nagajisの日不定記。
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靖国神社例大祭なり。服装検査の際、靖国神社の方向に向いて敬礼・黙頭〔祷〕す。以後十一時まで運動会準備の為の運動班会を行う。班長さん曰く「今日を以て三運動班は練習止め」と。二日間の栄〔英〕気にてのぞめと云われん。何程と思いたり。午後は寝室にてぐずゞと過したり。パンが少なく腹空り漸く俄〔我〕まんしたり。運動会にては第三運動班優勝確実なり。
靖国神社例大祭なり。
四十五期は二泊三日の予定にて雲仙・千々石方面郊外教育を実施せんとす。
1、五時起床し六時集合。(百四十名訓育班混合とす)
2、子飼橋まで行軍し、熊本駅まで車送。三住を経て船にて島原へ。波荒れ風すごく寒膚をつく。初め稍〃気分悪し。厳として甲板に立てば何時しか爽快を覚ゆ。
3、市にては昼食後森缶城を見学す。雄大なる景、深き壕に驚く。
昭和十七年十月二十三日 第二学年第三学班
4、南有馬まで島原鉄道にて輸送され同地に於て原城跡を見学、宗教的戦を跡を偲びたり。農民の一揆。板倉重政の事。
5、十六時半南有馬を出発。トラックにて千々石に至る。夕より十八時半まで台上は相当に冷えたり。此かる事は初めてなる故珍しくもあり、又習う所多大にありたり。即ち自動車にて輸送の時は周囲のへりに手を出さぬ事等之なり。
6、橘神社を詣でて国民学校に至り今夜の分宿の途につく
7、我の宿りし所は南高末郡千々石町野田寺之元 田中政之方にて、総家族は十人余りいたり。近くの親戚に泊まりし戦友九名本家に集りて入浴し、夕食す。果物・菓子類・食事等余りに多く、且つうまき故全く食するを得ず。
池田と我は二人、二十三時半寝ぬ。誠に恋しき■〔蒲〕団なりたり〔き〕。
そこの長男は先生にならんと励みいたり。共に励まし合いたり。
考えてみると、PCアンケートの結果へのリンクがなかったですな.折角なので常設アンケートとして左のコンテンツから飛べるようにした.
作業してると「水没意識アンケート」が出てきた.ずいぶん以前に作って編集部MLに投げたのだけど、何だかそれきりなってたやつ.お遊びコンテンツとして入れる.いいよね?(こっちはそのうち削除になるかも知れない)
バックナンバーの目処がついてきたので原稿にかかっている(並行して少しずつ書いていたのだけど、今日はそのための時間をとって).「喪われた〜」は家棟川の天井川隧道.ひねくり回しただけの報告書調ではなく、さらっと読めるものにしたいのだけど、そう簡単にはいかない.染み着いてるからな.
「物語」を標榜するからにはむしろ情緒的なものを目指したほうが良いかも知れないんだけど、もっと苦手.不安定なやつが情緒を語るなと.ともかく一通り完成.結構な長さになってしまった.
明治隧道projectはひとまず資料の揃っている大分県西南部編から.あまりに隧道が多すぎて自分の撮った写真がどこのなのかを思い出すのに苦労.現地でほとんど聞き込みできなかったのが心残りだが、鳥養氏の報文のおかげで主要なやつについてはほとんど素性が知れている.「勝手にリスペクト版」とでも銘打っていくか.
この編が終わったら、アンケートで希望の多かった三重県にかかりたい.たまたま選択肢に加えた(失礼!)県だけど意外と注目されているみたいだ.しかし現時点で自分が知っている明治隧道@三重県は坂下と長野くらいなんだよなあ...熊野街道沿いの煉瓦隧道は大正期だしね.その当たりから情報収集を始めないといけないので大変だ.
もう一つの収穫だった例の隧道は、書きかけて、かなりノリノリになったのだけど、やっぱり場所が悪すぎる&素性がわからなすぎる.もう少し聞き込みなり資料調査なりしないと「やっちゃった記」にしかならないようだ.碓氷線の記事を蹴ってしまったあの方にも申し訳がたたないし.というわけで暫くはお蔵入り決定.写真もそれまで待ってもらおう.
危険な場所はともかく、立ち入りが禁止されている場所に立ち入るルポを書くことを控えるスタンスにしているORJだが.それは例えばORJの風評に影響するからとか、編集部の誰かがタイホされるのを恐れているとか、苦情が入るのを避けるためとかいう保身の術ではないつもり.探索者の規範を目指すなんて大それたことも考えてない. 世の中にはネットの裏情報を専門とする雑誌もあって、そういう雑誌ばかりが生き残っている現実がある.生きる術としては賢いかも知れない.しかし社会道義的にどうよ?と思わない訳でもない.そういう建前と本音の狭間の葛藤.考え方が古いのかも知れない.
…などといいながら簡単に翻して、明日から悪のORJになる可能性も無きにしも非ず.そんな時は変わらず生暖かく見守ってください>各位
ではなぜ載せない?<ここに結構悩むのも事実.保身しないのなら載せたってええやん.普通は見ることのできない光景を皆さんに提供することができるし、そういうのを喜ぶ方が多いのも事実.逆に公開しにくい情報を引き取って、かわりに公開する媒体として機能させるという考え方だってできないことはない.
でも、載せない.載せて得をすることがないからだろうと思う.プロメテウスは神の車から火を盗んで地上にもたらし、人類に文明を与えてくれた.そのかわりに無間地獄を味わった.苦しむのは構わないが、それに見合うものでなければ損だ.今書かなければ歴史に埋もれてしまうに違いないこと、伝えることで価値が生じるかも知れないことがない限り、個々人の栄光あるいは良き思い出に止めておくべきかと思う.という個人見解.
何より、頑張れば正面突破できないものではないのだし.
件の隧道も───後付けだが───突破口としての歴史なり価値なりを見つけて陽の目を見せてやりたい.直感だが、何かいわくがありそうな気がする.あそこまで前後の道がないなんて.
至極バラバラなのだが日記なんてそんなもんだろう.ついでに[隧]カテゴリを作ってみる.
先日、和歌山の毛見隧道に行ってきた.pintrussさんの弥生の森の散歩径を見て一目惚れして以来長いことになる.
pintrussさんも仰っているように、土木遺産と銘打つに恥じない隧道だと思う.壁面に使われているのは(多分)紀州青石.今じゃ採掘禁止になっている名石だ.そんな石がどこから?と思ったら、出どころは隧道そのものらしい.ポータルの上に登ってみたら山手に全く同じ石の露頭を発見.全山是青石也といった状況で、工事の際に出てきたものを流用したと見える.
構造もユニークだ.ピラスターが帯石の高さまでしかなく、実質的な仕事をしていない(本来は足元まで伸びて柱の役割を果たすもの).かわりに多分に装飾されて、意匠的な役割を担わされている.全く同じデザインのピラスターをもつコンクリート隧道・小野坂隧道が同じ和歌山県の田辺市にあり、それとの関係も気になるところだったのだが、下端の処理がわずかに違うだけでほぼ一緒と言っても良かった(小野坂はコンクリート製だが毛見は石.このへんかなり徹底している).
惜しむらくは竣工年が不明なこと.和歌山市街側の扁額に書かれていそうなのだが全面を蔦が覆っていて読むこと能わず.「乾坤純和」───陰陽調和して平和なさまを言う───と刻まれた反対側の額には書者名しか刻まれていない上にちょうど悪い角度でシダが生えていた(pintrussさんの所にある写真にご注目.あれがさらに一回り大きくなっている).あれこれやって「久一書」と書かれていることを確認したのだった.
ここからがまた長いのだが、続きは次回の講釈で.結果だけ書いておくと大正14年共用開始とのこと(!).
客観的に見ても主観的に見てもだめだよねー、というnagajis。ううむ。開き直るしかないぞ、もう。
確かにサーバ移転でphpのバージョンが変わっている。それほど大きなバージョン差でないから大丈夫だろーと鷹を括っていた節があるな。本格的にCGIをできる人を編集部に呼んだほうがいい・・・。
まあ、それでも根源が何だったのか判っただけ収穫だと思おう<さっそく開き直った
それでも次号を宣伝しなければならないのは自業自得だ。旧橋の打ち合わせ終了。その後「徳川道」の第一回を書く。写真が全然ない回だからどうしようかかなり迷う。けれどもこの廃道の数奇な運命はぜひ誰かに伝えたい。
10月頭のチャットのおかげで「自分が書きたいと思うか」「自分はどう思ったか」をつねに年頭に置いて書くようになった。チャットの頃にはすでに廃読や旧橋の原稿は出来てたから、修正する暇がなかったのだった。そういやJobs御大も似たようなことを言ってたっけか(といっても自分はMac税を払うつもりはないぞ>Apple)。次号は違うよ・・・多分・・・。
打ち合わせの前にはReader's voiceのミニ投稿用CGIを書きつつあったり(覚えてますか?エクストリームBCDとか行ってきました!とか)。以前「廃道81選」で使っていたのを使いまわして、写真とコメントとを投稿できるフォームを作ろうという案が出ている。さらにはこういう定型ネタの募集だけでなく、調べてきてほしいネタをお題として掲げ、それを調べて投稿してもらうような企画も考えている。
例えば滋賀県に竹筋コンクリートの橋があったことがわかっている。戦前の鉄材不足の時期に各地で竹を鉄筋がわりにしたコンクリート構造物が作られていて、一つの「珍しいモノ」になっている。たいていの場合は設計記録が残ってないし、その橋が竹筋かどうかを判断する術がない(※)から、竹筋と知られずに残っているものも多いようだ。
滋賀県の竹筋橋は2つ。一つは工事画報にある小さな橋。これはもうすでに失われているかも知れない。もう一つは、実は廃道を読む(10)でこっそり書いておいた大山橋(?)。昭和16年頃に作られたもので、橋台に竹筋が使われている。厳密な場所はわからないのだが、甲賀郡土山町の田村川に架設(町村道)されたとあるからこの地図のどこかではあると思う。
こんな感じで「ちょっと見てきてほしいっ」というネタを提供しますので、そのルポをアップしてもらおう、という魂胆。お近くにお住まいの方はぜひ。何か特典があげられるといいのだが、そこまでは未決也。
※ 竹筋か鉄筋かは、コンパス(磁石)を使えばいいんじゃね? と思っていたりする。シルバのNo.2とかああいった敏感な方位磁石を近づければ反応があるかも知れない。あるいはAMラジオを近づけるとかね。
さあ寝ようかと思った時に読者登録ができないことがわかって、眠い頭を必死に動かして修正した結果、目が覚めてしまった。どうも、いかん。
なのでつまらぬことをつらつら書く。廃道を読むのテキスト化もようやく終わりが見えてきた。地方通信が数ヶ月に1回になって、そろそろ伏字も始まるようになった。まるでnagajisの現状とシンクロするかのように敗戦が近づいている。皆々様、あと一回の辛抱でござる。
ちなみに、いま題字に使っているフォントには(20)までしか丸数字がない。ここで終わるか、それとも作字して続くかはネタ次第だと思う。
地方通信が終わったら、隧道の破損モードについて考えてみたくもある。考えるといっても「こんな壊れ方をする」という感じで写真とコメントの羅列になりそうだが。あとはせいぜい、天井の崩壊スキームとか、坑門の倒壊モードとか、そんなのを勝手にでっちあげて。
あ、今おもろいこと思いついた。師匠を真似よう。でも、できるかな。
考えてみたら昨日のプラグインはAcrobat6.0に限った話かも知れない。報告を下さった方の環境に合わせて6.0を入れ直し、それで試したもの。7.0や8.0で通用するのだろうか?(というそばから削除にかかる)
しかもじっくり考えたら、肝心の報告を下さった方にメールが行ってないんじゃないかと気づいた。サーバ入れ替えをしている最中に古いサーバへ届いていたのを、昔の設定のまま返信した(=外部にはつながっていなかった)のではなかったか。ということで恐る恐る試してみたら、確かに送れない(獏 うーんんん。どうも最近、こういうクリティカルなミスが多いぞ。(それをここに書くのは決して面白がってるからではない。阿呆であることを隠して騙すよりは阿呆を晒して非難されたほうがよいと思うからだ)
で、試してみた。やっぱり微妙に違うぜ。Annot.apiとかEWH32.JPNとかある。でも必要なプラグインは変わらず。なぜかupdater.apiが外せなかったりしたが、最初に普通に起動してアップデートを確認してからだと外せるようだ(結局Adobe Reader SpeedUpでうまくいかんかったので手作業で)
では8.0は。
あ、7,0はさくっと削除できるのね。便利。8.1をインストール中。
そういえば8.0でフォームが使えなかったのが8.1で使えるようになった。バックリンクもこれでやったほうが速いのだけど、どうしよう。一度ヤな目に遭ったのは戻したくないなあとは思うけれど。
リンクのほうが都合がいいこともある。フォームとリンクが重なっているとリンクのほうが優先されるから、そういう場面では役立つ。
結果。同じく。最小限必要なのは昨日のものでOKのようだ。そのかわりしおりのアイコンがちょっと汚くなったりはする。あと何故か「前の文章に戻る」のリンクが効かない。うむ。
8.xは元から起動が速いから、プラグインを整理してもしなくても変わらない。描写がひどく軽くなることもない(というか全然変わらない)。8.xになって便利になったのはホイールで拡大縮小できるツールがついたことくらいか。
全体的な軽さから言えば7.x>6.x>>8.xという感じ。こうやって比べてみると、当初感じたよりは軽くないこともわかった>8.x。OSやグラボが変わればもうちょっと違うのかも知れないが、でも、使い勝手は今でも8.xのほうが上のような気もする。7.xは隙あらば余計なものをダウンロードさせようとするのが納得いかない。そんなことに気を揉んでも仕方がないか。
記念すべき21回目である。
「体が資本」
という言葉がある。その対義語はあるのだろうか、とここ1週間近く考えて、結局は
「体が共産体制」
という言葉しか出て来ず、我ながら呆れている。そもそも文字数からして対義していない。
最も悲しく思うのは、そこから話を発展させることができないでいることだ。例えば共産体制というからには「お前のパンツは俺のもの」とか何とかなのだろうかと真っ先に思ってしまい、それでは余りにも稚拙に過ぎると反省した。ちょっと捻って警句らしく「右手の稼ぎは左手の糧」としてみても、やはりどこかしっくり来ない。もっとこう、赤いものとか鉄槌と鎌とか、そういうのがあるだろうに。そう思ってさらに激しく落ち込んだりもした。
そもそも共産主義という思想は資本主義の対極ではない。数多くある主義主張の中の2つであるというばかりであり、北極と南極、1号と2号、電子と陽子と時おり友子、その他もろもろの対立項同士のような真逆の関係では決してあり得ない。が、幼い頃見せつけられた東西冷戦の対立の構図によってあたかも二人対峙するものであるかのように思い込まされている。ただそれだけの対象なのではないだろうか。一応は資本主義の側にいる我々日本人、一体どれだけ共産主義ことを知っているだろうか。スターリンとレニングラードとシナメンスキーの他に、何を挙げられるだろうか。
自分の無知を鋭く抉る、何気ない思いつきの言葉。よく寸鉄人を刺すというが、この場合は豆腐の角で首を締めるようなもの、とでも言い替えるべきものなのかも知れない。
我ながら何を言っているのかわからない。
諸般の事由により休みは延期。改めて月末に出直す。狼少年ケンと呼んでくれ。
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「廃道本」は23日AM1時現在Amazonランキングで92位。「廃道をゆく」も掲載直後はそれくらいだったらしい。
上記のリンクはアフィリエイトでないのでここから買っても得しません。
(現実には所有してない)冷蔵庫の中に虫の湧いた生ゴミが詰まっていて、そのうえ紛れているペットボトルの中に死にかけた魚がうねうねずぬりとしているを見てしまい「うゎあ(汗」となった夢を見た。速攻扉を閉めたのはいいものの、あとをどうしよう、というのでぐだぐだと悩む。さっさと目ぇ覚ませばいいのに>nagajis
2日目朝で中断中。核心なんだけど見どころがない。雪の中にCPL落として時間ロスした話なんか書いても仕方ないしなあ。
毎回東熊野に時間をとられて他のことができず。どのみち必要とされてないんだからいいといいえばいいんだが、単調だ。
絡みで伯母谷軌道まで書いてしまったほうがいいんかも知らん。いまは片付けるほうに振らないと。
次号予告で入れていた件は11月末の連休になりそう。廃道をゆく2には使われないかも知れない(いけね、訂正してねー)けれど、今年最後の大イベントに参加されたい方はぜひ。
工事記録が残っているっぽいので申請中。実際に見られるのはかなり先になりそうだから、地図だけ確認しておくことにした。いずれも二万分一地形図/明治26年測量。熊川村は明治後期だったかも試練。
若狭街道水越峠。峠はいまと変わっていないが西側のトンネルの辺りに旧道があるらしい。どんな橋が架かってたんだろ。
北国街道栃ノ木峠。北側に換線。ただし今この谷筋には大きな砂防ダムが連続して架かっている。かなりズタズタな予感。
椿坂峠にも地味に旧線がある。
謎の自衛官氏にタレ込もうかとも思ったけれど、氏の手を煩わせるほどのものでもないかも知れない・・・そのへんは県民局資料を吟味してから。たぶん作られた時代とか経緯とかのほうが面白いと思うんだ。
栃ノ木峠、椿坂峠は一度自転車で越えたことがある。ホハレ峠へ行って、冠山峠経由で福井へ出た時に。懐かしい。
ありゃ、椿坂はいまトンネル作ってるのか・・・。
になりそうな感じだ。<感じだ、じゃねえ。人に任せッきりになるなと。
今度は土曜日なので余裕があるかも知れない。ただし南国の人nagajisは使い物にならないはずだ。隅のほうで大人しくしていよう。というかマジでnagajis要らんのじゃね?
役員会に参加する序でに滋賀県史昭和編をフェッチしてきて読む。これくらい詳細なものが大正中期からあったら苦労しなかったんだろうけど。
政治面からの考察が全然できていない。例えば政党政治と滋賀県土木の関係。大正後期〜昭和初期の滋賀県は政友会の天下だった。井上準之助井上敬之介ちう政友会の重鎮がいて県会を半ば牛耳っていた。「滋賀には知事が2人いる」とか、井上に就けば県会は安泰だとか言われていたらしい(最近気づいたが井上準之介は日田生まれだ。あんまり名前を聞かんかったのは金融恐慌の引き金を引いた人やからやろか。(こっちの)井上さんは昭和7年血盟団に暗殺された。井上敬之介は昭和2年没)。
原敬内閣の元で滋賀県知事に就任した堀田義次郎も井上の操り人形だったいうのが通説。堀田がそれまでで最大となる二百数十万円の歳出予算を提出し琵琶湖周遊道路計画ほか道路政策をがっつり押し進めることができたんも政友会系知事で、政友会が道路政策を好んだからだった。ただそうやって可決した15カ年計画(だったかなあ。全部うろ覚えで書いてるので信用するなよ<誰に向かって言っている?)は堀田なきあと停滞した。井上が支部長を去り(世を去り)、民政党が盛り返してくる昭和2年以降はさらに滞った。賤ヶ岳隧道が昭和2年にでき、続きとなる湖北は昭和9年。全通は11年の初夏。
滋賀県で時局匡救事業が活発だったという印象はない。あるにはあるが本当に局所的なもの。例えば万世や山陰道が直轄で工事されたようなのとは比べものにならない。こまごまとした工事が多かった印象がある。米原跨線橋とか。いや、京津道路の改修があるか。このへんはもう一度確認するべき。
で、ほとんど繰り延べ々々になっていたところを堀田貢が八八計画を打ち出し整理復活させようと試みた。観音坂隧道も実はこの頃俎上にあがったもの。堀田貢のいる間には進展しなかったが伊藤武彦が頑張って片付けた。県会もこの頃は非常時局ということで骨抜き&陳腐化してたらしい。以上うろ覚え記述。
村田がいた時代はそういう政治に翻弄された時代だった。昭和3〜6年の間目立った動きが無い(これは村田に限らず滋賀県土木課全体にとって。この年間の年表はやたらと短い)のもそのせいなのだろう。費用削減で土木課職員26人が一斉に辞任したというのもこの頃のことだ。
原敬が藩閥を解体し政党政治を確立させた功績は大きいけれども、未熟な日本はそれを安定運用できなかった。政権を取ることが目的の政争だったり市民レベルでの政党対立が始まったり。それが5・1615にも2・26にも直結している印象が(個人的に)する。それが後々まで尾を引いている。うちの田舎もそうだった。玖珠川を挟んで向こうとこちらとでは仲が悪かった(子供的シマ争い的アレなんかも知れんけど)。森藩<>天領というところから始まったものだとばかり思っていたが、直結しているのは大正昭和の政友会vs民政党の対立であったりすることを、田舎を出てから知った私だった。どうでもいいじゃん・・・と思う。それで両者を結ぶ橋が「協心橋」だっていうのは、泣かせる話じゃないか。
はい沢山間違えてました。修正修正。
小ネタを入れ込もうと思う。
・第一期熊野街道荷坂峠
・一庫ダム工事道路
・音水林鉄赤西支線/音水上部軌道続き
辺りさっさと片付けたい。北摂でもいい。旧多田大橋は写真がどっかいった・・・。廃橋というとまっ先に思い出すが写真が見つからず。この間撮ってきたのも中途半端。
CFは確かに県民局にあったけれども「郵送してくだちい」とは切り出せなかった小心者。次回申請が通った時に取ってくる。それだけのために1500えん消費できるわけがないし、どのみち核心はS11の職員名簿だからな。中身を忘れないうちにメモっておいてよかった。
和歌山の発表会へ行った足で舟ノ川へ突入した。US頭陀袋にテントシュラフゴアガチャ米味噌梅干チョコレート着替えカメラ行動用ザック等等等を突っ込んで、全部抱えて徒歩の旅。
少しミスして予定通り行かなかったが、そのお陰で旧大塔村役場を発見したり、惣谷小中学校が残っているのを見つけたりした。廃4のネタも得たし御所市で近代建築を見かけたりもした。人生万事塞翁が (゚Д゚)ウマー である。
メインの探索対象である沼田原軌道についてはまた今度書く。三段活用?を狙っていたにも関わらず今回で〆ることができなさそうだが、まあ、いつものことだろう。行かなければならない箇所は確認した。主要区間を歩き通し、第一水路橋のみならず第3蓋渠やら第二号・第四号・第五号土捨て場も目撃できた。歩いたお陰で新たに心付いたことも多かったし。
帰りのバスがたまたま八木行きだったので、これ幸いとばかりに終点まで乗り、真菅村と八木町の道路元標をゲッツしておいた。
今日(22日)は朝から歩いたり2時間暇つぶししたり胃がキリキリしたり大変疲れた一日だった。ここで国玉区暇があったらKINIASのひとつでも更新しろってんだ>永冨
なんば古書センターで絵葉書を購入。つぎは吊橋やるんだったな、と思っていたところ運良くかずら橋の絵葉書しかも側面景が入手できた。3枚100円なので四天王寺産よりもお手頃。受付に高く転売するつもりでいる。
それにしてもしんどいなあ・・・一度しんどいと思ってしまうと際限なくしんどくなってしまう。どっかで断ち切らないとと思い無理してでもサイトを更新した。たった数十分の作業じゃないか。え。
明治43年(1910)年に完成した和歌山県和歌山市は和歌ノ浦の展望エレベーター「望海楼」。漱石さんも乗ったそうだ。
こちらは三重県鳥羽町(当時)にあった日和山エレベーター。昭和9年竣工。鳥羽駅前から高さ50mほど上昇して展望地点へ。
どちらも同じような立地で同じような形をしているのが面白く感じた。ただそれだけで購った絵葉書。
コンクリートで蓋されたのだそうだ。あんなばかばかしい事故が起こり、その前にはあすか撮影のばかばかしい撮り鉄が列車運休させて、そりゃJRも対策せずにはおれんだろうと思う。もともとJRはこの手の遺構に冷淡だ。JR西は特に。
まったく、産業遺産って何なのだろうと思う。企業活動の遺物の価値は誰がどう評価すれば定まるのだろう。所有者は要らないと言っている。邪魔だといって蓋をする。その行為に対して所有者以外が口出しをし、保存・活用を訴えることが果たして良いことなのか。意味があることなのか。所有者だけのものに非ず、社会に大きな影響を与えたモノだから社会が声をあげるのはまだわかる。社会のコンセンサス不在のうちに余計な闖入があり事故が起こり塞がれて元機能を失う。そうしなければ所有者が困るからだ。その困るのを無理やり止めさせることが良いことなのか。
産業遺産は保存されるべきだと心の底から掛け値なしで叫ぶことができない。産業遺産というものへの信心が足りないからか? TICCIHは産業革命の遺構・遺物の素人研究から始まった。自国の産業革命が全世界に及ぼした影響が大であり功績があると信じてのこと。では、極東の島国に本国に遅れること約百年後にようやく波及してきた 産業革命の痕跡を、近代化遺産を、研究し、調査し、保存を訴えていくことの意義は如何。ニッポンの産業遺産の価値や如何。活用する気のない企業にとってはただの厄介者でしかなく、一部マニアの弄び物にしかなってない現状を欧米の産業遺産と比較してしまうと、なんか格が違う感じがして、大手を振って主張できない。「いいものだ!」と叫べない。残したところで「観光資源に「しかならない」」現状を、さんざん見せつけられている。
見方が違うのだな。遅れてやってきた産業革命のお陰で、日本は短期間のうちに列強と肩を並べる国になれた。高々40年ちょっとの期間で近代化を完了した。本家が示したお手本を忠実に&貪欲に吸収してものにしたから本家よりも短期間で済んだのだ。産業革命の余波とは書いたけれども、震源から遠ざかるほど高くなる津波のようなイメージかも知れない。そうして過去をすっかり洗い流して、跡地に違う日本を残していった。日本の近代化遺産は産業革命の到達点としての価値はある。
そのことはまあ価値があるだろうけれども。戦争に負け、過去がすべて誤りだったと反省した時に、それまで水に流してしまったきらいがある。して、昭和20年以降の現代的発展ばかりが「どん底からのV字復活」「ものづくりニッポン」的な捉えられ方をされ賞賛の対象になっている。だから戦前が霞んでしまうんだ。今更富岡や八幡製鉄所を持ち上げたところで・・・という諦め。このシラケムードの根源はその辺りにありそうな気がする。それ打破するために世界遺産化しようとしてるのだろうけれども、なあ。余りに泥縄過ぎる。
ドイツの人は自国の産業遺産をどのように捉えているのだろう。全く同じでないにしても参考になりそうな気がする。
来る日も来る日もデータ入力の日である。行く日も又データ入力ならむ。昭和45年まで終了。この時点で赤煉瓦工場は消滅してしまう。岡田煉瓦工場も姿を見せない。
愛知県の耐火煉瓦工場が減少していく一方で岐阜県多治見市が耐火煉瓦王国になっていく。YMTが山増耐火煉瓦らしいこと、明智耐火煉瓦がATRなんじゃねえかということ、じゃTARはどこやねんということ。東京窯業(株)はでかいがAが足りねえ。
初めて試みた。考えてみればこれが最正攻法のような気がする。小っ恥ずかしいのであまり推敲せずに出力して封して出したのだが、これはたいてい失敗するパターン。
今月は「大きな風景」を2度も見た。日本は広い。なんて多様なんだろう。という感慨を新たにする。吉野に通い詰めだった頃とは正反対の感慨かも知れない。
都市は狭くて息苦しい。都市が異常なだけなのだ。そういったことも再認識させられて、他の世界への興味がますます膨らんでいく。行ってみたいところが増えるのはいいことだ。
忘れないようにメモ。6、7月分をとりあえず読み終えて、煉瓦話がほとんど出ないのに耐え切れなくなってM18代に飛ぶ。この頃は日本立憲政党新聞という名前なのだな。ほんのわずかな情報を得ただけで。いや少し意味あるな、堺煉瓦石製造所に勤めていた鹿児島県人田中隆秀氏が耐火煉瓦?を作って皇居に納めたき旨申請あったという話。はじめこれが田中坩堝の人かと思ったがそうでない。この名前は初見。しかしここでも鹿児島県人。
_ 葛飾白菜 [廃道本も予約しました。「廃道をゆく」「廃道本」酷道DVD2枚・・・密林に予約だらけw ところで、部録”引っ越ししたら、トップページには反映されないんですね。]
_ nagajis [密林に廃道がいっぱい、と… 【更新】の件修正しましたー。]