nagajisの日不定記。
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と9時間後に書く非道.まあよいではないか.特濃にはあとでTUKA氏提供の写真が入る予定.
新淀川新橋補遺は何故か非常に入れなくてはならないような気がして終了間際に突っ込ませてもらった.モノは橋台しか残っていないがismはちゃんと伝わってたんだという発見を,書いて誰かに伝えたいのではなく,書いとかないと前記事が半端で終わってしまいそうなのが嫌だったので.今後何かが追加で出てくる気配もないし,次号に回すと自分が忘れる.後ほど68号のDLページからも落とせるようにしておく.
発行後から慌てて生野報告書を書き始め今に至る.書きたいことはたくさんあるがまとめ方がいまいちわからない.書いてまとめるしかないのがもどかしい.
一息ついたというか書き疲れたというかという現在,ゾウさんのバスが奏でるボンボンボンボン@ラジオ深夜便を聴きながらお好み焼きを焼いて食べている.前回作った時は粉が膨らみ過ぎで参ったので(所謂広島風お好み焼きなので生地は薄くて構わない),小麦粉を加えて薄めてみたのだが,安い粉で水増しするみたいなのがなんだか貧乏臭く思えてしまったことだった.決してそういう意図があるわけじゃないんだ,みんな,と虚空に向かって同意を求めてみる午前3時である.
オタフクソースをかけたあと,容器の圧搾を開放した瞬間「ヒュョッ」と鳴った.この間もそうだった.今まで気づかなかったがオタフクソースとはそういう容器なのかも知れない.広島の人々にとっては幼い頃から聞き慣れたソウル・ミュージックの如き音なのかも知れない.「オタフクソースの容器が鳴った時のような」という比喩が通用するに違いないとも思った.しかしそんな比喩を使う場面が思いつかない.それほど特徴的な音がする.そうしてそんな私を措き去りにしてオタフクソースの容器は鳴り続けるのだろう.「ヒュョッ」と.
黙っているととことん無視されるのはかえって有難い.おかげで産経新聞に載ったことなんて誰も知らないんだぜ.自分も忘れてたが.いつの話だっけ???
報告書のながれが悪い.現況と遺構の説明とを分けたほうがわかりやすいのかそうでないのか,よくわからんくなってきた.ORJ的ルポ的には不可分であるのだろうけれど報告書の体裁としてはそのほうがすっきりするような羊羹がする.これは一度その方向で書いてみるしかあるまいと思う.おかしいと思えるなら現況にa~を突っ込めばいいのだし.あっちこっちするが仕方ない.して,最後にまとめ的所見を(偉そうに)入れてみては如何.そこだけ読めば概略わかる(求められてる答えが載ってる)みたいな.
だんだんあたまがわるくなって
状況は廃でありこそすれ,元をたどればいずこにもあった峠集落のそのままである.
などというわけのわからないもじれつをうちならべたりしてみたりいる.にほんごですらない.にほんごすらでない.
おばあちゃんの域に達しつつあると認められる二人のお母さん.片方が券売機で切符を買おうとしていた.その後ろで自分は待っていた.買おうとしているほうのお母さん(仮に田中さんと呼ぶことにする),よくありがちなことだが動きが緩慢である.手提げ鞄を券売機前の棚に置きパチっと口をあけて中から財布を取り出しその財布の小銭入れから小銭をひいふうみいよう.しながらそのうえもう一人のお母さん(同・斉藤さん)に話をする.「~から~まではな,定期があるねん,定期が.せやからな,乗り越ししてな,中津から梅田までの分,150えんのを買うたらええねん」そんな内容の話をする.二回くらい繰り返して.斉藤さん相槌を打つだけに飽きたらず問い返したりもしさえする.「ほな,~は~でもええのんか?」.田中さん振り出しに戻る.
ようやく切符を購入したと思ったら,逆のスキームをなぞって財布をしまいつつ,やはり会話が続けられていく.券売機の前で.離れてくれればこっちも切符を買えるのだが.そういうことは微塵も考えてはらんらしい.駅名運賃表示板を指呼しつつ「せやらかな,梅田,中津,十三やろ.十三の~で~を買うたらええねんよ」「なるほどなあ.かしこいなあ」.
そんなこんなで,3分ばかり切符を買うことができなかった私.
取るに足らない日常の一齣だがいろいろな教訓が含まれている.1,短気を起こさずに我慢することは難しいことだがやってやり遂げると悟りを開いた気分になれる. 2,我慢するには対象物にとことん感情移入してみるのがいい. 3,そうやって感情移入して「それ犯罪ちゃうん」ということをいかにやんわりと伝えればよいかを考えてみたりすると効果絶大. 4,年を取ると気を配ることのできる範囲がものすごく狭まってしまうらしいので気をつけようと思う. 5,その時になって覚えていればの話だが. 6,なんにしろ自分のことばかり考えるのはよくないことで,しかしそれってなかなか難しいことだよね. 7,待てよ,迎え酒という概念がある以上,迎え天一というのも理論上あり得る対処法なのではないか. 8,そういえば参考資料の探索の栞をDLページに載せてなかったのでは(汗 9,以上のことを部録”に書いたらどんだけassのちいせえやつだと思われるぞそうに違いないぞ. 10,オラ何だかワクワクしてきたぞ! 等々.
人の振り見てわが振り直せとはよく言ったものである.
この期に及んで時間軸の齟齬に気づいたり軌条≠エ形であったりエ形=明治20年以降であったりといったことに気付かされるなどしている@日本鉱業発達史(上).M初軌条(≠エ形)導入M18頃馬車軌道M20にエ形レールが導入されM20半ばに軌道化されたのである.上部軌道が鋳鉄橋を引き寄せたのではないっ.
巨智部忠承の地質調査はM22から.
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1964/07/64_07_05.pdf
ということはM22~29に絞り込まれる.ますます鋳鉄橋の後である.ずわんねん.