nagajisの日不定記。
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土木部所管事業概要. 昭和13年版に興味深い記述を発見。
大阪市道路元標 大阪市道路元標は、大正十一年内務省令第二十号に依り、二十五糎角、高さ六十糎の花崗石材に「大阪市道路元標」と彫刻し、これを市役所前に置く。その位置は、御堂筋中心線と、市庁舎玄関中心線との交切地点、即ち市電軌道敷中央板石中に埋設して、鋳鉄板に元標の位置を示している。
(強調筆者)
上の文章を文字通りに取ると、軌道敷の石舗装の下に道路元標を埋設し、その上?に鋳鉄板を載せてその位置を示していたことになる。本当だろうか? 道路の基準だから道路の真ん中にあったほうが便利がいいだろうことはわかるが、それって T11内務省令第20号の 「道路端のわかりやすいところに桶」っていうのに違反するんじゃね?
と思ったら、この条、ちゃんと例外規定があるのだな。
(強調筆者:第四条はT14.9.24内務省令第15号で「監督官庁ノ許可ヲ得テ」の字句が削除されている)
- 第二条
- 道路元標ハ別記様式ニ依ルヘシ
- 第三条
- 道路元標ハ其ノ位置ヲ表示スル為道路ニ面シ最近距離ニ於テ路端ニ之ヲ建設スヘシ
- 第四条
- 特別ノ事由アル場合ニ限リ前二条ノ規定ニ依ラサルコトヲ得
どんな「特別ノ事由」があったかは知らぬが・・・(なるほど、だから内務省令型でない元標も存在し得たのか)。
現在の大阪市道路元標。昭和27年の(新)道路法に伴って市内の国道の起終点が梅田新道の南の端に移り、翌年その場所に道路元標を設置、その後道路拡幅の際にこれが新設されたという。側面にある黒御影石の「大阪市道路元標」の文字は昭和28年設置当初のものを流用しているらしい。隣に設置されている解説板にそう書かれている(S28に置かれたものもこんな感じのオブジェ的な標だったようだ)。なお上に載っているのは測量錘のオブジェである。品がない色だがまあ悪くはない選択だろう。
で、T11の道路元標はどこへ行ったのだろう? まさかこの下に埋まっているのか? それとも元の場所に埋もれたまま? 何となくだが後者っぽい気がする。
現在の大阪市庁。向かいに日本銀行大阪支店の建物が残っていて、その正面玄関とは少しずれた位置に玄関がある(市庁のほうが5mほど北にある)。この写真に写っている御堂筋のどこかにあったはず。ひょっとしたら今でも埋まっているかも知れない。
ところで、wiki!を見ると片岡アニキよりアニキなんですけど、正しいんですか!?
いつのまにそんなに年を取りましたか。びっくりです。<br><br>#忘れたか! 兄貴、アニキ不可だろうが!
じゃあ、今は元の年令に戻ってるんですね。生誕地も間違いか!?<br>あのページはいったい何が正しいのか。
全部架空の物語なんじゃね? あるいは「お前のことなんかシラネーヨ」という手の込んだ皮肉。
なるほど。<br>でも折角の文化人枠なので、<br>ご自分の納得できる物語に修正されるのも一興かと。
いや、あれ、本人が修正したらあかんらしいんですよ。自分のことだからといってソースなしに書き換えるなって。<br>ORJでよければソースあるんだけど。どっちみち信用できひんやろー
そうなんですか。客観性を保つためか。<br>でも、なら今のデータのソースはと突っ込みたくなる。<br>もっと有名になっていただくしかないのかな〜。