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2018-06-23 [長年日記]

[] やましろ記事

ようやく骨格ができる。しかし「と思われる」「可能性がある」ばかりで全く締まりがない。無い中身を無理庫裡捏造している感が凄まじく、故に何とか実のある事実を入れ込もうとして余計にごちゃごちゃしてしまっている。堪忍していただくほかない。

こういうのは諦めが肝心。文字にするという行為により固定化された事象には大なり小なりの欠損があり誤認があり推測があり100%の真実たり得ずしかし人間は書くことによってしか思考を形にして残すことができぬ。書くことで事実を歪め曲げている可能性を百も承知しながら書くことしかできぬ。仮に100%余す所なく書けたとしてもその事実は誰かに伝える価値もない極々つまらないものであるに違いない。新たな地平を開拓するものにはならないに違いない。書くという取捨選択を経たアウトプットに完璧を求めるほうがいけないのだ。

少なくとも今回は自身の保身を図る必要も振りかざして戦うべき主義主張もない。こんなのがあったよ、という報告である。その程度で抑えておけばどんな[げ]も容易にこなすことができるだろうにと思ったりもする。勝手に仮想敵を拵えてそれから身を守るようなことばかり書いているからいかんのだは。その程度しか書けないという揺るぎない事実を書捨て御免の気楽さで書く、のではなくて、それを現実と受け止め曝け出して批判を乞うのスタンスのほうがまだ、自分のタメになるだろう。

ふいに「技巧ちない」という当て字を思いつく。してやったり感たっぷりなアレの感覚。あまり宜しくないなあ。


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