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旧道倶樂部録"

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2007-05-09 旅報告ほか [長年日記]

[ORJ] 寄稿・原稿進捗

 連休前に張子の虎さんから関西鉄道(関西本線)の煉瓦橋梁についての原稿をもらっている。実に完成度が高く、.docをそのままpdf化したらおれ何もすることないヨ状態だ。さすがにそれでは編集部の意味がないので、文章について読みづらく感じるところを指摘して本日返却。レイアウトや構成、デザイン、歴史的背景等はほとんど踏襲する予定。読んで驚くなよ諸氏諸嬢。

 自分の原稿については須磨をupしたものの明治隧道の原稿をどう構成するかが決定していない。本体となる部分(今までの明治隧道の構成と同じもの)は出来上がっているのだが、おまけで作ったルポをどう組み合わせるかで悩み中。後ろに適当に(なんていったら怒られるか)くっつけるか。旧道倶楽部の報告書をイメージしながら書いたのがいけなかった。今回のGWツアーの結果も、この号に載せるのかどうか、まだ考えていない。

[独言] 無事に帰ってきてしまつた

 本当は、もっとゲロを吐ける旅がしたかった。7年前に氏ぬ目にあった北側も含め、全線を担いで越えてみたかった。しかし実際に赴けば、坂根から峰越峠までの600upと冷たい雨に気圧されて、峠から南側に向けて歩いて下っただけの、ヌルい探索になってしまったのだった(あくまでも出発前の意気込みに比べての話)。

 全線チシマザサの海だったりしたらどうしようと恐々としていたのだが、終えてみれば北側ほどの荒れようでもなく、チシマザサの区間もわずかで(大部分は回避できたし)、雨に濡れて冷たい思いをした以外には体力的なchallengedもなく。その意味では不完全燃焼だし、結局は不完全燃焼の側に傾いてしまった自分が情けなくもある。齢を感じずにはいられない。また再履修か。しかしまた行けるのか。

 7年前にほとんど撮ることができなかった写真を存分に撮れたのはせめてもの慰め。新たな発見もいくつかあったし(そしてBrown Treeも)。忘れてきた魂を回収したと思ったら、また別のかけらを落としてきてしまった。

 その前日に志戸坂峠へ行けたのも有意義だった。歴史の道として整備された姿とはいえ、明治時代の道路遺構として例を見ない立派さであり現存度であると思う。あのつづら折れを生み出した人々に畏敬の念が絶えない。
 もちろん志戸坂隧道も忘れずに訪問。洗い出しの化粧コンクリートに3段(5段)の持ち送りアーチ。ポータル壁面の穴には街灯がつけられていたと聞くし、扁額を使わずに前後の路傍に石柱を建てて隧道銘に代えるというのもそれまでにない試みだ。往時はさぞかしモダーンな隧道であったろうと思う。あんな山中だのに。
 ちなみに志戸坂隧道と峠はうちの部の先輩方が合宿で通った記録が残っている。80年代の前半だったか。隧道内部の「壁」はこの当時からあって、「ぬりかべの住むトンネル」と揶揄されていたのを思い出す。

 行き帰りに智頭急行を利用したので苔縄の隧道跡にも立ち寄ることができた。十分な時間がなくて話を伺うことができなかったが、オープンカットの切り残しや、南側の碑が直接的な関係がないもの(岩本蔀という人物の頌徳碑。明治中ごろには当地赤松村の総代であった)であることなどを確認。ただしこの人物、道路の改修にも功績があるようなので、全く関連がないとは現時点では言い切れない。何よりここに碑があることに意味がありそうだ。

 も一つ、久しぶりに野宿できたのが嬉しい。実はこれだけで十分に満足してしまっている。道端の山菜を摘んで山菜カレーを作ってみたり。ああいう自由な時間が、自分にとって最高の至福の時。これで暮らせと言われたら喜んでするだろう。むしろそうしたい。

 総じて言えば気楽な一人旅。悲壮感のかけらもなし。それがかえって自分のレゾンデートルを危ういものにする。

[奇妙なポテンシャル] #5

 韜晦誤魔化し目暗まし、露天の風呂は吹き晒し((c)筒井康隆)。ORJの云々とかどうでもよい葛藤とかとは独立直交した無駄話をまたする。

送信者 奇妙なポテンシャル

 岡山市街で見かけた看板。高い所に掲げられてあって何の看板なのかよく解らなかった。整備工場のマークなのか?それともタイヤメーカーの?

 目を引いたのは他でもない、あり得べからざる場所に組み合わせられたタイヤのせいだ。いや、そこにタイヤを嵌め込みたくなった作者の気持ち、ニ本の牙の間に収まるすっぽり感は、解らないでもない。最も安定した配置を求めるならば有り得る場所だ。しかしタイヤ+牙という方程式の解としてはチキチキマシン猛レースかタイムボカンぐらいしか思い浮かばず、一般常識的にはちと突飛と言わざるを得ない。そもそも象徴である長い鼻を取り去られた彼はモチーフとしてのアイデンティティすら失っている。大きな耳と牙がかろうじてパオーンであることを主張するが、それを上回って余りあるタイヤの存在感。そのせめぎあいから来る不協和音は圧倒的な違和感となって見る者を苛む。もしもあなたが夜道を歩いていて、ふいにこいつが追い越したりしようものなら。三日三晩うなされた挙句に事切れるであろうこと必至だ。

 このようなものが生み出された背景にはいったいどのような思慮があったのだろう。考えずにはいられない。有機無機の境界を乗り越えていとも簡単にキメラを創り出す現代の闇がそこに見え隠れする。

 いけね、ゴムは有機物か。

p> 余談になるが、幼少の頃、横浜タイヤの顔マークが恐かった。自転車を与えられて喜び勇んで出かけた隣町、町外れのガソリンスタンドにでっかいこいつが聳えていて、恐れ戦き、泣きながら引き返した。こんな奇ッ怪なものが世の中にあって許されるのか、平気なうえにあまつさえ会社のシンボルにしてしまう大人とはどういう神経をしているのかと、世界の不条理無秩序を呪ったものだった(そんな表現を子供の自分がしていた訳では当然ないが)。それ以来どんなことがあってもその道だけは避けて通ったという、ある種のトラウマ的な幼い記憶。そんなものまで呼び戻された一件。恐るべしパオーン。


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