トップ «前の日記(2006-10-22) 最新 次の日記(2006-10-24)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|05|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2006-10-23 作業報告、ほか [長年日記]

[ORJ] PCアンケートへのリンク貼り

 考えてみると、PCアンケートの結果へのリンクがなかったですな.折角なので常設アンケートとして左のコンテンツから飛べるようにした.
 作業してると「水没意識アンケート」が出てきた.ずいぶん以前に作って編集部MLに投げたのだけど、何だかそれきりなってたやつ.お遊びコンテンツとして入れる.いいよね?(こっちはそのうち削除になるかも知れない)

[ORJ] 原稿

 バックナンバーの目処がついてきたので原稿にかかっている(並行して少しずつ書いていたのだけど、今日はそのための時間をとって).「喪われた〜」は家棟川の天井川隧道.ひねくり回しただけの報告書調ではなく、さらっと読めるものにしたいのだけど、そう簡単にはいかない.染み着いてるからな.
 「物語」を標榜するからにはむしろ情緒的なものを目指したほうが良いかも知れないんだけど、もっと苦手.不安定なやつが情緒を語るなと.ともかく一通り完成.結構な長さになってしまった.

 明治隧道projectはひとまず資料の揃っている大分県西南部編から.あまりに隧道が多すぎて自分の撮った写真がどこのなのかを思い出すのに苦労.現地でほとんど聞き込みできなかったのが心残りだが、鳥養氏の報文のおかげで主要なやつについてはほとんど素性が知れている.「勝手にリスペクト版」とでも銘打っていくか.
 この編が終わったら、アンケートで希望の多かった三重県にかかりたい.たまたま選択肢に加えた(失礼!)県だけど意外と注目されているみたいだ.しかし現時点で自分が知っている明治隧道@三重県は坂下と長野くらいなんだよなあ...熊野街道沿いの煉瓦隧道は大正期だしね.その当たりから情報収集を始めないといけないので大変だ.

 もう一つの収穫だった例の隧道は、書きかけて、かなりノリノリになったのだけど、やっぱり場所が悪すぎる&素性がわからなすぎる.もう少し聞き込みなり資料調査なりしないと「やっちゃった記」にしかならないようだ.碓氷線の記事を蹴ってしまったあの方にも申し訳がたたないし.というわけで暫くはお蔵入り決定.写真もそれまで待ってもらおう.

[独言] 保身のため?

 危険な場所はともかく、立ち入りが禁止されている場所に立ち入るルポを書くことを控えるスタンスにしているORJだが.それは例えばORJの風評に影響するからとか、編集部の誰かがタイホされるのを恐れているとか、苦情が入るのを避けるためとかいう保身の術ではないつもり.探索者の規範を目指すなんて大それたことも考えてない.
 ではなぜ載せない?<ここに結構悩むのも事実.保身しないのなら載せたってええやん.普通は見ることのできない光景を皆さんに提供することができるし、そういうのを喜ぶ方が多いのも事実.逆に公開しにくい情報を引き取って、かわりに公開する媒体として機能させるという考え方だってできないことはない.
 でも、載せない.載せて得をすることがないからだろうと思う.プロメテウスは神の車から火を盗んで地上にもたらし、人類に文明を与えてくれた.そのかわりに無間地獄を味わった.苦しむのは構わないが、それに見合うものでなければ損だ.今書かなければ歴史に埋もれてしまうに違いないこと、伝えることで価値が生じるかも知れないことがない限り、個々人の栄光あるいは良き思い出に止めておくべきかと思う.という個人見解.
 何より、頑張れば正面突破できないものではないのだし.
 件の隧道も───後付けだが───突破口としての歴史なり価値なりを見つけて陽の目を見せてやりたい.直感だが、何かいわくがありそうな気がする.あそこまで前後の道がないなんて.

 世の中にはネットの裏情報を専門とする雑誌もあって、そういう雑誌ばかりが生き残っている現実がある.生きる術としては賢いかも知れない.しかし社会道義的にどうよ?と思わない訳でもない.そういう建前と本音の狭間の葛藤.考え方が古いのかも知れない.

 …などといいながら簡単に翻して、明日から悪のORJになる可能性も無きにしも非ず.そんな時は変わらず生暖かく見守ってください>各位

[] 毛見隧道

画像の説明 至極バラバラなのだが日記なんてそんなもんだろう.ついでに[隧]カテゴリを作ってみる.

 先日、和歌山の毛見隧道に行ってきた.pintrussさんの弥生の森の散歩径を見て一目惚れして以来長いことになる.

 pintrussさんも仰っているように、土木遺産と銘打つに恥じない隧道だと思う.壁面に使われているのは(多分)紀州青石.今じゃ採掘禁止になっている名石だ.そんな石がどこから?と思ったら、出どころは隧道そのものらしい.ポータルの上に登ってみたら山手に全く同じ石の露頭を発見.全山是青石也といった状況で、工事の際に出てきたものを流用したと見える.

画像の説明 構造もユニークだ.ピラスターが帯石の高さまでしかなく、実質的な仕事をしていない(本来は足元まで伸びて柱の役割を果たすもの).かわりに多分に装飾されて、意匠的な役割を担わされている.全く同じデザインのピラスターをもつコンクリート隧道・小野坂隧道が同じ和歌山県の田辺市にあり、それとの関係も気になるところだったのだが、下端の処理がわずかに違うだけでほぼ一緒と言っても良かった(小野坂はコンクリート製だが毛見は石.このへんかなり徹底している).

 惜しむらくは竣工年が不明なこと.和歌山市街側の扁額に書かれていそうなのだが全面を蔦が覆っていて読むこと能わず.「乾坤純和」───陰陽調和して平和なさまを言う───と刻まれた反対側の額には書者名しか刻まれていない上にちょうど悪い角度でシダが生えていた(pintrussさんの所にある写真にご注目.あれがさらに一回り大きくなっている).あれこれやって「久一書」と書かれていることを確認したのだった.

 ここからがまた長いのだが、続きは次回の講釈で.結果だけ書いておくと大正14年共用開始とのこと(!).


トップ «前の日記(2006-10-22) 最新 次の日記(2006-10-24)» 編集