nagajisの日不定記。
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午後の術科の体操は特に愉快に過せたり。七時限の芝植工は芝の運搬となりたり。芝の重き事に始めて驚く。腕の神経が其の際鈍りたる感せり。独逸語を知らず非常に残念なりき。残念なり。
予の欠点は集合がおそきにあり。思え二年前中学一年の三学期を、予も人間なり。此の性根を捨てゝ唯之のみに注意すべきなり。
今日より朝の掃除は自習室をも兼ぬることとなりぬ。然して此の神正なる道場を磨かん。掃除をなす事により自の心も磨れつゝあるものなり。
七時間目は執銃にて須屋方面の一里行軍をなす。左程きつからず。肩いたからず。然し変え銃をなして左肩に担える時稍痛さを覚ゆ。千二百を走る 4分30秒なり。未だヽ。
今日の切磋会は生徒監殿の御意図に従い未だ曾て無く徹抵〔底〕したる会にして正に志気旺盛なり。発点の余地未だヽあり。口にて言うより実行せざるべからず。
〔nagajis:「発点」は「発展」か〕
実包射撃。先発は〇五・三〇出発。本隊は〇五・〇〇起床し〇六・二〇出発。予等は一〇・〇〇よりの師団衛生部長殿話を承るべく寝室より三名宛後発とし、それまで随意自習にて、一〇・五〇出発、午後直に行う。伏にて今日は大部胆座りいたり。甲なりき。甲はざらなり。未だヽ上には上があるなり。講話の要資は統率保育にして特に我等の立場として長となる者の心掛けを承りたり。職責は責任必ずあり、長は部下の骨肉の情を以て教育すべし。一六・三〇帰校。射場に行きて食事撃ちて帰りし故勤務にもつかず者足らざりき。酒保はたんまり区隊長殿話に耳を傾け林の一喝に止む。真の勇者なりと思えり。良好。
ご存知の通り、イカロス版廃道本が10/31に発行予定。その一週間後の11/6に実業之日本社版が出る。いじょ。
ここ(部録")で書いても仕方ないしな・・・もちっと何かせんと。明日明日。
3カ所問い合わせ。一カ所OK。メモしとかないと忘れそうだ。
実業之日本社版のほうで写真・情報をお借りすることになる皆さんにはすでに確認を終えている。イカロス版のほうはもうちょいお待ち頂きたい・・・。
ついでに個人的な問い合わせ2件。こちらはORJ用に深い所まで突き詰めておきたし。あとは紀勢国道事務所と・・・。吉野は評伝が届いてから。
本編の原稿を書く。案外短くなった。資料一件だからふくらませようがないし、丸写しになりそうだし。せいぜい4〜5ページくらい。
何故廃、とりあえず書いてしまう。写真ほとんどなし。何のための記事かよくわからんくなった。まあいいや、nagajis貶めるための企画だからな。
※タイトルはパクリです。
前職で2度目の取材に行った時のこと。兵庫県北部の高原の宿だったと思う。取材といっても経験が浅かったから先輩の見習いという名目で金魚のフンのごとくについていっただけだ。で、お約束の通りカメラマンの構図に入って邪魔したりとか子供のご機嫌取りにあたふたしたり(というのはウソで元々ガキンチョなんだから意気投合したり)だとか、そんな感じで一日目が過ぎた。泊まりは紹介する宿に。広告取材という名目なのでタダで泊ることができた。食事も無料だった。それが「そういうもの」だろうと思っていた。
その日の晩、夜中に起きてトイレにいったわけだが、階下に降りると、宿の家族が総出で家族会議をやっていた。それを立ち聞きしてしまったのだ。
大半は翌日の取材についてなのだが、だんだんと雲行きが怪しくなる。まるで立ち聞きしている自分を暗に咎めるかのような展開。
「いくら宣伝ゆうても、ツクリゴトせんでもええやろう・・・」
というのはあれだ。「家族で山菜狩りへ行こう」という企画で、翌月号の記事だから、無い山菜をさぞ生えているかのように撮らねばならなかった。百貨店で買ってきた他所の山菜を持ってきて「植えた」のだ。そのへんは向こうさんも了解済であったはずなのだけれど、100%納得できる人などいないだろう。こういう場で不満が噴出しても仕方ないし普通だと思う。
「仕方ありませんわ、雑誌が出るんは1カ月後やそうですし」
「にしても、タダで泊めてやらんでも。ひいふうみい・・・6人やで。食事の用意やて馬鹿にならん」
「そりゃあ、まあ、そうですけど・・・」
宿の窮状は痛いほどわかる。旅行ブームが下火になって、かつては名の売れた観光地であった取材先も地域まるごと疲弊している。ただでさえカツカツなのだから、いくら宣伝目的であっても余計な経費をかけるわけにいかないのだろう。それくらい疲弊している地域はとても多い。というより都会以外はみなそうだ。
だからこそいい記事を書いて、お客さんに来てもらえれば、という思いが一つの拠り所になっていた。雑誌に取り上げることで幾許かの恩返しになると思っていた。それが「招かれざる客」であったとは。表向きは優しく接して下さった皆さんだし、写真撮影にもいやな顔一つせず協力して下さった皆さんなのだけど、裏でそういう思いを我慢してはったんだなと知って、まあ、愕然としたわけだ。
そもそもこういう記事を読む読者はほとんどいない。必要とされているのは「いかに安い宿か」「いかに便利な宿か」という情報、あるいは直感でわかる「きれいな写真」なのであって、グチャグチャ書かれた文章を隅々まで目を通す人はまずいない。それが辛かった。書いたものが読まれないという悲しさではなく、ツクリまでして用意して、苦労して頭ひねって文章書いて、という労力が何のためなのか、自分自身にうまく説明できない悲しさ。
ここで割り切ることができれば立派な職業ライターになれたのかも知れない。あるいはこの立ち聞きを先輩あるいは編集者に伝えたらそちらの側へ与できたかも知れぬ。しかし経験のない自分は自分のなかに抱え込むことしかできなかった。黙って布団に潜って悶々と考えた。お陰で翌日の取材が辛かった。
せめてもの恩返しにと思って一生懸命記事を書いた記憶がある。しかしそれもどの程度役に立っただろう。出版社内のなんかの賞を貰ったようなおぼろげな記憶があるが、どうでもいい。
今は楽でいい。覚え違いや勘違いはあったとしてもウソをウソだと認識しつつ書く必要がない。取材先のことを呵りながらない頭ひねって美辞麗句を並べたてる必要がない。何より読者を呵って、いかにもわかりやすい、噛んで含めて諭すようなことを書かなくていい。なんでもないことをすごそうなふうに書き立てる必要もない。行って感じたことを素直に書き、自分なりの解釈を書いていられる。それで(曲がりなりにも)生きていけるからORJをやっている。
とはいうものの、読者数が少ないうちはそれで良かったかも知れない。噛んで含めて諭すような文章でなければ読む気もしない方も多いだろう(そういうものでないものを付けてよく売ってるなあという非難は甘んじて受けるが。無理なものをいくら頑張ったって無理なのだ)。前述のエピソードだって、結局は自分が傷ついたヤな思い出を愚痴って気晴らししているに過ぎないのだろうし。
12、13日辺りに取材もどき(前述の記憶があって取材という言葉がうまく取り扱えないnagajis)に行かねばならなくなった。また滞る。すまぬ皆々様方、特に編集部の皆様〜方〜よ〜。
宇宙人から侵略を受け地球を明け渡せさもないとゼットンだかプルトンだかの最終怪獣を送り込むぞみたいな脅しをかけられガクブルした夢を見てうなされた。何がしたいのか>nagajis
ふと思い立って出掛けてみたら、辺りがきれいに刈られていた。咲いた彼岸花も倒れていたからつい最近のことだろうと思う。何かするのかな。
反対側の資材置き場は相変わらず。むしろ鉄板フェンスができて目視しづらくなった。
『虚人たち』の冒頭、金物屋の親父が電話の相手にこういう。「気をつけろ。チャンピオンたちの朝食の中にタイタンの妖女が混じっているかも知れないからな」。 それがカート・ヴォネガット・Jrのこの作品のことであり『虚人たち』の作中世界に関するリークだということは、ずいぶん後になってから知った。
そんな作品を手にする機会があったので、せっかくだから読んでみた。なんともへんな小説である。段落頭が↓で始まったり、誰もが知っているだろうというごく当たり障りのないものがわざわざイラストで描写される。こんなふうに。
(ここにジスオのイラストが入る)
その他いろいろ。
→結局、作品の中に作者が混じり込み、あまつさえ自分の創造したキャラクターと会話を交わしたり握手をしたりしさえする虚実皮膜なところを金物屋の親父は語っていたようだ。作者がキャラクターに出会って興奮気味なのに、出会われたほうのキャラクターがあまりに無感動なところなどは「普通そうだわな」と思ってみたり「いやそもそんなのあり得ないから」と思ってみたり、忙しいこと限りなし。ストーリーを読んで楽しむ小説ではなく、文章でここまで自由なことがことができるのだという極北点を知るための一冊と捉えるべきだな。あと、作者の病み具合が直接的に表現されていて、そのストレートさが一周回ることなく直に刺さってきて怖かった。
これ、原文で読んだらどんな感じなんだろうなあ。読めるわけもないのだが、日本語を介さずにラストを読んだらまた違う印象になったんじゃないか。
ガーデンモールを追加したうえ一度はボツにした「あとがき」まで復活させてようやく終わるめどがついた。残りはいちばん面倒なバックグラウンド。資料はすでに入手しているけれどもさっくりまとめられる気がしない。「あるく」や導入、そして独白が予想以上にくどくなったから、そのうえBGまでくどくしようものなら胸焼けしか残らない。
ここでガス抜きしておくか。最初の「大阪駅前拡張計画」では御堂筋線に6本、梅田十三線に1本、計7本の地下道を通す計画になっていた。この「7本の地下道」という表現は紛らわしい。各号路線の起終点を番地から厳密に追いかけてみると、すべてが交わっていて、1つの地下空間をなしていたことがわかる。要するに阪神パンフのあの地下道だ。実際に出来上がったものとほぼ変わらない。けれども計画は途中で一度変更され地下道は6線になっている(阪神梅田駅より西方が削除された形)。その次の改正で「御堂筋及び地下道を」「付図のように変更す」とあってその付図が省略されているのがつらい。概説で最終的に7線となっていたはずだから結局元に戻ったのだろうか。
ゆえに駅前地下街を第一号〜第七号に分割してみせることはできるのだけれども、記事中でそこまですると枝葉過ぎるだろう。それよか御堂筋が大阪駅前西方を起点にしてたことのほうが書いて置いて意味があることだろう。
関西煉瓦のB.C.△H.J.はハンター商会が外国に輸出するつもりで作り始めたちう記事が「日本煉瓦史の研究」にあるのだけれども、それを裏付ける記事を見つけた。毎度毎度の毎索からである。
●関西煉瓦製造会社 当地の和田半兵衛難波二郎三郎氏等の発起にて昨春資本金十万円を以て播州舞子浜に設置したる関西煉瓦製造会社にては此程来既に充分の成績を得一日に三万個宛の製造をなし居れる由なるが同会社の製品は重に外国船のバラスに積むものにして過半は加那太地方に向て輸出する者なりと
(大阪毎日 明治23年1月24日 4面)
船のバラスに、というのはイギリスでも例があるようだ。帰り荷が空になるので煉瓦でバランスをとったのだろう。それにしてもカナダ行が多かったとはちょっと意外なカンジ。なお「重に」はnagajisの誤字に非ず。
これもnagajisの妄想ではない。本当に存在する。しかもはるかなはるかな昔から活動してはる由緒正しい協会らしい。
↑の記事を読んで、ひょっとしたらカナダでB.C.△H.J.が見つかってやしないだろうかと思って検索していくとDave Sallery氏の"Old Bricks - history at your feet"に遭遇。そこから辿っていったら協会のページに行き当たった。世界には確かに煉瓦収集家がいて---イギリスだけでなくアメリカとかロシアとかにもいてはるぞ---5000とかいう単位の煉瓦を集めているようだ。おそろしいことである。
諸外国の煉瓦はプレス成形が基本形で、平の凹みに会社名とか略号とかマークとかが刻まれている。会社名や所在地がフルネームで刻まれていることも多いのでどこの製品か突き止めやすいようだ。ざくっと眺めてみた限り日本みたいにマークだけで済ます会社は少なかったように見える。どうしてこうジャパンアズガラパゴースなんだろう。ふしぎなことだ。
英語で名前を刻む→アルファベットが記号にしか見えなかった→煉瓦には記号を押すものであるという認識、とか。でも阪府授産所は阪府授産所だけどな。
毎索を見ていておそろしい記事に出会った。大阪毎日新聞明治23年1月4日の記事である。時間がなくてコピー出来なかったが、記憶を頼りにその紙面を再現してみた。
松の内明けながら未だ目出度い言葉が居並んでいる6段組の紙面。その5段目の終わりから6段目いっぱいにかけて地模様のようなものが並んでいた。あれ、なんだこの記事、と思ったら「〓」記号でつらつらと埋められていたのだった。印刷で空白を埋めるためにゲタ記号が使われるという知識は持っていたけれども、その実物を(しかも実際に発行された新聞で!)見るのは初めてだった。
〓記号は印刷活字のオシリの形で、活字をひっくり返して刷るとこの模様になるそうだ。そうやって仮処理したものがそのまま紙面になってしまったのだろう。しかし印刷されたものは掠れているのかインクが載り過ぎたせいなのか「コ」文字のようになっているものも多かった。また横二線のゲタだけでなく縦になったものもある。そのせいで何か未知の言語のようにも見えてしまう。
タイトルはちゃんと「寄書」となっていた。誰かが投稿した文章(が乗る予定)だったのだろう。その文字と二リコ二コ二リの配置を見ているうちに「奇書」のようにも見えてきてなるほど確かにと思ってしまったりもした。
そうして何よりこわかったのが、たった一箇所だけ「然れども」という語が生きていたことだった。謎の記号群のなかに突如紛れ込んだ日常語が正常な理解を歪ませずにいない。その前後の二リコ二二と二コ二リリが実は普通の人には読める言葉であって正しく逆接の接続関係にあったりするのか。小坂淳氏の疎通にも似た不気味さが感じられてならない。
素面で考えれば原稿の入稿が間に合わずこのようなゲタ埋めになったのだろう(「然れども」は前記事の残りなのだろう)とは想像されるのだが、だからといって1月5日号にお詫びの記事が載っているようなことはなかった。それもまた不気味な事実だ。正常な日常の一記事として処理され、何事も無く百数十年間埋もれていた地雷を、私は踏んでしまったのであろうか。
いい旅をした。
死んだイモリと生きた志賀直哉。死ななかったnagajisが死んでまた生き返った道を歩き鬼籍に入って久しい志賀直哉を思ったりした。桑の木の下りがやっと理解できた。
https://www.gracesguide.co.uk/Arrols_Bridge_and_Roof_Co
彼もまた死に損なった桁かも知れない。いや、生きているのに忘れられている桁。
その他写真約500枚分。
_ とと [それがあるから今がある。 愚痴をこぼすのも気を使う“今の世の中”なんてのは、ろくでもない世の中ですわ。ほんま。 人間、愚痴愚痴ゆうてなんぼじゃと思う、現在酔っ払い。]
_ nagajis [わたしもよっぱらい! そういやMSXにヨッパライちう名作ゲームがありましたな。]
_ とと [MSX…。 親の教育的指導でファミコンすらも買ってもらえなかった昔。MSXは“神”の存在でした。 これがあれば何でも、否、世界を変える事も出来るパンドラの箱…。ヒックぅ…。寝ますわ。]