nagajisの日不定記。
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4回の春合宿で祖谷の辺りを走っているのだけど記憶にねえなあ、と思ったら祖谷渓のほうだったんだな。小便小僧は覚えている。
吉野の山の深さと祖谷の山深さは似ていると思ったが、どこがどう似ているのか的確に言い表せない。山塊の中腹に集落がへばりついているところなどはよく似ている。山の立ち上がりの鋭さも似ている。違いは……見通しの良さだろうか? 大歩危小歩危の辺りは谷を通して眺望することができるが吉野の川べりでそのような見通しは得られない。山のたわみの向こうに奥山の影が霞んで見えることも稀か。途方もない山がひとつ見え、それが全視界を塞いでいる。高みに登れば見通せないわけじゃないけれども、見えたその山もまた大山塊で途方に暮れる。
四国は山の懐が広いんだ。山は高いがその分谷が開けていて幾許かの開放感がある。吉野は山が空を覆っている感じ。気を確かに持っていないと山に圧し潰されそうになる。あるいはおのれの小ささを認めてそういう者として立ち振る舞わないといけない。
そうやって誰からも構ってもらえないことを確認してみるところから始めるといいぞ>nagajis。
規則通りのパスワードだとnegられたのでリセット。次回ログインする時また忘れていそうな気がする。
むかし公開されていたのが見つからない。公開期間が終わったんだろうか。しかしその代わり図面資料は詳細に分析されていて設計図の特徴とか美しさとか解説されてあった。そういう専門的な解説がなによりありがたい。
十三大橋のグリルはやっぱり設計図の頃からあったんだなあ。門構のパネルもそうだそうだ。
増田淳設計の橋はどれも美しい。橋が美しいだなんて考えたことがなかった私が見ても美しいと思える。不思議な魅力がある。意匠の美、構造の美、力強さの美、大きさの美、いくつかを備えている橋はあっても「全て」兼ね備えた橋は少ない。増田淳の橋は非の打ち所がない。
で、そう思うのはたぶん、増田淳設計の橋だからといって贔屓してそう思っているわけでもないらしい。じゃあ具体的にどこが美しいのかって、指摘できたら苦労はしないなあ。
場にそぐう橋だということなんだろうか。十三大橋がトラス桁だったりゲルバー桁だったりしたらやっぱりふさわしくない気がする。住む人の気質とか空気感とかと合ってる感じ。あそこには丸いブレースドリブアーチだから合うんだろう。三好橋だってただのトラスの吊橋だったら相応しくなかったんでないか。ゲルバートラスをひっくり返したような曲線をはらんだトラスだから自然の中で違和感がないに違いない。