nagajisの日不定記。
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仕事が一息ついたので拓本を取りまくる。久しぶりにやると精神集中ができて宜しいが目の悪くなったことを実感する。もうちょっと近くに焦点が合ってほしい。夏になって蚊取り線香を点けて寝るようになったらますます目がしょぼしょぼする。顔を洗っても同様だ。困ったものだ。
最近爪楊枝を使うという技術を習得した。爪楊枝に布を巻かずにそのままチクチクするというもの。細部がくっきり出て宜しい。
政府が「日本遺産」の選定を始めるというニュースがあった。ようは世界遺産の日本版のような文化財制度を創出したいらしい。設立の目的が「観光資源にするため」って明記されているのは、世界遺産認定が観光客誘致を第一義に考えてる感じな風潮と重なるところがあって、ちょっとどうかと思った。
保存・継承にはとてもお金がかかること、エネルギーを要することだということは理解しているので、そういうものの一助とするために「遺構を利用してお金を得る」というのは良いことだと思うんだけど、なんだろうこの割り切れないもやもやは。原理主義的感情的忌避感でしかないのかしらん。
大峯奥馳道や熊野街道小辺路が世界遺産になったからといって地域が潤っているようには見えない。盛んに利用してイベントをしたりしている和歌山県とは対照的に思われる。定するための調査研究は分厚い報告書になって出ているけれどもその後遺産の価値をさらに高めるような調査研究がなり発見なりされているようでもない気がする(少なくともそれが一般レベルまで降りてきてな新聞紙面を連日賑わすなんてことは起こってい)。石見銀山なんて世界遺産になったことを覚えてない人のほうが多いんじゃないか。
いや、違うのか。表立った動きがないということは則ち活用することか考えてないわけじゃないということか。見えないところで保全継承の動きがあって、教育なり研究なりが盛んになされていて、地元の人々の誇りになっているのを私が知らないだけかも知らぬ。世の中には世界遺産みたいなお墨付きを求めずに立派な伝承をしているところも多い。和歌山の島精機さんとかさ。そういうの応援する優遇税制とか固定資産税の減免とかしてあげたほうが文化の保存には有効なんでないの。化財と定めると大なり小なり箍を嵌めることになるしな、 どうせこれといったアフターケアしてくれないんでしょ、指定されたって。
で、うちは近畿産業遺産研究会でなくて近畿産業考古学会だ。名前くらい間違えないでほしい。そんな大事な書類で。と偉そうに文句言えるのは小規模団体ゆえ&その代表でもない単なるいち会員ゆえの余裕である。ふはは。
煉瓦製造業の歴史を調べることなんかはとくにあてはまることだと思うのだが、廃れてしまった産業の歴史を今さら調べてまとめ上げたところで、それだけでは日本経済に寄与するコトなんてこれっぽっちもない。「こういう理由で衰退しました」がわかったとしても、では次そうしないようにしましょうっていう反面教師にする機会もないだろう。また煉瓦造りすることなんてないだろうし、煉瓦類似の産業も(耐火煉瓦製造とか植木鉢製造とか以外は)ないんだし。そういう過去の考究は、ひょっとしたら何かの役に立つかも知れない、今すぐには何にもならんかも知れんけど今やっとかないとますます埋もれる、という予測とも不安とも言える思いがあるからやっているのであって、例えばの話日本最古の煉瓦が見つかったとか何とかいうことがあっても世間の耳目を集めるくらいが関の山だ。そしてその注目も一過性で終わってしまうに違いない。見つかった煉瓦が金の塊に変化するわけでもなし。だったらそれ使って人を呼べる何かをするのが最も手っ取り早い活用手段だ、ということで観光への結びつけが発生するのは自然な流れと思う。もし発見が(もしくは調査研究が)それだけで価値があるんだったら日本全国の博物館は経営に苦心したりしない。辣腕市長に解散させられたりするような事態など起こらない。
企業が過去に不熱心なのはしかたないことだし、どこもおんなじだと思う。好況不況の経済状態で如何様にも転ぶ。合併で消滅することもあるだろう。住友銅吹所も徐々に皮肉的な存在になっている。せっかく遺構を残してビル建てたのに見学もできないなら存在しないも同様なんじゃ。まあここは祖先へ敬意を払うためでもあるのだから内部で活用すればそれで大義を果たしており部外者に公開しなければならない義理はないっちゃあない。せいぜい顧客とか株主とかの意向に反してるっていうだけで。そういうの公に開放してくれるだけで企業イメージもずいぶん変わると思うのだけどなー。
あと、見学したがっている方のスタンスももう少し変わる必要がある。興味本位、というのは物事の取り掛かりとしては有効だけれども、いつまでも好奇心ドリブンであっていいものか。見学して「めったに見られないもの見られてよかった」「得した」で満足して終わりだったら、いろんな制約をかいくぐり保存・継承し人員を割いて見学させてくれている相手方が納得しないんじゃね。損じゃね。苦労に見合わないというか費用対効果というか。その企業・産業---もっと広く言えば自分以外の人の営みとかそれらが寄せ集められて成り立っている社会とか−−−への理解を深めることとか、なんか企業が得になること。一般市民と直結していない職種ほどそういうの要るよね。
トライ&エラーがないと進歩しない。というときにエラーが許されなかったらトライがやりにくくなるのは当たり前だ。絶対に成功することしかしないか、石橋を10tハンマーで叩きながら渡るような慎重作業しかできない。めんどくさいと思って尻込みするよりやってみて面倒さを実感したほうが改善策は思い浮かぶんじゃないかね>nagajis。