気付いてしまい部屋に取り込む以上のことができなかった。帰ってみると案の定しおれていた。鑑賞する間もなく枯れていくのが哀れで申し訳なく思う。
あ、広島風お好み焼き味のミニプリッツと仮面ライダーカードのウエハースは旅に持って行っておいしくいただきました。ぽけもんののーととけしごむそのたもだいじにつかいます。ありがとうございました>だてさま。
鹿鳴堰堤見学橋。S29建設の旧堰堤の管理用橋を現位置のまま魚道見学用に転用。もっと裏に潜り込む&角度上げるほうがいい。はず。
コーヒーをこぼしたノートパソコンのキーボード、矢印が効かなくなったゆえ分解洗浄の刑に処す。乾き切るまでノーパソが使えない。こまったことである。しかもこの土日は天気が悪いという。がんがん日に当てて乾燥させたいのだが。仕方なく携帯ガスコンロで燻っている。暑いことこのうえなし。
この文章はノーパソにつないだAPPLE PRO KEYBOARDで。imacのほうは何故か矢印が効かなくなったりするので諦めた。ホルモン焼きさんからの頂きものは…PS/2が刺さらないため断念せざるを得なかった。
キーアサインを変えるソフトも見つかったのでIME周りについては悩みがなくなった。しかしいちいち付け替えなければならない不便は変わりなく。そういえばあきら氏が原稿書いている最中に同様のことが起こって、それでも期日に間に合わせるため態々キーボードを買って来られたことを思い出した。それくらいするべきだと思うが……画面が遠くなるし携帯もできへんようになるし……
そういえば×2、同じ研究室の違うチームのGC-MSに酒漬のフロッピーが突っ込まれて読めなくなっちゃったよという事件が起こった時も、分解してFDD取り出して蒸留水洗浄+真空引きデシケータで直したそうだ。いまは純水もデシケーターもなく。ただただ乾くのも待つしか無い。醤油零して基板シートを錆びさせたHKK Lite(初期型)よりは治る確率高いだろうし。しかし最初にジッポオイルで洗ってしまったことは黙っておく。ナフサで砂糖+コーヒーが溶けたりするわけがないのだ。
昨日の燻りで水分はあらかた飛んだようなのだが基板シートの間に入った分がまだ抜けきれてない。こいつぁしばらくかかるぜ。ヤフオクで買うとか、ぽんばしで探してくるとかしたほうが早いかもな。
米びつの中に入れるという荒業もある。しかし我が家には米びつがない。
しんけいとかんせいがすりきれてにぶってゐる
考えれば考えるほどなんだかなあな話だ。早く返事をしたいのだがそのへんの整理がつかぬ。既に集めてきた資料&写真&構想(というほどでもないだろうが)が無に帰するのか。いやORJで使えばいいんだろうけど足掬われてひっくり返る「どないなっとんねん」はどこに放ればいいのか。最後は♯で。
振り回されて割を食うのは、もう飽きた。
案外行けそうな気がして装着したら乾いていた。キーをはめ直して動作OK確認隅。これもノーパソから打っている。しかし矢印キーが少々がたついている気がする。おかしいなあ、ノッチは全部はまってるんだけどなあ。
一瞥して「にんじん?」と読んでしまった。ちょっと前に流行ったケンブリッジ大学のコピペに似た作用の、勝手な脳内補完である。文章校正ではこの手の間違いを見逃しやすい。よりイメージしやすい大きなものの存在に思考が吸引されてしまうのだ(例:「青いじんにんの看板に…」という文章を見て「青い人参?なんやそれおもろいな、人参やったら赤ちゃうんか、そうでない人参の看板ちうのはどないな看板なんやろ」)。
以上まで考え、人参ちゃう、じんにんや、と気づき、間違いを指摘して自身納得していながら、頭の中では何故か地方信用金庫の一つだとばかり思っていた。節子それしんきんちゃう。「しん」も「きん」も含まれちゃいねえ。
本当は当該地域でよく名の知れた医院だったはず。
やっと原稿ができたぁああ。emf形式にするの結構面倒だ。パターンスウォッチが使えねえ。
失われる予定の五新鉄道高架桁。向きを間違えた。低い橋で広角の効かないカメラだと難しい。
この桁には鉄筋が露出している。他のアーチも鉄筋からと思われる赤錆が流れている。メインはやはり鉄筋なのかも知れない。
しかし新町で見つけたこの防火水槽は竹筋であったりするのであった。断面に注目して頂き度く候。人生で初めて見たマジモンの竹筋Cである。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/789529/125
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/789529/130
オオ・・・ タマシヒ ガ カヘッテ ユク・・
以前想像していた通り私有の道路(国県里道)が存在し得たようだ。旧道路法以前は土地の所有者(所有権)とその道の管理者(道路管理権)は別に考えられていた。美濃部さんが云うんだから間違いない。
(三)地方団体が道路を開設するには其の道路の敷地たるべき土地の所有権又は少くとも借地権を有する場合ならざるべからず。普通の場合には道路の主体は同時に其の所有権者にして、或は売買に依り或は無償譲渡を受くるに依り、或は公用徴収に依り其の土地所有権を取得し、然る後其の土地に道路を開設するを通常とす。然れども時としては地方団体が国有地の無償貸付を受け之を自己の道路として経営することあり、或は私人が道路となすが為に其の私有地を地方団体に提供し、唯其の所有権のみは之を自己に留保することあり。此等の場合に於ては道路敷地の所有権と道路管理権とは其の主体を異にし、国有又は民有に属する土地にして、而も地方団体の道路として経営せらるるなり。
[日本行政法第四巻pp.606-607:原文旧仮名]
ocozeさんに怒られてしぶしぶ直したようなタイミングなのがいい.コメントタグのなかにタグを入れたままにしとくとIEが誤解釈する.するほうが正しい動作か.
先日Fさんに連れて行っていただいた北摂で.直後にこの幼虫の写真を見た覚えがあるのだが名前を控え忘れた.なかなかカラフル.かつ原色を再現できていると思う.日陰だったせいで背景飛ばさないと色が出なかった.
現役道路なんだが何だかグッときた.そんなにめいっぱいでかく書かなくてもいいじゃない.確かに180度のヘアピンカーブなんだけれど,こっち側から見た時に「こは何ぞ?」と思ってしまう..
この間京都へ行った時に奇妙なポテンシャルを感じて撮ったはずの看板なのだが,内容の何に対してPsを感じたのかを忘れてしまった.2の句を「飾りじゃないのよ」と読んでしまって「ハッハー」が頭から離れなくなってしまったからだったような気もするが,今じっくり読んでみたらそんなこともない.間違ったことは言っていない.ヘルメットが飾りなのであればもっとファッション化していて然る可きで,ギガ盛り三段ヘッドとかレインボーキラキラピカチュウとかなヘルメットが巷に溢れていなければならないはずだ.
2組の絵葉書.場所に馴染みがないためこれといって気の利いたコメントができぬ.国道13号以西は走ってないしな.
ふと思いつき材料買ってきて6時間ぶっ通しで作ったった.材料費より人件費のほうがかかっている.明日ゲンコツセットを買ってきて一度洗って完成だ.
部屋の窓から見える向かいのアパートのこの穴にスズメバチが入っていくのを見た.通報したほうがいいのかどうか悩む.
それよりも給湯器の調子が悪いのを何とかしたい.昼間はちゃんと点くのに夜になるとダンマリを決めこみやがる.さあ疲れた風呂でも入るべと思った頃には湯が張れないという罠.という無関係な事象をハチカテゴリに書いて穴ファラ既視−を薄める魂胆である.そして今週末はまた福井なのである多分.18切符が無駄にならないようでほっとした.
ラインを整理。最後に意外な事実を自分が書いていたことに吃驚。役に立ってるぞ!>ココ
こうやってネタを重ねていくと半日で回るのはもったいない気もしてきたな。図書館詰め・宮崎村史も押さえたいし。
ゲ○しんどい登りでかえって馬鹿みたいに全速力出して登ってしまう状況を「脳みそが沸騰する」と呼び習わしていたように記憶するが,長袖ジャケットを着て背丈ほどもある熊笹を全力で薮漕いだ結果「体液が沸騰した」.おかげで腕時計無くすわ足は痙るわで散々だった.結果的に2勝1負1引き分けといったところ.
写真は初代安養寺隧道.大正福井県史がいう「峰道切下げ」がこの隧道を指すなら明治八年頃竣工ということになる.ほんとかよ.
もう一つの通称北山隧道はつい4年前まで現存していたものと思われる.今は両坑口とも埋没済.晩年は利用は略ゼロに等しかったようで,誰に聞いても「話だけは知っている」あるいは「子供の頃に一度通ったことがある」という程度だった.前者は明治生まれのばあさんは樫津だったか船場だったか八田だったかから安養寺へ嫁いできて,当時はこれしか道がなく何度も行き来したと聞かされたとのことだった(70才代のおいちゃん談).樫津の方は比較的若い55才だったが3,4才の頃に祖母に手を引かれて白石の親戚の家へ行った時に通ったことをかすかに覚えていると.
丹生郡のこの辺りの地形はとても独特で,基本的にはなだらかな丘陵地帯なのだが,低く鋭い峰筋がそこへ貫入していて,隙間を流れて鋭い谷を刻む川とともに在所を区切る境界線となっている.凸凹な山に泥水をぶちまけてあらかた均したあとに水を撒いて谷を刻んだようなかんじ.狭く険しい谷筋道を抜けると一面に稲田が広がる段丘の上に出たりする.して谷向こうの段丘に明るい在所.福井平野に比べれば不便だが,この広大な耕作可能域は人が住むにあたって大きな魅力になっただろうと思うが,それや焼き物,信長一族出身地ということだけで交通網が発達し明治大正昭和初期の隧道だらけになったようにも思いにくい.鉄道だって鯖浦線以外にも「ほとんど谷毎に1つの」計画があったという.いまだによくわからない.やはり梅浦の海岸線なのか.
sakuseichu.本年度の推薦産業遺産のリストが見当たらぬ(というか本当は前号にいれとかなきゃいけなかった)。樟脳工場が認定されたはず。
Mapionの埋め込み地図が使えなくなってる。google mapsほど大袈裟じゃなくていい時にさくっと貼り込めて良かったのに。ちょっと不便だ。
ちょっとびっくりな一部石巻隧道。東口坑道だけ石巻になっている。しかもこれがこれで、なおかつ羽根盛一の額が架かっているというのだから訳がわからないよ。工場のおっちゃんにもっと聞いておくべきだつた。
http://www.nan-nan.jp/lib/sb005.pdf
自宅と岡町図書館を往復する間に複数のミッションを平行遂行するという任務を自らに課して家を出た.
出戻り無く済ませられるようあれこれ頭をひねってルートおよび手順を選んだ.地形図に合番を書き込み損ねて再度複写しなければならなくなったりはしたがおおむね予定通りに遂行した.
ミッション中,複雑な手順を考えその通りに行動することはボケ防止になるよなあと思い,そう呟いてみたところ,
ボケろう止
と言ってしまった.どうやら老化防止とボケ防止が混ざってしまったらしい.しかもよくある語音転換の類ではない.「ぼ」と「ろ」を入れ替えたところで正しくなるわけでもない.よほどボケが進行してきたようだ,と思った.
「とうもろこし」を「とうもころし」と言ってしまう類の言い間違い(あるいは言葉遊び)を,米国では spoonerism という.これはオックスフォード大学の総長・William A Spooner 氏がそんな言い間違いをよくやったからだとか.例えば "Received a crushing blow"(壊滅的な打撃を受けた)と云うべきところを "Received a brushing crow"(赤面するカラスを受け取った)と言ってしまうような.という余計な薀蓄を引っ張り出してきて披瀝してみたりするのも老化を否定したい意識のなせる業ならん.しかも前述の“ボケ労士”とは若干意味を異にしている.やはりボケは進行しているようである.
かの言い間違いを正確に表現する言葉はあるのだろうかと考えた.いっそのこと nagajisism とか nagajism とかゆう新語を作ってやったらどうだろうと思ったりもした.ナガジシズム,あるいはナガジスム.響きは悪くない.ただしnagajis的な何を示すのかわかりづらいところがある.奇妙なポテンシャルに腐心したり湯水のようにコーヒーを飲んでみたり冷蔵庫にJIS男を入れたり複数ミッションを平行遂行することがボケ防止に繋がると誤解していたりするうちのどれを指してナガジスムというのか.全部があてはまる人をそう呼んでもいいわけだが.
そうして,越前市立図書館に送る小為替と切手を家に忘れてきた.
2度3度の電話の果てに鯖江土木事務所が該当区間を管轄しているとわかり改修履歴を調べて頂いたのだが,旧隧道のそれが残されていないとのこと.旧隧道と取付道路は法的に廃道となっている(県道や市町村道になっているわけではない)ということで,いきなり行き詰まってしまった格好だ.
現トンネルはS63から供用開始.ということは多分旧隧道が国道だった時期があるはず.と思っていたら起点が石川県加賀市になったのは1993年(平成5年)4月1日のことらしい.馬鹿めそんならR365としてじゃなく武生織田線とかで聞かないとダメじゃん.とか今更気づいた.やはり武生からの便りを待ってからにしよう...
_ ocoze@三重 [そこのお兄さん,ジテンコ落としましたよぉ。]
_ nagajis [下からここまで持ち上げたところなんです(実話]