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旧道倶樂部録"

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2022-04-05 [長年日記] この日を編集

[煉瓦] 煉瓦割祭り

煉瓦の2枚下ろしに挑戦。意外となんとかなるものである。得られた知見もなかなかに多い。

画像の説明

津守煉瓦(中)刻印煉瓦。確か大阪市街で採取したもので、並形普通煉瓦である。平の筋のない側(ここでは平表と呼ぶことにする)を上にして舗石にされていたか、あるいは平表を下にして長いこと路傍に放置されていたかして、平表が全面的に削れて白斑が露出していたもの。この側が凵型の底になるので型枠に粘土を詰めた時の底の部分を裏から見ていることになる。これだけでも興味深いのだが、さらに二枚下ろしにしてみるとこうなる。

画像の説明

上の状態から左右に180度ひっくり返した状態。さっきの底を作業者側から見た時の輪切り。底には白い粘土が塊になって残っているが、下ろしの断面にはそれが少なく、細長く引き伸ばされた筋状の粘土が目立つ。粘土を型枠に行き渡らせるために押し広げていった方向がこの筋からわかるように考えていて、確かに隅に押し込んでいったように見える角もあるが(写真左下)、必ずしも四隅すべてが同じようにはなっていない。考えてみれば確かにそうで、函の手前の隅に煉瓦を押し込むのと、奥の隅に押し込むのとでは指先の使い方が全く違う。利き腕とそうでない腕という違いも非対称となって現れるかも知れない。

左下、右下は角の形状に沿うように&折り重なるように&細く引き伸ばされている。筋同士が重なることなくきれいな層状になっているのは注目すべき。全体的に見れば煉瓦の下半分に細筋が多いようにも見える。この細い筋は長手面に平行な面の断面が見えている(バウムクーヘンの同心円模様のようなもの)ので、こちら側は型枠長手に引きつけて左右に押し広げていったことになるようである。長手と平行な面を描くようにスライドさせたと言い換えてもよい。そうして最後に隅に押し込むので層がさらに薄く引き伸ばされている。

上半分には広い面積を有する筋が目立つ。この筋は隅に向かってはいるが下の隅のように隅に沿って折れ曲がってはいない。幅が広いのは平に平行な面に動かしたからのはず。すなわち上から押さえつけ左右になでつけるような感じ。要するに、型枠を動かさずに手前の長手縁、その左右、奥の長手縁、と言った具合に手を動かしていったように読める。

底の粘土が塊のままなのも意味深。底に薄く貼り付けるようなことはせず、粘土塊をボンと放り込み、それを左右に押し広げていった結果がこうなのかも知れない。それが当たっているかどうかはまだ心許ないが、とにかくこの白斑の流動が粘土の流動方向を記録しているのは間違いなく、眺めているとどんどん時間が経っていく(そして答えがわからないのでもやもやする)。

この白い筋が薄層状をなしていることや、どの向きに層をなしているかは、実物を見るとよくわかるのだが写真でそれを伝えるのは難しい。これまでに作った割サンプルはブロック状に割っていたので縦横の断面はわかるのだがそれが煉瓦全体に渡ってどうなっているかを知ることができなかった。

画像の説明

ちなみにこの断面に波長365nmの紫外線を照射すると白く発光するところがある。写真は画像処理しているので実際の色とは異なるが、これの黄緑色の部分が蛍光を発している。白斑もうっすら青く蛍光しているように見えなくもないのだが(写真の薄汚れた緑色の部分)、単に反射しているだけのようでもあり、はっきりしない。とにかく黄緑の部分は間違いなく蛍光を発している。焼成によってできた空洞に析出した何かのようである。煉瓦表面に析出した成分もこの色に蛍光するものがあるので(特に長時間地べたに放置されていたような煉瓦に顕著)、&、煉瓦はいつも希塩酸を使って洗浄しているので、水や希塩酸に溶けにくい何かであるはずだ。


2022-04-28 [長年日記] この日を編集

[独言][煉瓦] 終活

画像の説明

煉瓦の置き場を作るためにここ10年以上手を付けていなかった部屋の一角を片付けた。

ここまでするのにどれだけ手間がかかったかわからない。売れ残ったバックナンバーCD#2を大量に破棄し(当然紙プラ分別せねばならない)、溜まっていた地形図コピーも大半を処分した。2003年の旅で持っていった蠅帽子峠の地形図コピーから足怪我直後に行なった伊勢本街道探索で使ったものとか過去の探索で使用したやつとかしなかったやつとか、とにもかくにも現行図のコピーはあらかた廃棄した。いつかまた使うことがあるかも知れないと思って取っておいたものだが、考えてみればその機会に恵まれたことはまずないのだ。再訪したとしても前のコピーを探しあぐねて再コピーしたことのほうが間違いなく多い。無駄ではないか。

そもそもだ。思い出とかどうとか考えるお年頃ではなくなった。死ねばどうせ捨てられるのだし、その時まで取っておいても誰の役にも立たないし、そもそも自分自身がコピーの存在を忘れている(何でコピーしてきたのかわからないものも多かった。北海道の2.5万図なんて何をしようとしたのかも思い出せぬ)。そんなものをいつまでも取っておいて思い出に浸らなければならないほど、自分のしてきたことは少なくない。考えなければならないことや新たに考えたいことはエントロピーの如くに常に増えていく。それに追い落とされ忘却されていく思い出に構っていられなくなっている自分なのだ。すまんな過去のおれ。より鮮明な記憶と記録はORJに書いたやつを参考にしてほしい>未来のおれ。

もとは煉瓦をどうにかするための片付けだった。2019年の赤煉瓦ネットワーク大会から持ち帰って適当に積み上げた状態のまま放置されていたのをいい加減片付けて整理しておかなければならなかった。何しろ高さ1m余の煉瓦の壁だ。邪魔とは言いたくないが状況としてはそうとしか言いようがない。&、量が多くなりすぎて目的の煉瓦を探し出しづらくなっていた。煉瓦をくるんでいる緩衝材にその煉瓦の名前を書いていたので積んでいると見つけられないのである(壁に積んだ煉瓦の刻印が見えないのと一緒)。その緩衝材にふせんを貼って前から読めるようにはしていたけれどもすぐにくるくる巻き上がって意味をなさなくなるし積んだ時に逆にしてしまったのもある。2019以降に採取したものはその付箋すらないものも多い。

というわけで小口に養生テープを貼ってそこに書き込むことにした。ついでに各煉瓦に識別番号を振ってExcelでカタログを作成することに。名称、採取地、採取日、経緯度、寸法、斑紋、Y線、などなどをメモできるようにもした。自分以外の人にもこの煉瓦の意味がわかるようにしておかないと、という強迫観念じみた危機感を抱いている昨今である。

全部の煉瓦の採取地を覚えているはずだったが、思い出せないものが案外多くてちょっと落ち込んでいる。こんなの採取してたんだと驚くようなものもある(4/8の津守煉瓦とか。あれも採取地思い出せない)。写真だけ撮ったもののほうが、忘れないうちにbdbに登録したせいか記憶に残っている。写真を取らずに現物採取で持ち帰ったもののほうが忘れている。そっちのほうが重要なのに。ほんと申し訳なくなる。

自分の頭の中の消しゴムは安いだけのRabbitから、MONOになり、そしてまとまるくん(まとまるママ)になって、年々消えやすくなっていくのを感じる。一度忘れたら跡形もなくなってしまう。これが脳の劣化なのだとひしひしと思い知らされている。忘れてはいけないことを、今のうちに書き残しておかなければならぬ。

そうして煉瓦整理はまだ終わっていない。この壁がもう一枚分ある。その壁を積む前にある程度並べ替えておかないと後で困るだろう。そしてその壁の写真を撮って、どこにどの煉瓦を積んだかわかるようにしておかないと、元の木阿弥だ。

整理のお陰で気づいたことも多い。泉州系の煉瓦と堺系の煉瓦では胎土が明らかに違う。明石の煉瓦と播州印南の煉瓦も違う。京都川岡辺の煉瓦も特徴的。そして以前から気づいていた神崎煉瓦系。刻印で工場が判明していれば地域ごとの胎土の違いをも物差しにできる。そして播州の煉瓦は手触りでわかる。播州の煉瓦は使い込んだ#180の紙やすりくらい粗い。泉州堺の上質な手成形煉瓦は#320。船坂で採取したヤマ菱が山陽新型だとわかったり、手成形煉瓦は基本的に平表のほうが平裏より一回り小さい傾向があることがわかったり。後者は先にこの面を乾燥させるので収縮するのだろうと想像されるが、それが合っているかどうかはともかく、平表で測った長手小口と平裏のそれとでは3mmくらい違うのもザラにあって、そうすると測る場所によって1分も違うことになり、構造物に使われている煉瓦を計測する意義がさらに薄れてしまう。やはり寸法規格なんて深く考えるだけ損である。


2022-04-30 [長年日記] この日を編集

[煉瓦] 函サンプル

要するに函の底が削れていればいいわけで、グラインダーと砥石で人為的に削ればいいわけだ。と思いついて実行した。

画像の説明

犠牲になってもらったのは某所で採取した古煉瓦。無刻印だが明治9年まで遡り得る古煉瓦である。角が少し欠けているが罅もなく叩けば金属音を発するような良質な製品。

2枚に卸すのはそれほど難しくない。鏨を当てる時に対辺交互にやることと、最初の一周は無理しないこと、凹凸の凹にも鏨を当てていくのがコツ。傷をつけるだけというつもりで軽く打っていって傷が一周した辺りから芯を打つ打撃を加えていく。鳥取火薬庫の床なんか全部こんなスライス煉瓦で葺いてたしな、焦らなければ損じることはないのだろうと思う。

画像の説明

函の底側(平表を研磨したもの)。反転なし。やはり中央に縦方向の流動がある。もう少し削っても良かったかも知れない。函の底の角がわかりづらい(うっすらと白斑が出ているが)。

画像の説明

割面。上写真の裏側。この辺りは函型がだいたいわかる。ここでは中央に水平方向の流動をしていて、かつ角へ向かう成分と函の角をなす成分が長手ごとに揃っている。

画像の説明 函の縁側(平裏を研磨)。平面は少なくとも2mmくらい削る必要があったが、平裏ははじめから少し白斑が露出していて、1mmほどしか削っていないと思う(どれだけ削ったかわかるようにしておけばよかったな…)

考えてみれば平表や長手小口に白斑が露出していないのは不思議なことである。放り込む粘土塊の中にはこれほど白い粘土(正確に言えば赤く発色しない粘土というべきか。もともと一様に白くて区別できない状態に違いない)が含まれているのに。火が直接当たる面なので赤く発色しやすいのではあるまい。平裏に露出している白斑は白斑のままなので。平裏に露出しているのはよくわかる。粘土を詰めて余った部分をコビキで削り取るので粘土塊の内部が露出することになる。また赤く発色する粘土を仕上げ用に別に取っておいて、それで函形を作った後に白斑成分を含む低級の粘土を放り込んだというわけでもあるまい。表層をほんの少し削れば白斑が現れるので、厚1mm以下の薄い函を作ってから放り込んだということになってしまう。さすがにそんな薄造りは無理だろう。

考えられるのは、型枠に粘土塊を放り込む前に赤く発色する粘土で包んでおいてから放り込んだのではあるまいかということ。水で捏ねた粘性のある粘土でなくてもいい。粘土を乾燥させ粉末状にしたものを用意しておいて、それを厚くまぶして放り込めばよい。その粉が粘土が型枠に張り付いてしまうことを防ぐことにもなる。その用途のために砂をまぶしたということはよく聞くところで、確かにそのような砂が付着した煉瓦もよく見るのだけど、本当にその機能を発揮するためにはかなり厚い砂の層が必要になるはずで、しかしそこまで砂まみれの煉瓦というのはお目にかからないのだった。

まぶす粘土粉は、赤く発色する粘土だけを選び出して作る必要はなく、込めに使う粘土をよく乾燥させ塊がなくなるまで舂くなり展くなりしてやればよかっただろう。本当なら全部の粘土をそうするべきなのだろうがそれでは余りに手間と時間がかかりすぎる---それくらい丁寧に混練したのが原口煉瓦製造所の製品だったり桂川橋梁の製品だったり川島煉瓦だったりするのだろう---。表面仕上げに使う程度の量だけ精撰粘土粉末を用意してやればいい。

画像の説明

函底を削る前の状態。ここに白斑の露出はない。

割面もグラインダーで削って平らにしてやってもいいのかも知れない。そうしたほうが割面の上下で異なる面を観察することができる(割っただけでは同じものの鏡像体ができるだけだからな)。


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