nagajisの日不定記。
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ヨッキ氏より7月1日ならtori氏と謎の(予備)自衛官氏とともに参加できるかもという連絡。一も二もない。その方向で。
いろいろとデザインを考えてはみたのだが、決定打がないのだ。
とりあえず、汚れてもいい色ということで黒地に白を考える(必ずしも黒白でなくてもいいんだけど他に思い付かず。真っ赤に黄色とかいいかも知れぬが)
化繊にするとやたらと高価なので躊躇している。これは課題。
ロゴの「廃」を使って何かをーと思いつつ、これだけでは締まりがない。何のTシャツなのかも解らん。左下に何かよい言葉を入れようと試行錯誤するが...
個人的には隧道とか作ってみたいのだけど、新しく正面図を描くのが大変だ。オススメがあれば作ります(湖北は以前に作ってたのを発掘してきた。廃道ではないので却下)
だんだん疲れて来て現実逃避。石投げられそうだ。
みんな!いいデザインを考えてくれ!
そういえば今頃に旅行に出たんだっけ、と思い出した。悪いことばかりじゃ、ないよな。
昨年も埋め草に追憶企画をやろうと思っていたけれど、何やかやで出来なかった。格好悪く今頃から始めてみることにする。
ともかく峠に登るだけの旅。日本の分水嶺を走り尽くしたいと、それまで行ったことのなかった峠を渡り歩くのが目的。あても期限もない、本当に好きなことができた旅だった。それをちょっと、久しぶりに思い出してみよう。
出発は6月4日。この日は雄の山峠を越えて和歌山入りしただけだ。5日は西側へ向かって付近の峠を回って、岩出町の若もの広場に泊。5年前の今日は3日目となる。
若もの広場のトイレの裏に荷物を隠して郷ノ峠へ。登る途中で(何故か)道に沿ってみかんが落ちていた(後にこの写真をI氏に見せたら(何故か)気に入られて壁紙にされてしまう)。郷ノ峠には「霞峠やすみ松」という碑が立っていてちょっと謎。未だに解けていない。峠北は細長い谷全部が段々水田。
北に下って境谷から登山道の峠・槌の子峠を担ぎ越えて楠峠へ向かう。槌の子峠の麓の集落は狭い谷にぎっしりと民家が詰まっていて、これは今でも鮮明に覚えている。あまりに密度が高過ぎて車さえ入ることができない(集落手前に駐車場がある)。その家々の間を縫って峠へ。今はほとんど用途のないようなルートだが四石山への登山道になっているらしく割合きれいに残っていたと記憶する。写真は槌の子峠。ああ思い出すぞ、この強烈な日射しとコントラスト…
反対側は栗林になっていて、作業道として使われていた。ここから楠峠へ向かう途中で初代のナタ「最小自乗法」を無くしたんだっけ。それで風吹峠へ抜けて岩出に降り、すぐに新しいナタを購入。おおそうか、今日は純粋経験の購入記念日だったか。
その新ナタを手に反対側から楠峠を目指すも、道を見失って敗退。どういう道でどういうルートを取ったかはもう思い出すことができない。最後に岩がちの沢になり枯れ木に囲まれてOUTになったのだけは確か(写真)。この時点ではまだ足も気力も出来上がっていなかったからな。
この日は若もの広場に連泊。ワールドカップを聞きながら寝る。
お、<br>廃道界の「西の雄」と「東の雄」が相会して探索をされるのですね。<br>これは関西近県にお住まいの方では「そりゃぁ、のっぴきならねえぞ」と思われる方もいらっしゃる事でしょうね。<br>当方も7月に入ったら須磨か海遊館にでも子どもっち連れていこか〜・・・なんて思ってたとこなので<br>無理にでも1日に予定を合わせましょうかね。<br>って言っても、もう「楽しんでき〜よ^^」なんて騙しのきく年齢ではないので<br>自分だけ抜けてGO!なんて俄然無理なんでしょうけど・・・。<br>是非いい探索を!^^