nagajisの日不定記。
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小人(せうじん)なので閑居して不善を為している。時事お笑いネタ、3つの技術的問題点の第一段階をクリアしたものの、第二段階でつまづいて、こんなこともあろうかと用意していたフェーズBに移行した。写真はその成果物。実はこの後精度の難が発覚して同様のものを作っている。これだけで2日潰れた。
余計なものに手間をかけるのはnagajisの悪い癖だ。しかしその癖を磨き上げれば突き抜けた何かになれるかも知れない。これまでずっとそうしてきたし、今後もたぶんそうして生きるだろう。おれは損な人生で構わない。完成しなかったら、まあ、それまでよ。
旧橋13の後編を90%書き上げ、14を90%書き上げ(メモランダムがつくかも知れないが未定)、廃読を先行して進めている。で本日、TRDBのネタ×2(すでに倶楽部で公開している隧道の追加情報)、北摂線描のネタを仕入れてきた。やばいのは徳川道だ。
徳川道はこの先が最難関になる。航空写真、当時の地形図、その他を駆使しても道筋が判然としない個所が中盤にある。これをクリアしさえすれば・・・なのだが。
あと、今回は「なぜ廃道なのか」書かなきゃとも思う。結局おれの企画になるのか・・・という思いはある。誰も喜びゃしないったら。
tDiaryの新しい版が出たというので先日入れ替えてみたのだが、参照元スパム対策が施されたせいか、参照元リンクが表示されなくなった(設定を変えてもなんしかうまくいかない)。寂しくなるが、まあいいか。時期を見てもう少し設定を学ばんと。ちなみに更新用ページには表示されている。
奇妙なポテンシャルとまではいかないので独言。本日見つけた店。焼肉と麻雀まではかろうじて脈絡がありそうな気がするが、続く緑色の文字によりカオス化が加速する。刀剣を売っているのだろうか。刀剣で遊べるのだろうか。リーのみ裏ドラ6とかであがったら袈裟に斬られた上で焼かれたりするのだろうか。そういう殺伐とした想像とは縁遠い、ちょっとポエジーな建物なのもかえって恐い。
そうしておいて奇妙なポテンシャルについて考察するnagajisは卑怯だ。
柳田國男「巫女考」に、土佐国でのとある神事の事が紹介されている。主人公となるのは十歳より十二三歳までの童女二人、七日の決済の後に白粉装束にて祭祀に望む。祭の朝その耳に神主が祓いの文言を囁けば忽然と眠りに落ちて神輿遊行の間はもとより祭が終わるまで眠り続けるという。かの二人は神の依りたまう形代になるわけである。
で、目を覚まさせるには二つの方法が伝わっている。一つは白粉を落とすという方法、もう一つは額に墨で「大」の字を書く、というものである。
なぜ「大」の字なのかは翁も説明されておらぬ。「人」ならば人心に戻るという意味が導かれ得ると思うのだが一本少ない。逆に一つ点を増やしたらちょっとどうかということになってしまう。人権蹂躙である。やはり「大」なのだろうなと思い、その意味をつらつら考えているうち、突然
額に形容詞を書くと意味深だ
ということに気づいた。
額に「大」。何が大きいのか。お鉢が大なのか意識が大なのか、あるいはそれ以外の何かが大なのか。考えさせるではないか。「肉」「米」「骨」などの名詞を書く例は今日においては特定の人物のイコンとして定着しておりまたそれを真似ることへのコンセンサスが得られている。それはもはや奇抜でも酔狂でもあり得ず、時にはある種の哀愁まで引寄せてしまうことがある。これからはやはり形容詞であるべきだ。
例えば「悲」。わかりやすいストレートな状況説明になり得る。書き言葉の末尾に(悲をつける例があるがそれが回り回ってボディランゲージへと戻ってきたと考えればよい。出勤前通学時に悲しい出来事があったならそそくさと額に悲。どんなオフィスでも、忙しくて構ってもらえない場所でも、きっと誰もがあなたの置かれた状況を察してくれることだろう。
例えば「長」。話の回りくどい上司と顔をあわせる打合せ、堂々回りを繰り返すばかりで時間が過ぎていく会議、そういう場に望む時には額に長。微妙に意味が取りにくいところがミソだ。相手はそれがなぜ長いなのかを考えるうち己に非があることを自ずと悟ってくれることだろう。余計な軋轢を産むことなく、その場をうまく切り抜けられるに違いない。
という処まで発想がいって我に返った。オチはない。そんな超人がいたような気もしてきた。