nagajisの日不定記。
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ミニレポと旧橋の原稿を書いている。それぞれで違うテンションに挑戦してみているけれども、ガラッと変わることも、読みやすくなることもなく、nagajis臭さはどこまでも抜け切れない。困っている。
自分の書いた文章を自分で判断することができない。読みやすいのかそうでないのか、意味が通じるのか意味不明なのか。この表現の取捨選択は正しいのだろうか。そういう悩みを悩みながら書き続けていると、どんどんドツボにはまっていって、句読点の位置であるとかてにおはであるとかまでが気になってくる。そうなるとますます書きにくくなってしまううえ、出来上がったものが何回扱くな難解至極なものになってしまうことは、少なくともわかってきた。そういう状態を打破するためにもまるっきり違うテイストで書いてみるのは益があると思っている。書いて気を紛らわせるというか、気分転換するというか。
そのかわり「自分の文章」というものがいつまでたっても決まらない。読む側にとっても一人の人間が書く文章のタッチがバラバラだと得体の知れない不安感を感じるのではないか。そう言った口がコレ書くか、みたいな(いや、口で書くものではないのだけど)。実際この部録"も通して読み返してみると恐ろしく波があって独りでいたたまれなくなる。
実際のところそういう情緒不安定な人間なのだから仕方ないのかも知れない。自身の感性というか信念というか、そういったものが確立されていないのだろうと思う(隧道に対して畏敬の念を覚えることもあれば、笑いの対象として捉えたくなったりもするし)。立派な大人とは全然言えないが、自分としてはそれで良いと思っている。いつまでも新しい発見をしたいし、出会いに一喜一憂したいし、臨機応変に自由な発想ができる柔らかな脳みそであり続けたいと思う。
なので読者の皆様におかれましては、nagajisが書いたなどとは思わず、文章そのものがそこにあるものとして個々の記事をお楽しみいただければ幸いだ。心からそう願ってやまない。
そこで奇妙なポテンシャルですよ。YouTubeには敦賀港フェリーターミナルとして上げてしまったが、あとで確認した日付時刻からすると秋田のフェリーターミナルかその船中で撮影したものだと思う。
全然ダメなカメラワークで申し訳ないが、これを見て(便器が写っている動画という以外に)何か引っ掛かるものを感じ取ることができたならば、あなたも一人前の「奇妙なポテンシャリスト」である。頑張らずに読み解いていただきたい。そうして悩んでいただきたい。私は未だにわからない。