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旧道倶樂部録"

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1943-09-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月一日 水 晴

服装検査時に予は甲体力章を贈う〔頂く〕。二訓にては方倉と二人にして学年十二名なり。総計甲=四十八名 乙=八十二名なりき。一時間目は自習室にて製図授業ありて、後兵器手入にてワセリンを取る。
一〇・〇〇ヨリ身検ありたり。乙臨時委員にて出張中の生徒監殿は今日見えられ一五・三〇には兵器検査行わる。剣術・酒保・副取締生徒となる。夕方警戒警報発令されたり。最良好。


1943-09-02 畑の耕作 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二日 木 晴

起床喇叭が空襲警報に変えられ、防空動作退避訓練行わる。幼年生徒は退避動作を本位とす。特別授業は先日に同、午睡せずして申告・製図書きに用い、以後畑の耕作をなし大根・かぶ等をまきたり。取締は実に忙しく私事はなし兼ねるなり。愈〃明日より、真剣!! 良好


1943-09-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月三日 金 晴

教授部授業開始。体操・銃剣術。運動班運動は交換駈歩にて三年は取締の予が指揮し室園まで行く。今日の速さは真に二千米の如く一挙白川学園前まで十分かゝらずして行く。大部皆にこたえたるが如し。運動班切磋会あり。凡なる一日なるも体育には十分なりき。今学期こそ体育なり。近日毎日一日に二回は鼻血ありて困る。理由不明。解除


1943-09-04 将来の事を考えて心臓の鍛錬 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月四日 土 晴

北白川宮永久王殿下が昭和十五年本日蒙疆に御戦地遊ばされたる賢〔畏〕き日なり。平川の言に依る。取締を終え安堵す。午後は内務検査後予は滑空機の手入に行く。学科・術科はいずれも初よりやり直しを要すと思う。運動班会愉快なり。将来の事など考えて心臓の鍛錬を要す。良好。兜山に先日登りはぜまけす。学校中極めて流行。


1943-09-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月五日 日 曇

朝霧に蔽われて日陽光淡し。今日の剣術は気が乗らず不振なりき。不快にて元気出さず。麻生田部落の百姓さん約百二十名来り運動場の草刈りをして下されたり。十四名にて河野曹長殿を訪れ西瓜をたら腹食し一時間にて辞し多田少佐殿宅を訪問週番にて留守なるも一〇・三〇上り一六・一五まで子供相手に遊びたり。而し諸々と話を承り有意義なりき。きりヽに帰り後始末は何もなすを得ず遺憾なり。良好


1943-09-06 日用品配給制へ [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月六日 月 雨後曇

〇五・〇〇起床して約四十分間は真暗なりき。午睡もさわがしく半分しか眠られず正に睡眠不足なり。雨ありてほこりも立たず新鮮味を加え涼しき秋気分ともともなれり。工作は滑空訓練にして予は筆記をなす。実用向きなり。柔道。良好。日用品は以後地方の如く配給制となる。

日本軍ベララベキ方面に転戦中。イタリヤは八月の政変後シシリー島を捨て英軍伊本土に上陸せり。ムッソリーニ等ファッシスト党員は現在の政府協和党の為に逮捕せらるるの状あり。真に己れの実力を養い他に頼らざること肝要なり。


1943-09-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月七日 火 晴

今日も僅か霧あり。立体幾何は何度教程を見るも不可解なり。独は教官殿急用にてかえられ自習なりき。訓話の際 忠節の項を謹書せしめらるゝも遅く書きし故全からず又多く字を異し軍人として恥ず。根本の事こそ真剣なれ。銃剣術は愉快なり。体力も調子づき鍛錬の好機となるも靴はかんとして頭に血上り洗面せんとして又倒立して鼻血を出し其の為行動が存分に出来ずして残念なり。二一・〇〇消灯なり。


1943-09-08 護国神社奉仕作業・小田軍曹二階級特進 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]〔日の丸を赤鉛筆で書き〕九月八日 水 晴

大詔奉戴日の佳日に当り熊本県護国神社奉仕作業を行いし事は光栄の至りなり。〇六・二〇集合、場所は五高裏。陸軍墓地東側細川候菩提寺南方にして相当の広地なり。我等は土運搬を実施。〇八・〇〇-一六・四〇間行えり。陽に焼け赤くなる。我は八十三回運べり。学校の総計は約一万五千回なり。此の仕事は米英の機械、科学に依る其に比しおとるもののなり。日本も戦場に於ては予の空想通り行かざるものかと思う。要するに神鎮まるべき霊域を奉仕せし事は予の一生の思い出となるものなり。

二一・〇〇消灯。大部疲れたり。良好。

小田軍曹の二階級特進准尉に進級〔この一文に赤鉛筆で波線、冒頭に二重丸〕、南方の空に友軍輸送船を護衛中敵ボーイング機単機と偶〔遇と朱訂正(これは筆orサインペン)〕い是に突込み玉砕す。


1943-09-09 イタリア降服 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月九日 木 晴

胸部間接撮影の為午睡行わず。作業は九四式六号無線機の使用を行い随意運動時にも行えり。柔道は意気。理髪の床屋さんは二人共応召されて、生徒同士にて行えり。生れて初めて人の頭髪をバリカンにてつんでやりたり。最初は臆くう〔劫と朱訂正〕なりしがやる中に遂に完全に操作になれ相当なる腕になる。今日得し一大収穫なり。良好。

〔罫二行分を使い大書して〕伊太利は米英に対し無条件降服せり。

八月の政変頃より新政府は米英と議し九月三日成立し八日降服せり。何となれば新政府は戦意なき弱き国民におし立てられたるものにして降服する事に急ぎし模様なり。
而しムッソリーニは北伊に新政権を樹立しハッシスト〔ファッシストと朱訂正〕党を中心とする軍を以て米英に対し独は既に之に対し援助しあるが如し。
戦意なき程怖しきものはなし。降服すともムッソリーニある限りは伊は同盟国なり。力を落さず愈〃敵愾心に燃え米英撃滅に邁進するのみなり。


1943-09-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十日 金 曇(雨)

大部涼しさを増す。体操剣術あり。運動班運動も剣術なりしが共に元気旺盛にして克く命中し一躍愉快になりぬ。かゝる気持は中期になり初めてなり。かくの如く運動班運動は予にとりては偉大なる結果を及ぼす物にして愉快なり。特に忙し。良好。


1943-09-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十一日 土 曇(雨)

漸くにして一週間を終了せり。常に感ずる事は学期の初は時が容易に立たざる事なり。郊外教育二十二部隊(工兵)見学に行く。荒木大尉見習士官当時の居室・工兵材料庫・新兵器・爆破薬見学・爆破演習見学・隠密破壊演・対トーチカ戦演習(強行破壊)を見学す。特に練兵場に於ける演習が得る所大なりき。火焔発射機を始めて見たり。一八・一五帰校。至急準備し雨中露営黒石原に行く、即ち高橋・甲斐及び一年は藤木素士と俊一・藤川・塩田の七名なりき。雨中作業も速に行われ二一・〇〇夕食し二二・〇〇就寝し語る、漏りて気持悪し。裸体にてねる。良好。


1943-09-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十二日 日 雨

雨の為に予定は行われず、浩然の気も十分養われず。飯盒炊爨し九・三〇食事。真裸にて雨にぬれて何事も作業す。一二・〇〇帰校す。濡物・汚物の手入三時間、集会所二時間、雨なるも愉快なる露営なりき。良好。


1943-09-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十三日 月 晴

夏の如く暑き日なりき。眠たく始まり眠たくして終る。即ち昨日・今日と自習時眠くして能率さっぱり上らず。午睡なく血沈あり。銃剣術・体操は縦跳の指導法を実施す。言より実行が予に最適なり。柔道なす。
乃木会、 明治天皇御大葬儀、乃木大将夫妻自刃の日。夕食後食堂にて部長殿の下約一時間行えり。将軍に報ゆ可きは立派なる軍人となり立派な陸軍となす事にありと。良好。


1943-09-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十四日 火 晴

正に高天肥馬の候にて随意運動には特に元気に絶間なく行い腕力の殆んどを使いはてたり。鉄棒上の倒立あと僅かなり。点呼後三十分間除草をなす。作業・音楽なりき。畑の間引。有意義なる日。二〇・〇五消灯。明日は"ボシタ”の日即ち藤崎宮例祭にて非常呼集にて集合参拝の予定。胸高鳴る。良好。


1943-09-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十五日 水 晴曇

藤崎宮祭にして参拝。予想通り七時間の睡眠後〇三・五〇非常呼集あり。準備万たん整え今朝は物音に眼をさめ服を着て喇叭を待つ。予は八位なりき。二訓の殆んどは之をなせる模様。一年は喇叭前二十分に靴はき待機し注意を受けりと。其の軍靴の音に全校起きたるなり。例年の如し。〇七・二五帰校。〇八・三〇より四五分授業なりき。教練は三時間、突撃・散開をなす。連歩行進より面白くきつからず。能力十分戦闘教練を予は好むなり。残念!! 兄近眼にてふられたるか。眼が如何に大切なるかを感じたり。良好。


1943-09-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十六日 木 晴

父の命日なるを心に刻み週日を過したり。夏の如く暑き日。今日より日課が変り〇五・四〇起床以下大体同にて午睡なく夕食前自習ありて二一・三〇消灯なり。ドル氏の独会話あり。積極的鍛錬をなせる日。柔道・剣術をなし其の後自習開始まで体操(鉄棒)をなす。夕食後台上にて三年に対し校長閣下の剣術に関する話を承りぬ。愉快々々に一日を過す。元気旺盛。


1943-09-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十七日 金 晴

今日は冬物検査準備等の為に朝はつぶるる。暑き日にして体操は執銃にて幅跳び。大部勝手が違えり。銃剣術、明日の行軍準備ついで体操に出る。着々高等体操実施中。何事も結局は体力がものを言うなり。以て予科の準備となさゞるべからず。又体操を行うと共に明朗なる気分を養う。眠くて自習手につかず。一回睡眠不足すると日曜まではかゝる状態一つには気のゆるみなるか。良好。


1943-09-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十八日 土 晴後雨

〇五・〇〇非常呼集あり。剣術の服装にて運動場へ。第一着なりき。今日は皆が余り遅いのに驚けり。満州事変記念日にして、三年対二一年の野試合あり。訓練精到なる軍は寡兵以て多兵を破るの例の如し。
午後は三十粁行軍にして三ノ岳登山をなす。目的は山岳訓練の予備訓練にして徒手背嚢なり。一三・二〇出発、先ず初が肩痛く漸次良くなりぬ。日光誠に暑く水をうらやむ。山麓の山口にて訓育班より五名出て炊事。其の間に登山す。頂上にて休憩・合吟等行い薄暗くなりて下山。有明海を下に雲仙・多良彷彿たり。食後二〇・〇〇出発、雨になる。山の夜行軍は難し。気が張りて以外に早く着校。雨にびしょぬれにて二三・一五なりき。十分に我乍ら目的は達せられたるものと思う。一時消灯。良好。


1943-09-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十九日 日 雨

雨にして相当なるものなりき。昼間に寒さを覚えて夏衣袴に着替えたる程なり。〇六・四〇起床、熟睡したる故か眠からず。剣術二本、〇八・三〇服検。午前中は昨日の手入・整頓等をなし午後は集会所に三時間、午睡五十分をなし撤徹抵的休養とす。良好。
松浦の命日にして切磋会行えり。


1943-09-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十日 月 雨

依然として雨なりき。寒の為今日より夏衣袴着用となる。午後はやや小降になりぬ。工作ありて滑空理論あり。柔道快々。凡々たる一日なり。良好。


1943-09-21 鍾馗、呑龍、百偵 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十一日 火 晴

今日は晴なるも土曜日の如く夏らしさを感ぜず誠に天高く感じたる秋日和なり。日がぽかヽさす中に日光浴をなしたき感なり。神社掃除にして朝の時間少し。午後は訓話・銃剣術・体操。随意運動の利用不可と校長閣下御注意あり。短時間に誠意込めて行うべし。随意の時間に体操なし得ず残念なり。腕が鳴る。今日は実に体の調子良く何を行うも可能なりと思われたり。晴天下随意運動終りたりとてみすヽ舎内に入るは予の最も残念とする所なり。良好。
昨日は航空記念日にして陸軍新鋭機の発表あり。即ち戦闘機「鍾馗」・重爆撃機「呑龍」百式司貞〔偵〕なり。愈〃航空決戦の時となる。


1943-09-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十二日 水 快晴

明け方は大部冷え数度眼覚せず。秋冷の候といわんか。然し日中は暖く暑からず。依って朝は特に張切り之が今日一日を支配したり。此の瞬時の閃に於て予は今後寒くなるに当りての考を一新す。即ち冬は緊張の時にして緊張して実行すれば物事が愉快にはかどるものなりと。学科も調子に乗る。
西部第十九部隊見学。障碍・碁盤乗り・試し斬り(馬上より駈歩にて)が乗馬中隊にて行われ機甲の方にては九五式中型軽装甲車を見学。代表が二訓より六名乗る。主に戦車の方の収穫が大なり。良好。


1943-09-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十三日 木 晴

三寒四温の烈しき熊本の気候を如何なく表わし今日は暖し。作業「六号無線き」・柔道にて愉快。天幕構築を後実施せり。力余りて物足らず。へとヽになりて足れりとなす。やるべきは今。我生れ変れるかと思う程心の中に変化を来したり。即ち一段と緊張したる事にて仕事がてきぱきとなり能率上る。短時間に多事をなす。良好。


1943-09-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]〔赤鉛筆で日の丸を朱書き〕九月二十三日〔鉛筆で三→四訂正〕 金 晴

秋季皇霊祭にして亦彼岸の中日なり。
起床前に剣術が許されし故一訓は三時半より操〔手偏→足編に朱訂正〕ぎ甚しきは号令調声をなし安眠妨害極めて大なり。依って自習時間眠くて手につかず。〇五・〇〇起床、剣術、〇六・三〇集合、引率を以て世界館に至り「愛機南へ飛ぶ」を見学す。是は航空宣伝映画にして、陸予士・陸航士の事など相当にありたり。ついで寄るのみの予定にて多田少佐殿宅へ行き、遂に上らされ、昼も近かりし故四人連れ立ち宇土楼を見学し偕行社〔偕の字朱訂正〕へ行く。運動会の事を打合するが目的なり。御馳走になり一四・〇〇別れ一時間藤崎宮に待たされて一五・一五帰校したり。今日斯様にならんとは思いもよらざる事にして亦一興なりき。山岳訓練準備怠なし。良好。


1943-09-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十四日〔鉛筆で四→五訂正〕 土 曇雨

昨夕は大部暑く、今朝は喇叭まで熟睡す。明日の準備に終日忙し。午後は山地訓練の学科及び軍装検査なりき。体重八〇〇増。而し乍ら未だヽ不可なり。咀嚼を要す。訓練間は克く噛む事を特に留意せん。最も可。


1943-09-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]自九月二十六日 至九月二十九日

阿蘇・隈府・酒天童子山(大分県)方面に山岳訓練を行う。二十九日は菊池会なりき。


1943-09-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月三十日 木 晴

〇六・三〇起床、〇七・一〇体重測定。一三〇〇瓦も四日間に減じたり。〇八・〇〇食事。一一・〇〇より携行品の検査あり。午後は午睡九〇分以後休養なり。二〇・三〇消灯。要するに今日は整理休養の日にして十分に目的を達せり。特に今日感じたる事は検査は大切なりということなり〔一文に朱傍線、欄外朱「然り」〕。何となれば時間を定めて準備せしめ、其の依って悪き所を完全ならしめて身辺を清くす心を一新するのみならず、新たな覚悟を生じ検査にて一段と人物が出来るからなり。此の点重要なりと思う。
九月八日以来ムッソリーニは北伊にありて、後独乙に述われ米英の野望を空しゅうし、昨日伊太利に入りファッシストよりなる政権の下、三国同盟を厳守し枢軸として米英に対するを約す。又、ビルマ国にシヤン地方を編入せしめたり。外交手腕といわんか。


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