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2024-11-17 [長年日記] この日を編集

[独言] 泣きたい

(抹消)

[] 吾輩は猫である

この歳になって改めて読み直してみて気付かされることが多かった。例えば最終章の迷亭君の穿ち。「御上の御威光だから出来ないのだと云う新現象」は今ではそればかりなのではないかしらん。個人主義が台頭するとやがて夫婦別居が当然になるというのも今じゃそれを過ぎて夫婦がまともに成立せぬ世になった。いまの家庭でとん子すん子めん子の三令嬢+苦沙弥先生に耐えられる嫁がいるだろうか。そもそも嫁という言葉さえ使いにくくなっている。そういう深まりはあるにしても人々のやることなすことは明治37、8年の昔からそんなに変わっていないらしい。

初めて読んだときは最終章やその前の辺がぐだぐだなだけに感じられて斜め読みしかできなかったが、改めてじっくり読むとまことに味わい深い。あれだけいろんな騒動がありどうしようもない感じな登場人物たちだが結局はなんだかんだでうまいこと鞘に収まっていってしまうのは物語の締めくくりとしてのご都合主義ではなく「世の中そういうものなのだ」という表現なのかも知れないと思ってみたりした。いがみ合ったり貶し合ったり笑い合ったりしながら流動しつづけていくうちに落ち着くところに落ち着くのが世の中、カタルシスな結末はないものと。吾輩の死も今回はなぜか哀れに思われなかった。世の有為転変の一つでしかなく必然といえば必然であるようにも思ってみたり。

禅の知識が多少ついたお陰で独仙君の言わんとすることがよくわかるようになったし、イクラちゃんがバブーな理由も今更ながらわかった気がする。逆なのだ。めん子がばぶだからイクラちゃんがバブーであったのだ。継いだ挿し木の大きく繁ったほうばかりが見えていたに過ぎないのだ。

銭湯の描写もいろいろと考えさせる。多少は誇張されていると思うけれど風呂場で繰り広げられる陰に陽にの自慢話、ごく自然な対人の姿勢はいまでいうところのマウント合戦であって、それが江戸時代から延々今日まで続いているわけだ。本人らにはちっとも悪気はないのであって、そういう言い草が普通な世界に生きているだけで。それをよそ者が見るから自慢だとかマウントだとかと評したくなる。熱い湯に我慢できずに叫び出す苦沙弥先生のほうが正直でいいなどと思ってしまう。その評はきっと間違っている。

登場人物はみな一癖も二癖もある者ばかりだけれども、じゃあ「普通」って何なんだいと思い直してみたりもする。どだい「普通」なんてその時々の社会環境によって全く変わるし、なにか特定の尺度を用いずにそれを定義することはできない。その時代の価値観の平均値的なものであるとしても時代が変われば普通も変わること必定。鮑の貝を猫の餌皿にするのは家でもやっていたし、部屋に鼠が出て困ったことも経験しているので私にはそれが普通と思えるが、今となってはもう社会常識としては通用しないだろう。何をもって普通というのか、常識というのか、定かに言えないのに、そのくせ社会は普通であること常識的であることを求めてくる。苦労しないわけがないのである。

[D] 11/17

夢十夜まで読んでしまったせいではないと思うが妙な夢を見た。舞台は寂れた公園のようなオープンエアの商業施設のような場所。同級生だが友人ではないという程度の親密度の仲間数人とともにそこで冒険活劇を繰り広げる。多少スリルのある展開があった記憶が幽かにあるがその部分は忘れてしまった。そうして公園?施設?の隅の方まで走ってきたとき、建物の壁に扉がついているを見る。現実にありそうな、上半分に網入りガラスをはめ込んだアルミ製の開き戸だ。その扉を見て「トイレだ」と認識し、それと同時に自分が尿意を催していたことを思い出す。

渡りに船とばかりに扉を開けて入ってみれば確かにトイレ。ただし建物に付いていた扉だったはずなのに天井がない。吹き抜け吹きさらしのトイレである。先に大便場の扉が並んでいてその奥に小便場があったのは今考えてみると妙なことだ。

小便器が振るっていた。口を大きく開けたモアイ像(本物のモアイ像の口を縦にぐんと引き伸ばしたような格好で、たぶんそればパロディウスかなにかのボスキャラから連想しているのだろうと思う)で、かつそれが下に2列、上に3列、逆ピラミッド形に積み重ねたように並んでいる。いずれも便器として機能しているようなのだが当然ながら物理的に利用可能なのは下の2個だけだ。そんなモアイ便器を見て「これこそ探していたものだ!」と感嘆する私。尿意を晴らすために探していたという意味ではなく冒険活劇のなかの小目的の一つとしてそれを探していたような心持ちがあった。

それと尿意とは別である。放尿を試みようとしたのだが、天井が吹き抜けのためか便器の足元に水溜りができていて用を足しにくいこと夥しい。そんなところに溜まっている雨水なら小便も混じり込んでいそうで迂闊に踏めない。水溜りの縁を踏むようにしてなんとか放尿してみたが体勢が悪すぎて随分外してしまったうえに盛大に跳ね返りを浴びてしまいもする。なんてこった。

その処理をどうするか考えながらチャックを上げ、便器を離れる。水道か何かないものだろうかとトイレの奥を見遣ると、床が草まみれの土敷になっていて、半ば廃墟化しそのまま庭に繋がっていくような塩梅。そんなトイレとも庭とも区別がつかない辺りにグリーンスケルトンなプラスチック製の人形が落ちていた。仮面ライダーを寸詰まりにデフォルメしたような感じで(大昔にそんな容器に入ったシャンプーがあったような気がする)、かつ体が半分半分になっている。適当な表現が見つからないが、例えて言うならライダー1号とV3を縦に割って半々くっつけたような感じだ。しかもその半透明の人形の中にゴキブリのような虫が無数に入っていてカサカサ動いている。現実のゴキブリのような姿形だがちょうどライダーの腹の部分が赤いようにその虫も腹の一部が赤かったり背中にグリーンの色を背負っていたりする。そんな虫がうようよ入っているせいか、うつぶせになって落ちている人形自体もカサカサと動いていた。まことに気持ち悪い。まことに気持ち悪いが、その虫もまた冒険活劇で探し求めていたものの一つであった。

飛沫の件も忘れ、その虫の捕獲に向かう我ら。捕まえるためにはその容器を開ける必要があるわけだが、開けたら無数に飛び出てきそうで、かといって容器ごと回収して行けば無数のワサワサを携えて進まねばならないことになる。そんなにたくさんは欲していない。さてどうしようと逡巡していると、その容器から少し離れたところに、容器に入っていないその虫たちが10匹ばかり屯しているのを見つけた。容器の虫をどうこうするよりそちらをどうこうしたほうがよさそうである。

仲間とともに駆け寄り、踏みつけて一匹採取しようとした刹那、屯していた中の一匹が、それこそ現実のゴキブリの如くに飛んだ。ああいう虫はなぜ人に向かって飛んでくるのだろう。そいつも自分に向かって飛んできて、右腕の二の腕の辺りにぶつかったか取り付いたかした。それで驚いて「アッ!」とも「ワッ!」とも表記し得るような悲鳴をあげてしまったのだが、その悲鳴で目が醒めたのだった。ドレミファのファに相当する音階の、まことに情けない、間抜けな音色の悲鳴だった。


夢の状況は現実に非常な尿意を覚えているか漏らしているかというような状況だが、目が醒めた時には全く尿意がなく、漏らしてもいなかったのはちょっと不思議なことだった。夢でトイレを見たことを契機に夢の中だけの尿意を覚えたわけである。あとゴキブリ様の虫に対する反応が現実並みであったのも面白いと思う。ゴキブリを見ても怖がったり敵対心を掻き立てられたりしない質だが、いざ飛んでこられるとさすがに嫌悪感が勝る。悲鳴をあげるにしてもあんなまぬけなファの音階の奇声だろうと思う。


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