nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
空気なんて読まない。行きがけの商店街で見かけた看板。何度も見ている看板なはずなのに改めてじっくり見てみるとじわじわと込み上げてくる居心地の悪さがある。何だろうこの心地悪さは、と考え込んで、それが「?」というたった一文字に起因するもなのだと気づいた。
「アッ!」と声をあげた時点で声の主は不審者を見かけているはずだし「怪しいやつだ!」と思ったからこそ声をあげたはずである。そこには主体性のある正義感がたしかに存在する。しかしその次の「ドロボー?」の「?」が全てをダメにしてしまう。あなたは疑ったのだろう。怪しい人を見かけたのだろう。声さえあげただろう。だのに今さら「?」はないだろう。
「ドロボーのように見えたけれども実は違うかも知れない、例えば乞食に身を窶したお大師様あるいは草苅童子笛吹童子の如き例があるではないか」という深い思慮、ではないように思える。「ドロボーかと思ったけど間違えたら恥ずかしいよね」のような恥意識、あるいは「とりあえずドロボーかもしれないけど・・・(あんまり関わりたくないよね)」的第三者気取りが見えかくれする。日本人の特性のいちばん嫌な面を見せつけられたような感じがして、それで居心地が悪くなるのだと思う。
人の主義主張に「間違い」は存在しない。その人がそう思うのであればその人にとっての真実たり得るし、主張する権利と価値とがある。斟酌もせずばっさり切り捨てるようなことはしたくない。その人が真にそう思うのであればあるほど真摯に応えたくなる、あるいは真っ向から反論したくなるというものだ。しかしそれは、相手の主張が主張であればこそ尊重なり反駁なりしたくなるのであって、「ドロボー?」みたいな気弱な主張で来られると、やっぱりちょっと、対処に困る。
そういうあいまいな主張をうまくとりなしてきたのが日本人なのだろうし『なあなあ』で上手く丸められる人間がこの社会では出世していくのだろう。村社会では波風立てないことが美徳であった。自分は不器用だからそういうのが不得手だ。だから、ここは「ドロボー!」であってほしかった。エクスクラメーションマークは3つくらいあるとなお可。看板に力説しても仕方ないが。
まあそんな勝手な評をすることから始まった今日のOFFなのだが(ってそれはnagajisだけだろ)。誰だ雨なんて言ってたやつは。低気圧前線なんてどこにあるのだ。馬鹿っ晴れの一日だったじゃないか。くそ。
行きがけに立ち寄ったくろまんぷで。道端に豚が落ちてた。最初は自然の奇異かと思ったのだがよくよく見るとチェーンソーか何かで彫り込んであって、明らかに人工の物(反対側も全く同じなのだ)。木喰上人の作風にも似た良いセンスをしている。
探索本編の終了後発見された物体。さすがに飲まなかった。高校の時に買った10年前の缶コーヒーといい勝負をしている。
OFF中のようすは次号かこの部録"にてぼちぼちと。それなりに見栄えする写真が撮れた・・・ハズ(弱い主張)
少しは真面目なことを書け、という神のお叱りを受けて追記。OFF後に見つけた道標が一つある。場所は後述の辻。
碑には「左 永沢寺/三田」とだけ彫られていて、道路に面してそれが建っている。右を示すものはない。当初はこの道標の指す方向にいささか疑問があって、向きが変わったか別の場所から移してきたのかと思ったのだが、そうではなく、当初からこの場所にこの向きで建っていたのだろうと思うようになった。探索した道が道標時代の道筋であってもいいわけだ。
今の地形図には載っていないが、篠山の奥谷川の奥からこの辻に越えてくる道が古い地形図には載っている。この筋を篠山側から来れば「左永沢寺」で合っているのだ。三田も母子ではなく永沢寺に出て京近道を下ったほうが道が良かったに違いない。
探索ルートにはあの道のほかにも尾根筋に沿って登り下りしている道があった。ほとんど廃道化してはいたが掘り込みの深さはなかなかのものだ。以前から同じ尾根筋を登り降りして青原峠に出ていたところへ、後年あの緩傾斜道が作られたと考えても、さほど無理はないように思う。
道標のすぐそばには地蔵様と馬頭観音碑がある。地蔵様の銘・元文元年は1736年で、江戸時代のちょうど中ごろ。この頃にはすでに往来があったのだろう。
あれ、北摂越譜の青原峠、違うやん。小枕村の西に出るなら美濃坂峠よりも西でなければならない。やっぱり「裏坂」なんかなあ。永沢寺の裏だしなあ。