nagajisの日不定記。
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第四時限終了の際、空襲警報の非常呼集あり。我ながら余りにあわてすぎたり。未だ訓練不十分なる事明なり。故に昼休に作文の続をなしたり。術科は体操・一六〇〇米駈足・愛校作業ありたり。一六〇〇米にありては最大力を以て走りたる末四等・五分五十八秒となりたり。なお一層の憤発。
昨日の為か比良目筋とはいちょう筋痛し。今日は栄気を養うべく走らず。午後運動会の予行並に準備をなす。此の割なれば三運だんぜん一等即ち優勝ならん。自尊心持たずに着々と準備せん。十分練習をやりたればいざとなりて悔いることなきものなり。
〔冒頭に赤鉛筆で○、欄外「今日フィリッピン共和国独立宣言し我国と同名を結ぶ ラウレル大統領となる〕
校内は今や運動会に対する気分充満す。午後は十四・〇〇より運動会予行して団体の物があり。至極順調、此の程度なら土曜は最も調子よく行われるものと確心〔信〕す。夕食後天気づけの為運動班の集会あり。一途に正々堂々と戦い必勝の信念の下攻撃精神を充溢してやることを決せり。我の血液型B型と知る。代数の考査行わる。どうもそわヽして困る。良き胆を据える練習と思うべし。良好。
表示確認.前半の説明が冗長.明日には記入できるようにします.
自然な数え方(1、2、3...)と配列の番号(0、1、2、...)の違いは頭で解ってても、処理するのが下手だ.
特濃!粒様後半.組み変えはできたが10m間隔の等高線の地図が必要だと悟る.以前のトシピロさんの俺流の2倍の範囲を描かなきゃいけない.しかもあの谷だ.残り2/5で挫折.明日へ持ち越し.
作業報告ばかりではつまらないので.帰省した折にへなり氏のところでも紹介されている川原隧道へ行ってきた.江戸時代の石隧道という時点ですでに珍しいが、ハの字に組んだ石の梁の構造をつぶさに見てみるととても興味深いことがわかる.ハの字の接点は拝み合わせ?というよりも、ごく原始的に、直方体の角どうしを合わせるような恰好になっている.AAで書くとこんなかんじ.
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もちろん角はそれなりに丸められてあってそう簡単に外れたりしないだろうけど、結構危なっかしい.それでも150年近くこの形が保たれているのは、梁の上に大量の石を乗せて重みをかけているからだ(中央付近は石組がないのでその断面を見ることができる).
もう一つ、正面写真では石梁が二重になっているように見えるが、大部分は一重のようだ.二重だと地盤が緩んだときに内側の梁が外れてしまうに違いない(外側がつっかえ棒みたようなことになるので).このへんは工夫があったのか、それともたまたまなのか.
この隧道がある日田市にはほぼ同じ頃に石橋が造られている.当然普通の石アーチだ.すでに技術が確立しているアーチではなく敢えて梁にしたところにさまざまな物語りがありそうな気がする.
写真を探していると古変なnagajisが出てきた。王将中華鍋で料理中。ええとどこだ、30th記念行事の富良野か美瑛かどっちでもないか。昼食のサンドイッチの具を作ろうとしていたのは間違いない。モヤシをクリームシチューの元入れて炒めてたんだったか。手に取ろうとしているのは何だろう。油か醤油だきっと。
この時かけているメガネも○メガネだったがJohn Renonだったかなんだったかとかいうブランドのフレームでそれだけが気に入らなかった。その後紛失。赤いのは30th記念バンダナであったが、はて、どこにやっただろ?青いジャケットは減価償却したうえで未だに着ている。魔法のTNFジャケットである。ベストは。。。これは大したものじゃない。02の旅行中に永久デポした。これについているUKAIのリムのワッペンだけは未だに手元にある。
と、逃避しているうちにDistill終了。またこんど。
ら抜き言葉はよくないしいよ。
思った以上に話が広がりそうだ。探索したどころかニアミスにもなってなかったということか。百数年の歴史に対したかが数時間のトレースで何がわかるというのかよ>nagajis。早いうちに玉谷敏郎聞いとかないといけないうえに三重県立図書館と議員会館詣でが必須な状況に追い込まれてしまった。少なくとも宇陀郡資料人物編には出て来ないうえに出て来ないし出て来ない。天の親様にでも聞いてみるか<絶対答えてくんないと思うけど。
しかしまあ、ここまで突き詰めれるようになったのはあれか、馬鹿の一つ覚えか。こういう無駄に人生投げ込んだら泡くいは湧くだろうしな。誰の微塵も役に立たない泡沫としての人生、あと2、3はアブク吹いてもいいだう。
しまった、松山街道って咲く峠じゃないかし。すっかり勘違いしたうえにスルーしてたプゲ。
ルポと机上調査の融合(抱き合わせ)というのもいいかも知れないな。廃毒は机上調査だけで通したから違うことをしてみたい。撮ってきた写真に、どっかに纏めれてある事物を持って来るだけの報告書スタイルは、少しは脱却したい。
さあさあ寝よう、リホー。
3回目。しんど・・・
見事に術中にはまった気がして悔しい。 「気がする」なんてもんじゃない。
「廃4」の皆さんには申し訳ないが、なんとか昨日のうちにメイン2本を片付けることに成功した。1本じゃアレか、予告もしたし>無理に追加>サイズが中途半端になる>もう一本増やさないといけないという例の悪循環。受付とジスオが手伝ってくれたのでもう一本載せられそうな塩梅だ。
※遊んでいるわけではありません。
昨日中に作らなければならなかったことを思い出して急遽作成する。泣きそうだ。さすがにきっちり作るわけにはいかず、発表内容を箇条書きにしたもの+配布した資料のデータのありかを書いたのをつける程度にする。そのくせ奇数ページである。いいのかこんなので。なくてもいいような気がしてきたな。
現段階で言うことのできる奈良県の近代化の傾向?を書いて+1Pしようかとも思ったが、それは自分の役目じゃないし、出揃ってない段階で有ること無いこと言うと、後で恥ずかしい思いをするに決まってる。やめておく。たぶん物件紹介だけで時間が尽きるだろう。
講演会は20日に(確か)和歌山市市民会館で。詳細はkinas.jpを参照。内容は月報でかいたまんまなので来られる奇特な方は自分以外をあてにされたし。和歌山県の近代化遺産やそれを取り巻く取り組みの話、高砂の産業遺産物件の話が聞けます。
廃道亡いとで摺子発電所の件出さなければ良かったなと今でも思っているいやちゃうなあ、廃1でもう書いてたんだっけ。ただの廃物件だと思われたくないと思ってそれなりに誘導したつもりだったのだが、なあんの役にも立ってないということは元々無力だったというだけだな。
吉野・樫尾の発電所水路も「正式に」筏に乗ったまま流していたことを下市のケーブルテレビ番組の録画で知った。であれば現役で稼働している吉野・樫尾のほうが偉い。摺子発電所に拘る必要はない。長さと幅では上だが。吉野・樫尾の水路は狭かったので通常の半分の幅の筏を組まなければならなかった。摺子はどうだったろう? 落筏路はほとんど同じ幅だったような気もする。
もちろんいいことばかりじゃない。西河の水路橋がどんだけ迷惑をかけたかちゃんと触れておく必要がある。竣工直後に洪水を起こし(かけ)、その補償として五社隧道作るといっときながらウヤムヤにし(おかげで戦前隧道レコードが短くなった)、伊勢湾台風でも材木をひっかけて被害を拡大した。いまはサイフォンになっているけれども、とすると筏流路としては完全に死んでいることになって摺子と変わらない。建屋や内部機構がどれくらい残っているか、それとも残っていないか。そのへんがポイントになりそうだ。
やはり室生も押さえる必要があるな・・・県下最古の発電所なのだし。棟札探したい。
県下の発電関係の歴史は踏まえたので、次は発電技術史?が知りたい。そういうの解説した本はないものか。萩原本嫁か。
奈良県は近代化がなかったのではなく現代化に失敗したのだという説を勢いだけで唱えてみるテスト。紡績工場だって地域向けの小規模発電だってあった。重工業はないにしても種々様々な軽工業が興っていた。それが現代につながっていない。せいぜい靴下産業とか皮革産業とか製薬業が生き残ってるくらいか。あとは伝統産業と呼ばれる分野のものもの。工業化にニアイコールな意味での近代化を必要としなかった産業がかえって生き残っている不思議。そういうものか。
林道の車道転換だって結構早いんだよな。戦前にはもうずいぶん車道化が始まってる。 他所が林鉄に固執している間にトラック輸送に軸足を移し切っていた。なのになぜ差をつけることができなかった? すべては需要低下が原因なのか? 樽使わなくなったからか?
林業については、やはり、バブルにあぐらをかいていたところがあるんじゃないかな。全国どこもそうだろうが。そうはいうけれども林業の近代化ってなんだ。森林鉄道が即近代化というわけでもないだろう。林鉄が絶滅してしまっている現況を考えると、先を見越したものではなく、むしろ時代の徒花だったというべきなのではないか>林鉄。
チェーンソー、集材機の出現が近代化か。システムの効率化か。そこまでいくと現代っぽいけど、そのへんの境界線は年代以外にはないのだよな。
違う、逆か、年代で区切って、その間に起こったことが近代化なのか。だとすればますます近代化なんてなかったなんてあり得なくなってしまうな。
「建造物」だけで近代化を語らせようとするのが無理なのだ>文化庁、とどんどん上のほうへ楯突いてみる。システムの効率化、経済性の洗練(?)、文化的ゆとり(??)、観光産業、なんかは戦前から始まってたはずで、それも考慮に入れないと近代史見えてこないんじゃね? これもそもそも論だが、明治以降のモノが壊され失われていくことを危惧したから始まったんだっけ>近代化遺産総合調査。それに近代史を語らせよう、そこから近代史を知ろうというのは、江戸の町人文化だけで江戸時代を把握しようとするのと同じくらい無理無茶無策であるのではないか。
古いから偉い、はわかりやすい。耳目をひきやすい。技術的に優れている、はヒキになりにくい。なぜならその技術が理解されにくいからだ。技術をわかりやすく面白く説明しさえすれば新しいヒキになる。はず。その橋がトラスでなければならなかった理由。Cアーチでなければならなかった理由。そういうの。
しかし技術の解説はあいまいを許さない。誰にでも理解できて技術的に間違いでない(過不足ない)説明はたいへん難しい。理系脳文系脳があるとも思わないし理系>文系とも思わんのだが、この点に関してだけは理系で良かったと思う。みんな理系であってほしかったと思う。省略できるバックグラウンドがあるのとないのとではずいぶん違うからな。主に説明のラクさが。
そうか。今気づいた。理系(科学)は知識の積み重ねの上に立脚しているので、そういう状態がアタリマエと思っている。四則演算>三角関数>微積分>テンソルみたいな流れに慣れていて、テンソル知っていれば、それ以下は知ってるだろjkで済ますことができる。文系は横の広がりだ。知識を広く広く。あるいは一点に集中してとんがって。自分が知っているからといって他人がそれを知っているとは期待していない。その組み合わせに 答えの 鍵がある。
150を越えた。道路元標と天皇陵参拝道が入り出したので完全に水増しモードになっている。親柱だけ残存ってのも増えた。「悉皆調査なんだから」を免罪符合言葉にして頑張るか。一次リストは量が多ければ多いほどいい。自分がその物件の良さに気づけなくても、誰かが代わって見いだしてくれるだろうから。
受付の写真で旧橋を作る。見てきたように書いても良かったのだがやりとりが面白かったのでそのまま使ったった。我ながら草不可避であり大草原の小さなイェアである。
今日のうちに訂正と統合までやってしまいたいものだ。できるだろうか。手抜きでもなく諦めでもなく無理でもなく15日早いうちに発行できなければ目標は達成されない。
はやあがりして帰る頃が一番キツい頃だったというヘゲモニー。今は雨も風も止んでいる。偏西風に打ち返されて飛んでくるコースだったからそんなものだろうと思う。もっと南でするする上がってきて上陸するやつが一番やばい。室戸台風とか。
ていうかもう埼玉県なんだなあ。すごい加速だ。
t/o