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2018-12-09 [長年日記]

[独言] 屋号問題

画像の説明原稿書きの合間に大日本帝国商工信用録を見ていていくつか気付かされることがあった。これなどは件の大和高田の刻印に近い。他の屋号でヤマだけ+右側にチョンが入ったものがあったから、それが両チョンになって●に被さる形もありなのかも知れない。

画像の説明めくっていくうちにこんな屋号に出会ったりした。丹治煉瓦の丸丹とまったく同じだ。これは確か第24版だったかで見たもので、福井県と大阪府、運送業と煉瓦製造という違いがあるし、そもそもこの頃丹治煉瓦は合資会社として横ずれ〓を掲げていた(同書にもそれが載っている)。被ることはまあなかっただろうけれども、電略○タンだったりするのはちょっと混乱したかも知れぬ。

画像の説明それよりもこいつが問題か。敦賀の運送会社も三ツ輪社章を使っていたようだ。さらには石川の共同運輸会社とか何とかも三ツ輪マーク。社章・屋号のコリジョン問題は一度深く考えなければならない。左記2会社は同業種だから経営者が同じだったりするのかも知れぬし、その理論で言えば石黒商店も同系列であって云々という可能性も微レ存になってしまう。そもそも三ツ輪なんてそんなに珍しい屋号じゃなかっただろうし、実際愛知の工場なんか結構コリジョンしまくっている。

帝国商工信用録は1400コマ近くあるのに目次が整備されていないうえ業種の並びが非常に恣意的で法則性に乏しいという拷問のような本である。ひたすらペラペラめくっていくと脊髄が白化していくのがよくわかる。基本的に商業会社や商家の一覧なので煉瓦工場で小売も行ったようなところしか載っていない、すなわち煉瓦工場の社章なり屋号なりに出会う確率は非常に低く、それでも見ないではいられないという、そんな試練な本である。しかし今回でざらっと目を通して大マスの会社は拾い終えた。屋号社章もそんなに多くはない数抑えてある。どのみち大日本商工録のほうがこの点では十二分に役を果たしている。あとは関西の「京阪神商工録」に相当するような地域版を探すだけだがそんなに数は多くないようだ。


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