nagajisの日不定記。
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関西煉瓦のB.C.△H.J.はハンター商会が外国に輸出するつもりで作り始めたちう記事が「日本煉瓦史の研究」にあるのだけれども、それを裏付ける記事を見つけた。毎度毎度の毎索からである。
●関西煉瓦製造会社 当地の和田半兵衛難波二郎三郎氏等の発起にて昨春資本金十万円を以て播州舞子浜に設置したる関西煉瓦製造会社にては此程来既に充分の成績を得一日に三万個宛の製造をなし居れる由なるが同会社の製品は重に外国船のバラスに積むものにして過半は加那太地方に向て輸出する者なりと
(大阪毎日 明治23年1月24日 4面)
船のバラスに、というのはイギリスでも例があるようだ。帰り荷が空になるので煉瓦でバランスをとったのだろう。それにしてもカナダ行が多かったとはちょっと意外なカンジ。なお「重に」はnagajisの誤字に非ず。
これもnagajisの妄想ではない。本当に存在する。しかもはるかなはるかな昔から活動してはる由緒正しい協会らしい。
↑の記事を読んで、ひょっとしたらカナダでB.C.△H.J.が見つかってやしないだろうかと思って検索していくとDave Sallery氏の"Old Bricks - history at your feet"に遭遇。そこから辿っていったら協会のページに行き当たった。世界には確かに煉瓦収集家がいて---イギリスだけでなくアメリカとかロシアとかにもいてはるぞ---5000とかいう単位の煉瓦を集めているようだ。おそろしいことである。
諸外国の煉瓦はプレス成形が基本形で、平の凹みに会社名とか略号とかマークとかが刻まれている。会社名や所在地がフルネームで刻まれていることも多いのでどこの製品か突き止めやすいようだ。ざくっと眺めてみた限り日本みたいにマークだけで済ます会社は少なかったように見える。どうしてこうジャパンアズガラパゴースなんだろう。ふしぎなことだ。
英語で名前を刻む→アルファベットが記号にしか見えなかった→煉瓦には記号を押すものであるという認識、とか。でも阪府授産所は阪府授産所だけどな。
毎索を見ていておそろしい記事に出会った。大阪毎日新聞明治23年1月4日の記事である。時間がなくてコピー出来なかったが、記憶を頼りにその紙面を再現してみた。
松の内明けながら未だ目出度い言葉が居並んでいる6段組の紙面。その5段目の終わりから6段目いっぱいにかけて地模様のようなものが並んでいた。あれ、なんだこの記事、と思ったら「〓」記号でつらつらと埋められていたのだった。印刷で空白を埋めるためにゲタ記号が使われるという知識は持っていたけれども、その実物を(しかも実際に発行された新聞で!)見るのは初めてだった。
〓記号は印刷活字のオシリの形で、活字をひっくり返して刷るとこの模様になるそうだ。そうやって仮処理したものがそのまま紙面になってしまったのだろう。しかし印刷されたものは掠れているのかインクが載り過ぎたせいなのか「コ」文字のようになっているものも多かった。また横二線のゲタだけでなく縦になったものもある。そのせいで何か未知の言語のようにも見えてしまう。
タイトルはちゃんと「寄書」となっていた。誰かが投稿した文章(が乗る予定)だったのだろう。その文字と二リコ二コ二リの配置を見ているうちに「奇書」のようにも見えてきてなるほど確かにと思ってしまったりもした。
そうして何よりこわかったのが、たった一箇所だけ「然れども」という語が生きていたことだった。謎の記号群のなかに突如紛れ込んだ日常語が正常な理解を歪ませずにいない。その前後の二リコ二二と二コ二リリが実は普通の人には読める言葉であって正しく逆接の接続関係にあったりするのか。小坂淳氏の疎通にも似た不気味さが感じられてならない。
素面で考えれば原稿の入稿が間に合わずこのようなゲタ埋めになったのだろう(「然れども」は前記事の残りなのだろう)とは想像されるのだが、だからといって1月5日号にお詫びの記事が載っているようなことはなかった。それもまた不気味な事実だ。正常な日常の一記事として処理され、何事も無く百数十年間埋もれていた地雷を、私は踏んでしまったのであろうか。