nagajisの日不定記。
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唐突だが「廃道本」が出ることになった。時期は今秋。しかも2冊。nagajisも、というよりORJもそれに絡むことになった。
一方は「酷道をゆく」でおなじみの(と括ってしまうと失礼かも知らぬが)イカロス出版。もう一つは実業之日本社。カシミールをお使いの方ならよく名前を聞くはずの老舗だ。どちらもムック形式になる。
で、ヨッキ氏経由でnagajisのほうにもお鉢が回ってきて、書くことになった。来週その打ち合わせがある。
いろいろ言いたいことはあるのだが、まっ先に「不安」の2文字が浮かんでくる。2冊同時進行な上にORJもやらなきゃいけない。というかORJをやらないと完成まで生きていけない。(nagajis的には)阪神の“死のロード”もかくやという試練の道、たぶん前代未聞のことだから道づくりから始めなければならない。ナタとかシャベルとか以前の問題。進捗情況は可能なかぎり本部録"で独言する。また写真や情報の提供をお願いすることになるかも知れない。そのときはどうかよろしく御願致度候。
で、進捗情況その1。先に書いたとおり来週上京して打ち合わせがある。こういう機会でないと東京へ行けないnagajisなので、宿年の課題をいくつか解決してくるつもりだ。6月4日は新宿周辺とか埼玉県庁周辺で目撃される可能性大。7日はまだ決まってないが夜までどっかをうろついていると思う。石を投げたり背後からナイフをかざしたりするならこの時です>各位。
請求番号・大879、大874。これが5年間探し求めてきたものなのか、そうでないのかが、ようやくわかる。
前回にも増してルスニスル期間が長い。早めに仕上げておかねばと思いつつ作業を進めている昨今。
ヨッキ氏はプチ濃と新企画1つで進めている。TRDBは逢坂山隧道でほぼ完成。GW.OFF報告はすでに出来上がっているが一部書き直す必要がある(その作業自体は終っている)。探近土、どうかなあと思いつつも、淀川改修の遺構(毛馬閘門周辺を中心に)を書き始めてしまって、8割方完成してしまった。全方位的記事でないこと、先にお詫びしておく。ついでにその延長で長柄運河の橋梁群を旧橋紀行化(旧橋本編は別にあるはず。つまり旧橋×2)。
その他の進捗がいまいちだ。北摂線描、少し飛んで高槻の亀岡街道旧道にしようと思いつつ、その資料が手に入らなくて、今日やっと入手した。しかし写真はちょっと手ブレが多くていまいち感がぬぐえない・・・。廃道を読むに至ってはテーマ決まらず。まあいつものことだが。いっそのこと休んでしまえと思わないでもないが廃道本にかまけてると思われるのが癪だ。徳川道は書けるのだが、ルポ重なるしな・・・つーか北摂線描のかわりに入れたらいいんじゃね?と思わないでもない。どっちにしても刺身の褄か菊の花に変わりはないのだから>nagajis
何年かぶりに六甲山へ登った。逆瀬川から白山神社までのサイクリング部TTコースだ。
あまりに久しぶりで、しんどいことを忘れてた。まず上野の公園からゴルフ場沿いに登る直線部分で萎える。ああいう直線の登りは大嫌いだ。山口分岐のあたりは旧道を味わいつつ、何度も休みながら登る。最後の砂防ダムとその乗り越えラッシュは押しまくり。ようあんなところ、足つかずに登れたもんやわ。
当然時間なんて計っちゃいない。現役の頃のベストが確か50分台だったが、その3倍はかかっているだろう。途中で写真撮ってたしね。おかげで沿道のガードレールに9kgレールが使われているのを発見したり、俺シバリハゲシバリの写真を入手したり。
そもそも何で六甲かというと、昨年暮れに徳川道で落とした三脚の足を回収しに行ったのだ。あの後新規購入した安物がもう破損してしまい、しかもそれがあまりにクリティカルであった故に修理もままならず、それなら落とした一脚を探しに行って、旧三脚を修復したほうが早いのでは、というわけだ。もちろん見つかる訳がない。
六甲山の登山道路は大正末から昭和にかけて作られている。例えば阪急六甲駅から丁字ヶ辻へのルートは大正15年完成(ちなみにこのコースはKUCCのTTコースになってる)。昭和4年に兵庫県がそれを買収し、のちに阪神電車が山上の環状道路を作ったはず。記念碑台の道路脇にポツリとその記念碑が建っている。
逆瀬川に沿うルートは昭和9年に完成。しかしその年9月の水害で大打撃を受けた。山上の回遊ルートや丁字の登りも9年水害で大きな被害を被っている。全復旧は12年夏。このへんの歴史をまとめてみるのも面白いかも知れない。
毎日.jpより引用。
メタル食品:大阪地裁に破産手続き申し立て、開始決定
テレビコマーシャルで関西で知名度の高い「メタル印度カレー」を製造してきたメタル食品(神戸市西区)が28日までに、大阪地裁に破産手続きの開始を申し立て、開始決定を受けていたことが分かった。東京商工リサーチによると、負債総額は1億8378万円。
「メタル印度カレー」は1952年創業のメタル食品工業が発売。同社が破綻(はたん)した85年12月からメタル食品が事業を継続してきた。カレールーのほか、香辛料なども扱い、95年3月期は7億9928万円の売上高を計上。しかし、近年は大手食品メーカーとの競合などで業績が低迷していた。【横山三加子】
存続はしてたんだ・・・工場は更地になってたのに(写真)。
事の序でに、印度カレーレトルト3者揃い踏み。ルータイプではその存在をついに見つけられなかった「甘口」が、レトルトタイプには存在していた。2002年7月、近江八幡市にて。
酷道の次は廃道本ですかw<br>イカロスさん、面白いところついてきますね。<br>私、まず間違いなく買うと思います。
いよいよnagajis氏も商業誌に登場ですか。<br>私も過去に何回か、今回ヨッキ氏が登場している本のライバル誌(私のせいか、今は無いw)に書いたことありますが、ものすごく苦労しました。<br>ORJも含めると三誌並行な訳で大変だと思うけど、がんばって!
ありがとうございます。出来上がったらぜひ買って下さ〜い。<br>(ORJも・・・ゲフンゲフン