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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-12-12 独伊、米に宣戦布告 この日を編集

[陸幼日記]十二月十二日 金曜日 曇

戦果なし。ドイツ・イタリーはアメリカ合衆国に対し宣戦布告す。七時間目随意運動(運動班運動)ひき続き二時間剣術をなしくたヽになりたり。剣術にてかくの如く鍛えたるは始めてなりき。考査も終え眼前に迫りたるは休暇のみとなりたる故、気のんびりとなり物事に引しまりなき如くなりたり遺憾


1942-12-12 戦後講話の詔勅、軍人に賜わりたる勅語 この日を編集

[陸幼日記]十二月十二日 土 曇

午後訓話にては戦後講話の詔勅及び其の度に軍人に賜わりたる勅語に就き学ぶ。一貫せる御精神は勝って兜の緒を締めよ〔成句に朱傍線、欄外朱「況んや目下は緒戦なるに於てをや」〕との〔御〕戒めなり。之は今に於ても然り、真似〔珠〕湾の戦果や其の他の戦果に酔わず本分に邁進即ち勉強せん。剣術も亦其の成果充分に上げて得たり。健康状態頗る良好なり。


2007-12-12 作業報告 この日を編集

[ORJ] 第20号12月15日発行予定

細部のツメが終わってないが、ひとまず出揃った。前号の続きから。

画像の説明信達軌道(by TUKA)
 御代田停車場から川俣駅まで+α。今回はしみじみに納得も加えてより深く迫ります。

画像の説明徳川道
150年を経た「鬼子」の今の姿を追う。大きくなりすぎたので小出しに。。。

画像の説明江浪峠
これも表紙が代わり映えしないな(汗 しかし今回は写真多めだ。

画像の説明なぜ廃道なのか
結局また自分が書くことになった。洞峠のことを短く、ピンポイントに。次回は書いてもらうからな>2人。

連載企画

画像の説明廃道を読む
隧道はなぜ崩壊するのか?を考えてみる企画、のはずが何だか廃隧道グラビア写真集のようになってしまった。秘蔵とは言わないまでも見栄えする写真を高解像度でお届け(そのぶんファイルはでかい)

特濃!廃道歩き
…はただいま初校校正中。何しろ作者が講演で休みだったからな。今回はネタ発見から探索までの全過程をみっちり追います。作りながら密かに「へえ、そう来たか」を連発。

テーマ企画

画像の説明旧橋紀行
京都府の市街で見つけた奇妙な形式の橋について。個人的には構造がとても気にいったが「変なモノ」に分類されるかも知れない。

画像の説明明治隧道project@滋賀県
 明治時代に少なくとも358作られたという明治隧道(明治時代に作られた道路用隧道)の現況を探る企画。滋賀県の場合は、ホントは明治の鉄道トンネルのほうが多いのだけれども。

いま挙げられるのはここまで。ちょっと少ないかもだ・・・11月中はサイトの修正や何やらでまるっと潰れたからな。

[独言] 多分ねえ

こうやって一気に紹介するより、その都度書いて表紙upするとか、ネタの段階で書いたほうがみんなの興味を引けると思うんだ。特に内容については、購入しないと内容がわからないようではアレだし、テキストで書いておかないと検索エンジンにも拾ってもらえないし。本当はたくさん書くべきなのだが、なかなか手が回らないし、あんまり書くと「ネタバレ」、というより購読して下さる方の楽しみを減らしちゃうんじゃないかと思って心配になる。このへんの兼ね合いが難しい。

[ORJ] 21号以降

なので21号、というよりも次次号以降用のネタの話をしてみたり(あ、あくまでもnagajisの担当分の話です)。

先日気分転換に出かけた北摂が結構ヒットであったりする。一庫ダム湖の第3(第4)の隧道、実は結構な年代物だということを後で知った。それ自体があることは倶楽部の報告書を書く時に気づいていたのだけど、肝心の用途先のことを調べていなくて、過日改めて市史資料をゲットしたのだった。ただのゲジ穴じゃないのな。ただし今までのフォーマットでは書けない。単発ルポとして書くか。

もう一つ、ダム周辺で気になっていた廃道を(久しぶりに)再探索。いつだったか忘れたがずいぶん以前に通ったことがあって、その時は旧国道だろうとしか思っていなかった。よう考えたら円山隧道とかよりもはるかに高い所を通っているのよね。恐らく173号の付け替え工事の時の道だと思うが、このへんのあいまいさをクリアにするためにも、一庫ダム(大路次川)周辺の道の移り変わりを押さえるような企画にしてみたいと思う。もう少し資料がほしい。

横山峠の場所を特定し、峠道を発見したのも、自分にとっては久々の進展。横山峠は多田のダイエー前の切り通しができる以前の能勢街道で、江戸時代に開かれたとされている(「大阪の街道」)。あの切り通しの部分を越えていたのかそれとも別所だったのかが長年の疑問だったのだが、ほぼ答えと思しきことを現地で教わった。超有力な痕跡と20%勾配舗装も入手。

北摂の峠については、いわゆる峠本のような形式で毎回1峠(もしくは数峠)を取り上げる企画をやってみたい。「能勢の峠道」はあるけれど木津以北を含めた北摂全体のそれってないのよ。あ、parsley氏のがあるか。ああいうのと絡めてやったら面白そう(ソレハ主ニ自分ガ、だが)。

明治隧道@京都の追加資料ゲット。京都府の府史はいろんな編者によるいろんな巻があって、しかもそのほとんどが江戸時代までのいわゆる古都関係の事蹟をまとめたもののため、近代以降の情報を調べるのが大変だ。ようやく望みの1冊を発見した。栗田と老ノ坂がつながり、舞鶴に要調査が増えた。向洛洞は沈んだ(大正初年の時点で峠南は未改修区間の表記)。

河村協の「竹筋コンクリート」を読む。竹筋コンクリートのことは聞いたことがあるが、どうやって作ったのか、どこに違いがあるかを把握しとかんと調査にかかれんからな。竹筋のカブリ●cmとか。

河村の思想では、橋台・橋脚(橋脚基礎)を竹筋にして、上に載せる橋は木造とするのが最善策。この本が出された頃は木材もまた軍需用途に使われるようになっていて、木造橋を作るより普通にRC橋を作ったほうが安上がりなどという「変態的現象」(引用)も起きていたとか。なので全木造とはせず、また絶対的に不足していた鉄材を節約するために竹筋Cと組み合わせることを考えたらしい。ということは、残っているとしたら橋台橋脚である可能性が高い。あと、ある条件の板桁ね。

ちなみに、以前言ってたコンパス作戦はうまく機能することを確認した。少なくとも鉄筋入りか否かは判別できる。竹筋か無筋かは判定しようがないかも知れない。亜鉛結線に反応する何かがあればいいが・・・AMラジオか?

話はずれるがこの本のなかで戦前に木造キングポストトラスの橋が作られたことを知った。ちょっと驚いた。明治頃のトラス未発達の頃にしか作られなかったとばかり思っていたが。当然現存はしていない(はず。残ってたらえらいこっちゃ)。

さらには、今住んでいるところから半径5km以内に明治橋かも知れないものがあるらしいことを知った。何と阪急宝塚線だ。?マークつきなので本当のところはどうなのかわからないが・・・20号の発刊作業が終わったらまっ先に行ってみるつもり。

懸案の村田鶴。これは言い出した頃から進んでいない。大正から昭和初期にかけて存命していた一技師の足跡を追うという、余りに狭いテーマなだけに掲載をためらう気持ちもある。だが、自分にとっては3年越しの宿題だ。

調べても調べても直接的な情報は出てこない。戦前の公務員制度やら何やら、知らないこと、知り得ないこと、知ってもそれ以外に応用が利かないだろうことが多すぎる。けれどもそれらがかすかにつながりを見せていて、踏み分け道のような一筋が見えかかっている。それを捨て置くことができない。

村田はなぜ隧道工営所所長になったのか。勲八等の理由は。埼玉に行けば手がかりがある。それは分かっている。分かっているが、動けない。それがまた悔しい。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ やの [次号予告、北摂線描&一庫ダムの第三の隧道、激しく期待しております。]


2011-12-12 この日を編集

[ph.] 中央公会堂

画像の説明

暗めから持ち上げたほうがきれい.明るさ調整・シャープ済

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [満艦飾!]

_ nagajis [軍艦マーチ似合いそうですね.]


2012-12-12 この日を編集

[ph.] うそっこ写真

画像の説明

何に乗ったかバレバレなんだろうな。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ おこぜ [天川:参考になるか http://www.kcn.jp/contents/live/index.html]

_ nagajis [すみません、夜中だったので真っ暗でした・・・ 13日は晴れてくれたお陰でなんとかなったですー]


2016-12-12 この日を編集

[] 余計なことをした

「新生活実践の村」標柱なんか触れなければよかった。お陰でとっぷり遠回りするはめになった。自分が納得したという結論のために汲々滔々の語を尽す。下の下の忌太郎である。


2018-12-12 この日を編集

[独言] 忘年会

久しぶりにアルコールを摂取したので中途半端な時間に目覚めて小痛い頭を持て余している。アルコールを摂取するとすぐに眠くなるので寝るためにしか飲まない自分には適量オーバーのアルコールはちっともうれしくないものである。

アルコールを摂取すると頭が働かなくなるのもいやだ。飲んでる最中とか帰宅中とかに何かいろいろ考えていた気がするのだが寝起きのいま思い出せることはどうでもいい韜晦ばかりである。アルコールで幸せになれる人は幸せだと思う。

[独言] 峠に登る

覚えきれないくらいに峠に登って心を寄せてきたけれども、その峠が生きていた頃ーーー実際に使われていた頃に人々が峠に対して抱いていた思いを正確に思い描くことができない。ある程度の想像はできても実感としてそれを追体験することができない。障壁として立ちはだかる邪魔者なのか。外界と通じ生活物資を入手するためのライフラインなのか。可能ならどこまでも低したい無くしたいと思われていたものなのか、それとも「越える」という行為に何か特別な感情を抱かされるものだったのか。うちからコンビニに行く道のような日常生活の当たり前のシーンだったのか。どれも当たっていそうだし100%のすべてでないことはわかりきっている。峠によっても違うだろうし。近寄れば近寄ろうとするほど見定めが利かなくなるのはハイゼンベルクの不確定性原理みたいなものかも知れぬ。

峠を利用して生きていた人々の峠に対する感情がもし一人ひとり異なるものであったとしたら、どれか一つをわざわざ書いて抽き出してみても詮ないことに違いなく、だったら全く無関係な自分の個人的な感想を述べたって何ら差し障りはなさそうである。自分だってその峠を利用した一人である以上それくらいの発言権は与えられて良い。けれども頭はそれじゃあダメだと言っている。たった一度の峠越えのイメージと生活のために毎日越えねばならなかった人とでは思いの丈が異なろう。上っ面をなでただけで、表面観察だけでさも本質を突いたような発言をする愚を免れない。諸外国の風習を見慣れないものだからというただその一点によって嘲笑したり誤解したりするのと同じで、無知蒙昧の無自覚無責任な感想と呼ぶのすら憚られるようなのを垂れ流すだけになるのではないかと恐れる。だからといって本質を見抜けたかどうかなんて、誰にも判断できないのだ。例えばの話、深田久弥が書き残した山の話が100%正しいとは思えないし思いたくもない。s/深田久弥/誰か別の人/でも同様。むろんそこには自分自身も入っている。自分のカンソーほど当てにならないものはない。

それが日記とかだったら自分のカンソーで構わないんだろうけれど、そのつもりでは書いていないのだから、多少は芯に迫ったものにしなければならない。そうは思う。しかしそれが一個人に可能なことなのかどうか? 昔はそんへんに目をつぶってそれっぽく書くことにばかりあくせくしていたが、経験を重ねれば重ねるほど、齢を重ねるほどに、それが姑息でしかないことを思い知らされ、謙虚にならざるを得ない。その態度が正しいかどうかもわからないほど。わかるのはその方向へ進んだら必ず道に迷うだろうということだけだ。結局のところ世の中は耳障りのいいことばとか上手い説明だとか発言者の社会的権威だとかに影響されて納得するかしないかする。深田久弥だからその言葉を信じるという人が一定数以上いる。信じる他無い、というべきか。よほどその道に精通しているかその道で暮らした人でないと反駁はできなかろう。

だとすると「私が」書くことには何らの価値もない。

そう気づいてからはかえって気が楽になった。行き交った多くの人生の総体が峠であり道であるなら、そこにもう一個の個人の思いを付け足したところで、道の本質には影響しないはずだ。或る物好きの感想がひとつ加わるだけだ。10^6に1を加えるような誤差である。而してそんな個人の思いの積み重ねの総体が道なんだろうと思う。人口地形とか土木構造物とかと把握するべきものではなく思想の総体として。形を伴った集合的無意識として。

可能なら加える1が不純な夾雑物とならないよう、心がけたい。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [>アルコールで幸せになれる人は幸せだと思う。 呼ばれた気がした・w・ 幸せになるっていうか習慣ですね。肝硬変まっしぐらな勢いで。]

_ nagajis [お、ちょうどよい、新住所おしえてけろ~ バックナンバーCD送ったら宛先不明で返送されてきたようです。]


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