nagajisの日不定記。
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朝より清爽なる日にて涼しき夏の朝の範を克く表わしいたり。故に朝より外套を芝生の上にほす。午後は続けて草かりなりき。随意運動時には、三年振りに、空中回転をなし怖よりはなれ、将校に必要なる決断力及び体の錬磨に努めたり。午後続けて四時間日光に照らされ、爽快なる気分を得ると共に皮膚の鍛錬になりたり。
熊本市に於ては本日十三時より二十一時に至る間防空演習を行えり。
今日も亦雨なりき。実に鬱陶しきなり。化学国漢甲の考査あり。剣術は学年同時にして学班対抗の試合なりき。第二となす。所感として一訓は間合が二訓よりずっと狭く見にくい然し元気は慥かにあり。柔道は特に専心行いたり。熱心と努力が勝つことを痛感したり。十五時四十五分訓練火災呼集ありたり。切磋会=軟弱なる将校生徒らしからざる言語を用いざること。心に緊張を要す。良好。
the-orj.orgドメインの更新が遅れてちゃんと表示されてない。カードで支払ったあと購入し忘れるという阿呆パターン...
10日8:00時点で対策開始。どうなることやら。
AM9:53富貴。ふ〜。
一気に原稿にかかり13000W越え。あと5000くらいは確実に増える。練っておいて良かったと思う。
17700W。あとは改修@県会史と附属か・・・。県会史はここで軽くまとめておいてよかった。むしろ改修対象の頃をまとめるのが大変か。随分忘れてる。&、戦後を新たにまとめる必要がある。明日中にあげられるか?
コンタクトったことを忘れないようにしないと...あまり先延ばしはできないな.6月末,梅雨の晴れ間を狙ってgoだ.次々号からは始めたい.
高見峠でネタばらししているので少し書きなおす必要がある.峠の回想も過不足なく書き足さないと.問題は最後のまとめか.手がつけられるところはつけ切ってるからな・・・やはり明治県道の話でまとめるしかないんだろうか.広がり過ぎやしないか.どうでもいいか.
悪あがきと恥の上塗りでもう一回安治川というのもいいな.せっかく橋梁写真帳の元ネタを入手したのだ.使わない手はない.
安治トンだけで3時間喋る「安治トンナイト!!!」とか妄想して一人悦に浸っている.喋れる自信はあるがそれと同じくらいの確信度で需要がないとわかっているからやりはしない.そういうのは人間同士でやるといいよ.いや,誰にも告知せずに一人でやるというのもいいな.だあれもいないホールで存在しない聴衆に対し一人熱弁を振るってイッちゃってるnagajisを想像して胸が熱くなった.よしそうしよう.
そういえば公文書館はどうなった.やはりマスキングが入ることになったんだろうか.あの量を処理するのは大変だろうに…….これの入り方によって次次号以降の段取りが変わるな.次号いきなりは無理だろう(さすがに誰得記事を2号連続でやるほど傍若無人にはなれん・しかしnagajis原稿はすべて誰得なんだから構わんような気もする)し一ヶ月で解析まで終わるわけがない.前回は撮影だけで4回通って解析に2カ月原稿に1カ月あと申請と追撮で各1往復やった.今回は回数券もない.順当に行けば今年の秋か.TUKAさんが前後編でよかったよ.
ディンプルの底に溜まったモルタルを取るのに苦労したが、まあ、こんだけ綺麗なったら上出来だろう。
工場内に敷設されていた舗装煉瓦には「1923」の刻印があったそうなのだが(1923=関東大震災の年。この年に貝塚工場は舗装煉瓦の製造ラインを増強している。震災とは関係なく、たまたまこの年から本格化したのではなかったか)、刻印の場所は煉瓦の右隅にであって、こいつにはそれがない。大阪窯業マークの縁の平らな部分も少し狭い。それ以外のディンプルの感じとかサイズとかは中家住宅にあった「1923」と全く同じだ。
この煉瓦をどう解釈したものか悩む。試験用に作られたものとも思えるし、(あとで左隅に入れるようになった)年度を潰して使いまわしたものとも取れる。舗装煉瓦自体は大正9年頃から開発が始められ、同10年には大阪市街や兵庫県の武庫郡役所前などに採用されたという(『大阪窯業五十年史』)。また東京八王子にも舗装煉瓦が残っているが、こちらはおそらく八王子工場で作ったもので、「大阪窯業」「OSAKA YOUGYOU」の文字が入っている。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/07-02-0021.pdf
『道路の改良』第7巻第2号(大正14年2月)。煉瓦舗装の実際。大阪では比較的大規模に煉瓦舗装を採用。霞町玉造線とか九条高津線とか鶴橋線@大阪市都計とか。アメリカのものに比べて靭性が高く、施工の際にハンマーで叩いて表面が剥離することも。施工後も摩耗より薄くはがれる破損のほうが多かったらしく、2年ほどで剥離が目立つ状態になった。道路を横断する伸縮目地を入れた場合には、その目地の前後で傷んだ。また目地に隣り合う煉瓦が目地方向に押し出されて目地が割れる>その後ろの一列が同じように割れる>次々波及するという悪循環が発生。なので伸縮目地は不要という論。
剥離破壊?の原因は機械で押し出すことにより生じるラミネーション現象とされた。機械で粘土を押し出して煉瓦の形にするとき、押し出し口に接している部分と中央部分とで粘土の動く速さが違う(口に接しているほうが遅く中央が速い)ので素地内部に円筒形状の層ができる。衝撃を与えた時にその層で剥離する。抜き出し後にプレスするとかえって層が崩れる?のでよくないとか何とか。
性懲りもなく今日も(略)。舞茸がなかったので20えん引きのシメジが投入された。先にシメジを炒めたほうがよかったな。火が通る間にニンニクが焦げてしまった。
503故データへ反映することができぬ。しばし待たれたい。
セカイの拡張の件につき長々と修正している。あからさまに余談なことを長々と書く非道。アスにはカタス。カタサネバならナイ。
それでもやつらは止めねえんだ。今日は最初にシメジを入れておいてからニンニンをもといニンニクをスライスして放り込んでベーコンを刻んで入れて炒めた。よい具合いになった。麺の量に対する具の量の少きことをいつも心配するのだが結局は麺ばかり啜って最終的に具沢山になるので問題ない。それよりもパスタばかり大量に食っているせいかニンニンをもといニンニクを大量に入れるせいか臭い臭い屁が大量に出て困る。便も妙に粘性を帯びている気がする。下腹部に溜まっていることが明らかに知覚されるのだけれどもそれが心地よく下野してくれない。ちったぁ西郷さんを見習え。
結論:イタリアの人は屁が臭く宿便気味であるに違いない。
滅びていく宿命の商材に滅びていくとわかっていながら固執し続ける姿はそういう比喩が当て嵌りそうだと気づく。ナウシカが輩出されたとしても救世主どころか滅びを確定させちゃうだけという。恐ろしいことである。汚物は消毒だ。
「汚物は消毒だ」という言葉、じつは意外と興味深い。これを読んで「汚物」が「消毒」と同義だ、汚物=消毒だと思う人はまずいない。無理矢理読めばそう読めるというまでではなかろうか。しかしこの一文だけで「汚物を消毒するぜヒャッハー」と理解せよというのも無理がある。あくまでも漫画を通し共通認識として条件反射的にそう読んでいるに過ぎず「北斗の拳」を読んだことのない人にこの一文を読ませても意味不明なんじゃないかと思う。逆に北斗の拳世代には細かいニュアンスまで丸わかり丸伝わりで、自分でも使ってみたくなるはず。
ことばとは、人口に膾炙する文章とは、多かれ少なかれそういうものだ。
地図…
ちっともすすまないではないか。はんぱなりかいでものをかくからこうなるのだがそれいじょうにげんごのうりょくのおとろえというかはっさんしんどうというかをかんじるのである。
さらにサンプルが増えた。その2で考えたことが覆るようなことはなかった。そうして後になって機械成形煉瓦を割らなかったことを後悔している。機械で作った煉瓦の粘土のながれはどうなっているのか。それが結構重要なポイントになる。
いま頭の中で考えていることをさっさとまとめて記録にしたいのだが、過不足なく説明し記述できそうな気がしない。斧や鉈ではなくメスorカッターナイフの鋭さのことばが欲しい。雑多なものを放り込む段ボール箱ではなくきれいに整理できるファイリングノートがほしい。そうして上手く説明できたところで何かが起こる気はしない。過去の事実がひとつ明るみになるだけで、それを今に投射して今がより良くなったりはしないだろう。
現時点で確認している斑入り煉瓦は、長手や小口、平の面に平行に板状に斑が入っていることが多い。これは投入する粘土について、赤く発色する粘土(胎土)と白い斑をなす粘土(層土)が同心円状球殻状に重なっているとモデル化して考えるとわかりやすい。直方体の型枠に球殻球を押し込んだら、少なくとも型枠や作業台に接する辺りは現物のようになるはず。しかし完全な球殻球であれば上下の平に沿って層ができることになるのでちょっと違う。そうではなく、チョコチップクッキーの生地のように、クッキー生地(=胎土)にチョコレート(=層土)が塊になって入っていて、それが型枠に沿って拡がり隅々まで行き渡る際にチョコが押し延べられて層をなす感じなのだろうと思う。すごく柔らかいチョコレート。マーブルブレッドのパン生地とチョコレート層に例えたほうが合っているか。
あるいは最初に型枠の内側に函状に粘土を貼り付けておいて、最後に中央に充填するとか。層土の白が表面に現われているようなのは案外少ない。
_ Bee [良かった良かった (笑]
_ とと [夜逃げしたかとオモタ←鷽]