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2020-07-26 [長年日記]

[納得がいかない] まるで絵画のような風景

美しい風景を讃えたつもりで「まるで絵画のような風景」と書いているのを見かける。どう考えてもおかしい。美しい風景だから描いて手元に置いていつでも鑑賞できるようにしようとしたのが絵画ではないか。絵画の風景が美しいのは当たり前のことであって風景を絵画みたいだと評価するのは本末転倒ではないか。カカオ豆をまるでチョコレートだと評しているようなもので、字面上は噛み合っているように見えても全く噛み合っていないように感じる。

と勢いで書いてみたが、うーん、抱えている違和感をうまく言い表せていないな。風景画じたい作為的なところがあるのに(現実時空を切り取って二次元に押し込んだ時点で幾多の情報が欠落しているのだから絵画<現実の風景である)、だのに風景画で現実を評価しようとする所に痴がましさを感じるのか。絵画のほうが美的価値があって現実の風景がそれにそぐうものでなければならぬと暗に考えているらしいのが鼻につくのか。

こういうのは言葉に窮したへっぽこライターの無理繰な文字数合わせでしかなく、そういう言葉に乗せられて旅をする人の気が知れない。行って失望するのも愚かだし言葉通りだと納得したとすれば尚のこと愚である。

[既出] 園部八木

画像の説明

小麦山に登って路政僧碑に詣でたり二駅歩いて煉瓦橋台を撮ったり測ったりしたのにそのSDメディアがぶっ壊れてしまったようで写真が取り出せぬ。ううむ。採寸寸法は手控えてきた&八木に着いてメディアを交換してからのは無事だったので、まあいいといえばいいのだが。

データ復旧ソフトをいくつか試してみたら復活できそうなやつがひとつ見つかった。そのうち気が向いたら復旧させよう。どのみち印象的な道行きの場面---小尺溝橋梁から裏に入って京都縦貫自動車道沿いに八木に出た道のところは写真にも撮ってない。ああ、そうか、橋梁名がわからないのは困るな・・・。園部の東の橋梁はなんというのだっけ。辻前谷橋梁だったか辻前川橋梁だったか。小尺溝は変わった名前なので覚えている。

園hへ行きたかったのは、学生時代に遠出をして膝を痛めて自転車を放置して帰ったあの場所を再訪してみようという思いからだったのだけれど、園部駅前は東西とも大きく変わってしまっていて、どっちの側に放置したのかもわからないくらいになっていた。20世紀の末のことだからそりゃ変わるだろうとは思う。故にあの時の悲しい思いもdidn't bring back。そして園部駅と旧市街地の離れ具合はどうだ。明治30年代に駅ができた割に何も変わっていないのはかえって不思議である。

街の風情は園部よりも八木のほうがよい。特に大堰橋のたもとの東西の通り。もし「日本の古い暮らしが見たい」という外国人観光客があったら、祇園とか嵐山とか東山なんかに案内するより、京都駅から約30分電車に乗って八木に行っていただきたい。おかしなフィードバックがかかって嘘臭く再構築された偽日本ではなく本当の古い日本の暮らしが見れる。高い土手に囲まれた市街、そのうえで石垣基礎を敷いた上に立つ民家に、洪水と共存して生きてきた暮らしを読み取ってもらいたい。園部のほうは中途半端に改まり過ぎて街の焦点が失われている。大堰川の対岸へ行けば純農村も見れるはずだ。

今回の遠出では残念ながら煉瓦と縁がなかった。園部では駅近くの畑で日本煉瓦を一つ見たきり。古煉瓦さえほとんどない。八木には江州煉瓦の手整形と機械整形が一つずつ、あと大阪窯業が一つのみ。八木をいい街だと思ったのは煉瓦刻印の収穫があったからではない。

八木駅は新駅舎を建設中。古い跨線橋もそのうち撤去されるのだろう。1920年代後半の八幡製、TENNESSEE 工に混じって八幡の1903、1904がひとつずつ。そうそう、園部駅の東口には鋳鉄製跨線橋の柱を転用した街灯が3本。製造年は読み取れず。


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