nagajisの日不定記。
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(欄外「井内のお父さんの御命日」)
起床後青年体操の教育ありてより後中距離を走りぬ。外出す。渡辺と吉田と三人にて撮影に行きぬ。岩田先生に送らんが為なり。昼飯は近頃になく欲を感じぬ。食いたき時は共に多く食し、体力を養わざるべからず。此の調子なれば腹工合も克く一層食欲旺盛とならん。午後は紫帽を被り運動班全員揃いて練習なり。走るも今日にて終りなりと考うれば必死に走りぬ。二千米七分四秒なり。自信は出来たり。思うれば思うる程武者振いしぬ。消灯後も当日を想えば速に眠ること能わず。たゞ山根には一足おきいる所なり。他者に負けてなるものぞ!!
〔冒頭に赤鉛筆で○、欄外「東久邇宮厚盛王殿下照宮成子内親王殿下御結婚の佳日〕井内良治のお父さんの六年忌の日なり。慎みて哀悼のの意を表す。昭和十三年十月十三日九江兵站病院にて戦病死されたるなり。我父も十三日頃は九江にあり。之を思い感慨無量なりき。今日は学科甚だ不振にてしゃくにさわりたり。午後訓話・銃剣術にて防具をつく。運動会の運動の準備も大部上手になれり。良好。十五夜。
ようやくアンケートの回答部分ができた。。。力尽きた、続きは明日。
少しは楽しめるアンケートになったかも知れない。またドン引きさせるかも知れないが、まあいいか。
鶏はそう言うかも知れないが叩き切っておきたい相手というものはあるものだ。このクソ忙しい時に限って余計なことに手を出したりする自己のシャドウであるとか。お陰で14日締め切りの何かと戦わなければならない羽目に陥っている。
書いたもののリライトだと思ってタカを括っていたのがそもそもの間違い。本気で書こうと思えば、否、書かなければならない状況なのだが、相当に時間を食っている。次号大丈夫なのか。
いずれにしても自業自得。それはそれで菊の花。
TUKA氏の助言を得てアンケートを一気返答してみる。そういえばReaders'voiceに書いたものはこちらには反映されないのだよな。次号が出てから少し対策を考えよう。一つひとつコピペするしかないが。
で、少しは真っ当になったかとおもいきやそうでもなさげ。だいいち受付に手伝ってもらわないと書けないようではどうにもこうにもな話じゃないか。え。どうにかならんもんかいな。
第一漫才では喫緊の課題をクリアできないのだ。単なる気休めにしかならないのだ。それでも何かをかかなければ、書かなければならないのにちっとも進まないというフラストレーションを解決することはできず、それが凝り固まってにっちもさっちもいかなくなっている現状を打破することはできないに違いないことは確かなのである。さすがTUKA氏であると思う。
でもって校正のラス2。「廃道を読む」のように核心の周囲をうろうろしながらああかも知れないこうかも知れないと呟くばかりの原稿である。正直あんまり役に立たないかも知れない(特にORJをお読みの皆様方には)。ただORJをご存知でない皆様向けにはああいう書き方しかないと思うのだ。いきなり廃隧道のキワミ、アッーと叫んでも頭上にクエスチョンマークを5、6個飛ばすだけに終わってしまうだろう。それはそれで面白いかも知らぬが各方面に申し訳が立たぬ。そういう好き勝手はもう一方の廃道BONでさせていただいているしな。
この校正も最後の一件が残っている。それが終わったらここで少しずつ内容リークしてみたりなんかしちゃったりして。多分途中で息切れするだろうけれども。
アンケートで好評をいただくと正直恥ずかしい。どう返答していいか困る。ありがとうございましたと書くのもわざとらしいし(というのはnagajisだけだろうが、間違いなく)、かといって嬉しくないわけがない。アンケートの返答が毎回毎回遅れ気味なのはわずかに頂く好評が勿体無いと思うからだったりするがそんなことを書いたところで誰も信じてはくれまい。
かっこいいこととかっこ悪いことのどちらかを選べと言われれば散々迷った挙げ句にカッコ悪いほうを選ぶ、というのは以前も書いたような気がする。基本的にnagajisは後ろ向きである。後頭部に目鼻口を書いておけば誰も解らないだろうと思ったりもする。そういう人間である。だからnagajisを切り離して文章だけお楽しみいただければいいと思う。
永山則夫という作家がいた。死刑囚として投獄されている最中に作家活動を始め、それは文学作品としてそれなりの評価を受けた。しかし作家協会への加入は拒否され、それに抗議して筒井康隆らは協会を脱会した。確かに文章は人の書いたものではあるけれども、書いた人の人となりで判断されるべきものでも、書いた本人の名声を高めるためにあるのでもないと思う。ただ書きたいという思いがあって、書いて、書いたものだけが残る。それでいいと思う。「あたし彼女」だってものの書き方の一携帯を示してみせた功績くらいはあるはずだ。みたいな。
とはいいながら、何で書きたいのか、何で書いているのか、ということの背後には多少なりとも自己実現を計りたいという思いがあるからには違いなく、そうやって表現したい自己とは幾許の価値ありやを考え出すと泥沼にはまる。今はただ読んで下さる方が(ごくわずかでも)いる限り書かなければと思う。自己よりも先に書かなければならない何かがある。あってほしい。なくてはならない。そんな思い。そもそもnagajisは人を楽しませようという意識が薄い。結局のところ「イメージを言葉にする」という楽しさを享楽的に味わっているに過ぎないのだ。ここでぐだぐだ管を巻くのもその一環であるとしかいいようがない。
それが(書いたものが)どれだけ人の役に立っているかわからないから余計に悩むのだろう。いっそのこと何も書かずにオペに専念すればいい。何も書かずに一号出して、前回と同じ評価であることをその目で確認してみるのも一興ではないか>nagajis。右に振れ左に振れする意識のうちで浅はかな期待を抱くのはやめにしよう。言いたいことはもう充分言い尽くした。そうではないのかな?
そういう点においてORJみたいに比較的しがらみなく直接ご意見いただけることは有り難いことだ。ただしその背後にはこの世のどこかで「プギャーm9(^Д^)」されている自分を常に見ておかなければならない。いるものとして構えなければならない。寂しい人間だとは思うがそもそもnagajisは人でなしだからノーマーシーだろう。
暴論に暴論を重ねてnagajisを貶めてみる。それくらいしないとこの高評価を受け止められないnagajisは哀れである。
俺、廃道本と次号が終わったら、大台が原に行くんだ・・・。行けたらの話だけど。
関西随一の(というのが弱いが)廃林鉄跡である大杉谷林鉄はたぶん誰かが探してくれるだろう。むしろ自分は明治半ばに大台が原を突っ切って開かれたという船津街道・別名土倉街道を歩いてみたい。人跡疎らな大台が原に何故かある2つの峠が、実は確かな意味を持っていたという驚き。そして土倉庄三郎という剛毅の人のこと。真に偉大な人は表には出て来ず、そうして吉野の山中で独り静かに眠っている。
もし大台に行くなら3泊は難い。それだけの荷を運んだ経験はない。装備も貧弱だ。山歩きに慣れた人なら何でもない行程かも知れないが、山素人のnagajisが、しかもここ数カ月デスクワーカーでまともに飯も食ってないnagajisが行ったらどうなることか。脂肪だけは今のうちからつけておこうと思う。というわけで寝る。
pdf間のリンクの話。持ってれば表示、持ってなければサイトのDLページに誘導、というのが親切なんじゃないかと思うが要Javascriptで面倒だ。
以前少し作りかけて、CD#2のおまけに入れた気がするが、catch(e)するとこまではできたものの、webに接続するのが出来なかったような覚えがある。あとバージョンによって動作する/しないが難。4.0のJavascriptではpdfのオープンは出来なかったはず。まあそんな古いの使うなという話だが、自分でチェックできないんじゃダメポンやな。
全リンクをそのセットに書き換えるのもなぁ・・・。考えただけで背筋が曲がる。関数にしてファイル名渡せば行けるんだろうか。
んー、getURLで出来るんかな。キャプチャが使えない時はweblink Plug-inがつか割れるとある。
CMとかキャッチコピーとかは好きな方である。巻末の「戦後キャッチフレーズ500選」に惹かれて読んでみた。参考に成ること多々。「芸術はバクハツだ」が日立マクセルのCMだったこととか忘れてた。
「大きいことはいいことだ」。高度経済成長の浮かれた雰囲気を直反映したものだとばかり思っていたが、そうではないという。GDPは世界第二位になったものの、国民一人あたりの所得は20位で、一般家庭レベルでは豊かになったという実感はなかった。小さい家、小さい車に甘んじていたところへ投じられたCMであって、だからこそ大きなもの大きな暮らしに憧れていた人々の共感を得たのだ。
帯には広告コピーやCMが時代を語っていると書かれてある。たしかに巻末表や本文を読むとその時々の雰囲気がわかって面白い。私はCMが世の中を誘導することもがあると思っているのだけれども、CMが牽引する場合もあれば、時代の要請的に、その当時の人々の思いから滲み出てきたようなCMもあるのだなと気付かされた。さっきの森永のCMもそうだし、サントリーのアンクルトリスシリーズとかも。
まあ結局は「売れればOK」「目立てばOK」な世界。あんまり関わりたくはない。イメージだけで売るのは卑怯やん。
鼻奥の乾きと首凝りが真性鼻風邪に発展した。痛みは薄れたが水鼻ズルズルである。終焉に向かって前進したわけなので自分としてはさほど案じてないのだが、見かねたSさんが栄養ドリンクを呉れた。なんてやさしい人なんだ。
それ飲んで野菜スープ作って食っておとなしく寝る。
ああ、そうか。金が貰えても痛みが引かないんだったら大変だよね、心配だね、っていうことをちゃんと伝えねばならなかったのだ。保険屋さんのやり方を云々いおうという気は更々ないのだ。時おりそんな短絡をされる。
時々思うことがある。性交行為に「おまんこ」「おめこ」と女性器の名称を充てる日本の文化と、男女の性別(性)をそれに充てる欧米の文化とでは根本的なところで違うんだろうなあと。日本の場合、必要なもののもう片方として「ちんこ」を充てていても可笑しくはなかったはずなのだが、あえて女性器なのは文化的に何か意味があるんじゃないだろうか。男尊女卑思想とか何とか。そういう使い方になる以前があったんだろうか。違う言葉が使われていた頃は。
あるいは日本だけの特異な用法なのかもしれないな。 「セックス」が主に性行為を指す言葉として使われるのは。make loveとかいろいろな言い回しはあるものな。性差がある=子を作るという関係はごく自然な感じがする。隠語的に女性器名称を借りてくるのはなんだか妙だ。行為を表す語を他所の国から借りてきて口憚りつつ使っている現状はそれに輪をかけて妙である。あけすけに言う必要はないとしても、態々隠してもったいぶって使うほどの言葉でもないのではないか。
いや、そうじゃないのか。言霊の国ゆえ大事な言葉(行為)に敬意を表して憚っているだけか。
栄養剤のせいでかえって目が冴えたのかも。たしかに効いている気はする。帰り際のだるい感じはなくなった。鼻は一眠りすれば止まるだろう。相変わらず喉はいがらっぽく、脳がモヤッてる感じはぬぐえないが。
栄養剤なんて普段飲み慣れてないからなぁ。そういうのに頼らないと体力回復しない歳になったのだなあ。
小さな連想と大きな転覆。寄せては返す波の如き思考。思索でも思惟でもないただの妄想。当たり判定のあいまいなビックバイパーに乗って弾幕を交わし続けているような感じ。シナプスが痺れて連動していない。てんでばらばらなエイトビートの泡沫雪崩。そうか明日は土曜日か。
「眠れない夜」なんて今じゃ詩的な表現になっちまってるけど、実際はそんな切ないものじゃあないぜ。眠らなければならぬという義務感をジンジンする頭が生理的に拒否しやがる。眠らねば体力は戻らないのに、なぜわかってはもらえぬのだ体は。おれの副交感神経はいつも大事なところで反旗を翻しやがる。旗振るだけならまだ可愛いが実力行使に出られるとちょっと。退治てくれるわけにもいかないからな。あくまでもあくまでも幣原外交で強調路線するしかない。一蓮托生するか、もしくは刺し違えて果てるかだ。
強調外交の一環としてキーを打って疲れようという魂胆なのだが脳が疲れる前に腹が兵糧を欲しておる。鍋一杯の野菜スープじゃ不満か。もっとガツンとくるものがいいか。帰って下痢質の便を大量にしたのもよくなかったか。あれじゃすぐに腸へ流れる。そのうえ消化のいい野菜群だ。そりゃ腹にたまらない。
「お腹いっぱい」の感覚が胃袋からではなく腸から起こればいいのにと思う。そうすれば宿便で悩む女子群も救われよう。満腹感の幸福と排便の快感が立て続けにやってくることになるけれども、それはそれで畳み掛けるようでよいじゃないか。
というわけで野菜スープの第二弾が煮込まれつつある。サボイでは何故かコンソメスープを見つけられなかった。かわりに鶏ガラスープを買おうとしたのだがレジへ行く途中で味覇が安いのを発見してしまいあっさり鞍替え。いつだってnagajisは旗色不鮮明であり幽玄フジッコである。
このスープにスパゲティ入れたらうめえんじゃね?などという不埒なことを思いついてしまい逡巡中。国家は復興途中でありあなたは中暗刻であった。ちくしょう茹でる鍋がねえ。
やばいスープを半分近くにまで煮詰めてしまった。何を作ろうという魂胆か。えらく塩辛い、体に悪そうな……と書きかけて、いや、今は塩分が足りていないのかも知れぬと思う。ここのところスティックスナックチョコチップばかり食ってた気がする。もちろんそれは気のせいであってそれ以外の栄養のあるものーーー吉野家の牛丼しかもギョク付きとかーーーも食っておる。にもかかわらず体調不良なのは、これはもう慢性的な何かだとしか認め得ないではないか。
あしひきのやまどりのおのしだれおのながののやまのおくのあけぼの。「ぼくのあけぼの」ののほうが語感がよい。あれ海外で俳句っていったら5語+7語+5語の英語でなかったっけ。日本語で書いたらもう単なる俳句じゃん。
怪しからぬ着想のせいで食事があと10分ほどおあずけとなった。麺を茹でねばならぬ。何度も布団を出るのが面倒になってきたので水に麺を突っ込んでおいた。そうやってフニャ麺にしたほうがこの場合旨いだろうとも思う。しかし開け放しの隣室の窓を閉めてくるのを忘れた。冷気が部屋を徘徊しておる。
だいたい風邪を引いたのは窓開け放しで寝ているのも関係しているはずなのである。開け放しで布団着込んで寝て起きたら毛布を蹴り飛ばしている。何をしたいのか一向にわからぬ。とんと見当がつかぬ。
長浜鉄道スクエアに井桁は八の件を問い合わせてもう2週間以上経つ。折り返し電話がかかってこないという一番悩ましい事態。電話番号を伝え間違えたのかと思うが関東大震災の年を言い間違えるはずもないので多分忘れられているのだろうと思う。
過日は河合町に煉瓦工場の件を訪ねてみたが同上。町史に書かれてあれば近遺調の時にリストアップされているんじゃないかと思う。なのでこのmuteは無の便りなんだと思うことにする。といっても尋ねたのは数日前だから未だ調査中であるのかも知れない。速攻で返事をされるよりもありがたいことではあるがそこまで深く調べていただくというのも何だか申し訳ない気がする。言ってみれば一個人の興味の問題でしかないのだから現時点では。
大輪田の工場は不成立の可能性も十分にある。広告はあくまで職人募集の広告だし親会社がその年限りで消えてしまうし隧道の完成はその数年後だし。奈良駅転車台の「山」だって申し訳程度に持ち込んだものであるやも知れぬのだし。だから亀の瀬の煉瓦の再確認が必要だと思う。
日曜日は峠集落のほうにも行ってみよう。東口は確か土木事務所の敷地内で立ち入れるかどうかちょっと怪しい。
_ おろろん [ 幻想破れ何も残らなかった傷心旅行に飯田線に乗りに行きましょう! 昇天峡へGO! ]