nagajisの日不定記。
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相沢時正『隧道新書』にある阿仁鉱山の隧道。長2508尺=760mとあり、『明治工業史 土木編』に三坂隧道と書かれている阿手隧道(尾小屋越え)の433間=787.2mに次いで明治期第三位の長さだった。この長さは戦前第3位でもある。どの本だったか思い出せないが阿仁鉱山隧道を第二位にしていたものがあったような気もする。ともかくそんな長大隧道の割に情報がない。どこからでてきた情報なのか気になっていた。
今年の8月にkindai.daのコンテンツが拡充され、追加された資料の中にポインタを発見。本日ようやくコピーを入手してきた。要するに阿手隧道と同様の出自。旧坑道を延長して掘削した鉱山内連絡用隧道だ。ただし掘削にはドイツから輸入した削岩機+赤羽工作所で作ったコンプレッサーを使用したという結構近代的な工事だったようだ。
……あ、原本には25町8間とある……。ということは2.741kmとなって、ちょっと話が変わってくるぞ。人道専用だったらこっちが最長ってことになるな。数字あってんの? 高さは7尺、幅6尺だから若干広い坑道という程度か。
別子銅山の第三通洞が1.8km、大正に完成した第四通洞が4.5km。これらは鉱山軌道のトンネルという位置づけなのか、それとも坑道の一種とされてるのか、いわゆる道路隧道には含まれていない>「日本の近代土木遺産」ほか。そうなると阿仁のも阿手も入らんことになるが、阿手は歩行者専用で一般にも解放されていたらしいからな。阿仁鉱山のはどうやろ。
ついでにメモ。例の絵葉書はたぶんこれ。http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764408/47