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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2012-10-01 [長年日記] この日を編集

[][コアダンプ] キリズシ隧道 選奨土木遺産に

画像の説明

http://committees.jsce.or.jp/doboku_isan/system/files/2012_table_picture_1.pdf

今から7年前、近代化遺産の一次リストに埋もれているのを見つけて、所在地もはっきりしないまま現地へ行った。地元の方に道を尋ね、草木を掻き分けて登った。135年間変わらぬ姿でそこにあった。あの形で。

余りに驚いたから馬場先生にお伝えした。近代土木遺産に認定された。Aランクが与えられたのは正直予想外だったけれども、それが「いいもの」だと判断した自分の目が間違っていなかったと認められたようで嬉しかった。そしてそんな「いいもの」が世の中にはまだまだあるのだと知った。

それを探し、誰かに伝えるために、ORJを続けてきた。

今回、さらなる高評価が付与されて、自分のことのように嬉しく思う。けれどもそのモノは決して自分のものではない。自分が世に知らしめたと自惚れるつもりもない。何もしちゃいないしな。本来そういう価値を持っていたものが、評価されることなく百数十年間忘れられていて、やっと日の目を見て評価されたというだけだ。「日本の近代土木遺産」は出典を書く必要があって倶樂部の名が載っているが、無視して他を当たってほしいと思う。taiheiさんのところとか。もっと地元の人に掘り下げてほしいとも思う。

一つだけ誇るとすれば、それを是として信じたことを、7年間変わらず続けてきたことを誇りたい。 自分の興奮とか充足のためだけで続けてきたんじゃなく、誰かに役立ててもらいたい、モノがーーーそのモノを作った人々のことが正しく評価されてほしい、そういう思いで探索を続けてきた。一部のマニアの玩具で終わってほしくないと。挙げっぱなしで何もできなかったけれども、キリズシは評価され、一つ高次の遺産になった。その一方でいつの間にか自分も近遺調に関わるようになっている。道を踏み外して迷っていたように見えて一応は、目指す方向に進めていたようだ。購入の動機付けに貢献していない、存在を無視された、他サイトで紹介されている姿からしか知られていないようなnagajisだがね。

7年間進歩がないという言い方もできるが、たまには自分を誉めたっていいだろう。

ちなみに、認定されただけでは何も起こらない。 物件に直に関係する人が何かのアクションを起こさなければ従前のまま、ただの廃隧道のままだ。例えばプレート代やその設置費用は受賞者(管理者もしくは推薦者?)が出さなければならない。土木学会が与えてくれるのは選奨土木遺産の認定というお墨付きだけだ (安治川隧道も受賞しているが、大阪市は無関心、というかお金がなくて何もしてない)ツッコミ欄参照!! 。うろ覚えで書くもんじゃないぞ>nagajis。しかしそれを活用して何かをしなければ受賞の意味すら無くなってしまう。ぜひとも上手く活用してほしい>たぶん中津市さん。

浜中津橋に関しても同様。資料の所在をお伝えしただけ。K先生自ら市立公文書館に行かれて、設計図面と仕様書をきちんと分析された結果が評価につながった。自分写真を撮ってきただけでなんにもしてなかったからな。

[奈良近遺調] 一次中

画像の説明

画像の説明

これらもやがて、ちゃんとした評価を受けられる日が来るのだろうか。いや、なってほしい。その歴史も、現在の姿も、(少なくとも奈良県下では)普遍的な価値があるものと信じている。 せっかく苦労して見つけてきたんだし。

東邦電力社史、及びその草稿に白砂発電所の増強に関する記録はない。関西水電時代のことだからな。「電気事業者要覧」を通し読みしてT9?に480kWになっていることを確認した。T11修正の「奈良」で位置が変わっているのとも符合する。

なお社史が予備として挙げていた遅瀬川水力発電所は着手届が出ているがT12に免許失効。by公文書。 中峯山のもたぶんそう。出来てもいないのに発電能力に加えてあるのは、それが一般的なことだったのだろうか?

遺産的観点から言えばこの水圧管よりも取水堰堤と水路のほうが貴重。明治40年に県下で最初に作られた水力発電所の水路がいまも水路として生きていて、奈良市民の喉を潤している。80%のさらに一部なんだけども。


画像の説明

意外なところから「橿原道路元標」の謎も解明できた。 2600年事業で作った参詣道(天皇陵参道)が府県道に昇格した時、 かなりの数の道路が橿原神宮を起点or終点にしていて 、そのために元標を設けたらしい。 「奈良県報」昭和16年7月8日第2149号の告示385号。

もともと元標は旧道路法施行細則第9条の1に「各市町村に一箇を置く」とされているけれども、他に置いてはイカンとは書かれてない(置けとも書かれてないが)。第7条には「府県庁、師団司令部、鎮守府又は市役所の所在地を国道又は府県道の路線の起点終点と為すときは市町村に於ける道路元標の位置に依るべし」とある。府県庁や師団司令部のように、すでに存在する枢要施設のそばに道路元標を置くのがデフォであって、起終点が集中するような場所が後から作られることになるとは想定していなかっただろう。若干拡大解釈で設置されたものと言える。市町村以外に設置された道路元標は日本で唯一 ※ だろうし、そういう例外が認められたほど橿原神宮建設は特別のことだったのだな、と改めて思わされた。

もう一度行ってモノを見てこないと調査票が書けない。というか何度行くつもりだ>橿原神宮。ちなみにこの時認定された府県道は、大半が重用区間のほうが長いようななんちゃって県道。参道の階段まで認定されたわけではないような感じ。

※ 告示をよく読むと「畝傍町の道路元標のその2」という位置付けであったかも知れない。「同」とつくからにはその前の畝傍町を引き継いでいる。細則の通りなら駅前元標を廃止して神宮前に置くべきだった。いずれにせよちゃんと設置が告示された元標だということは間違いない。

一次調査は9月迄ってっことになってたけれど、結局どうなるんだろ? このままダラダラ続くんだろうか? なし崩し的に二次調査に突入するんだろうか? どちらでも対応しなければならないんだろうけれど。予定が組みづらいったらない。

[ToDo] KINIAS発表

いきさつ。近代化遺産調査とは。奈良市→KINIASが奈良県→KINIASに。奈良県最後。慣例的に近代建築が取り上げられることが多い。産業分野を主に担当。加えて土木。道路(林道)は個人的な趣味のぶんが多い(趣味は他に適当に書き換え)。

スケジュール ぐだってます 一次調査 →二次調査という流れ。以上を5分。

具体的に見つかった物件。ここで時間調整。自身が見つけたものを中心にすると廃物件ばかりになるので適宜うまくする。N先生のニチアス調査など。

大項目:発電所。M40白砂発電所。M43初瀬発電所。(吉野郡の小規模発電所群)。T9白砂二代目。T元筑波峰。吉野・樫尾、摺子は調査をみて。長殿の話から索道につなげる。

◎:吉野郡の索道。大和索道。北山索道(絵葉書のみ)。篠原索道と軌道。

◎:林道。滝川林道網。野迫川北又の木軌道。大鯛木馬道。

◎:道路。受取越ほか。天辻隧道。高橋。美吉野橋。小倉橋。池郷橋。西河橋はどうしよ。元標もここ。

◎:橿原神宮公苑。都市計画とれむにすけーと。橿原道路元標と2600年記念参道。畝傍跨線橋。

◯:鉱山。立里しかないのか・・・今のところ。

◯:市町村調査から。法隆寺防火池。

△:鉄道。きりがないので。せいぜい川端線くらい。他はどこにでもあるもん。索道の話につなげてループさせる。互いの連綿。

こう見ると結構しゃべれるものはある。入りきらないくらい。

自分で自分の首絞めているとしか思えん・・・

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [これは良い記事を教えてくださいました。天竜ではこの頃まで木馬曳きが生きてたんですね。竹下さん、いい顔してます^^) お礼に写真の件を。中奥の在所の先で左岸に渡っていくのが大鯛林道です。美林の中を登..]

_ 神吉 [土木学会選奨土木遺産は、各支部が推薦したものはプレート代無料(複数必要な場合は追加費用分は管理者自弁)、公募の場合はプレート代管理者自弁となります。なお、設置費用は管理者です。「土木学会が与えてく..]

_ 永冨 [あわわ、失礼いたしました。公募のほうばかり考えておりました。お詫びして訂正いたします。]


2012-10-02 [長年日記] この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #282

画像の説明

ふさふさ。ふさふさ。かさ。

大写真ばかりだと間違えて開いたときに面倒だ。


2012-10-03 [長年日記] この日を編集

[奈良近遺調] 道路元標まつり&陵墓まつり

画像の説明

世にも不思議な「橿原道路元標」。そのレゾンデトオルを伝承し、不思議を不思議で無くする役目を負った。

基本的に里程元標の位置を踏襲。設置に際して里程元標調査をし、それをもと一旦ここに置くよと通知、その後郡と町村の言い分を聞いて設置場所を決定した。それに対する反論も受け付けた。そうして大正11年度に36カ村、12年度に30カ村を設置。そのすべてが角丸四角柱なのはそのためだ、だから辰市村は丸頭なのだ、と思ったのだが11年度に設置なら丸頭にしろよ>奈良縣。

元標はほんとに道路の際に置かれた。四ツ辻の角とか。だから車が巻き込んで折ったり拡幅で失われたりした。実際に設置するにあたって現場判断で場所をずらした場合もあるらしい(その訂正願いも出されている)。そうして都跡村ほかは昭和17年に廃止が告示されている。なので存在しないはず。

参陵道に関してはそれほど面白い発見がなかった。県道指定が残っているいくつかは意味があるかも知れないが。

かわりに中橋とかS4ポンプ車とか機雷とかをゲットした。T12竣工のRC桁橋!(多分。『復命書』漁れ)


2012-10-04 [長年日記] この日を編集

[独言] 調査票まつり

一日ノンストップで書き上げる。天皇陵参道で意外に時間をとった。この間のリスト、役に立ったは立ったがそれ以外のところで手間がかかる。路線があってるんかとかなんとか。そのうち府県道名がゲシュタルト崩壊を起こし出してヤバイ。

道路元標もだんだん時間がかかるようになってきた。元位置か否か。T11/T12/それ以外か。どの府県道が通過したのか。辻の写真にその分岐方向書いてみたりしはじめてなおさら壺にはまる。高田町道路元標なんかは諦めざるを得なかった。T12時点で10県道が関与しているのでいちいちチェックしていられない。それに次ぐのは高取町の8県道。

中橋は復命書に見つけられず。統計書で茶を濁す。T1時点では0、T4で2、T7で3、T10で20いくつ、T14で151。ちょうど加速し始めた頃の1橋。


2012-10-06 [長年日記] この日を編集

[独言] 丁字ヶ滝隧道

画像の説明 ふと思い立って出掛けてみたら、辺りがきれいに刈られていた。咲いた彼岸花も倒れていたからつい最近のことだろうと思う。何かするのかな。

反対側の資材置き場は相変わらず。むしろ鉄板フェンスができて目視しづらくなった。


2012-10-07 [長年日記] この日を編集

[奈良近遺調][独言] 調査員証落とした

先日の元標まつり&天皇陵まつりの時に調査員証を落としてしまった。調査時には首にかけて携行せよというお達しを律儀に守ったのが裏目に出た。あんなパタパタするもの首にかけて自転車で走れば、そりゃ紛失するよ。慌てて引き返したが見つけることができなかった。先日は先日で支給品のGPSを紛失しそうになるし。注意三万電話は二番になってるな。

事務局に申し出たら再発行してくれるとのこと。まったくこなれていない文面の紛失届を書いて提出した。初めてのことだし類似のシチュエーションも経験がないので何と書けばいいのかわからぬ。本当にあれで良かったのだろうか。

他人にとってはハデで汚い紙切れでしかなく、拾ったからといって何か役立つこともないだろうが、返すがえす惜しいことをしたと思う。この数ヵ月間の激闘の痕、血と汗と土ぼこりが染み付いた、仕事をした!という唯一の証拠品だったのに。そうして証を紛失したせいで洞の横井戸・溜め池へ行けなかった。いや、黙って行けば行けたんだろうが、一応は身分をわきまえないと。

[奇妙なポテンシャル] #284

こっそり覗いている感じがしたので撮ってみたがそうでもなかった。失敗だ。画像の説明

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [ハイエースの事だったら失敗写真ではないと思います。]


2012-10-08 そして僕は途方に暮れる [長年日記] この日を編集

[独言] 一人称

そういえばいつから「僕」を使わなくなったのだっけ。小学校中学校の時は使っていた。高校の頃も若干の気恥ずかしさを伴いつつ「僕」だったような。同時にそれが「僕」とのつきあい辛さを感じ始めた最初ではなかったか。

大学の頃はあいまいに濁して回避していた気がする。いうなれば無人称。「おれ」は似合わないように思えてあえて使わなかった。自分にとっての「おれ」は筒井康隆の描く主人公であって星新一のエヌ氏みたいなものだった。さあていつになったら「おれ」が使えるようになるだろうなあと漠然と考えたことがあったはず。

そうそう、「じぶん」という便利な一人称を覚えたのだ。部で。どうしても一人称しなければならない時は「じぶん」を使った。この言葉、二人称にも使えるので便利だった。珍しく落ち込んでいるやつに「じぶん今日どうしてん?」とか。

完全に「わたし」に移行したのは卒研発表の頃だったと思う。練習で他の発表者が「ぼく」を使ってひどく笑われ、「わたし」でなければならないと教えられたのが決定打になった。ああこの年では「わたし」を使うべきなんだなと。そうしてやはり少々の気恥ずかしさを伴いつつ「わたし」を連発した。その気恥ずかしさはかすかに覚えているが、忽ちのうちに慣れてしまったことも思い出せる。そうしてTPOに合わせて「おれ」「わたし」を使い分けられるようになった。まちがいなく「おれ」のほうが後だ。

それからもう十何年も経過して、社会から乖離した生活をするようになり、人付き合いも途絶えて、自分を一人称で呼ぶ機会も稀になった。一人称の使い方を忘れてしまった。「おっちゃん」という自虐はずいぶん古くから使っていた気がするが、それが定着することもなさそうだし、そろそろそれが面白くない言葉になりつつある。かといって「わし」も早かろう。それを使わなければならない時期は、「わたし」同様、その時になってみないとわからないに違いない。

「わたし」を意識することはないものの、自分自身を思うことはもちろんあるのだが、そもそも身の回りに自分しかいない環境ゆえ、考えることはすべて自分に関係することであって、いちいち人称を認識する必要がないのだった。「腹減った」とは思うけれども「私は腹減った」とは思わない、そんな感覚がすべてを支配している。楽と言えば楽だし、非人間的と言われても反論できない。ただ生きているだけのようにも思われてくるが、それでいいに違いあるまい。

考えてみると、その点女性は有利だ。常に「わたし」でいいからな。

「自分のことしか考えていない」という言葉があるが、考えてみれば自分という人間が考えていることはすべて自分に関係することであって、自分(に関係する)のことしか考えられないものなのかも知れない、と考えてみる。どのように書けば喜んで読んでもらえるか、伝えたいことが伝わるのか、頭を巡らせるのも、その評価が自分に関わることだから、できるだけ上手くやろうと考えて頭を捻るのではないか。隣のギシアンに苛々するのもそういう機会のない自分の不甲斐なさを思い知るからではないか。公園の子供たちの歓声を微笑ましく思うのも、そういう平和な世界に自分がいることを認識してほっとするからではないか。どんなことも自分を基準にしてしか/自分にかかわることしか考えられないものなのではないか。

資料から情報を拾い、理論を組み立てている時だけは、ちょっと違う感覚があるような気がする。熱中しているうちに自分の存在が薄れていって、いかに矛盾のない心理を、落としどころを見いだすか、しか考えられなくなる時があって、そんな時は自分から離れることができている。自分自身の存在を忘れることができる。滅多にできない感覚だから、それをまた経験したくて資料に傾倒していくのかも知れない。


2012-10-09 一日一歩 三日で散歩 [長年日記] この日を編集

[独言][] サンボ習って格闘技

人生は貫通パンツ

とまで書いたところで嫌になった。

[独言][] 目の前のことを一つずつ片付けなさい

という助言をいただきその通りに進めたら意外に捗って一気に終わってしまいワロタ。あとは親玉が2つと企画の1ページ。企画のアフターケアもあるが大丈夫だろう。おしまいなのよ。うん。おしまいにしておしまい。

ORJの原稿も地味に進めておいて良かったと思う。ずいぶん飛ばし気味だが本来あの程度のアレでいい企画なんだ>月報。予告した記事も書いて置いているが、たった一ヶ月しか経っていないのに会話のディテールを忘れてしまってうまく膨らませられない。これもしんなり終わらせてしまったほうがいいのかも知れぬ。そう期待されていないのだし。

[未消化] 残るもの、残らないもの

/.で平城宮のなんたらが話題になっていて、思ったことをここに書いてみたのだが、無意味なことに気づいてやめた。チキンだからな。

[ph.] 蝶

画像の説明 というわけで蝶々を見てなごんでください。アキアカネどっかいった・・・

[独言] 自販機

画像の説明 三本松の辺りだっけ? 先日見かけたタバコの自販機。お店の窓口と一体になっているタイプ。それはまあ見かけないでもないものだが、

画像の説明 「100円硬貨専用」というのが琴線に触れた。そうか、昔はそういうシステムだったんだ。ひょっとしたら旧百円玉にしか対応しない硬貨判別装置が入っているのかも知れぬ。上の3つのボタンは複数個買うやつだったっけ。

店舗一体型のタバコの自販機は建物が取り壊されない限り残るので古いのがよく残っている。その機械に目が行ってつい撮ってしまう。確か御杖のほうでも見かけたなあ。

[独言][奈良近遺調] ペーパー

現状の問題点や二次調査候補をまとめてほしいということなので(昨晩から今朝にかけて)書いてみた。日付的には明日行われるの会合で見せてもらえる現状の調査票の出方次第という気もするけれども、ともかく8/5時点の結果+手札+未調査だが重要なはずの物件についてまとめた。結構長くなた。

あまり、建築/産業/土木を意識しない方がいいのではないかと思っている。いま、若干「ナワバリ」を意識しすぎてる感じがする。結局は解釈の幅の問題であって、工場の建物は建築でもあり産業でもあり、その発電所や取水堰堤は土木のみの構造物じゃない。道だってすべての産業の根幹だと言い張ることは可能なんだ。そんなことをしたら余計に混乱するから言わないだけだ。むしろザッパに「建造物」で括ったほうがいろいろ捗るんじゃないかしらん。

本当は「建物/土木」のようなくくり方をやめて、互いがどう関係しあっていたかがわかるような体裁にしてほしいと思う。極端な話、大和索道と川端線と筏井手と木馬道が同じページにあるくらい混ぜてもらいたい。

とはいえそんな連関は、冒頭の概観のページで書いて説明すべきことなんだろうと思う。一ページ一物件の体裁は、あとで参照するとき・利用するとき(コピーとかさ)に便利だし、奈良県は最後なので、先例に則らないといけない責務がある。東京都がどうするか知らないけれど(もう調査やってるのかなあ)。

奈良県はつくづく特殊だと思う。これだけやって工場がほとんど出てこないということは、更改されたというよりも、もともと大工場が発達しなかったことのほうが大きいんじゃないかしらん。イメージが一番近いのは三重県か大分県か>報告書。読んだ中では。あとは大阪のベットタウン化しすぎ。そして観光県ならではの物件が必要。その意味で橿原神宮をフォーカスしたけれども、むしろ奈良公園をなんとかしてほしい。

天皇陵、道路元標は正直些末事だと思っている。一次リストのこやしになれば程度にしか考えていない。ネタ候補がない>半ば水増し&道路物件の重要性を説くために突っ込む>誰も拾ってくれないので自分で何とかするはめに、というアホな流れになりそうだ。まあいいか、どこかで使えるネタなんだから。

重要な産業だからと(相変わらず)大和郡山の金魚池を推してみるつもりだが、迷惑だろうか。これといった古いものがないのであれば無視してもいいものだろうか・・・。しかし三重だってお茶とか真珠養殖とかの何かがフューチャーされてたわけじゃないもんな。大分のしいたけとかかぼすとか。

以上のことを全部書いたわけではない。絶対必要だということのみ書いておいた。ペーパーで出せ、っていうのは若干「ええっ」と思わないわけでもなかったが、そろそろ情報が錯綜し始める頃なので、文書化し、明確に残したほうがいいことを理解したつもりでいる。事務局はつくづく大変だと思う。

いまごろになって、国中の人々が吉野のことを気に留めていない感覚が理解できた。玖珠の人間が国東や蒲江のことをよく知らないのと同じことだ。税収入で補い合うという意味では水産業に助けられていたはずなんだが、そんなことちっとも考えたことがなかった。向こうさんにしてみてもそうだろう。

大分の場合は水分峠の分水嶺が大きな境界線になっていて、さらにそれと直交するライン( 久住の北、九重の南、東のほうは若干わかりづらいが臼杵か津久美あたりだろうか?)があって4分割されているイメージ。奈良も芦原峠ー 宇陀・吉野の境界線=分水嶺が境っぽい気がするが、東吉野村は宇陀文化圏に近いと聞いたから、ここで綻びているかも知れない。早くに佐倉峠が改修されていたせいだろうか。大和高原のエリアは大和高原の括りでいいのだろうか。それとも名張寄り/奈良寄りで分かれる? あのへんは未だに感じが掴めない・・・。山地とはいえナルいのでどこへも行きやすかっただろうと思う。

[ネタ] 箕面公園

画像の説明 逃避行動的に箕面公園を散歩した。面白い発見があった。ミニたんさく位にはできるかも知れない。しかしこの写真を撮る直前、後ろの手摺から転落氏するところだった。馬鹿ー馬鹿ー。

幅2.4m制限の旧標識も再撮影。前とったやつは間違えて上書き保存しちゃったからな。しかし素手で金網登りすべきではなかった。右手中指がおかしな感じになっている。

[独言] あなたの歩いた足跡にゃ ぺんぺん草も生えません

仁王立って腕を振って パンツ! パンツ!
休まないでパーンーツー。
それパンツ、パンツ、パンツ、パンツ、
てーってててれて、てーってててれて、てれれてれれてれれてれれてれれれれれれー。

というのが頭から離れなかった一日だった。


2012-10-13 [長年日記] この日を編集

画像の説明
本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_  [蟲蠶 ムシムシムシ ムシムシ]

_  [龍龖龘馬騳驫䯂 貝賏贔牛犇泉灥 トドロキ]


2012-10-14 [長年日記] この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #285

画像の説明見事に術中にはまった気がして悔しい。 「気がする」なんてもんじゃない。

[][ORJ] 2つup

「廃4」の皆さんには申し訳ないが、なんとか昨日のうちにメイン2本を片付けることに成功した。1本じゃアレか、予告もしたし>無理に追加>サイズが中途半端になる>もう一本増やさないといけないという例の悪循環。受付とジスオが手伝ってくれたのでもう一本載せられそうな塩梅だ。

※遊んでいるわけではありません。

[KINIAS] 20日のレジュメ

昨日中に作らなければならなかったことを思い出して急遽作成する。泣きそうだ。さすがにきっちり作るわけにはいかず、発表内容を箇条書きにしたもの+配布した資料のデータのありかを書いたのをつける程度にする。そのくせ奇数ページである。いいのかこんなので。なくてもいいような気がしてきたな。

現段階で言うことのできる奈良県の近代化の傾向?を書いて+1Pしようかとも思ったが、それは自分の役目じゃないし、出揃ってない段階で有ること無いこと言うと、後で恥ずかしい思いをするに決まってる。やめておく。たぶん物件紹介だけで時間が尽きるだろう。

講演会は20日に(確か)和歌山市市民会館で。詳細はkinas.jpを参照。内容は月報でかいたまんまなので来られる奇特な方は自分以外をあてにされたし。和歌山県の近代化遺産やそれを取り巻く取り組みの話、高砂の産業遺産物件の話が聞けます。

[未消化] 近代化遺産考

廃道亡いとで摺子発電所の件出さなければ良かったなと今でも思っているいやちゃうなあ、廃1でもう書いてたんだっけ。ただの廃物件だと思われたくないと思ってそれなりに誘導したつもりだったのだが、なあんの役にも立ってないということは元々無力だったというだけだな。

吉野・樫尾の発電所水路も「正式に」筏に乗ったまま流していたことを下市のケーブルテレビ番組の録画で知った。であれば現役で稼働している吉野・樫尾のほうが偉い。摺子発電所に拘る必要はない。長さと幅では上だが。吉野・樫尾の水路は狭かったので通常の半分の幅の筏を組まなければならなかった。摺子はどうだったろう? 落筏路はほとんど同じ幅だったような気もする。

もちろんいいことばかりじゃない。西河の水路橋がどんだけ迷惑をかけたかちゃんと触れておく必要がある。竣工直後に洪水を起こし(かけ)、その補償として五社隧道作るといっときながらウヤムヤにし(おかげで戦前隧道レコードが短くなった)、伊勢湾台風でも材木をひっかけて被害を拡大した。いまはサイフォンになっているけれども、とすると筏流路としては完全に死んでいることになって摺子と変わらない。建屋や内部機構がどれくらい残っているか、それとも残っていないか。そのへんがポイントになりそうだ。

やはり室生も押さえる必要があるな・・・県下最古の発電所なのだし。棟札探したい。

県下の発電関係の歴史は踏まえたので、次は発電技術史?が知りたい。そういうの解説した本はないものか。萩原本嫁か。

奈良県は近代化がなかったのではなく現代化に失敗したのだという説を勢いだけで唱えてみるテスト。紡績工場だって地域向けの小規模発電だってあった。重工業はないにしても種々様々な軽工業が興っていた。それが現代につながっていない。せいぜい靴下産業とか皮革産業とか製薬業が生き残ってるくらいか。あとは伝統産業と呼ばれる分野のものもの。工業化にニアイコールな意味での近代化を必要としなかった産業がかえって生き残っている不思議。そういうものか。

林道の車道転換だって結構早いんだよな。戦前にはもうずいぶん車道化が始まってる。 他所が林鉄に固執している間にトラック輸送に軸足を移し切っていた。なのになぜ差をつけることができなかった? すべては需要低下が原因なのか? 樽使わなくなったからか?

林業については、やはり、バブルにあぐらをかいていたところがあるんじゃないかな。全国どこもそうだろうが。そうはいうけれども林業の近代化ってなんだ。森林鉄道が即近代化というわけでもないだろう。林鉄が絶滅してしまっている現況を考えると、先を見越したものではなく、むしろ時代の徒花だったというべきなのではないか>林鉄。

チェーンソー、集材機の出現が近代化か。システムの効率化か。そこまでいくと現代っぽいけど、そのへんの境界線は年代以外にはないのだよな。

違う、逆か、年代で区切って、その間に起こったことが近代化なのか。だとすればますます近代化なんてなかったなんてあり得なくなってしまうな。

「建造物」だけで近代化を語らせようとするのが無理なのだ>文化庁、とどんどん上のほうへ楯突いてみる。システムの効率化、経済性の洗練(?)、文化的ゆとり(??)、観光産業、なんかは戦前から始まってたはずで、それも考慮に入れないと近代史見えてこないんじゃね? これもそもそも論だが、明治以降のモノが壊され失われていくことを危惧したから始まったんだっけ>近代化遺産総合調査。それに近代史を語らせよう、そこから近代史を知ろうというのは、江戸の町人文化だけで江戸時代を把握しようとするのと同じくらい無理無茶無策であるのではないか。

古いから偉い、はわかりやすい。耳目をひきやすい。技術的に優れている、はヒキになりにくい。なぜならその技術が理解されにくいからだ。技術をわかりやすく面白く説明しさえすれば新しいヒキになる。はず。その橋がトラスでなければならなかった理由。Cアーチでなければならなかった理由。そういうの。

しかし技術の解説はあいまいを許さない。誰にでも理解できて技術的に間違いでない(過不足ない)説明はたいへん難しい。理系脳文系脳があるとも思わないし理系>文系とも思わんのだが、この点に関してだけは理系で良かったと思う。みんな理系であってほしかったと思う。省略できるバックグラウンドがあるのとないのとではずいぶん違うからな。主に説明のラクさが。

そうか。今気づいた。理系(科学)は知識の積み重ねの上に立脚しているので、そういう状態がアタリマエと思っている。四則演算>三角関数>微積分>テンソルみたいな流れに慣れていて、テンソル知っていれば、それ以下は知ってるだろjkで済ますことができる。文系は横の広がりだ。知識を広く広く。あるいは一点に集中してとんがって。自分が知っているからといって他人がそれを知っているとは期待していない。その組み合わせに 答えの 鍵がある。

[奈良近遺調] 調査票

150を越えた。道路元標と天皇陵参拝道が入り出したので完全に水増しモードになっている。親柱だけ残存ってのも増えた。「悉皆調査なんだから」を免罪符合言葉にして頑張るか。一次リストは量が多ければ多いほどいい。自分がその物件の良さに気づけなくても、誰かが代わって見いだしてくれるだろうから。


2012-10-16 [長年日記] この日を編集

[独言] 発行の余韻に浸る間もなく作業 (伝山頭火)

アンケの一つも来ねえ。来てたと思ったら自分が間違えて送ったテスト送信だった。静かでええなぁ(よくない)

もうちょっとだけ、待ってくだされ・・・>廃4の皆様。 木に丸一日潰れることを考えると今かからないと時間がねえ。ということでKINIAS発表のpdfを作っていたら思いの外出来上がってしまった(発表内容というか、流れというか、が)。130枚を30分で喋れるわけがないと思うが、少なくとも時間が余って困ることはないだろう。 これで評価があがるわけでもない、 一銭の金にもならない、手間と時間だけが取られる仕事だが、責任は果たさなければならぬ。

[絵葉書] 探し物に行く

気分転換がてらに頼まれ物を探しに行くが見つからず。大阪城は幾らもあるのだが、全て同じ構図で、庭園がちょこっと入っている程度だ。わざと外したかのような構図だ。やっぱり大阪で大阪の絵葉書を探すのは難しい。市立図に行ったときに気を付けておこう・・・

かわりに自分がトクをする絵葉書を見つけてしまい申し訳ない気分になる。あらまほしかった電索! 以前100えんで購っておいた洞川全景の続き物であるらしい。「目で見る~」に写真がないでもなかったが、自由に使えるものがあるのとないのとでは大違いだ。

ついでに受付のお土産も。次回か次々回のセピアでやってもらおう。自分には馴染みのない場所だし。

[独言] 部屋を片付けたい

先々週辺りからのゴミやら資料やらが溜まりかつ散らかっている。あらゆるものが産卵している。そのうち孵化して虫だらけになりそうだ。

今年の春から不燃物とプラスチックとペットボトルと缶とを分別しなければならなくなり余計に片付かない悪循環に陥っている。二週に一回しかないと捨てるタイミングを逃し勝ちだ。かといって前日晩から出しておけるほど面の皮厚くないし、ちまちまゴミ箱inできるほどマメじゃないし。竹筋はこれだから困る。

いい加減旧版地形図コピーの上手な収納方法を編み出したい。大きさの合わない段ボール箱に突っ込んで出してひっちゃかめっちゃかになるのは卒業したい。そうは思うが抜本的な解決策が見いだせない。A3資料なんて沢山持つべきじゃないな。クリアホルダー作戦も量が多くなると戦い切れぬ。そもそもその箱の置き場がない。

そろそろ寒くなってきたので衣替えもしなければならない。山のようなシャツを片付けて厚手物を用意しなければならぬ。木曜日までに洗濯。あ、ライオン屋行って長靴下買ってこないと。

[未消化] 昔の道

奈良盆地の元標を巡っているときにしきりに思ったのだが、今みたいに高いビルが立ち並んだり、郊外に住宅が広がったりしていなかった頃は本当にナルい原っぱだったんだろうなと思う。果てしなく向こうまで見通せたんだろうなと思う。盆地の真ん中を縦断していく街道とか。大阪でも昔は中の島の橋から四天王寺の五重塔が見通せたという。鴻池新田の常夜灯の火も見えた(んだったか、市街の火事が鴻池新田から見えたんだったか)。大阪でそれくらいなら奈良盆地はさぞかしだったろう。

どれだけ歩いても近づかない向こうの景色。長い廃隧道をライトを消して歩く浮遊感。歩いても歩いても出口の明かりの大きさが変わらない、歩いているのかいないのかよくわからなくなるあの感覚を、日の下でも味わえたんじゃないか。それとも、なんかかんか目についてそれどころじゃなかったか。昔の人はよく歩いた(一日で遠くまで歩いた)というけれども、道中が退屈だからずんずん飛ばして歩いたので早かったんだろうと思っているが、そんな人々はどんな風に奈良盆地を闊歩したのだろう。

道の広さは正義、ということを下市DVDを観て思った。いくら車が通れるようになったとか舗装になったとかいっても、トラック一台で逼塞するようじゃ、交通路としては下等だろう。危なっかしくて見てられない。そんな狭い道飛ばすな、誰か歩いてきたらどうするんだ、と思いながら見た。二車線舗装になって初めて車道として機能する。車に乗っている人は「何を今さら」だろうが、自転車ばかり乗っているとそういう感覚すらつかない。一車線のほうが車少ないし道幅一杯蛇行できるしで嬉しかったりしさえする。

車道化の始まりは早かったのだろうけれども、必ずしも最初から2車線でどかんと通したわけじゃないから、すぐに逼塞してしまっただろう>吉野の道。戦前といまとの間を埋める辺りの道のことを理解しておく必要がある。

木馬再開論。パワードスーツが普及したら木馬を復活させるべし、に一票。狭い谷から出材するには木馬が最も効率がいいと思う。山仕事の過酷さに耐えられるスーツができるのははるか先の話になりそうだが。ヘリ出材は「結局村の収入にならない」といっていた。チャーター代はかかるし、事業者が 村外資本?なのであまり旨くないと。

あと、折り箸を普及させて間伐材の需要増。誰か作ってくれないものか。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [アンケ来たけど次回まで保留さんでした・・・。 ところで磯部さん。もし見てましたら連絡くださいませ。]

_ nagajis [私からTUKAさんにアドレス伝えたほうが早いですかね?]


2012-10-17 [長年日記] この日を編集

[独言][絵葉書] えらいものが

受付がスキャンしている時に1枚増えて計11枚になった。しかもその1枚が鼻血ものだという。どういうことだ>受付。これ1枚で代金回収できるじゃじゃないか。ごめんなさい○ーチ様。

[独言] まあ、

忙しさの度合いでいえば一般人筏からな。いつ起きてもよし、いつ寝てもよし、することだけやりさえすれば。なんだけれども、それが難しいから困っている。それすらできない低能力者から一般社会人やってなくて飢えて[水+及]々しているともいえる。いろんな意味で相応しい立ち位置なんだろう。

いまのご身分括弧笑いで唯一有り難いことは、平日に時間が取れることだ。どこかに尋ねの電話をかけたり公文書館に行ったりできること。たったそれだけのアドバンテージのために飢えている。それでいいと思う。

でもあれかー、一般社会人の人だって有給休暇とか取ればいいだけの話だもんなー。本当に本気でやりたいと思う人がいたら資金面で太刀打ちできるわけがないもんな。

[独言][奈良近遺調][絵葉書] 忘れていた

橿原神宮を候補に推すのを忘れていた。神社建築だけじゃなく道路整備・市街地整備の点も含めて一体として。洞や元標まで入れたらわけわからんようになりそうな気もするけど、入れられないことはない。 どういう取り上げ方をすればいいのかわからないが。 して二次調査や報告を書く適任者もいない。

そのために絵葉書も買っといたんだけどな・・・

画像の説明

戦争たけなわのこの時期にしては珍しい?彩色絵葉書(Oh、モアレェ・・・)。当たり前だが駅前は地道のままだ。そうなのだよなあ、昔の日本人は晴れの衣装でこういうところを歩いてたんだよな。と思い出させてくれる一枚。雨の日なんて最悪だったろう。

他にも何枚かあるが、100えんでバラ買いしたので全部揃っている保証はなく、公園道路が写っているのが見つからなかったのもつらい。ネットで探すと東北陵参拝道が写るいい構図のがあったらしいんだけどナー。

そういや畝傍町道路の建っていた植え込みがないな・・・。15年以前のものらしいから、16年に設置されたものがないのは当然かも知れない。

鉱山は川上村の白土鉱山が使えるよな、とも思い出した。特異的ではあるが国栖の紙漉きとも関連がある。ここは川上村のMさんらがきちんと調べてはるので心配ない。

[奇妙なポテンシャル] #287

末尾の「なー」をカタカナにすると一気に昭和臭がする。 それだけ。 自分の生きていた時間に微妙にかぶるはずだが、戦前といっても合っていそうな気もして、うまく掴めないが昭和のかおりがする。

[絵葉書] 騎兵第26連隊 爆破

画像の説明ちょっと気になった橋梁絵葉書。連隊を紹介する一連の絵葉書があって、そのなかの一枚なのだろうと思う。戦前戦中にはいかにして効率よく橋を爆破するか、あるいは逆に爆破に耐えられるようにするかという研究もされていた(関門海峡大橋が廃案になったのも空爆に弱いからという理由だった筈)。そんな研究・訓練の一コマなのかも知れない。

桁のまん真ん中ではなく、その脇に装薬している。当たり前か。そこが一番弱い。真ん中は添継板があるので厚い。

騎兵第26連隊は岡山にあったそうなので(ググッて得た程度の知識)、この橋も岡山のどこかなのだろうか。 訓練専用の橋というわけでもなさそうだし、架線があるってことは電車線だよな、程度しかわからない。

絵葉書をよく見ると、ひどく錆びて腐食し、アバタのようになったのを塗装し直したらしい桁が使われている。今時の鉄道橋では絶対に見られないようなボロ桁だ。そういうのを昔は普通に使っていたんだろうか。

[絵葉書] 京都・笠置駅周辺

画像の説明

この間白砂発電所を探しに行ったときにうろうろしたのが懐かしかったので掲げてみる。駅や橋、道路の位置関係はほとんど変わっていない。右手に見える橋を渡り、まっすぐ行った突き当たりに笠置村道路元標がある。下ノ川の右岸伝いに進んで木津川を渡る橋。これは今破廉恥な色の取り合わせのゲルバートラスになっている。そうか昔は吊り橋だったんだ、と思って、以前この吊り橋の絵葉書を購入したことを思い出した(特に面白いことはないので省略。かわりにゲルバートラスのほうを載せる)。

画像の説明

ピンクとライトグリーン?の組み合わせ。微妙に陰影のように見えるのが悔しい。もうちょっと落ち着きのある組み合わせでも良かったろうに。

[KINIAS] 当然の帰結

マジに全部話すと50分かかることが判明した。ぶっ飛ばせるだけぶっ飛ばすか。

何度か練習してみて知恵熱が発生したのもいつもの通り。喉が痛い。

[独言][] 丞J

予定が どんどん うしろへずれ込んでいくヤバさ。出る前に7割は仕上げておかないと泣ける。写真応募も下手の笛だからこっちで大半用意しとかんといかんのやろなあ。


2012-10-18 [長年日記] この日を編集

[独言] 引用

「君の言っている『面白い 』 って何を指してるんだい? 腹を抱えて笑えること? 鬱憤を晴らすことができるおもしろおかしい何か? それだけ? たったそれだけ?
funnyは確かに必要だ。無くてはならない社会の潤滑油だ。だがね、考えてもみてごらんよ、潤滑油だけでエンジンが動くと思うかい? 社会を回すためにはそれ以外が必要なんだよ。もっと根源的な、燃料になるものがね」

---John Smith


2012-10-19 [長年日記] この日を編集

[独言] うーむ

nagajisは犠牲になったのだ・・・(何の)

↑せめて犠牲者に仕立て上げて自分を納得させようという魂胆。

書けるところは書いて準備中。溜めて溜めて最後に一気に放出するという、まさしく自分で慰める行為そのもの。続きは明日の電車の中だ。

飛ばすべきポイントを掴んだのでたぶん時間内には終わる。たぶん。延長はいくらでも対応可だが最後の長殿は練習をしていない。そこまで話す時間はどう考えてもない。

できるだけ落ち着いて、口を大きく開けて、はっきり喋ること。早口になり過ぎないこと。呼吸しないと窒息するよ。逆だと過呼吸になるよ。ようは樫尾・吉野、川端、大和索道除くpip、林道除く木軌道、橿原神宮さえ伝えられればいい。

さっさと寝て義歯暗を回避しよう。二日連続で目醒まされるのは勘弁だし、何より明日は早い。で、行くからにはそれ以外のことを考えない。最初のふんぎりさえつけば、あとはいつもの通りなんだ。


2012-10-23 [長年日記] この日を編集

[帰宅] 急

画像の説明

和歌山の発表会へ行った足で舟ノ川へ突入した。US頭陀袋にテントシュラフゴアガチャ米味噌梅干チョコレート着替えカメラ行動用ザック等等等を突っ込んで、全部抱えて徒歩の旅。

少しミスして予定通り行かなかったが、そのお陰で旧大塔村役場を発見したり、惣谷小中学校が残っているのを見つけたりした。廃4のネタも得たし御所市で近代建築を見かけたりもした。人生万事塞翁が (゚Д゚)ウマー である。

メインの探索対象である沼田原軌道についてはまた今度書く。三段活用?を狙っていたにも関わらず今回で〆ることができなさそうだが、まあ、いつものことだろう。行かなければならない箇所は確認した。主要区間を歩き通し、第一水路橋のみならず第3蓋渠やら第二号・第四号・第五号土捨て場も目撃できた。歩いたお陰で新たに心付いたことも多かったし。

帰りのバスがたまたま八木行きだったので、これ幸いとばかりに終点まで乗り、真菅村と八木町の道路元標をゲッツしておいた。


2012-10-24 [長年日記] この日を編集

[独言][奈良近遺調] おーいえ!

画像の説明こいつの正体がわかった。日本発送電の社章だ。昭和14~26年に使われていたやつだ。 丸にノコギリだと思っていたがそうではない。電気をイメージした稲妻、しかも若干右肩上がりだ。

おかげでいろいろ説明できる。村に払い下げられる契約がどこかへ行ってしまったことや、先日見てきたあれやこれやを。

[絵葉書] 山陽水電・帝釈峡の発電所

画像の説明

いつだったか3枚100円の数合わせに購入した一枚。いくら近遺調中とはいえ他県の発電所の絵葉書まで手を出すとは・・・。nagajis哀れ。しかし「 この世のどこかにはこれを必要としている人がいるかも知れない」という思いがあったのも事実である。奈良のこういうのがあれば私は喜ぶもの。

必要な方、いたらご自由にどうぞ。もっと大きなサイズのものや実物が必要であればご相談ください。

ほんとは旧大塔村役場で撮った看板に言及しようと思ったのだが、よく考えたらネタに使えるのな、ということで中止した。同じものを川上村かどこかの廃道で見た記憶がある。錆び錆びでよく読めなかったがあれと同じものだったはずだ。

[独言][未消化] 西吉野というところ

天辻峠を越えて十津川流域に入るたび、毎度毎度飽きもせず、臆面もなく、「よくもこんな場所に人が住んでいるな」、と思う。大塔などはつい数年前まで独立した村だった。そんな村が約100年も存続していた。暮らしていくだけでも大変だろうに、そのうえ村の機能を維持していたのだから、驚くべきというか、敬意を覚えるというか。

昔は自給自足で暮らしていけたのだし、そういう暮らしが日本の山村の「普通」であって、全国どこでも見られたものだ、と頭ではわかっているつもりでいる。けれどもそれを現実のものとして見せつけられ、目の前に延べられると混乱をする。実感が理解を上書き消去してしまう。あの電光型のつづら折れを登り詰めた先の一軒屋は、いったいどうやって暮らしているのだろう。毎日の食事の食材はどこで入手し、どうやって運び上げているのだろう。車があるとしても(いや、あるに違いないのだが)そのたびごとにあの電光石火を登り降りするのか。今はともかく、家を建てる時はどうしたのか。建材や家財道具はどうやって上げたのだろうか。村の寄り合いのたび、いやいやゴミ出しのたび散歩のたびにあの坂道を行ったり来たりしていたはずで、よくそんな暮らしが永続したものだと思う。道があるからにはそうしているに違いないのだが。

見かける人はみな顔に深い皺を刻んで屈託がない。それはまだ元気なうちだとしても、年老いて足腰が立たなくなったときはどうするのだろう。集落があるということは、大昔から暮らしが続いていたということで、数え切れない代数を重ねているに違いなく、その連綿を思うだけで茫とする。昔は家族の構成人数も多く、看取ってくれる後達も事欠かなかっただろうが、若者が出ていき、集落に老人ばかり残されている今日、 冷たい言い方かも知れないが最後の一人も残るまいと思う。

舟ノ川流域は特にその感が強い。沼田原。中井傍示。惣谷。そして篠原。互いに何kmも離れていて、隣在所まで歩くだけで30分~1時間は費やされる。アスファルト舗装であってもだ。車道以前の細道だった頃はどんなに大変だったか想像もつかない。もしくは逆に、石ころ一つ、枯れ枝一本落ちていない、学校のグラウンドの表土のような地道が延々と延びていたのだろうか。

幹線街道が通っていたわけでもないはずなのに住民は多かった。各在所に一つずつ小学校があり、惣谷のは中学校も兼ねていた。 最盛期の篠原には100軒近い家があったとも聞いたし、実際篠原の小学校だけは二階建ての立派な木造校舎だ。いまの在所の住人を一部屋に集めても満たせないだろう。

これといった産業があったわけではない。昔は木杓子の生産が盛んだったというけれども、それだけで村が成り立っていたわけでもあるまい。林業が最大の支えだったに違いない。しかしその産業が衰退してしまった今、ただただ衰えていくばかりだ。どこもそうだ。惣谷はまだ人の暮らしの気配がしたけれども、中井傍示は村のコミュニティバスすらデマンド方式になっている。連絡がない限りバスが来ることもない。

定期運行のコミュニティバスは、昔の大塔村役場(いまの五條市大塔支所)の前を出て、標高1300mの高野辻を越え、篠原を経由して惣谷まで行く。舟ノ川沿いの県道が深層崩壊の危険ありといって 惣谷~中井傍示間で通行止めにされているため、コミュニティバスも惣谷で折り返していく。また1300mを登らなければならない。標高差でいえば600m、それだけでも一仕事なうえに15%の勾配が続くとんでもない道。冬になれば峠に雪が降り、融雪剤も効かない厚さに積もる。そんな道で篠原や惣谷の暮らしは維持されている。気管にチューブを突っ込まれた喉頭ガン患者の如し。

早いこと県道を復旧してもらいたいものだが、県道上何百mかの山腹に亀裂が入っているとかで、対処のしようもないようだった(実際そのような未崩壊を何とかする方法なんて、ないんじゃないだろうか)。ガードマンを置いて時間制限をかけて通すしかないね、いずれそういうふうになるだろうね、とコミュニティバスの運転手さんは仰っていたけれども、抜本的な解決であるはずもなく、かといって他に良案もないという、八方塞がりな状況に、相づちを打つこともできなかった。市町村合併で市の一部になってしまったことや過疎進行中であることも考えると4πrの全立体角が塞がっているといってもいいかも知れない。

過疎に悩む村。もう何十年も前から懸念され、いろいろな対策が取られてきたにも関わらず、それを克服した村があるとは聞かない。社会の摂理として仕方ないことなのだろうか。現代が現代であり続けるために必要な犠牲なんだろうか。道が整備されたら改善されるというわけでもないし。

天辻峠を越えて数十分も行けば五條の市街があり、安くて豊富な品揃えのAEONがあり、ガストやすき家やマクドの明かりが不夜城を成している。これも解せない。その賑わいの数十分の一でも天辻を越えたなら十津川流域はもっと暮らしやすくなるだろうにと思うけれども、そういう機運がこれっぽっちもないのは言わずもがなで、相対的評価で言えばかつて秘境と呼ばれていた頃と同じかそれ以上に差が開いているのではないだろうか。他所のそういう不便な地域をたくさん見知っているわけではないけれども、例えば四国の山の中や、中国産地の奥、奥羽山脈の麓でもここほどの寂しさを感じたことはない。どんなに小さくても、売り物の賞味期限が切れていようとも、食事のできる店もしくは商店の一軒もないような在所は見かけなかった気がする。ここは自販機すらも存在しないのだ。

東熊野街道の沿道がそれほど寂しくないように思えるのは、沿道に在所が集中しているからだろう。国道169号から見えている範囲が村の暮らしのほぼ全てであり、民家の数も多い。まだ暮らしが成り立っているなと思うことができ、自分がそこに移り住んでいる姿を想像することもできる。天辻以南はそれさえ叶わない。

いろいろ感じるがそれをうまく表現できず、答えも見いだせないゆえに未消化。

[D] 10/22?

久しぶりに心地よい夢を見た。なぜかパルクールのようなことをしていた。壁を蹴って一回転してみたり、普段以上の高さにジャンプしたり。夢の中での動きはまどろっこしいことのほうが多いのだが、(しらふの今思っても夢の中の感覚でも)夢だとは思えないような軽やかな動きに独りで自惚れていた。パルクールというジャンルの存在理由がわかったような気がしたものだが、無論現実世界ではそんなことのできない鈍重者である。靴の紐を踏んでこけそうになるような運動音痴である。

自転車に乗れることと運動センスとは関係がない、と思っている。自転車なんて漕いでりゃ進むんだ。同じ動作を繰り返す退屈さにどれだけ耐えられるかっていうだけで、むしろ忍耐力のほうが要求され・・・と書いたところでそれすら持ち合わせてないんじゃね? と思ったりもした。

閑話休題(たぶん2度目)。壁を蹴って二倍以上にジャンプするのは高校時代にやったことがある。それでバスケのダンクシュートができた。折り畳み式のゴールなのでそれで届いたのだ。

[独言] 眠れねえ

つかれているはずなのにねむくねえ。下界に降りてきたのが嬉しくてコーヒーがぶのみしたからか。3日分の鬱憤が溜まっているのか。王将で食べたおすすめセット(ちゃんこ風チャンポン+焼き飯)が想像以上にボリューム大で苦しめられたからか。テントの中ではすっと眠れたのにな、珍しく。

寒冷前線の通過で雷が鳴るという予報通り、0時過ぎに雨が降り出し(その音で一度目が覚めた)、4時頃大きな雷で目覚めた。しかし雷はそれともう一度鳴ったきりだった。あとは遠かったな。山の中だからよほど近くないと音が響かない。実家は盆地だったからその違いがよくわかった。たまに大きな音がすると心底びっくりしたものだ。それが大阪に来てレアケースだったんじゃなかったことを知ったのだった。

昨日は一日中の雨。八木まで帰ってきた頃ようやく上がった。そのおかげで八木町元標と真菅村のを楽に探せたのだ。うんうん。誰も聞いちゃいない一人語り。

[独言][料理] 芯飯の発生原因を突き止めた

昨日朝に炊いた飯が見事なまでの芯飯で途方に暮れた。あそこまでの芯飯は久しぶり。記憶をまさぐってもすぐに出てこない位の昔の話だ。

原因はすぐにわかった。その前の日の晩に飯を研ぎ、適量もしくはそれよりも多いくらいの水を入れて一晩寝かせておいたのだが(夜中に雨が降ることがわかっていたので、朝やると川の水が濁っているだろうという判断から)、それをそのまま炊いてしまったのだ。中を確認して水を足さなければいけなかったのだ。水分を吸ってふやけた分、水を足さなければならなかったのだ。のだ三連発したくなるほど目から鱗の気付きだったのだ。

前日の晩から米を用意するのは合宿でよくやった。出発時間を早くする工夫だ。けれども一人旅では、 朝はのんびり出発したい質なのでほとんどしたことがない。珍しくやるとこんなヘマをする。&合宿で何度か食った芯飯もそうやって産み出されたに違いない。と十数年を経てようやく気がついたわけで、そのへんに書いてみたくなる要素があることを推し図っていただきたい。

いつもなら我慢して食うところだが、外は雨で出たくないし、昼過ぎのバスに乗れば良かったし、さほど腹も減ってないしだったので、禁断の「二度炊き」に挑戦した。ご飯をほぐして全体が濡れる程度+アルファの水をかけ、再度炊いて、ぱりぱり言い出したところでストップ。そのまま放置したところ、昼食った時には芯がなくなっていた。うんうんいけると調子に乗って食い過ぎたほど普通の仕上がりだった。ついでに芯飯の復旧方法まで会得したわけだ。ハラショー。オーチンハラショー。しかしこれは・・・使えそうな使えなさそうな技だな。昼缶用飯にはいいかも知れないが本来いますぐ食べるために炊いておるのだ。自分の場合は。

なお、自分の米の炊き方はセオリー通りではない。最初から最後まで同じ火力でぐつぐつ煮るような感じ。よほど吹きこぼれない限り火を弱めない。 パリパリ音がし始めたら炊き上がり。若干汁が浮いて坊主を形成していてもOK。蒸らすことでほどよくなる。なおこの炊き方は愛用している携帯ガスコンロか家の一口コンロでしか通用しない。普通の火器で同じことをやったらベチャ飯になるか炭化米を作ってE氏を悦ばせてしまう結果になる自信がある。


2012-10-25 [長年日記] この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #288

公園で幼い子供が横たわり、

みちー、みちー

と駄々をこねていた。そんなに道が好きか、ボーイ。

[奈良近遺調] 調査員証届いた(二度目)

再発行申請の結果調査員証が届いた。ピンクにはならなかったが、わざわざラミネート加工してくださった。おかげで汚くできない汚れてふにゃふにゃになることはなさそうだ。紐も丈夫になったので外れて落とすこともないだろう。ちゃんと対策を考えてくれたようで勝手に有り難がっているnagajisである。写真はまたどこかで。

[] 林安繁「宇治電之回顧」

昭和14年に電力管理法。宇治電が所有していた火力発電所はこの時接収された。水力発電所は保持(弥山・川合は日発の出資も受けて建設)。昭和16年の配電統制令で水力発電所も接収、翌年?に解散。従って16年以降に立てられたものということになる。

[D] 10/25

自分ではない別の人間視点で演じる夢。 場面は夜。 ステレオタイプな中東の町並み。繁華な通りから裏路地へ2、3入ったところにある、盗賊グループ? 不良仲間? のアジトへ向かっている。密集した家並みの中、ちょっと飛び離れていかにもアブなそうな廃アパートがあり、それが俺たちのアジトだ。この建物だけはアメリカかどこかのスラム街にありそうな感じ。しかし廊下を挟んでドアが向かい合っているアパートが普通なのかどうかは知らない。その建物の一階の、入ってすぐ左の部屋に入る。

薄暗く猥雑な雰囲気の部屋の中にはすでに仲間が集まっている。 叩けば埃が舞い散りそうな古ぼけたソファーにどっかりと座り込み、あるいは部屋の片隅にもたれて立ち、しかし一様に渋い顔をしている仲間の顔が、ランプのほの明かりの中にあって微動だにしない。 それに加えて見慣れない女性が一人。鎖でぐるぐる巻きにされたうえで、部屋の真ん中を走っているガス管か何かのパイプに繋がれている。

この女性、これまたステレオタイプな、いかにもどこぞのお城のお姫様(白人?)というような身なりをしている。生足に鎖がちょっとなまめかしく、淫靡な場面を想像しそうになるのだが、どうやらそういう場面ではないらしい。むしろ「高貴な女性をかっさらってきてみたものの、どう取り扱ったらいいかわからず、持て余している」というような雰囲気。

鎖の女性は、長い間立っていたらしく、尻の置き場?に悩んでいる様子。それを見て、特に下心があったりムラムラを感じたからというわけではないのだが、その女性の椅子になってやろうと思い立った。素面の今なんでそんなことを思い付いたのかさっぱりわからないのだが。高貴な客人を立ちんぼにしたら可哀想だろ、というような軽い考え。ちょうど向こうを向いていたのをいいことに、その後ろに背を向けて座って「さあ、座りなよ」とかなんとか言って、肩に座らせた。感触は全く覚えていない。

その状態で話が続けられる。自分がやってくるまで、仲間とこの女性とで「これからどうするか」を相談?していたようだ。どこかへ逃げなければならないのは確かなようだが、その際この女性をどうするかでケンケンガクガクであるらしい。椅子になったまま自分は、連れてったらいいのにと思うものの、鎖が邪魔でそれができないようでもあるし、そもそも鎖巻きにしたのはうちの仲間であるようでもあり、いまいちよくわからなかった。

やがて皆が悩んでいる理由がわかってきた。妙に馴れ馴れしいのだ。この高貴な女性。「お願いだよぅ、連れてっておくれよぅ」。まるでどこぞの娼婦みたいな媚びへつらい方でそう懇願するのだ。その言葉遣いと身なりとがあまりに乖離していて、怪しいというか、白けるというか・・・。

だんだん、自分がこの女性の人間椅子になっている状況が気に入らなくなってくる(自分で申し出たくせに)。なんでおれ、こんなことしているんだろう。

覚えているのはそこまで。その後続きがあったような気もするし、別の話しに変わってしまったような気がする。アジトにゆく前にももう少し何かあったような。だが何とも思い出せない。同じことを現実世界でやったことはもちろんない。アラビアのローマンスにも興味はない。なんでこんな夢を見たのか、全くもって理解不能。

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_ iso [あうー、飛び飛びにアクセスしていたらしく、お呼び出しに気づかずスミマセン。18日のは読んだ記憶があるのに、なぜだろう('A`)]

_ nagajis [いやいや、私がさっさとご連絡しなかったのがいけなかったです。TUKAさんにはメールでお伝えしておきましたですー]


2012-10-28 [長年日記] この日を編集

[独言] ううむ

適当なことを書いちゃダメだ!nagajis。確かにそうだ。ちゃんとサイトに特別コーナーを設けていたり土木の日イベントをしたりしているものな。。。

[独言][コアダンプ] ふと思い出した話

高校1年の初めの頃、数学がなかなか理解できなくて悩んでいたとき(何がどう分からなかったのかは忘れてしまったが)、どうしたものか思案に暮れて先生に相談したところ、次のように言われた。

悩む必要なんてないだろ。デコに「この人は数学ができません」って書かれるわけじゃないんだし、街行く人に「あ、こいつは数学ができないな」って思われるわけでもないんだからよ。

いま考えてみると解決策のかの字にもなってないのだが、それを「なるほどなあ」と思うことができたお陰で今があるのかも知れない。評価を気にしてちゃ仕方ないというか、評価されるために勉強するんじゃないと気づいたのだったか、そういうある種の開き直りをすることができた(開き直ることがやましいことではないと知ることができた)のではなかったか。実際その後人並みくらいにはできるようになり、特に不得手というものではなくなった。今はすっかり忘却の彼方だが。

でも結局はただの受験勉強しかできなかったのはツマラナイことだったかも知れない。もうちょっと明後日のほうへ突き抜けても良かったんではないか。

「転機」は後々になってみなければわからないものだ。あの時の失敗、あるいは成功。この時の何でもない一言。篩にかけて濾して掬って残った沈殿物がようやくそれだったと気づくまでである。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [良い先生やんww俺、こういうの大好きwwwww]

_ nagajis [いま考えるといい先生でした…。そういう良さもあとになってみないとわからないものですなあ。]


2012-10-29 [長年日記] この日を編集

[独言] なんとか

スケジュールの最底辺をトレースちう.自分では頑張っているつもりだが,「頑張っている」「つもり」ほど質の悪い冗談はねえなあ.まあ,今日はちゃんとそれ以外も進められたのだからまだましだと思わねば.

そうしてだんだん次号の原稿が気になり始めている.次号月報は前号前々号ほども長くならないはず.まだ一回しか出られてないし.その分を急に回してもよいが,そこまで時間があるかどうか.だいいち大鯛だって書かないといかんのだろう>nagajis.というわけで珍しく「ネタはあるが書く時間がない」という現況.なので花でも見て和んでください.

画像の説明

[独言][pdf] JPEG2000はやめれ

頼むからJPEG2000圧縮使うのはやめてほしい.そんなにサイズかわらへんやんし,結局のところ情報量というかレイアウトというかは××の△△△やんか.見れたらいいだけやんか.Acrobat6.0も使えない環境だってあるんだし.Androidでもなんしか読まれへん.

あと,コピー不可なpdfほど役に立たないものはない.アウトライン化したものは仕方ないとしても,なんでわざわざテキストコピー不可設定をするのか,理解に苦しむ.書き換え不可だけでええやん.

と,未来技術遺産のpdfと格闘しながら毒づいたことだった.

[web] りすメールのばか~

nutsでも使えるはずのりすめーるで設定が吹き飛ぶ事態に遭遇し呻吟している。ちまちまと構築してきたSPAMフィルターがきれいさっぱり無くなってしまったのでまた一から作り直しだ。(原因はよくわかっていない。受付の設定がcookie経由で感染した?)

基本的にHeaderの特定文字で問答無用にnegるようにしている。サブジェクトや本文の得ろワードで取捨選択してもいいのだが、そういう目的であってもバイアグラとかおまんこクチュクチュとか卑猥ワードを入力したくない。品性が疑われる。

X-Mailerがphpのまんまとか明らかにSPAMシステムのなんかは篩分けが楽なんだが、中には微妙に巧妙なやつもあって困る。そういうのはReceived:のIPで一つひとつ切って捨てるしかないのだが、そういう奴が同じIPを使い続けるとは思えず(そもそも本当のIPなのかも不明)、あまり効果が望めないのが辛い。BSとか見いひんねん。デジタル移行とかしてへんねん。そもそもテレビないねん。SPF見てざっくり切り捨ててやろうかしらん。

あと、charsetがiso-8891-1とかus-asciiとかもnegるよって、英語で送られても気がつかへんから注意されたい(誰に言っている?)。

ちなみにORJから機械的に送っているメールのUAは白山羊さんである。おかもつ氏の真似である。そうしてそのことにツッ込まれたことはない。萌えには無関心だがX-Moeとかつけたくなる気分は好きな質である。

[D] 10/29

うーむ。何かこう、リアリスティックな夢を見た気がするのだが、よく思い出せない。「最近夢を見ることが多いなあ、気分がリフレッシュされていいなあ」と思い、ネタが尽きないことに歩区疎遠だのは確かなんだが。

見た夢のことを書いているとそのうち明析夢が見られるようになるそうだが、そんな傾向は微塵もない。いつだって本気に夢の主人公を演じている。そのほうが面白いようにも思っている。

[コアダンプ] 羨み・妬みをふりほどくための独言

建築分野の人がつくづくうらやましい。やっかみや妬みすら感じる。幾らでもネタがあり、掘り下げるべきベクトルの方向があり、それを飯の種にできる。一般の認知度も高く、保存運動が運動として継続する素地がある。見て「ああ」と思えるものがある。鉄道も若干それに似た羨ましさを感じる。

廃道なんて、どうだ。地味で、写真を見せただけでは伝わらず、一生懸命解説すればするほど人の興味が遠のいていく。遠のいていくのを肌で感じながらなお話を続けなければならぬ。でないと説明し切れないからだ。だからといって説明をなおざりにすれば真の意味が伝わらない。目の前にあるものが全てではない、むしろ目に見えてない部分のほうが意味があり、それを記して残していく必要があるのだという主張を主張できない。そうして頑張って廃道を語ったところで飯の種にはならぬ。せいぜい一時凌ぎの泡銭が得られるか、奇異の目で見られて記憶の片隅にうろ覚えられるだけだ。

だから廃道に拘っている。誰の共感を得られなくともいい。しなければならぬと信じたことをやっているのだ。それで行き着くところまで行き、果てるなら、それこそ本望というものじゃないか。

「建築家」というカテゴリーのイメージがよくわからない。古い建物を無上に尊ぶ人もあれば、梅田スカイタワーや京都駅をもてはやす層もある。いかに効率よく経済的な建物を作るかに心血を注いでいる人もいる。その互いが互いに非難し合っているような印象がある。建築はもとより主張をする構造物であるがゆえ、その追求も主張的になりがちなのかも知れない。廃道には主張がない。廃道が自らを主張することがない。森に埋もれて眠っているだけの存在であり、やがて自然に還り尽くして存在すら忘れ去られることを望んでいる。廃道を訪ねてそのことを書くことは、眠っているそれを叩き起こしてもう一働きさせようという行為なのだから、勢い自重が先に立つ。矛を振りかざしてみたり、他を貶めてまでして主張することでもないだろう。そんな滋味を草食系と表現するのが今の世の中ならば、その世の中とは別の場所で綴り続けるまでである。そもそも建築と道(土木)を並列扱いするのが間違っているがな>nagajis。

※別に何か悶着があったわけではない。[コアダンプ]は思ったことを適当に書き散らすカテゴリである。悪しからず。

[独言] 小心者

間違って30日に追記してしまい、その日付を見て残り日が少なくなっていることを思い知らされたことが嫌で、やっぱり29日の最後に移動させたnagajisは小心者である。


2012-10-30 [長年日記] この日を編集

[D] 10/30

断片その1。綺麗に折り畳まれたバンダナが 引き出しの中に納められているシーン。オレンジ、緑、赤、青系都市迷彩という柄は実際に所有しているもので、納められている藤製引き出しも現実のもの。そうして折り畳んで収納していたことも事実。妙に現実的で、そうだと錯覚し引き出しを開けようとしたほどだ。最近は洗濯すらまともに出来ていず、畳んで収納など夢のまた夢である。

断片その2も現実的だったがコードに引っ掛かるので省略する。

[独言][] すべてを投げ出して

すべてを投げ出して一日中電車に乗っていた。そうして電車の中や待合室で拳固を書いていた。電車の揺れ、乗り降りによって切り替わる光景、我が身に降り向けられているのではない直接関係のない会話等々が没入に丁度いいことを最近知った。家でラジオを聴きながらでもいいのだけれど、まだ「話しかけられている」感じがして気が散る。集中しかかった瞬間などは特に。DJなしで昭和歌謡とかムードミュージックとかを一日中流してくれるラジオなんてないもんかしら。

でも結局は、仕上げはお母さん家でやることになるのよね。電車のなかでは骨格を作るのが精一杯。そうして電車酔いで進まない愚。


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