nagajisの日不定記。
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阪急西宮北口駅から今津線に沿って北上すること約3分のところ(線路西側パーキングの縁)で播州煉瓦合同「ヲ」を見つけた。あれだけ再開発されているなかにひっそり残り続けている戦前に敬意を覚える。隣の松並木も多分古いのだろうけれども。
「ヲ」=播煉説は根っこが緩んでる。バンレンの話では三者合同したから三本線マークを社章にした(と説明されている)そうだ。じゃあなんで大日本商工録は「ヲ」を掲げてるのか。なんかの間違いなんじゃないかと思うことがある。初代取締役の小田千代蔵の「ヲ」なのかと思ったりもするが、しかしそうだったら中播煉瓦時代から「ヲ」だった可能性が出てくる。
「ヲ」刻印は印南郡じゃ結構ポピュラーだし、大阪市東淀川区まで浸出していたりするほどの流通量。中播は印南郡最初の煉瓦工場。
うう、発行日に歯医者の予約なんか入れるんじゃなかった。抜歯の血が止まらない&患部疼く&頭モワモワ。
企画のためにノートを購入したのに100えんショップでフィリングノートを買ってしまいそちらへ転記するなどしている。愚。どっちみち殴り書きしか書いてないし以前のノートは使いづらかった。表紙が下敷き代わりになってくれるやつじゃないとだめだ。
配置の図はちぎってはっつける。そのうちにする。どうせ11月だからずいぶん先の話だ。それまでに由良要塞が片付けばいい。
これだ。私が必要としていたものはこれだ。これだったのだ。エンドプライヤーのお陰で足の小指の付け根にできて歩く度にズキズキしていた特大のタコを随分に毟り取ることができた。
これまで何度か爪切りで切ったりニッパーで切ったりしていたが角度がいやらしくて抜本的な処置にならなかった。以前使っていた100えんニッパーが行方知れずになったので新たなのを買いに行ったらこれを発見。試しに買って先ほどの風呂上がりにやってみると面白いように毟れる毟れる。毛が少ないと書いて毟れる。毟り砲台である。
まだ歩いてみてはいないが、ニッパーで処置った時よりすっきりしているだろうことは確実だ。
児童ポルノ対策強化は結構だけど、雑誌カテゴリをまるごとダメにされると辛いなあ。FLASHセットとかFRIDAYセットとか、きょうの料理セットとか作れなくなるやん。
逆の立場で考えれば、そうでもしない限り根絶できないわなぁと思う。それでも別カテゴリに紛れ込ませて売ろうというやつは規約違反でBANできるわけだしな。
こっちだってそんなに必死になって売りたいものでもない。どこにも出せないブラックアイテムが不良在庫以下の不良在庫となって溜まっていくだけだ。さっさと破って捨てるほうが世の中のためでござんすよええ。
廃墟マニアが喜びそうな物件、と紹介されることの多いこの建物。これが何だったのか、いつ作られたものか、知っている人はいないらしい。そういうのには誰も興味がないらしい。
旧版地形図に「火」マークの記されている建物。火薬庫弾薬庫ではなく、たぶん炸薬装実所とかそういうやつだと思う(海の家とその背後にある民家の辺りはもとは火薬庫か弾薬庫だったはず。旧版図に土堤の仕切りが描かれている。ただし火薬本庫はこの谷の奥標高40m附近にあった)。
笠石の裏に貝塚煉瓦の井桁が露出している。野奈浦の建物跡や第三砲台脇の発電所にも貝塚煉瓦刻印がある。明治35年頃(やったけか)に完成した補助建物にまとめて採用されているようだ。建物にばかり見られるのは何か理由があるのだろうか? それとも単に建設時期と納入可能な余裕のあった会社の組み合わせでこうなったんかしらん。
kousenさんが見つけてはった煉瓦製墓石。正確な場所を覚えずにいたのだが、岸和田市街地をうろついている時に偶々遭遇することができた。
明治43年に亡くなられた方の墓。側面の戒名などを刻んである煉瓦に大阪窯業の刻印が押されているので他の煉瓦も大阪窯業製だろうと思う。おそろしく美しく焼かれた煉瓦である。小口長手のなめらかさが違う。大阪窯業の機械成形煉瓦の見本と考えると(罰当たりかも知らんが)非常に参考になると思う。
そういえば戒名銘の煉瓦は撫でてあったな。撫でて刻印を押した上から文字を刻んである(文字は刻んで焼いたのではなく既成品に彫刻してある)。M43には製法が変わったんだろうか。大阪窯業岸和田工場はいつ稼働?
やけに短いインクラだな、線形も無茶だな、と思ったらとんでもなかった。キャプションにちゃんと索道だって書いてるだろ。よく読め。
しかしまあこんなんじゃ痕跡も残ってないだろうな。向こうまで登っても同左。
どちらもエンタイアなので残りは出てこなかった。
http://mojizo.nabunken.go.jp/index.php
結構有り難い。これでアジ歴のくずし字読める!と思ったけれど防禦造営物の「禦」は読んでくれんかった。ま、ヒントが貰えるだけでも便利だし、前後脈絡で読まないといけないのは従前だ。
形状は貝塚煉瓦なのだけれども発見場所がまずい。前掲H★M刻印の隣に転石っていた。五條市街の駅近くの通りに面した花壇。
(1)岩橋煉瓦の井桁を斜めに押した可能性
見た感じでは菱井桁っぽかったけれどもな。写真の角度では正体でもひしゃげて見えよう。
(2)(推)吉野煉瓦のバリエーションの可能性
大淀くんだりから流れてきたものかも知れぬ。今のところ太い菱井桁しか見ていないけれども細いのがなかったという保証はない。
なにより引っかかるのはブツが貝塚煉瓦っぽくない気がするところ。ちょっと寸詰まりじゃなかろうか。あと貝塚の刻印は細くて鋭いのが多い。こんな感じの鈍らった線じゃない気がする。そうして貝塚煉瓦はこんなど真ん中に押さない。
でもまあ五條だからなあ。紀和鉄道と南和鉄道の接点だからなあ。貝塚でも間違いじゃないんだろうけどなあ。
と、いかにも通ぶって悩んでいるnagajis哀れ。これが貝塚煉瓦だったとしても岩橋煉瓦だったとしても吉野煉瓦だったとしても世界はこれっぽっちも明るくならない。
一見堺煉瓦のように見えて違う刻印。工場記号の放射線が一本なくなったような感じ。採集例がこれ一つなので何とも言えないのだが生石山第三砲台の建設された頃には堺煉瓦なかったしなー。
大阪窯業手成形の例。「子」が使われているということは少なくとも作り手が20人いたことを示している。あと、小口前で押されているのがポイント。ずいぶん前に上げた岡町住宅地の「改」つきは長手前だった。
「改」は改良ホフマン窯だとしても、釘は何やろね。作業者の識別のためならすでに「子」がついてるわけだし。鉄板を打ち出して刻印にしたのを板に打ち付けてたとか、そんな感じの適当な作業痕なのかも知れない。「子」と大阪窯業マークと釘との間隔がどの煉瓦でも同じなのかそうでないのかで判断が変わると思う。
過日芦屋のロックガーデンへの道すがらで見た看板。どっかで見たことがあるような気がする、と思ったら、かつて福知山線旧線の脇に建っていたやつと同じところが設置したやつだ。件の看板は最近撤去されてどこかへ行ってしまったから、生き別れの同胞が見つかったといったところだ。
第一行の棒線+「!」の辺りに特に臭気を感じる。戦前戦後の山岳文学とか紀行文とかでよく使われた表現。仔細を書く手間を省き読み手に補完させる甘えの構文である。「尚」の押し付けがましさも同臭がする。そこで念を押す必要はないと思う。加えて最後の「…ネ」が時代を戦後に固定する。あなたも私も同じ山仲間なのですよネ。ともだちですよネ。だから…言うこと聞いてネ。という馴れ合い意識がこのカナひと文字に込められている。1950年代から60年代初頭にかけて青春を過ごした人物の認めたものだろう。そして書かれたのはチオビタドリンクが一世を風靡していた頃。
別にこの看板を否定したり貶めたりするつもりはない。
ひどいを「非道い」と書く類の当て字ばかりを集めた字典。例えば「きりょう」の項目には「標致」「容姿」「容標」「要望」「容顔」「容色」「姿色」「面貌」「綺倆」あんていう語が並んでいる。編者が勝手に創ったもんじゃなく、実際に過去に文芸作品で使われた表現から拾ってあるというのが面白い。上記の例で言えば「容顔」は樋口一葉『たけくらべ』から、「綺倆」は夢野の『ドグラ・マグラ』から。「器量」以外は正解じゃないと習った人々はさぞ怖驚し反発することだろう。ダボが、表現なんて一意なわけねーだろ。
各語には文字の使われているセンテンスも併記されているのでありがたい。その文字が単なる当て字でなく意図があってそう表記されたことがよくわかる。妙にしっくりくるんだね、そのセンテンスでは。上記例ではうまいのがなかったけれども。
「虚蒼」と書いて青空と訓ませたのは泉鏡花。冒頭の「非道い」は確か夏目漱石が始めたんじゃなかったけか、これなんかは訓みも字面も合っていて傑作だと思う。つらつら読んでいると夏目漱石の造語がよく目について、さすが文豪と言われるだけあるなと感心させられたり、この手の極は筒井康隆『トーチカ』だろJKと思ったら案の定「多次元世界(あの世)」があってニヤけたり。あれ雑誌初出時はルビ全部削除されて掲載されちゃったそうだけれどもとんでもない話だよな。ルビが作品のキモなのに。
べつに著名な作家ばかり引き合いに出してるわけじゃないしそういう作家が使ってるから安心というつもりもないけれど、やっぱり自由に書けた人だから成果を残しているのだなあと納得したので書いておく。それから二葉亭四迷あたりの口語調草創期の作家の苦心に感心したり、いやいや万葉がなの時代から脉々と続く借字当字の文化の最終形態なのかも知れずと思ってみたりした。
似たようなことを今やると速光の勢いで突っ込まれるからつまらない。そのくせ2chの流行り言葉は安受け合いして濫用するのにな。コミュニケーションにおける文字依存が以前にも増して強くなっている昨今なんだから、この本に出てくるような表現がもっと増えてもよさそうな気はするのだけれども、IMEの候補で出てくる言葉しか通じないような世の中じゃ無理だろうし書く方も大変だ。「四顧す」(みまわす:二葉亭四迷『あひびき』)」とか、よん、こりょ、BS、る、とか入力しないとだめだし。JIS第2水準文字が入ってきたらさらに手間取る。こういうのは書き文字としてちゃんと理解している人でないと訥嗟にゃ出てこないし前後の脈絡からも準えて書かなきゃ単なる厭味になる(なるんじゃないか、そうとられるんか。こっちはそんな気毛頭もないのにね)。この本片手に言い換えをさがすようなことをしてたら直更やで>nagajis。
通じるか通じないかじゃないんだよ。そう表現してみたいと思った、瞬時の思いの残りカスなんだよ。
昨日書いたことを反芻していて、なあんだ、気風はDQNネームとしてしかと伝わってるじゃないか、と気がついた。普段DQNネームには違和感しか感じていない。この二項背反的得すどういうことか。単に文章として前例があるか否か、大樹か雑草かで日和ってるだけじゃんか、ととって反省した。
DQNネームがDQNネームたると感じる所以はその言葉の背後が虚ろだからだとは思っている。新一と書いてコナンと読むのでも月と書いてライトと読むようなやつでもいい、そう名前を付けて子に何を望むのか、みたいなところ、語感と字面だけ善さげなものを持ってきて実が伴わないところ、一過性の浮かれた気分を8八十年背負わせることになることに対する責任感の欠損に世の一部は違和を覚えているはず。それと遊字典の当て字と実はそう遠くない。さて、こいつはどう消化すればよいものやら。
_ TUKA [レールがあるからインクラインで良さそうな希ガス。 それともケーブルカーを訳して「索道」になったんかいか?]