nagajisの日不定記。
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鍛錬の日。四時起床同四十五分校門を発し五時五十五分江津湖着、急行軍なれど涼しき朝汗出でず心地よし。八時より十二時に至る間、三時間和船に、一時間ボートに乗り、手腕を練ると共に水泳も亦練習したり。今日江津湖には幼年生徒、六・七十名はいたり。但し三年は一泊の予定にて昨日より久留米を見学。平川・高橋・飯田と四人にて。十三時帰校。午睡一時間。足は日に照らされて真紅となりぬ。愉快なる日なりき。
思えば松浦去りてより四ヶ月なり。
次々に授業も終了して愉快なるも国漢乙の時だけは答案復され且つあてこすられたる気色して不快なりき。然し之も午後の工作にてラジオ完成し音楽を二十分聞き全く午前の事は忘れ唯音楽に楽しむ。音楽の力偉大なり。邪念を去り朗らかになる。尚日本特有の尺八等は精神修養の一なりとぞ。明るく大らかなる為には歌が最も善きなり。良好。
夕に風強し。又終日涼しく夏の気分なし。
nagajisの都合で編集会議が出来てないまま次号を進めている。一応予告はしていたものだけれど。
自分の特集はG.W.OFF.報告。まだやってんの?と思われるかも知れないが仕方ない。まだあるのだから。流し込んで画像を適度に配置した時点で90ページになった。しかも大使い写真が多い。いつもの感覚でdistillったら1記事で1号分くらいになりそう。それでは余りにも余りな話だ。
沢川については“約束の地”というフレーズをつけたくて仕方ないのだが、どう考えても“約束の地”ッテ何ダという話になってしまう。何が約束されているのか。行けばあるのはどこも同じじゃないか。別に線路敷で落ち合う約束もしちゃいないし再訪を約束してきたわけでもないし。そもそもおまえはパレスチナンか、という話にもなる。
とはいえ流し込みしているうちにまた行きたくなったのは事実。あれこれ見落としている。第一諸鹿で何も聞けてないのが心残りだ。音水のあの方を含め、また行って、現場の話を伺うだけのツアーでも組もうか。廃道本終わったら。
旧橋紀行は宝橋。今回との続きで八幡橋でもよいところだが、せっかくなら地域の偏りをなくしたい。書きはじめたら話がどんどん広がっていってヒデキーやらマッチーやらロナードやら出てきて大変なことに。ただの物真似じゃなかったんよ、ということが言いたいだけだというのにこの総出演は何だ。
TUKA氏の岩城2も進める。原稿はすでに4近くまで頂いているのだが1号1つがいいという希望アリなので一つずつ。もう少し変化をつけるべきかどうかを考えたが、変にnagajisテイストを加えないほうがいいように思えてきた。
しかしホント、TUKA氏もヨッキ氏も構図がうまいよね。俺はなんであんなに傾いてるんだろう&要所を撮ってないんだろう。毎回毎回3°くらい右回転させてるうえにどこの写真なのかわからなくなる>nagajis。
写真ピックアップ×2。そろそろ先行をかけたほうがいいかも知れない。記事数が圧倒的に多いからな・・・
それで結局、いまの段階では追加取材へ行く必要性をかなり感じている。2つの本のネタリストを見渡してみると、どうも古ネタばかりのようで>nagajis。新規取材は必要無いとは言われているけれど、読者の方が買われた場合のことを考えると少しでも新ネタを入れたいと思う。まあ、nagajis目当てで買う人はほとんど、いや念のために全くにしておこう、いた場合は平謝りに謝って1つけてもらおう、とにかくいないはずなので、余計な葛藤ではあるはずなのだが、「関西こんだけ?」と思われるのもいかがかと思うし。そもそもおれに振られた時点でどうにかしておけば良かったのじゃ。
しかもその取材先予定が熊野街道ときている。有名所である。が、有名だからこそ取り上げなければならない場面だってある。矢の川峠も無関係な話ではない>倶樂部。
さらに言うと廃道本以降のことも考えておかなくてはならない。特集級のネタもサブ的なものも(今のままでは)9月号で尽きる予定のnagajisだ。G.W.OFFでそこまで引っぱれるのは奇跡と思うが、次の奇跡を口開けて待っているわけにもいかんよな、ということ。
行き先はたぶん熊野街道オンリー。熊野市周辺で少し余計な廃隧道巡りをするかも知れない程度。で、その帰りに名古屋と岐阜に寄る。時期は18きっぷが使えるようになる7/20以降の5日間。行帰りで構成でも繰ってなさいってことだ>nagajis。
うう、忘れてた。ヨッキ氏特濃修正をupした。ついでに最近壁紙集を作っていないことに気づいて慌てて27号分を作った(汗。26号以前については日を改めて作ることにする・・・。壁紙についてはダウンロード制限はないしね・・・。恐らく5〜6種類も作らなくてもいいと思うんだ・・・。
謙という下の名前にわだかまりがある。謙譲の謙。謙遜の謙。謙虚の謙。もちろんそれを狙ってわが親は名付けたわけじゃないと聞いているが、ただでさえそんな意味の語であるうえに父親はこれ1文字で「ゆずる」と読ませるつもりであったらしい。それを祖父が音読み案を提案したことで今に至ったと聞いている。
そんないきさつもあってどうしても「『謙譲』の『謙』」を意識してしまって、性格的にへりくだるのが身についてしまっている。ウソつけ!とお思いの方も多数おられるはずだが自分は真面目にそう思っている。たとえばこの漢字を貰ってきた先は上杉謙信だなんていうことも普通は言いたくない。電話口で下の名前を伝える時に「ごんべんにかねるです」とだけいう癖が染み付いている。「太郎君」だったり「吉雄君」だったりのような普遍的名前のほうが良かったな、と思うことも実はしばしばだ。
それがまた嫌なのだ。なぜもっとわかりやすい言い方ができないかと。謙譲の謙って言えば済む話じゃないか。前向きに捉えて自己主張したらいいじゃないか。いつもそう思うが今さら感が強くて実行したことはない。何より大分県人最終兵器「よだきい」が即効発動してすべてを無にする。そんなややこしいやつだ。この男は。
人の性格なんて1面だけで捉えられるものではない(捉えるべきでない)、と思いつつ、やはり何か一つ芯のようなものが通っていてほしく思う。手がかりがない時に取り付ける島、あるいはすがれる棒か何か。他人に対してもだがそれ以上に自分自身のそれが欲しい。今の所それが下の名前になっているらしいのが嫌なんだ。
というわけで改名します、という話ではなく、単なる愚痴。嫌なものを嫌なものとして切り捨てられたら話ぁ早いよ、というだけのこと。この場合の嫌なものは自分自身なわけだが。
諸兄諸嬢のお知恵を拝借したい。
立てば爆薬 座ればボタン
継ぐ良い言葉はないだろうか。何かこう、しっくり来る言葉は。
爆薬つながりで
歩く姿は導火線
というのを考えてみたのだがいまいち納得できない。導火線にはんなり歩かれてもうれしくないし、いざという時居なかったら困る。
歩く姿はテロリズム
語感はいいが爆薬とボタンの間を埋めるものではない。
「歩く姿は」が自由度を阻害するのだろうと思い、別のフレーズで考えてみた結果
マイティマウスはボンジャック
などという意味不明なものが口を衝いて出てきてしまった。我ながら辟易する。Jack has a bat and two balls.
何かいい言葉はないだろうか。
今日は一日部屋の片づけで費やした。机周りも久しぶりに綺麗になった。で、そうするとキーボードの汚さが目についてしまって、思い切って全分解して掃除することに。綺麗にはなったが前のほうがタッチが良かったような気もする。まあいいか。そのうち馴染むだろ。
ついでに、ずっと気になっていた液晶の件を何とかしてみようと思い、こちらにも着手したのだが・・・。
ジャンクさんの17インチ液晶ディスプレイ。映るのは映るんだが左端に影が出る。液晶の裏側にススでもついてるんだろうかと思ってたのだがしかし、分解しても何ともなってなかった。液晶そのものに隈が入っているようだ。こればかりは直せない・・・。
そうして組み立てるとネジが余っているのはお約束。ついでに一つコネクタを挿し忘れていて立ち上がらなかった。編集会議に遅れたのはそのせいだ。
近くのスーパーで奮発して買ったバッテラ380えん。こんな帯がついてくる。シェフ手作りというのはスーパーの名前がシェフKAWAKAMiというからだろう。特に変わった所はない。
裏返してみるとツェレになる。
奇妙なポテンシャルにしようかとも思ったがコネタ城っぽいのでやめた。それよりもマイティボンジャックを何とかしたい。引き続きお知恵拝借。
いま、nagajisの中だけで、勝手に「大和川クエストカード」がアツい。
先日行った亀の瀬地すべり資料館でこんなカードを頂いてきた。カードとは言い条A6手帳サイズ折り畳みリーフレットである。専用のバインダーさえある。「ご自由にお持ち帰りください」とあったので一セット60枚を一気に頂戴した。
内容は至って真面目な啓発パンフレットである。大和川がいかに大切な川であるか、汚染がどのくらい改善されたか、水害のときにどのように対処すればよいか、等々が書かれてある。1枚1テーマで、深い掘り下げや資料的価値があったりもする役立つリーフレットである。大和川流域のことに不案内な私にとっては一冊の教科書になり得るほども価値があるように思われる。
何より表紙がいい。啓発的な内容ゆえ、まずは手にとってもらうところから始めなければならないというディスアドバンテージを克服するための工夫があって、それが見事に成功している。かくいう私も表紙を見て「なんじゃこりゃ」と思って思わず手にしちゃったよ母集団の1である。
この嵌り具合……大阪住まいの人でないと伝わらないかも知れない。水の行き先が新今宮。難波でも新大阪でも天王寺でもなく新今宮。この絶妙なセレクションにセンスがある。JR環状線と南海電鉄の乗り換えのためだけにあるような、しかし奈良方面へゆくには天王寺乗り換えよりも新今宮乗り換えのほうが微妙に便がいい−−−天王寺まで行ってしまうと隣ホームで乗り換えねばならぬ−−−もちろん大和路快速一発のほうが早いんだけどね−−−という微妙な立ち位置の駅である辺りに輝きがあるように思われる。これが喜連瓜破だったり放出だったりしたら附き過ぎだろうし、そもそも交通系を離れて生駒山だったりしたら離れすぎだろう。川=昔の運輸幹線、鉄道=今の運輸幹線であるという暗黙の了解をさもさりげなく要求してくる高等テクニックに痺れる。
これなども素敵である。「親水」から3番を思いつき、剰え答えとして用意できる人はそうそういないんじゃないか。してそもそれを国交省大和川河川事務所の公式パンフレットに採用することを決断できる人はいないのではないか。しかし現にこうして採用され配布されているという事実。瞠目して余りあることだと思うし、国交省大和川河川事務所の心意気を汲むべきではないかと思う。私はそう信じて疑わない。
これなどはまさかのブラック系である。「見なかったことにする」。そんなの選ぶわけねーだろプゲラと笑いつつ手にしてしまうものの、案外誰もが普通にしていそうなことである上に自分自身思い当たる節がないわけでもなく(オマエは今までに拾った川のゴミの数を覚えているか?)、そのうえ中身を読んで竜田川の最上流域が下流域より非常に汚れていることを知ってしまったりすると「無関心で済みませんでした」「笑って済みませんでした」と謝りたくならざるを得ない。中身が真面目であるがゆえにその反動はとてつもなく大きい。土下座しても足りないんじゃないかと思う。
結論。よく練られたよいリーフレットだと思う。ぜひとも続編を出していただきたい。そして滑る猿への対策をしていただきたい。けんちゃんからのお願いです。
中播煉瓦株式会社
印南郡曽根村
設立大正5年5月、資本金10万円、1株50円、払込高8万円
取締役 入江光蔵
印南郡伊保村
同 中谷與八【→播州煉瓦合同監査役@S4】
同、曽根町
同 梶原貞一
同、大塩村
同 岡田卯市
同、的形村
同 小田千代蔵【→播州煉瓦合同社長@S4→播州煉瓦合同取締役@S7】
同、北浜町
監査役 森本玄良【→播州煉瓦合同取締役@S4】
同、別所村
同 上田與三太【→播州煉瓦合同取締役@S4】
同、的形村
〔日本全国諸会社役員録. 第31回(大正12)〕
もと明治29年設立の老舗。大正5に株式会社化? 曽根。後にバンレン曽根工場。
播磨煉瓦株式会社
印南郡阿弥陀村
設立大正6年3月、資本金10万円、1株50円、払込高5万円
取締役 原田四郎作
同 原田貞作【→合名会社原田商会@S3頃→弘栄煉瓦@S6】
同 原田栄吉
右印南郡阿弥陀村
同 細尾藤太郎
加古郡加古川町
同 米澤久次郎
監査役 原田四郎吉
同 原田広吉
右印南郡阿弥陀村
支配人 中筋拙蔵
同、曽根町
〔日本全国諸会社役員録. 第31回(大正12)〕
阿弥陀に興った最初の煉瓦工場。原田商会となり弘栄煉瓦(魚橋)に。
山陽窯業株式会社
印南郡伊保村
設立大正6年3月、資本金25万円、1株50円、払込高17万5千円
取締役(代表) 浜本八治郎
姫路、福中
同 山本市次郎
大阪府東成郡天王寺村
同 山本栄太郎【→山本窯業所@T14-S2→播州煉瓦合同@S7】
加古郡高砂町
同 福永宇吉
同 赤藤松二【→東山工業所@T14-S22】
監査役 赤藤勇太郎
右飾磨郡四郷村
同 吉中猪之吉
姫路、龍野7
同 池田弥七
同、小利木
〔日本全国諸会社役員録. 第31回(大正12)〕
創業時は姫路工場・見野工場を所有。その後中筋にも工場。分裂後、中筋工場は山本窯業所となり播州煉瓦合同中筋工場に。
大正煉瓦株式会社
印南郡曽根町1777
●設立大正6年4月 満期20ヶ年 総株数1千株
●資本金 50,000
内払込高 17,500
●取締役 伊藤政次郎
関野與平【←関野煉瓦製造所】
鹿間松蔵
田中卯之松
服部種吉
八木孫次郎
監査役 岸野松太郎
中谷與七郎
名島友吉
〔帝国銀行会社要録 : 附・職員録(第7版)(大正7年)〕
なぜか『役員録』には収録されていない。関野煉瓦製造所の関野与平が取締役として関与(関野煉瓦は大正5年5月設立)。伊藤とか中谷とかどっかで見たような苗字が・・・。
別所村には中播煉瓦の別所工場(大正5年5月)、大正煉瓦別所工場(大正6年6月)があったが、最も古いのは別所窯業株式会社工場(別所煉瓦合名会社。明治44年5月?)。たぶんこれが2工場を吸収して?播陽窯業株式会社になった。後に中播煉瓦と合一して播州煉瓦合同に。播陽窯業株式会社
印南郡別所村
設立大正8年10月、資本金50万円、1株50円、払込高12万5千円
取締役 金川栄治
神崎郡香呂村
同 渡邊市太郎【→播州煉瓦合同@S7】
同 高谷耕司【→播州煉瓦合同社長@S7】
右印南郡別所村
同 高橋市蔵
大阪、西淀川、大和田
同 堀田孫次郎
姫路、高尾
同 黒田房次【→播州煉瓦合同@S7】
加古郡加古川町
同 桂三代次
監査役 白井観光
右飾磨郡花田村
同 金井利一
神崎郡香呂村
〔日本全国諸会社役員録. 第34回(大正15)〕
播州煉瓦合同株式会社(中播煉瓦株式会社改称)
印南郡曽根町
電話30
設立大正5年5月、資本金15万円(払込済)、1株20円
社長 小田千代蔵
印南郡北浜村
取締役 上田與三太
同 森本玄良
同、別所村
監査役 中谷與八
同、曽根町
西神吉分工場 印南郡西神吉村 電話30
〔日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)〕
この時点では播窯のメンバーが入っていない。
播州煉瓦合同株式会社(昭和7)
印南郡曽根町
電話17・30
設立大正5年5月、資本金15万円(払込済)、1株20円、法定積立金200円
社長 高谷耕司【←播陽窯業】
印南郡別所村
常務取締役 小田千代蔵【←中播煉瓦】
同、北浜村
同 山本定三
加古郡高砂町
取締役 植田與三太【←中播煉瓦】
印南郡的形村
同 植田藤次郎
姫路、高尾
同 山本栄太郎【←山本工場】
加古郡高砂町
同 渡邊市太郎【←播陽窯業】
印南郡別所村
監査役 西沢武男
同 伊藤重吉【←伊藤窯業】
右同、曽根町
同 黒田房次【←播陽窯業】
加古郡加古川町
分工場 印南郡伊保村
分工場 印南郡西神吉村
分工場 印南郡別所村
〔日本全国諸会社役員録. 第40回(昭和7年)〕
この頃に播陽メンバーが入る(たぶんもっと早い)。伊藤窯業の伊藤重吉が監査役で加入。なるほど確かに播州煉瓦「合同」。
西播煉瓦株式会社
神崎郡香呂村
設立大正6年10月、資本金10万円、1株50円、払込高8万円
取締役 伊賀徳三郎
同 岩田虎治
同 岩田清治
同 高田幾太郎
右神崎郡香呂村
同 尾田徳次
同、船津村
同 藤本栄太郎
監査役 山口大治郎
右同、山田村
同 鯉田熊太郎
同、船津村
同 藤尾丈次郎
同、香呂村
〔日本全国諸会社役員録. 第31回(大正12)〕
神崎郡は蚊帳の外か・・・香呂の人が関わってるから何かあったのかと思ったのに。
ずいぶん前に桜井住宅地で撮影していたもの。機械成形の煉瓦に岸和田煉瓦の×印がついている。大阪の煉瓦会社で機械成形煉瓦に刻印を押したところは数少ない。&、キシレンの成形機械は裁断まで機械力で行なう連続整形機(米国チャンバースブラザーズ社製)で、見学者の目を見張らせたという。
岸和田煉瓦二十周年記念誌(明治40年発行)より引用。背後にある巨大な車輪が切断機で、スポークに相当するところが切断ワイヤーになっていると思われる。同じものが30周年記念誌にも載っていて「弐号機」と記されている。柱の配置なんかで見比べると同じ会社から購入した2号機であるらしい。
一方、大阪窯業の機械成形煉瓦製造の光景。このような器械を人が操作して行なっていた。
同じ機械成形だが断面にできる擦り傷の形は変わってくる。大阪窯業の機械成形煉瓦は長手に近づくにつれて垂直になる円弧状。岸和田のは小口から小口へ渡る円弧状。
最初は30周年記念誌の写真を見てて、煉瓦が通過する場所が裁断機の真下でないように見えたので(その場合は小口に向かうほど垂直になる円弧状になり、上写真のような傷が付くはず)、この機械で作られたにちまいないと思ったのだ。しかしより鮮明な20周年誌を見て真下にあることがわかりショボンてる。
ドライブが瀕死の状態になってしまい難儀したのだが何とか読み書きできるようになった。かわりのドライブも入手困難のようだし、このままRAMに頼りきりなのもどうかと思う。
というところまで考えたところで、このマシンにDVD-RWドライブが載っていることに気がついた。以前飛んで機材入れ替えしたときからだから・・・いったい何年前だ(汗。これ使えばいいんじゃないか。
そう思って試してみたが、OS9からは使えないらしい。んでさらに、このマシンにOSX10.1.3が入っていることも思い出した。OSXで立ち上げてDVD-Rで書き込めばいいんじゃね。というわけでただ今実験中である。
なるほどそうすればよかったか。しかしそれなら外付けHDDを購ったほうが早いのではないか。
塩漬けを水で戻して食べる辣油で味付けしたような記事ができあがった。
_ yusan [500G程度のHDDが余っていたりしますので 差し上げましょうか? 手渡しOKですよ。]
印南郡の煉瓦製造業史の転変とか由良要塞への煉瓦納入の経緯とか吉野木馬道の謎とか、調べてくれんものだろうか。予算内で。
至極曖昧な定義の元で「ロマン」という言葉が使われていて、ここでいう「ロマン」には男の野望とか妄想とか目ぇ開けて見る夢とかは含んでなく、要するにハーレクイン系のロマンスのことをゆうてるんだとは理解する。「ロマン」という言葉の曖昧さは何も現代になって始まったこっちゃない。日本にロマン主義文学が紹介された時点でよくわかってなかったんじゃないかしらん。もちろん私も知っちゃいないが。
あ、それゆうたら樋口一葉は日本におけるハーレクイン・クラシックスの先駆者になっちまうな。えらいこっちゃな。
前日の晩+宝殿へ行く電車の中で読み終えて、帰りでまた2/3くらい読み直してしまう。読むと猫間川への愛惜の念が強くなる。笑うのにぶっ崩された煉瓦の行く末が気になる。全部あのへんに埋まっとるんやろか。平野川の底は浚われてるから無かろうな。
ここに描かれた情景はもうどこへ行っても見られない。新世界の辺りとか大阪城ホール周辺とその対岸とか、キレイキレイになりはてた大阪の元の姿が知れて興味深かった。阿倍野Q'sモールの辺りとかも多分あんなだったのだろう。観光でめぐるようなとこやないよね。人間が必死になって生きてた生臭い土地、生きることに倦まない真摯な姿勢には敬意を抱く私である。
構造物ごとに竣工年と検出刻印をリストアップしてみたが思っていたたほどウマくない。頭の中の漠然を形にしただけで、これから新たに感づかれることもなければリストの信憑性もない。砲廠とか司令所とか細かな構造物で刻印が見つかってないため随分漠然とならざるを得ないし、確実に構造物由来と言えるもの=持ち込まれた頃の年限が確定しているものが少ない故。友ヶ島電燈の背牆階段の堺煉瓦は友ヶ島電燈竣工年をオシリとしてよいものか? 完成後に追加で作ったんやおまへんか? てなところを完全に排除し去ることができない、そういうのが大半。まあ、それは当初から予想していた事と言えば言えるのだけれどもな。その言い訳を言ったところで言い甲斐のある内容じゃない。
せめてもの救いは仮にそうだと考えたところで会社テーブルと矛盾はしないというところ。
あとは、生石山第3砲台の大阪窯業が浮いていることとか、赤松山堡塁伊張山堡塁が空白地帯になってることとか。27年前後にぽっかりと穴が開いている謎。そしてここに現れない大量の無刻印手成形煉瓦の扱い。
「コンセプト」という言葉が正しく使えないというトラウマを植え付けられている私なので困ったことである。何をどう説明したらコンセプトを説明したことになるのかわかっていない。ダメ出しかOKかのデジタル裁許じゃ学べるものも学べんわなと今更愚痴ってみる。
現状では単に全体像を作ってみただけに過ぎない。ここから内容を書いていただくためには「何を書くか」「どう書くか」「配分は」を伝えないといけない。その点は移動本は楽だった。文字数と写真点数だけ与えられていてコレという方針もなかったものな。なくてあれだけ整った内容になったのはひとえに寄稿された皆さんの廃道に対する意識ベクトルが元々揃っていたからだろうと振り返ってみたりしている。そういう状況でない今回にどう青写真を描くか。しかもその青写真は独自言語独自仕様独自単位で書かれておる。どうやって翻訳・単位変換するか。というところから頭をひねらないといけない。
だからといって例示を出し過ぎると自分が関与したものになってしまうんだよなあ。そうじゃないんだ。
ことわざに「最悪死ぬ」をつけると面白い、というネタが何年も前に流行した。そのことを不意に思い出して試してみたりなどしている。 ことわざによって「ああそれは死に得るな」と思うものもあれば、汲んでも尽きせぬ奇妙なポテンシャルの湧出を感じるものもあって、その違いがまた奇妙なポテンシャルでもある。
二階から目薬 最悪死ぬ
猿も木から落ちる 最悪死ぬ
急いては事を仕損じる 最悪死ぬ
この辺りは素直に納得される例である。そんな高いところからものを落としたら衝撃で死に至るかも知れない。木から落ちて死ぬことがあるのは自明の理だ。泡展望もとい慌てん坊は死への一里塚。
待てば海路の日和あり 最悪死ぬ
だんだんPsが発生し始める。上手く行かすための方策を勧めながら実はその先に命を失うような失策が潜んでいる可能性を示唆しているのか。初めから罠なのか。漫才のボケのような味わいがある。
のれんに腕押し 最悪死ぬ
この辺になると辻褄の合わない可笑しみが滲み出てくる。手応えがないことの例えのはずなのにやりすぎると覿面な効果が現れる、ということか。暖簾を押すような微細な力仕事でも力尽きてしまう虚弱体質を言った言葉かも知れぬ。様々な背景が浮かんでは消えする。
三つ子の魂百まで 最悪死ぬ
これなどはどうにもよくわからない。そもそも「三つ子の魂百まで」の意味を曖昧に覚えているせいで、死ぬのが三つ子なのか、そのような境遇・性格の人物が死ぬのかはっきりしない。「雀百まで踊り忘れず 最悪死ぬ」と近しいはずなのだが、そちらは雀の死を想起しやすい。
雲仙に雲がかかると雨 最悪死ぬ
正確にはことわざではないけれどもひどく叙情があってよいと思った。火砕流が泥流となって再び麓を襲う可能性を示唆しているに違いないと思う。但し想起されるものが固定的なので想像の拡がりがないのは残念である。
そんなことを考えているうち、どうもしっくり来ないものもあるように思えるようになった。
豚に真珠 最悪死ぬ
Ps的ではあるがどうも意味内容が発散しすぎているように思われる。豚が死ぬようには読めないし豚に擬せられた人物が死ぬようにも読めない。どういうわけだろう。
泣きっ面に蜂 最悪死ぬ
一見素直に通りそうで通らない。蜂に刺されると死ぬこともあるという事実がPsを遠ざけるのだろうか。 酷い目が重なれば確かに死ぬこともあるだろう。刺された人が死ぬのか蜂が死ぬのかはっきりしないのもちょっとどうかである。「不気味の谷」のごとく、ある極小点より手前にあっても、向こうに行き過ぎても違和を覚えるものなのかも知れない。
五十歩百歩 最悪死ぬ
「五十歩百歩」と「最悪死ぬ」の間に句読点を打つとすっきりPsするのだが、上記のように与えられるとやはりPsは感じられない。両者の間に脈絡が感じられないのである。
いろいろと試しているうちに、どうやら「慣用句に「最悪死ぬ」をつけたから」ではないかと思うようになった。ことわざと慣用句、明確な線引きはできないそうだが、文章として完結しているもの、それ単体として意味が通るものがことわざのように思われる。「待てば海路の日和あり」とか「急いては事を仕損じる」とか、原因が提示され結果が伴うという構図に対し「最悪死ぬ」は容易に接着する気がする。一方「泣きっ面に蜂」は、何か状況の例えであって、その文章だけで言わんとすることを全て言い尽くしているわけではない。そういうものに「最悪死ぬ」を添えてもちんぷんかんぷんなだけになるようだ。なにか添えて完結させたうえで「最悪死ぬ」を足すとPsが現れるようである。
五十歩百歩の争い 最悪死ぬ
四面楚歌の職場 最悪死ぬ
「最悪死ぬ」をつけてPsが生じればことわざ、生じなければ慣用句、という新しい線引方法を提案できるかもしれぬ。もう少し考えてみよう。
保冷所もといホレイショ・ネルソン・レーの件の広告の話が出て来るかもしれん思って読み始めたのだがそれ以外のところのほうが面白くて一気に読んでしまった。岩波の近現代史1を読んだ時も思ったことだが自分の学んだ近現代史は古過ぎたようだ。そうか定説ができあがっていない時代だから学んでも覆される可能性が高くて、だから表面をなぞるだけで終わったんだろう。
イギリスによる薩摩砲撃もイギリス下院議会でその正当性が議論され「国際法に違反するもの」と議決されていたりするのだそうだ。台風下で砲撃を受け、応戦、そこまではよいが翌日にロケット砲を放って鹿児島城下を灰燼に帰したところが問題とされたのだ(当時の慣例的な国際法では戦争に関係のない市街地に攻撃を加えることは違法とされていた。とはいってもあくまで慣習だし「文明国」間でしか通用しないようなものだったけれども)。こっちは武士道あっちは騎士道で戦っておったわけで、なんだか面白い。そうして戦争後にイギリスと手を結んでゆくあたりもいかにも武士道騎士道的で、だからこそ肝胆相照らすような仲になり急激に西欧化していくのだろうと思ったりもした。何もないところに突然文明が入ってきて一染したわけじゃなくて、さまざまな下地があったからこそ侵攻を受け入れて取り込み消化し自国のものにできたのだ、というのが今日における近代史の大方の共通認識になっているようだ。ある意味明治政府の情報操作を引き継いでいたのかも知れぬ>自分の受けた教育。
それを考えると外来語のカタカナの氾濫だって日本古来の性質であり得意技であったと言えなくもない。ともかく短期間のうちに技術を吸収し30年ほどでイギリスに互する紡績業立国になっちゃんだからなあ。新しいものを貪欲に取り込む姿勢。本質を見抜いて利用する能力。そのへんは他国にひけをとらなかった。自動車とかカメラとか、ケータイまではギリギリそうかな、とかく消化吸収と優れたもののアウトプット能力には長けてる。それがここ数十年で停滞しているのは何故だ。
漠然と、電気とか伝播とか電子回路とか、見て把握するのが難しいものについて把握するのが下手な感じがする。歯車を組み合わせて複雑な動きをする。精密な部品を作る。安価に上手に作る。そういうモノを作るのは得意。しかしIT技術とか統計処理とかは大体において苦手っぽい気がする。突出して優れた人物はいても市民感覚として多くの人が理解しているわけでもない。そういうのを使いこなすのも下手。魔法とかアニミズムとか霊とか血液型とか、目に見えない(目で把握できない)ものに対する盲目的信奉と関連するのかもしれん。
最後の最後に維新後の鹿児島県の産業低迷の話が出てきてナンデヤネンと思わないでもなかったが、あとがきを読んですらりと納得した。鹿児島新聞に連載された記事が元になっているのだ(鹿児島県立図書館に蔵されている「ザ・タイムズ」の幕末~明治初頭ぶんを元に話が展開される)。
そうそう、保冷処のことは首になったっていう話が数行で書かれていただけで原文はなし。それはもうどうでもよくなっている。
高校時代の同級生にM君という人物がいた。渾名がダンダンだったので以下M君と呼ぶ。
ある時M君が突然こんなことを言い出した。M君にとっての私はドラクエの町の人のようなものであるかも知れないと。M君の人生というRPGの一場面に登場し、重要かも知れないし重要でもないかも知れない発言をしてくれる、名も無き村人的な登場人物の一人なのであると。周囲にある街や建物や空や雲も、M君RPGを演出するために用意された大道具小道具なのであると。「もしぼくが死んでしまったら、周囲は全部消えてしまうんよ」。そんな感じのことも宣ったように記憶する。自分もそれに似たことを考えたことがないわけではなかったので言いたいことは充分にわかったのだが、改めて人から聞かされてみればひどい話だ、私自身の人生RPGのことは考慮の外に置かれておるではないか、と内心憤慨したりもした。そうして私PRGの登場人物たるM君にそのように言われたことが、人間社会の、このセカイのありようを見る見方に少なからぬ影響を与えたように思われるのだ。他人には他人の人生がある。成り代わってそのロールを演じることはできないし、深く立ち入って覗いてみることもできぬ。人は人、他人は他人、時おり出会って会話を交わしてハイそれまでよ、という視点でお互いを見ている世界がこのセカイなのかも知れぬと。そうしてそんな見方がついこの間まで続いていた。それが真理なのだと信じて止まない自己が常に何割かは存在していた。
そんな見方が、最近すっかり裏返ってしまった。禅でいうところの自他不二の境地、 主客未分とか事々無碍法界とかいう概念がよく理解できなくていろいろ考えを巡らしている時、ふとM君のRPG説を思い出して頓悟するところがあったのだ。自分という存在が思っているほど絶対的な存在ではないとしたら。自分以外のものを対照物として相対的にしか定義できないものだとしたら。自分の評価は周囲がどう評価しているかで決まるのであっていくらnagajis自身が「おれって天才」と信じていたとしても他人が認めなければ真ではない。人間のつもりでいても周囲が人間と認めていなければ人間ではあり得ない。nagajis一個だけがある世界でnagajisはnagajisたり得るかというと多分そうはならない。それしかないのであれば人間という定義も必要ないし生き物であるかどうかも必要としない(無対それ以外の存在としてのnagajis)だろう。
「自分以外の何か」がある故に、それを対照基準として「自分」を認識することができる。そしてそれは「自分以外の何か」にとっても同様。M君のRPGワールドにおいて私が一個の登場人物であると同時に私的RPGワールドの登場人物としてのM君があるように。互いに参照し合っている間柄、とも言える。
ということは即ち、私もM君も対等の立場にある。鏡で相照らしているようなもので、どちらかが欠けたらもう一方にも(大なり小なりの)影響を及ぼさずにはいない。
その考えを敷衍していくと、世の中すべてのものと否応なく関わり合っていることになる。RPGワールドマップにおける山とか野原とかもそうだ。私が山だ野原だ奇妙なポテンシャルだと認識していることは、私が認識をやめてしまえばその存在が消え失せてしまうか、違う誰かの人生にとっての演出物になってしまうに違いない。
てことは、もし、「すべてが自分なのだ」だと考えることにしたら、どうなるだろう? 自分を座標づけするために存在してるものも自分の一部であると考えたとしたら。世の中即ち自分を定義するもの即ち自分であるとしたら。それこそ「自他不二」というやつなんじゃねえ? 我であると同時に彼である、全部ぶっ続きの魂としてのRPGワールド全体が、おれ。nagajisは(そして過日のM君も)勝手にそのワールドの主人公だと思っているだけで、しかし主人公だからといってセカイをまるっきり改竄してしまうこともできないし、自分の都合の良いように回すこともできないけれども、それもまた自分の一部なのであればまあ仕方ないと思えてくる。自分の考えなんかこれっぽっちもわからないのだ。何しでかすかわからないことだってあるのだ。それと同じ状況が周囲で起こっている様々な事件であったりすれ違う人であったり道端で踏んづけた犬の糞であったりはしないだろうか。だったらなおさら、そういうものに腹を立てても仕方ないという気がしてくる。自分で自分に腹を立てても何の益にもならない。
この気分は25枚一組の雲形定規に似ている。長い間一緒にいたせいで精神感応して自分と他人の区別がつかなくなった25枚一組の雲形定規である。一番小さなのを罵ったらその数倍はあろうかという大型のやつにぶん殴られたり「あっちのおれはずいぶんくたびれているようだな、おれも気をつけろよ」「そういうおれこそ」というような会話が成立したりする彼である。私もおれ、彼もおれ、ニュースを喋っているアナウンサーもおれなら刺された女性(19)も犯人もおれ。自分に関わるものすべてがおれであり、そんなおれが知らない一面を覗かせて驚かされることもあれば奇妙なポテンシャルを湧出させたりもする。有り得そうなことである。
さらに敷衍すればモノだっておれだ。この文字を入力しているASUS TF101も台湾のおれたちが作ったおれ。寝転がっているソファもおれが作ってニトリのおれが売っていたのをおれが買ってきた。nagajisがいなくなれば認識されなくなるおれたち。コーヒーをこぼして汚したりするのも予期せぬフリーズで書いたものが消えてしまうアクシデントもおれのせい。そう考えるとモノに当たったりすることもなくなる。未だ見ぬモノ手に入れたいとか高価なモノに羨望したりとかすることもなくなる。それはおれなのだから。持っていようといまいとそれがおれならそれでおkなのである。物欲から開放されるわけである。なんともすがすがすがしい気分ではないか。
残るは形を伴わない何かの追求だけだけれども、情報という無形物への欲はいまだ捨てきれない。歴史を掘り下げてみたりとか煉瓦刻印や古レールから何かを読み取ってみようとしてみたりする追求は、ひとえに自分自身(の意識の隅)を追求することであり自分自身の省吾という意味があって、 だから面白いと感じるのかも知れぬ。自分の知らない自分なんていくらでもあるのだから、なるほどそれでは尽きること飽くこともないだろう。
みたいなことを果てしなく考えてしまうのがいわゆる死人禅の状態だと思われる。じっさい上記のことを言下に実行すればそれこそこの世から葬られそうだ。時おり現実世界に戻ってきてその中で立ち振る舞わなければならぬ。M君のRPGの登場人物としていかにも重要そうな発言をしたり無意味なことを喋ったり返事しなくてただのしかばねと推測されたりせねばならないのである。ふむ。
自分がセカイを疎んじればセカイは自分を疎んじる。セカイに躍り出てみれば両手を挙げて歓迎してくれる。そういうものなのにちがいない。
きかんしゃトーマスのトーマスが踏んでいるのは双頭レールなのかどうか。枕木への取り付けはスリーパーを使ってるように見える。あるいはブルヘッドかも知らんが。
河内長野の市街から東高野街道を北へ辿っていたらこの工場に出会った。全文字瓦で作ってある。なかなか凝った作りで、「6」のファニーな感じも悪くはない。ただし技術が失われたのか面倒くさくなったのか4桁番号へのアップデートはなされていない。考えてみれば今の市外局番制はちょっと味気ないな、「長野○番」とかちょっとあこがれる。
付近の民家は見事な作りの飾り瓦が多かった。七福神の乗った宝船なんてかなりの造形度。おそらく山中製瓦所の製品で、さぞ技術力の高い工場だったんだろうと思われたことだった。
あ、これも撮ってたんだった。結構リアルな招き猫飾り瓦。しっぽの置き位置がいいな。これでかぎしっぽだったらもっといい。
湖北には音がなかった。機械の唸る音も無粋なエンジン音も室外機の音も無い。それにふと気づいて耳を澄ませていると、遠くで微かに鳴くセミの声。鳶のピーヒョロロ。チチチッチチッと鳴き渡る名称不明の鳥たちのさざめき。葉ずれの音はしなかった、そもそも風が吹いていないから。そういった音はあるのだが、無音といっていいほどに静かだった。
この静寂を経験するために来たのかも知れないと思った。自然の音だけの環境に身を置きたくて旅をするのかも知れないと思った。
考えてみれば当たり前なのだが、琵琶湖には波が立たないのだった。波打ち際はチャプチャプというささめくような音しかしない。高知の浜で感じたような体躯に沁みるような動的感覚は起こらない。静かに水面が揺れているだけ。それが湖国の水風景なのだと、この歳になって初めて気がついた。自転車で走っているばかりでは気づけない、本当の湖国。
_ 建築屋さん [傾いて映るケースは2つ。1つは単なる癖。もう1つは、カメラ本体の調整の問題。 どちらなのかは、何か水平・垂直基準になるものを撮影して確認可能。カメラのレベルにもよりますが、後者ならメーカーで調整可..]
_ Abj [シャッターボタン押すときに傾いたんだと思います。 2秒後セルフタイマーか あらかじめカメラの左下をちと下げてシャッターを切ると直ると思います。]
_ nagajis [あー。どれも心当たりがあって困りますね。疲れてる時に撮る写真は特にひどい。三脚立てても傾いてたり。]