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2011-05-07 なんだかなあ [長年日記]

[] あじかわまつれない

「廃道をゆく3」の時も思ったが、改めて書く用の文章(思ったことを適当に書き散らして気分転換するためのぶんしょーではなく人に説明するための文章)を書くのは難しいと思い、そうして難渋をしている。あれとこれとを書こうとは思っていて、その部分だけパーツとして書き出してみたりしつつあるものの、それが一つモノに組み上がるようには思えなくてならない。無理矢理やったらザクレロに足がついたりガンガルになったりしそうだ。概説がいちばん難しい。「廃3」でさんざ呻吟してまとめた直後なものだから、頭に浮かんでくるフレーズがみな廃3そのままという。どんだけ脳足りんだよ。

[橋梁] 二ノ俣橋

画像の説明
逃避行動的に写真をのっけて何か書く。二ノ俣橋は超絶峡谷地帯に架かっていてアプローチが難しい。接続していた部分は新規に付けられた車道林道によって削られ、もしくは埋もれてしまっている。車道林道の脇の崖下に橋だけがあるという状態。

はじめは離れた場所から川伝いにアクセスしたが、対岸に渡ることはできても橋の上に上がることはできそうになかった。対岸側(写真左)の橋台が崩落していて上がれない。そもそも車道側(写真右)の橋たもとにも近付けない。全部垂直の崖に囲まれているのだ。

3mほどの梯子があれば林道から真上へ降りていけそうだったのだが、もちろんそんな準備はなかった。仕方なく降下地点を探して右往左往した。上流側にルートを見い出そうとした私は5mほど降下して上の写真を撮るのが精一杯。あと1m川側に寄ったら川底という崖の上で木に足をかけながら撮っている。

結局masaさんが一点突破の秘孔的ルートを発見し、残存軌道へ降りることができたのだった。たった一つだけ残っていた親柱に橋の名と竣工年月が刻まれていた。

本線を探索してれば立派に記事にできたと思うが、病み上がりの治癒し切ってない足ではmasaさんが探索済みの支線に案内してもらうのが精一杯で、本線には足を踏み入れてない。また続きが歩けたら書くことにする。


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