nagajisの日不定記。
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次回のみどころ
ナガジコが穴からでてくるキモい動画がみれる
結局前のままで。ヨッキれん&nagajisプレゼンツ、と冠しないといけない。前回SOLD OUTしたからって今回もというわけにはいかんだろうから一生懸命宣伝しなければならないのだが前回のテのアンケートによるとORJ経由で開催を知った人が(守秘義務)人だったとのことだからせめて今回は2人くらいにしたいところだ。
残念な企画が残念なものになりそうな件について。昨日電車の中で一生懸命考えたのだが、考えれば考えるほど「残念」の定義から外れてきて独り笑いを押し殺すのに必死だった。すごく・・・残念です・・・。でそういうのは受けないから企画自体残念になりそうな気がする。nagajisが来ること自体残念なことだがあえてカウントしない。
明治30年代の吉野林業説明書に「高原にて幹線二本支線十二本の恒久的木馬道網を建設すべく計画中」などと書かれてあって鼻息が荒くなっていた昨今なのだが、昨日その裏付けをしに行った所、結局一幹線+二支線に落ち着いていたうえどちらも車道林道になっちゃってることを知って悲しくなった。ようは五番関トンネルへ抜けるあの道だ。
唯一の慰みはこの林道が「高原土木林業組合」という組合方式で建設され運営されていた『有料道路』であったことを知ったことだ。こっからここまでなに運んだら何円みたいな感じ。設立から5年分くらいの毎年の事業報告書なんかもあってKNIAS的に面白かった。あと、ほんのちょっとだけ残滓がある。
それで思い出したのだが、masaさんが「神之谷林道が有料だった時期がある」ということを教えてくださったことだ。いただいた山高にちゃんとそう書いてある。恐らく上記高原と同様、林業組合が建設した有料林道だったのだろう。山の所有者が他所にいて、その山の伐採やら搬出やらをやって生計をたてる山守制度が発達していたから、かえってそういう有料林道が作りやすかったのかも知れない。高原の組合の理事も(この林道の沿線に山を持つ)上市の安田家だとか北村家だとかの大地主の名が列ねてある。ちうことはあれか、山主が搬出の便をはかるために道を開くために資金を集めるために組合が作られたということか。山主側の策なのかな。
ついでに中奥の林道についてちょっと情報入手。昭和初期の振興事業の一環で中奥林道が作られている。経費の半分が国庫補助。12年度分軌道に60mの隧道が計画されてて諏訪と思ったが結局2m横にずらして切り通しとなって実現したうえ多分その軌道はもう消滅してるはず。すごく・・・残念です・・・。そもそも字中奥っていったら枌尾とか瀬戸とかも含むはずで場所が特定できやせん。
だから林道関係をもう一度洗い直そうと思う。次回は写真撮ってくること>S12
先日のEPH・武庫川下りにて。こういう想いの迸った系看板は批評が難しい。何か言って差し上げたい気もするが声すること即ち口をさしはさむことよって罪にも思えてしまい気が引ける。貶めるのは人としてどうかだしそれがそこにあることを伝えるだけというのも主体性のない傍観主義的で宜しく無いであろう。そういうもどかしさのポテンシャルレベルで勘案すれば非常に高いポテンシャルがあるだろうが、ようは「どないせいっちゅうねん」が先に立って健全な批評を妨げるのである。
実質的な遊歩道になっている福知山線旧線のトンネル群の脇に立っている、という説明をつけた場合とそうでない場合とで受け止められ方が変わるかも知れない。試してみる。左のトンネルの坑口前に右の看板が立っているものとして見てみてほしい。
(正)
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(正)
(正)
(正)
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あれ、それ、これ。たらったらしているから出てこない。
ながじすさんに座布団百八枚(乗れるかな?)!<br><br>イベント頑張ってくださいね。<br><br>ジスオさんに送る写真の本文書かなきゃ+別なアクセス街道(現役険道+他サイト既出廃道)の写真も取りに行かなきゃ…なのでイベントには行かれません。てかもしかすると次の雪解けにはお宝埋没済みかも…<br>とざっと書き残し失礼します。
煩悩の上に胡座をかいて暮らしていますのできっと大丈夫(何<br><br>いつまでも鶴首して待ってますよ〜