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2018-12-08 [長年日記]

[煉瓦工場][煉瓦刻印] 三ツ輪

画像の説明休み時間を使って大日本商工録にとりかかったら富山の石黒商店が三ツ輪社章を使っていたことを発見した。敦賀で見つけたあの三ツ輪も愛知の片山煉瓦ではなく富山石黒商店製と見たほうがよいのかも知れない。分水嶺2つ越えて運んでくるより北陸線で1本or日本海航路でツツツのほうが早いだろう。しかし敦賀では印南郡のK7があったりするからな。侮れない。

今のところそれ以外に瞠目するような発見は無し。北海道の鈴木煉瓦が星Sマークを使っていて、「日本れんが紀行」に掲げられていたアレがそうなんだと気づいたことと、磐城シャモットが「菱K」を使っていたのを知ったのと(どっかで見つけてなかったっけ?菱Kの耐火煉瓦、いやあれは亀甲Kか)、須賀川陶瓦の社章があったけど画像が粗くてよくわからんで困っているのと、甲州煉瓦が○甲マークを使っていたらしいことくらい。いや「くらい」じゃねえだろ、最後の一個なんかは大津で見つけたアレかも知れんのだぜ。

甲乙丙丁の甲じゃなくて○甲+識別印の可能性。しかし山梨くんだりの煉瓦が滋賀まで来るかいね。しかも70mm超の極厚煉瓦だしさ。甲乙と考えたほうがなんぼか心が休まる。

甲州煉瓦のあった甲運村は中央本線と身延線の分岐点付近。それほど都市化されていないようだから歩けば痕跡が見つかるんじゃないだろうか。操業期間も比較的長いし・・・

[] かいてる

ということを書いていたのだが上の[煉瓦工場]タグを補完したときに消えた。まったく余計な機能である。此のへんはかいぜんされておらのか。


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