nagajisの日不定記。
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性懲りもなく今日も(略)。舞茸がなかったので20えん引きのシメジが投入された。先にシメジを炒めたほうがよかったな。火が通る間にニンニクが焦げてしまった。
503故データへ反映することができぬ。しばし待たれたい。
セカイの拡張の件につき長々と修正している。あからさまに余談なことを長々と書く非道。アスにはカタス。カタサネバならナイ。
それでもやつらは止めねえんだ。今日は最初にシメジを入れておいてからニンニンをもといニンニクをスライスして放り込んでベーコンを刻んで入れて炒めた。よい具合いになった。麺の量に対する具の量の少きことをいつも心配するのだが結局は麺ばかり啜って最終的に具沢山になるので問題ない。それよりもパスタばかり大量に食っているせいかニンニンをもといニンニクを大量に入れるせいか臭い臭い屁が大量に出て困る。便も妙に粘性を帯びている気がする。下腹部に溜まっていることが明らかに知覚されるのだけれどもそれが心地よく下野してくれない。ちったぁ西郷さんを見習え。
結論:イタリアの人は屁が臭く宿便気味であるに違いない。
滅びていく宿命の商材に滅びていくとわかっていながら固執し続ける姿はそういう比喩が当て嵌りそうだと気づく。ナウシカが輩出されたとしても救世主どころか滅びを確定させちゃうだけという。恐ろしいことである。汚物は消毒だ。
「汚物は消毒だ」という言葉、じつは意外と興味深い。これを読んで「汚物」が「消毒」と同義だ、汚物=消毒だと思う人はまずいない。無理矢理読めばそう読めるというまでではなかろうか。しかしこの一文だけで「汚物を消毒するぜヒャッハー」と理解せよというのも無理がある。あくまでも漫画を通し共通認識として条件反射的にそう読んでいるに過ぎず「北斗の拳」を読んだことのない人にこの一文を読ませても意味不明なんじゃないかと思う。逆に北斗の拳世代には細かいニュアンスまで丸わかり丸伝わりで、自分でも使ってみたくなるはず。
ことばとは、人口に膾炙する文章とは、多かれ少なかれそういうものだ。
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