nagajisの日不定記。
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廃道本が2社から出ると決まった時「同時進行ヤバス」などと笑っていたnagajisだったが、実際にここまでシンクロするものとは想像していなかった。いや、ちょびっとだけ想像はしてたけれども、それは自虐的悪夢的想像であって実現してほしい類いの想像ではなかった。妄想として笑い飛ばすための想像だ。そういう想像のほうが当たりやすいのは何故だろう、といつも不思議に思うnagajisだった。マル。
今日から一気に原稿作成にかかる。中編1本、小編4本up。ORJもやらねばならぬが今日は手付かず。どうなることやら。泣き言ではなく現状認識としての覚え書きとして書いておく。
何の前触れもなく、岐阜市街で見かけた張り紙について言及する。言葉足らずの文章は時として百千万の言葉よりも豊かな情感・奥行きの深いイメージを読み手に与え、また読み手から尽きせぬ興味の苧環を紡ぎ出して見せることがある。平たく言えば「気を引きやすい」。ある種の文章テクニックと言ってしまえば無味乾燥だが、ただ単に書き損ないだったりvowの類いだったりではない、仕組まれた言葉足らずというものはとても難しい。
その動きは岐阜から始まった
やがて全国に向けて
拡まるだろう
そして
そしてどうなるのか。気になって仕方がない。初めて見たのは7/27だったがそれ以来ずっと頭から離れない。動きが広まってしまった時点でムーヴメントとしての「21世紀の『アール・ヌーボー』」は成功を収めているはず。だのに、さらにその先があると張り紙は主張する。それが何なのか。何が起こるのか、あるいは起こらないのか。伝説になったりしそうだが「伝承館」である以上ハナから伝説には違いなく、改めて伝説に仕立て上げたところで箔がついたりラスボスがゾーマだったりしないだろう。
そもそも「21世紀の『アール・ヌーボー』」とは何だろうか。英語訳すればnew wave of arts on the 21th century. onで合ってるかどうかはともかく、それまでにない新しい芸術でありかつ波となることができたならばどんな芸術運動であってもアール・ヌーボーを名乗れる筈。しかしかえってそのことが、張り紙の言わんとする「全国に向けて拡まるだろう」の主語たる芸術活動がいかなるものであるのかを覆い隠してしまっている。つまりは何が行なわれ何が広まるのかもはっきりしない。はっきりしない故に気になって仕方がない。
最終的に、次のような結論に至った。
1.や2.はいかにも芸術っぽくてそれなりだが、個人的には3.のその他ではないかと愚考する。実はこの左に、続きが書かれた一枚が貼ってあったのではないかと。乱雑に貼り重ねられただけのように見えるポスターだが、よく読むと上下左右が連綿している。21世紀のアール・ヌーボーの主導者は布屋浄衛門氏でありアール・ヌーボーの訳語が芸術革命である。それと同様の何かが、左辺に貼ってあったと考えるのが妥当なのではないだろうか。
というわけで、持ってっちゃった方、連絡ください。
真面目な話。江戸時代中後期の崩し字にお詳しい方、古文書解読にご協力いただける方を募集します。個人的に薄謝(ええと申し訳ないほどに薄い謝です)進呈。解読結果は廃道本の記事作成に使わせていただきます・・・。
可能な限り協力は出来そうですが、あまりにも「古典」の筆法から崩し方がずれていると厳しいかも。とりあえず原本を公開して協力を仰ぐのが近道かと。古典文学専攻の後輩にも依頼してみますよ。
おお、それは!ありがとうございます。しかしどうやって公開しよう・・・(個人宛なら簡単なのですが)<br>ミニ投稿を流用する? 画像掲示板を置く? ちょっと考えてみます。