nagajisの日不定記。
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煉瓦規格を対厚比で推定しようという試みを検証しているのだが、前提としている仮定にかなり無理があることがわかってきた。素地の大きさはどれも一緒で、その焼き縮みの比率が各煉瓦で違うだけなのではないかと考え、その比を取ることで焼き縮み率の影響を取り除こうというのが対厚比法のキモなのだけれども、各個測定した20数点の長手と厚の寸法について相関係数を取ってみるとよほどうまくいった場合でも0.6くらいがせいぜいで、ひどい時には0.01とかいう値になる。長手と厚の間に全く相関関係がないということになり、長手と厚の比が云々なんて意味がなくなってしまう。
理由はいろいろ考えられる。そもそも煉瓦が等方的に焼き縮んでいない、あるいは乾燥時に等方的に収縮していない可能性。等方的に焼き縮んでいないものが20数個の計測の中に混じっているのは間違いない。長手だけとか小口だけとかが焼き縮んだようなもの、長手小口が変形したものが随分入っているのではないか。これは関西の例ではないが、浜名橋梁の井筒を調べた時に東京煉瓦の○T印刻印のひしゃげたものが多くあったのを思い出した。素地に打刻した時には真円だったはずだが(それがうまく焼けたら上写真のようになる)、焼く時に長手より小口のほうが強く焼き縮んだか整形時に小口が圧縮されるような修正が加えられた結果、印が歪んで縦長になってしまったものと思う(下写真)。
この変形の原因は、おそらく、焼成時の積み方が大きく影響している。スタックの下の方の煉瓦はそれより上の煉瓦の重さを受けるわけなので、小端立てにして積んでいれば小口方向に潰れやすいものと思う。あるいは長手方向が他の煉瓦によって拘束されるため焼き縮みにくいのかも知れない。同じ窯の製品でも長手が±2分=6mm、最大最小の差が1.2cmも変動するというのはそういうところから来ていると思う。(下写真は中川煉瓦で実際に採用されていた詰め方。小口を小端立てて井桁に組む)
あるいは取り板に取ったあとの乾燥の作業でひっくり返したり移したりする作業工程で大きく変形してしまうことも考えられる。型枠から抜いた直後は型枠の寸法比を保っているだろうが、それが歪んで再整形したとき、元の型枠の寸法比の通りに整形されるとは限らない。目分量でだいたい同じにされれば1分変わることも容易に想像される。そういう〝歪んだ煉瓦〟が無造作に混じっているから相関が低い結果になるんじゃなかろうか。
だとすれば採寸して比を取ること自体無意味なことになってしまう。かといってこれまでの検証を全部ポイする気にもなれない。私は往生際が悪いのである。
構造物に使われている煉瓦の中に規格の比から外れた〝歪んだ煉瓦〟が混じっているものだとすれば、そういうやつまで測る必要はなく、それらも含めて平均値なり不偏分散なりを算出しても真から外れるばかりだろう。明らかに歪んだものは測定時に排除するようにしてきたけれども、それをもっと積極的にやってもいいんじゃないか。計測した数値のなかで歪んでいると判断されるものを省いてもいいんじゃないか。都合のよい数値を恣意的に選んでいることになってしまうが、そうでもしないと煉瓦の寸法は理解できないのではないか。
じゃあ具体的にどうするか。理論は簡単。要するに長手対厚の比が似通ったものを選べばいいわけである。その「似通った」の判定は長手・厚のデータセットの相関係数で判断すればいいのではないか。20数個計測したもののなかから相関係数が最大となる10数個を使って比を出すなり寸法絶対値を出すなりすればよい。そう考え、例えば20C10の組み合わせについて総当たりで相関係数を出し、それが最も大きくなる組み合わせを見つけ出すようなプログラムをでっち上げて試してみた。
例えば京都大阪間の山端暗渠。これは比較的正確に測れたと思っている暗渠で(目地が抜けつつあるのでモルタル被りなしの煉瓦の実寸を計測できている)、それでも長手/厚は0.49、小口/厚は0.60という相関係数。このなかから相関係数最大になるような組み合わせを探させると
こうなる。どちらも0.9+という驚異的な?相関係数が得られ(点数が少なくなった時点で相関係数は上がるんだろうが)、その組み合わせで算出した長手/厚比と小口/厚比の組み合わせは同じ路線の他の構造物のとよく一致してくれる。4.05<μ長手/厚<4.17、1.96<μ小口/厚<2.02。京都大阪間の煉瓦はどれも4.10前後、2.00前後に落ち着く。
これを田中源太郎の楽々荘の煉瓦でやると、20数個の平均値で計算した時よりはるかに監獄則類似になるのだった。龍谷大学旧守衛舎は30C12がメモリ不足で計算できなかったが、適当に22に減らしたうえで計算し直してやはり長手/厚比が監獄則煉瓦に近づいた。京都の煉瓦が監獄則煉瓦の比率であることが多いのはまことに示唆的だと思う。
問題は、こんな恣意的な計算が許されるのかっちゅう話や。話はどんどん大きく怪しくなっていく方向へ転がっていく石の苔。
メモリ不足を解消するにはnCrのfunctionのなかで相関係数の算出と最大値かどうかのチェックをすればよさげ。足らんくなるのはnCrの関数のなかでなので不要なやつはさっさと消していけば解決するんじゃなかろうか。nCrを全部配列で返して改めてforeachしてたらそりゃメモリ足らん。
『丹波史談』第8号の記述をもとに南桑煉瓦のコアとなる文書の閲覧を申請し閲覧しに行ったのだが、また核心に至れなかった。山田理一郎氏や山田晋一氏が「大切に」と書き添えてまでして残していた南桑煉瓦関係書類の中に肝心な文書が欠けている。5,煉瓦請負契約書、7,煉瓦石請負契約書訂正願、8,右に対する返信、など……。それがいちばん読みたかったのに。
もともと『丹波史談』は山り文書が亀岡市に寄贈されるよりはるか昔の昭和25年に調査執筆されたものなので、その時にはあったものが後年散逸してしまったか、別のカテゴリの資料として分類されて別簿冊に入っている可能性がある(閲覧できたのは原本を撮影した画像を印刷製本した冊子で、南桑煉瓦関係書類と書かれた封筒に収められていたらしい書類が収録された2冊だけだった。それぞれ237・238とナンバリングされていたので数百冊はこういうのがあるのだと思う)。
そうはいってもおいそれとは引き下がれないので、必死になって簿冊を読み解き、結果、『丹波史談』に拾われていないが核心にかなり近い資料をいくつか発掘することができた。最も重要なのが上の一枚。M30.7.27に南桑煉瓦と京都鉄道の間で交わされた契約書「直段書」の写しと思われるものである。
これを読むと、南桑煉瓦が京都鉄道に売り込む前から作っていたのは「長七寸壱巾参寸四分厚一寸七分」という寸法だったことがわかる。他の文書で既成煉瓦を「並形」と呼んでいるものがあったので、南桑はこれを並形煉瓦のつもりで作っていたこともわかった。その既成品は「40万個」の契約で買い上げとなり、それとは別に300万個の契約が交わされたが、その300万個については京都鉄道が提示した寸法で作ることになっていた。型枠を改良してそれを納入しなければならなくなったのだ。このへんは山り日記の解読からも判明している。
そうしてその300万個に要求された寸法は「別紙の通り」とあって、その別紙が複製されていないのだった。泣きそうになった。けれども、その次のページを見ると、別紙の反転画像らしきものが写っているのに気づいた。別紙の部分が見開き一枚分飛ばされていて、その裏側がこれなのだろう。
反転させると赤枠。「焼上ケ寸法」「一長九吋」「一巾四吋四分ノ一」「一厚弐吋四分ノ一」、焼過は厚弐吋八分(ノ一)ともある。要するに 9 x 4-1/4 x 2-1/4 ins.というインチ規格の煉瓦を要求されたらしいのだった。
南桑が製造していた並形’は1141.6 cc、京都鉄道が要求した煉瓦は1410.3 cc で、焼き上がり体積で1.24倍大きい。ということは一個あたりの原土の量もそれだけ多く必要になる。それを焼くための薪代も嵩むし、もちろん型枠を作り直す必要もあるわけである(そうして1個当たりの単価は既成品と同じ1銭4厘)。南桑は並形’で収支を見積もっていたから、契約のとおりに進めれば当然アカが出ることになるわけだ。
つまるところ、これが南桑煉瓦の失敗の最大要因であり、煉瓦規格が乱立していたために起こった齟齬だった。規格乱立の弊害の実例なわけだ。あるいは交渉にあたった山りの判断ミスと言えるかも知れない。京都鉄道のいう煉瓦が既成品の1.24倍の体積になることをその場で見抜いていれば単価を上げるなりなんなり交渉できただろう。
ともかく山りがこれで契約を交わしてしまったことが後々まで響くことになる。煉瓦単価を上げることとか寸法規格規定を融通緩和してもらうようにと願出を重ね(これが見つからなかった7,8,9の資料)、解約するのしないのの騒ぎになったりした。最終的には契約履行を断念し、会社の役員の一人・植田石之助が個人で契約を引き継ぎ納入を続けることになる(M30.11.27 238収録のソ-24-7)。南桑煉瓦が受注した300万個が契約解除になったというのはそのことを指したものだったわけだ(契約直後の解約騒動は元の鞘に収まっているby山り日記。その後数ヶ月は製造を続け、12月に契約解除→植田へ引き継ぎなのである)。既成品や改良型枠で作った煉瓦;他資料に数十万個の製造記録あり は植田の手によって京都鉄道に納入されている。少なくとも計70万個以上。
確かに京都鉄道の構造物に使われた煉瓦は複数の寸法がある。トロッコ亀岡駅の東にある鵜ノ川橋梁の煉瓦などは各個計測で7-2-5 x 3-4-5 x 1-7-0 寸と計測しているので、これが南桑煉瓦初期の並形’に違いない。嵐山方亀山トンネルの東口の隧道前擁壁なども薄く見えた。トロッコ亀岡駅下の暗渠の煉瓦はほぼ 9 x 4-1/4 x 2-3/8 ins.、これが京都鉄道の意図した規格の煉瓦と思われ(旭商社製?)、隧道の覆工にはこのタイプの厚みのある煉瓦が使われていることを通り抜けざまに確認した。測っちゃいないけどな。一方で田中源太郎の楽々荘に使われている京都鉄道社章印の煉瓦は7-2-5 x 3-4-5 x 1-8-5 寸という体系で、9 x 4-1/4 x 2-1/4 ins. よりも一回り小さい。おそらく監獄則煉瓦の型枠を流用したもので、それが300万個契約以降の南桑煉瓦や植田が作った改良煉瓦と考えていいと思う。『丹波史談』掲載で今回発見できなかった文書では規格の融通緩和が認められたことになっているから、必要最小限の改良を加え、9 x 4-1/4 x 2-1/4 ins.よりは小さめな煉瓦による納入が認められたのではないか(これも隧道に使われていることと思うが、通り抜けざまじゃ長手長まで判断できないからな……)。
そういうところまで推測できるようになった。しかしその推測を立証する肝心の文書が見つからなかったわけで、また断定できないところが残ってしまったわけである。だから嵯峨駅で亀山トンネルの煉瓦を測る必要があったのだが……。遠いなあ。まことに遠い。測れば多分9インチあるはず。
http://www.kyudou.org/KDC/brick/correl.php
組み合わせ爆発を抑えるにはよほどのことをしないといけないらしい。&関数が再帰的なのでながじすの理解を超えている。
結局、メモリ8GBの手元マシンでリミット無制限でぶん回して25C12くらいが限界。しかもこれで龍谷大学旧守衛舎の小口/厚計測を処理したら1.92→1.96になってかえって監獄則比から外れてしまう。長手/厚比はジャストなんだけど。それで得た長手・小口・厚長がインチできれいに表せるわけでもない。7-3-0 x 3-6-0 x 1-8-5寸とかいうものになってしまう。うう。
それで考えたんだけど、比率が似た組み合わせを出せばいいわけだから、先に比を出しておいてR2なり偏差値なりで除外してったほうが早いんじゃないかしらん。組み合わせ総当たりとかいう横着をするからメモリが足りなくなるのだ。
醜く育ってしまったので美しいものに憧れた。
性根が曲がっているので真っ直ぐなものに憧れた。
憧れるんじゃなくて、目指していたら、そうなれたのかもしれない。
これくらいワタリがないと普通のズボンと区別がつかないな。
綿パンで作るとベルトが必ず皺寄ってくる。一度型がつくと戻りにくい。芯になるような何かを入れたほうがいいのかも知れない。あるいは皺寄ったままで使い続けるかだな。
妙に締まりが悪く感じるのは後方のベルトループを前にし過ぎたためであるようだ。ベルトを締めようとするとこのベルトが金具に詰まりそうになる。あるいは後ろ身頃にもタックを入れて少し狭くするか。
もともとが中古の作業ズボンなので裾が少し短かった。ハイカットのブーツにかかるかどうかという寸法。しかしウェストがぴったりで腿回りも充分に余裕があったので(自分にしては珍しい。Lだとウェストが余るしMだと腿が張る)使おうと思ったのだった。結果歩く分には問題ないが自転車に乗るとわずかに突っ張る感じのズボンになってしまった。