nagajisの日不定記。
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もう7月だ。ちゃっちゃか進めてしまわないと後で困るぞ。どっかで区切らないといけないぞ。その区切りをつけるために別子へ行ったはずなんだがやり残したことにばかり気を取られている。
総展示数、たぶん過去最大の120数点。数勝負ではいけないと思うけれどもこの機会を逃したら後がないとも思う。個々の解説は現時点で充分なはずで、むしろ各個の関連とか輸送の状況とかをうまく説明する必要がある。その説明の方法の最適解がないで困っている。bdbカテゴリーへのQRコードだけじゃ上手く行かない気がするぜ。
この時期高所へ行くと蝉が鳴いている。別子で聞いた蝉は大阪の平野では聞きなれないやつ。ジュクジュクジュクと鳴くやつが大量にいる中に、酒ヤケした小さなヒグラシ、てな感じのが混じっていた。総じて音量は小さく、故に体も小さいのだろうと想像する(本体は結局見ることがなかったのである)。
かわりにこんな小さな蝉の抜け殻があった。うん、きっとこんな大きさの成虫。
こないだからいらっているノーパソがやっと落ち着いてきた。最新のWindowsUpdateが当たってくれないせいで四六時中ディスクを読みに行こうとする状態だったのを、chkdskとかDSIMとかあれこれ走らせてようやくアップデート完了し、その後はずいぶん素直に動いてくれている。ま、素直になったからといって、このノートで作業することはほとんどないだろうけど。直すだけ直して満足というパターン。
元凶はiフィルターだと思うんだ……。セーフモードで起動して虐殺したのがいかんかったんだと思う。しかし管理パスワードが不明な以上それ以外に何もしようがないんである。
もう何度目かわからないキーボード清掃。先日久しぶりにキーボードに水を零してしまってアレになってしまったのでそのついでに清掃に踏み切ったものである。
今回はゴムを無くすことはなかったが、間に挟むべきフィルムの位置を間違えたり底面の銀シートを貼り忘れたりして何度も分解し直すはめになった。愚かなことである。
組み立てている途中でキー裏の鉄板に「06 '02」と打刻されているのに気づいた。今から17年も前のキーボードなわけだ(その間ずっと使い続けていたわけではない。先代が壊れて買い直した中古だから10年行っているかいないかだろう)。そんな古物を使っているやつも珍しいだろうと思う一方本当に拘っている人はもっと使い込んでいるに違いないとも思う。初代のHHKとかRealForceとかMicrosoftのエルゴノミクスキーボードとかさ。でも超量産型のこれを気に入っている人はそんなにいないんじゃないかしらん。
ゴムが一つ足りず「I」の爪が折れネジが錆びいくつかのネジ穴がバッカモーンになっている初代のApple Pro Keyboard。そういや前回「これ壊れたらどうしよう」的なことを書いた気がするが、あれ以来日本橋で同型キーボードを売っているのを見たことがない。完全に駆逐されてしまったようである。そういや✕2、Proの白キーのやつ、どこやったっけ? 確保していた貴重な一台なんだけどな。あれも漂白してみるか、多少変わるかもしらん。いざとなったらキートップだけ移し替えても良い。
白いVAIOのキーボードの黄ばみが気になって気になって仕方ないので、以前から話には聞いていた漂白を試してみた。梅雨時にやるもんじゃないな、全然おひさま当たらんでやんの。それでも2日ほど漬けていたら十分に白くなった。真っ白とまではいかないがまあ許容範囲だろう。ていうわけで漂白の威力を思い知った昨今である。
大きなタッパーがなかったので発泡トレーで代用した。ラップを巻こうとして動かすたびに内容物がずれてしまい、均等に日光に当てるのは諦めた。あれって紫外線灯でも行けるんだろうな、そっちのほうが効果的だろう。あとラップを巻くより水面にラップを伏せるんが早い。そのほうが蒸散を妨げられそうな気がするしキートップも浮いてこない。
これに調子づいて初代ファミコンとかスーファミとかもやってみたい気がしている。あれはシール剥がすのが面倒っぽいんだけどな。
そういやアイソレートキーのキートップってどうやって外すんだろう。いまだによくわからない。中はパンタグラフなんだろうか。だったらナイフが要る。
作成している最中にキーボードが変になっていることに気づく。Indesignで縦中横しようと思って左Alt+ctrl+Hしたら反応しない。右Alt+ctrl+Hしたらちゃんと反応する。Hか左Altが変なんかと思ったらそうでもないようなのだ。ctrl+左Alt+Rでルビとか出るもの。
んでたったいま、shift+yで大文字のYが出ないことを発見する。yは出るのだ、shiftと組み合わせると出ない。ううむ。どういうことだ。
Y。右shiftでは出るんだよな…。ていうことはなんか左のコントロール系がおかしいようだ。
もう一回全部分解せなあかんのか・・・。めんどくせえ。
キーボード不良、筺体ぼろぼろのCorei7
+
HDD死亡のCorei5、筺体はきれい
÷2の魔改造。クリックパッドのあたりの内部構造がわずかに違うのでルーターで削ったりエポキシ接着剤でくっつけたりしてマジ手術になった。馬鹿過ぎる。そんなに手間かけたって誰も褒めちゃくれんのだ。
でもやっぱり、Corei7のノートは早くていい。
全分解せずに済んだ。シートと基板の接点辺りがいまいち良くなかっただけらしい。Y打てるのはいい。ちなみにY入力不可なのはREAR TYREのプロパティ作る頃に気づいた。
1台のPCの故障箇所を切り分けるのに4台も5台も開腹して、うちに持って帰ってまでして突き止めて、結局マザボが死んでいるに違いないという結論に達して。そのせいでうちのPCが立ち上がらんくなって大焦りに焦った。そうなったらヤだなと思っていた通りの展開だ。
6PINのコネクタのある電源が検証用に1台ほしい・・・。
HDDは生きている。グラボは不明。んじゃああれと交換して確認すれば良かっただけなのか。
過日高槻へ行った時に遭遇した煉瓦建築。通りに面した建屋はふつうの日本建築なんだけれど、その通り側の壁がこんなやつ。こういう透かし積みの発想はなかったので驚くと同時に素人臭さを感じたりした。少なくとも、力学的要請の呪縛から逃れられない技術者専門家にはこういうのは作れない。
それで気になって勝手口のほうへ回ってみたのだけれど……なかなかあり得ない壁、および建物が背後にあった。壁のほうはコンクリート壁に煉瓦格子がはまっていたりデンティル載せていたりして妙々なのだけれども、これ、普通の煉瓦を化粧煉瓦の要領でコンクリート筺体壁にはっつけてあったらしいのだね。貼っつけてあった奴は当然のことのように落ちている。足元にずらずらならべられているやつがそうらしい。そんなところも素人普請の気配を漂わせている。
庭の煉瓦建物は比較的しっかり作ってあるけれども、前2件のせいでこれも素人作に見えて仕方ない。煉瓦積み職人の手によるものではなく、建築をかじった人が見よう見真似で作り上げた煉瓦離れっていう感じがする。時間をかけてじっくり取り組めばできないわけではないと思う。この家の主人はすごく手先が器用だったか建築設計まではしないまでも建築に携わっていた人なんじゃないかと思う。
勝手口前の通路に落ちていた煉瓦のうち刻印のあるものはすべて大阪以外の産。山陽煉瓦SRKとか讃岐のサとか。表玄関の前の敷石の中には松本煉瓦の○Mも混じっていた。早くても戦前間際、遅くても昭和30年代のころの、比較的新しい作品であるようだ。
河内長野の市街から東高野街道を北へ辿っていたらこの工場に出会った。全文字瓦で作ってある。なかなか凝った作りで、「6」のファニーな感じも悪くはない。ただし技術が失われたのか面倒くさくなったのか4桁番号へのアップデートはなされていない。考えてみれば今の市外局番制はちょっと味気ないな、「長野○番」とかちょっとあこがれる。
付近の民家は見事な作りの飾り瓦が多かった。七福神の乗った宝船なんてかなりの造形度。おそらく山中製瓦所の製品で、さぞ技術力の高い工場だったんだろうと思われたことだった。
あ、これも撮ってたんだった。結構リアルな招き猫飾り瓦。しっぽの置き位置がいいな。これでかぎしっぽだったらもっといい。
鶴見区の保育園の掲示板に掲げられていた絵画。大変素晴らしいと思った。近代絵画とかアヴァンギャルドとかいうカテゴライズ以前の、原始的な欲求の純粋な表現である。何を書こうとしたのか察しようとするのは無粋である。年少さんの彼にとってはこれがおやつであり、「おやつ!」と思って書いたものだということを鵜呑みにして味わうべきものであるだろう。こういうのこそ芸術というべきだ、と掛け値なし皮肉なしに思ったことだった。
しかも、大人がいうところの抽象画としてこれを見ても遜色ない。大胆にして迷いのない白い線。そこに添えられた二本の赤。色の取り合わせがいい。赤と白の配分がいい。赤だけまっすぐ明瞭に書かれていて白の方はよくわからないぐちゃぐちゃ気味の何か、しかし力強い線の構成美があって掠れの一本一本まで覗き込んでしまいたくなる。
重ねていうが、赤白の組み合わせ=ショートケーキ?などと類推してはいけない。この色彩の組み合わせと白のぎざぎざと赤のまっすぐがおやつだったのだ。その思いを観察者の側も純粋に受け取ることができるのは、考えてみれば幸せなことである。絵を通して感覚を共有することができる。彼がこれをおやつだと思って書いたこと自体には共感できないにしても、そう思って書いたという取捨選択のシナプスの経路を知ることができ人の子の発想というものをストレートに知れる(適当に書いたものに適当におやつという題をつけたものであったとしても、その適当を組み合わせた微かなひらめきを見ているわけだから同じだろう)。
大人が書いた芸術作品は不純な要素が排除し切れない。観察者のほうが不純要素を付け加えて見てしまいがちだからだ。仮にこれと同じものを大人が書いたとしよう。「おやつ!」という意識をカンバスにぶつけた結果がこうなったとしよう。それを観察者は色眼鏡なしでは見ることができない。「この人は何でこれをおやつだと思ったんだろう」「赤い線の意味はなんだろう」「近代ゲージュツは難しいよね」「ロシアンアヴァンギャルドのほうがいいな」「こんなんでお金になるんやからええよね」云々と、作品や作者に勝手に意味とか動機とかを求めてしまう。あるいは批評を加えてしまう。「意味などない」と言われたら承知しないか「そういうもんだよねぇ」とわかったふりをしてしまう。そういうの一切なしにこの絵は鑑賞できる。様々なことを思い、考えることができる。
掲示板にこれ一枚だけが飾られていたのは、たぶん園のみなさんもこの絵に非凡なものを感じるところがあったからだろうと思う。しかしこの絵を褒めたり書いた子供に過度な期待をしたりしないでほしいと思った。こういう純な意思表現は、書き手がひとたび意識するとそれきり不可能になってしまう。今度はもっといいのを書いてやろうとかいった欲が出てしまう。「いいね!」を貰うためにFacebookを書くようなもので、それでは純な思いの発露ではなくなってしまい、どこにでもある平々凡々な拙絵になってしまう。
こんなの。いや、悪くはないと思うんだ。すごい直接的で効きそうだとは思うんだ。でもこのポーズはどうしても犬神家の一族を連想させずにはいない。作者もそれを意識して書いたのだとわかってしまう。右足膝の曲がり具合とかさ(あれ、右でよかったっけ?)。
「あぶない」という直球の警告は効きそうでいい。あぶないから遊んではいけませんとか書かれるよりもあぶなさ及びその警告の強度が身にしみて伝わると思う。残念なのはその文字によくありがちな血の滴りのような飾りがつけてあることだ。そうやって余計に不安感を煽ろうとしているところにわざとらしさを感じてしまいかえってコミカルを誘う。糸をひくような細い明朝体でさらっと書いたほうが効果があがる気がするんだ。
あと・・・寝屋川にはこんな刺さり方はせんと思うのね。ドブーンと全身沈み込むか、刺さっても川底のヘドロにであって、足見えないんじゃないかな。いやまて佐武だって刺さってたわけじゃないのか。
基盤とHDDを連絡するSATAケーブルが不調で認識していなかったのを見抜いたのは我ながら褒めてやりたい。ケーブルコネクタを開腹してゴニョゴニョしたら治ったのもすごい。問題は「このケーブルの何がおかしかったのか」「どこを触ったので治ったのか」がわからないところだ。
更に悪いことに、翌日またBoot Diskが404になってしまう現象が再発した。初日はWindows UpddateしまくったりDISMかけたりして散々ディスクを虐めたのだが特に問題なく済んだ。そして電源入れたままで外出して、帰ってきたら見つかりませんとか宣われてさ。困ったもんだ&HDD虐めてる最中じゃなくてよかったよ。
HDD側コネクタは念のため開腹したままにしていたのが幸いした。それを虫眼鏡で眺めたりつついたりしてみて、そんでもう一度繋いでみたら無事読み込んで。手元に来た時点ではBIOSからも認識されてなかったしHDDランプもつかなかったので給電側の問題と思ってたんだが2度めの404ではランプがつくが認識はしないという状態になりますます謎である。変なところで変なふうに接触しかけてるんだろうかと思うとおちおち使えない&売ることができない。
このSATAケーブル、基板側のコネクタが妙なやつで、例えばDELLのノーパソとかREGZAに使ってあるやつとかとも違う。このメーカーの同じマシンかその前後にしか使ってないんじゃなかろうか。故にこのケーブルだけ購ってくることもできずで大変困る。だからといってケーブル全部繋ぎ直すほどの暇も技術力もない私である。てか、コネクタ内部のはんだ付けがこんなに汚いとは思ってなかったな。明らかに人力で製造されている。今どきこんな部品もあるんだと逆に感心してしまったことだった。
このマシンはメカニカルタッチなキーボードなのが(個人的には)珍しくてポチポチやってしまいたくなる。もうちっとカチッといってくれたら最高なんだけどな。アイソレートなキートップでメカニカルだとなんだか変な感じだ。本当のメカニカルではないんだと思う(パンタグラフ見えてるし)。いまの感じじゃTF101とかdynabook Tシリーズのキーボードのほうが触ってて心地いい。
貧しい人生の中で「壊れたものを直して使う」ことばかりやっていたものだからいつのまにかPC修理が上手くなっていた。無駄な経験なんてないんだ、芸は身を助けるんだと改めて思う。昨今はデータ的に修理することさえ覚えた。割れたものをくっつけるとか壊れた部品をとっかえるとかいう「物理的な修理」だけでなく、起動しないHDDをモニョモニョして立ち直らせたり起動直後にBSODで死ぬ再起動する死ぬの無限ループを断ち切ったりすることができるようになった。あとは不良セクタがらみのも治せるようになったらな。余りのHDDあればコピーしてほえほえできるかも知れないのだが。
やはり、他の方からの刺激がないと気づかないことが多い。手許にあるばかりで何にも活用していない証拠ではないか。
M38に大高庄右衛門が示した「作業局型」のサイズの出自は相当に古い。東海道線神戸~京都間の初代構造物の煉瓦がおそらく作業局型に相当する(少なくとも厚さは。手許の煉瓦で確認)。それが延々と継承され続けてM38に至っているはず。その一方でM10頃東京で作られていた煉瓦も厚57mm前後のものが多かった。60~57の範囲という感じ。さて長手小口の寸法は。このへんはまだ今度調べる。
12個め。京都市上京区白銀町の住宅街の真ん中にぼそっと作られた小公園にあった。
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_ あきら@大阪 [何やらかしたんや・・・って、まあここでは書けんよな。普通に考えたら。 それを思うとワイヤー調整で毎日悶絶してる俺なんてw]