トップ «前の日記(2008-07-27) 最新 次の日記(2008-08-03)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2008-08-02 帰宅 [長年日記]

[ORJ][独言][廃道本][][橋梁][近世以前土木][C60] 恥ずかしながら生きて帰って参りました

現在写真のコピー中。動きがまったりしているうえ、何故か指先がヒリヒリしていて、出発前に仕入れておいたPro Keyboardの感触をよく味わうことができない。明日から一ヶ月間、このキーボードでで戦わなければならない。その前に写真の整理をしておかないと何が起こったのか忘れてしまいそうだ。

結論いっとくと明治矢の川道途中敗退、昭和矢の川道はスルー。石垣見て、鹿避けネットと超強力な羊歯と戯れてwith自転車、満足した。そもそも1日でどちらも回ろうってのは無理な話だ。南谷から峠まで500upもあんのね>矢の川

どちらかといえば中ネタ・小ネタ満載の旅。行ってみたかったがそれだけのために向かうのはちょっと・・・というようなところを一気にかッさらってきたような感じ。

で、どーでもいいものから片付ける。

[C60] #3

画像の説明バッキーボール3つ目。三重県大紀町宮原の電子水準点が置かれている保育園にて。一色で統一されたフラーレンは初めて(除く中央と支えの柱)

[] 紀伊長島にて

画像の説明旧紀伊長島町(現在の紀北町紀伊長島区)はマンボウが町のマスコット。道の駅も紀伊長島マンボウだし、市街の北部をバイパスするトンネルにもマンボウ君。なかでも気になったのは歩道トンネルに描かれたマンボウ君だ。一見すると何でもないが・・・(よく見るとコナミmってのは無視の方向で)

画像の説明ついに2足歩行を始めたマンボウ君。足のラインがちょっとセクシー。

[独言] マダニ

画像の説明前回やられたこともあって少しは気にするようになった。薮を出て「チクッ」としたのを見てみると、奴だ。この間刺されたものとは種類がちょっと違うがよく見られるのはこのタイプ。薄手のズボンの上から刺していたので払い除けて終了。逃げていくさまを撮影してみた。しかしまあ、このテのモソモソするマダニでなくて良かったと思う。

しかしその後、矢の川峠の激薮の中で数尾見かけたうえ、ロングソックスの上から刺されていることに(帰ってきてから)気づく体たらく。後者はソックスが厚手だったおかげで皮膚には届いていず、しかし口器から出したと思われるセメント様物質が皮膚にくっついていて、ちょっと引っ張っただけでは取れなかった。マジ刺しされていたらまず抜けないだろうと思うような強力さ。くわばらくわばら。

しかも、腰の辺りに潜んでいたのを寝ている時に発見、寝ぼけ頭でむしり取ってテントの中へポイしてしまった。翌日ノコノコ出てきたところをライターオイルで焼かせてもろた。これも刺されていなくて幸い。

[] 少し真面目かも知れない話

画像の説明東熊野街道(熊野にとってみれば大和街道)にて。空からこの石が降ってきた。どうやらカラスが落としたものらしく、直後に上空を2羽のカラスがバサバサ飛んでいった。

一部始終(?)を見て思ったことは、かつて日本にあった風習のこと。正月松の内など祝いの暦のなかで「烏へ餅をやる風習」がかつてはあった。東北辺ではノサカケといって苞に入れて木にかけたりしたが、丸餅をカラスめがけて投げ、空中でキャッチさせるというのも多かったらしい。や、これはホントの話。柳田翁がそう言っていたもの。

この石もちょうどそんな丸餅サイズで色も似ている。戯れにこんな石を投げて取らせた悪小僧もいたようだが、まさにその石なのか、それとも餅の記憶があって丸餅っぽい石をカラスが運ばんとしていたのか。

ゴルフの打球をカラスが空中キャッチして持っていってしまうことは、雲仙に外人向けのゴルフ場が出来た直後から起こっていたという。実際この地方では丸餅を投げていた。それで、どうやら烏餅の記憶の名残りでそんなことをするらしいのだ。熊野烏もその風習を忘れずにいるのかも知れない。と思った。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ 建築屋さん (2008-08-02 05:45)

生きて帰ってきてくれなきゃ、次号ORJの厚みが比較できんじゃないか・・・・。

_ nagajis (2008-08-02 23:25)

大丈夫です、nagajis以外のメンバーや受付がなんとかしてくれるハズ(マテ


トップ «前の日記(2008-07-27) 最新 次の日記(2008-08-03)» 編集