nagajisの日不定記。
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nagajisの都合で編集会議が出来てないまま次号を進めている。一応予告はしていたものだけれど。
自分の特集はG.W.OFF.報告。まだやってんの?と思われるかも知れないが仕方ない。まだあるのだから。流し込んで画像を適度に配置した時点で90ページになった。しかも大使い写真が多い。いつもの感覚でdistillったら1記事で1号分くらいになりそう。それでは余りにも余りな話だ。
沢川については“約束の地”というフレーズをつけたくて仕方ないのだが、どう考えても“約束の地”ッテ何ダという話になってしまう。何が約束されているのか。行けばあるのはどこも同じじゃないか。別に線路敷で落ち合う約束もしちゃいないし再訪を約束してきたわけでもないし。そもそもおまえはパレスチナンか、という話にもなる。
とはいえ流し込みしているうちにまた行きたくなったのは事実。あれこれ見落としている。第一諸鹿で何も聞けてないのが心残りだ。音水のあの方を含め、また行って、現場の話を伺うだけのツアーでも組もうか。廃道本終わったら。
旧橋紀行は宝橋。今回との続きで八幡橋でもよいところだが、せっかくなら地域の偏りをなくしたい。書きはじめたら話がどんどん広がっていってヒデキーやらマッチーやらロナードやら出てきて大変なことに。ただの物真似じゃなかったんよ、ということが言いたいだけだというのにこの総出演は何だ。
TUKA氏の岩城2も進める。原稿はすでに4近くまで頂いているのだが1号1つがいいという希望アリなので一つずつ。もう少し変化をつけるべきかどうかを考えたが、変にnagajisテイストを加えないほうがいいように思えてきた。
しかしホント、TUKA氏もヨッキ氏も構図がうまいよね。俺はなんであんなに傾いてるんだろう&要所を撮ってないんだろう。毎回毎回3°くらい右回転させてるうえにどこの写真なのかわからなくなる>nagajis。
写真ピックアップ×2。そろそろ先行をかけたほうがいいかも知れない。記事数が圧倒的に多いからな・・・
それで結局、いまの段階では追加取材へ行く必要性をかなり感じている。2つの本のネタリストを見渡してみると、どうも古ネタばかりのようで>nagajis。新規取材は必要無いとは言われているけれど、読者の方が買われた場合のことを考えると少しでも新ネタを入れたいと思う。まあ、nagajis目当てで買う人はほとんど、いや念のために全くにしておこう、いた場合は平謝りに謝って1つけてもらおう、とにかくいないはずなので、余計な葛藤ではあるはずなのだが、「関西こんだけ?」と思われるのもいかがかと思うし。そもそもおれに振られた時点でどうにかしておけば良かったのじゃ。
しかもその取材先予定が熊野街道ときている。有名所である。が、有名だからこそ取り上げなければならない場面だってある。矢の川峠も無関係な話ではない>倶樂部。
さらに言うと廃道本以降のことも考えておかなくてはならない。特集級のネタもサブ的なものも(今のままでは)9月号で尽きる予定のnagajisだ。G.W.OFFでそこまで引っぱれるのは奇跡と思うが、次の奇跡を口開けて待っているわけにもいかんよな、ということ。
行き先はたぶん熊野街道オンリー。熊野市周辺で少し余計な廃隧道巡りをするかも知れない程度。で、その帰りに名古屋と岐阜に寄る。時期は18きっぷが使えるようになる7/20以降の5日間。行帰りで構成でも繰ってなさいってことだ>nagajis。
うう、忘れてた。ヨッキ氏特濃修正をupした。ついでに最近壁紙集を作っていないことに気づいて慌てて27号分を作った(汗。26号以前については日を改めて作ることにする・・・。壁紙についてはダウンロード制限はないしね・・・。恐らく5〜6種類も作らなくてもいいと思うんだ・・・。
謙という下の名前にわだかまりがある。謙譲の謙。謙遜の謙。謙虚の謙。もちろんそれを狙ってわが親は名付けたわけじゃないと聞いているが、ただでさえそんな意味の語であるうえに父親はこれ1文字で「ゆずる」と読ませるつもりであったらしい。それを祖父が音読み案を提案したことで今に至ったと聞いている。
そんないきさつもあってどうしても「『謙譲』の『謙』」を意識してしまって、性格的にへりくだるのが身についてしまっている。ウソつけ!とお思いの方も多数おられるはずだが自分は真面目にそう思っている。たとえばこの漢字を貰ってきた先は上杉謙信だなんていうことも普通は言いたくない。電話口で下の名前を伝える時に「ごんべんにかねるです」とだけいう癖が染み付いている。「太郎君」だったり「吉雄君」だったりのような普遍的名前のほうが良かったな、と思うことも実はしばしばだ。
それがまた嫌なのだ。なぜもっとわかりやすい言い方ができないかと。謙譲の謙って言えば済む話じゃないか。前向きに捉えて自己主張したらいいじゃないか。いつもそう思うが今さら感が強くて実行したことはない。何より大分県人最終兵器「よだきい」が即効発動してすべてを無にする。そんなややこしいやつだ。この男は。
人の性格なんて1面だけで捉えられるものではない(捉えるべきでない)、と思いつつ、やはり何か一つ芯のようなものが通っていてほしく思う。手がかりがない時に取り付ける島、あるいはすがれる棒か何か。他人に対してもだがそれ以上に自分自身のそれが欲しい。今の所それが下の名前になっているらしいのが嫌なんだ。
というわけで改名します、という話ではなく、単なる愚痴。嫌なものを嫌なものとして切り捨てられたら話ぁ早いよ、というだけのこと。この場合の嫌なものは自分自身なわけだが。
傾いて映るケースは2つ。1つは単なる癖。もう1つは、カメラ本体の調整の問題。<br>どちらなのかは、何か水平・垂直基準になるものを撮影して確認可能。カメラのレベルにもよりますが、後者ならメーカーで調整可能。前者なら、気合と根性の問題。
シャッターボタン押すときに傾いたんだと思います。<br>2秒後セルフタイマーか<br>あらかじめカメラの左下をちと下げてシャッターを切ると直ると思います。
あー。どれも心当たりがあって困りますね。疲れてる時に撮る写真は特にひどい。三脚立てても傾いてたり。