nagajisの日不定記。
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被服・兵器の検査ありしが、兵器の注意されたるは残念なりき。一心こけて手入しようと思う。身体検査は胸囲が五粍増えて嬉しかりき。身体にも特に増進をはかろうと思う。理髪にゆく。
〔nagajis:「一心こけて」原文ママ 一心こめて?〕
日曜日と雨はつき物なり。思うに四月以来半分は雨天なり。今日は外出者少なく大方は校内特に、午後は生集に行く。予は起床後直ちに点呼取らずして三十分間みっちり剣術をなす。服装検査は八時半。午前中は自習室にて勉強し、手紙を九枚書く。午後生集に過す。十六時半頃より雨やみたる故軍歌演習ありて雨より出で存分に声を出す。
今日も降り続き夕方になり止みたり。身検体重減ず。食事早き事と過度の運動に依る。食事前後に激烈なる運動をせざること緊要なり。柔道は全身を用うるものにして、運動的にも良く又精神的にも暑くなりて持久力を養いて最も良きものなり。特に胸囲・腕力増加には可なり。剣術、佐中より副島先生始め受験生徒四十四名来る。雨にて充分見学も出来ず十五時半帰りたり。面会時間僅かに三十分にして何物をも話し得ず残念なり。愉快なる日。極良好なり。
ヨッキ氏より7月1日ならtori氏と謎の(予備)自衛官氏とともに参加できるかもという連絡。一も二もない。その方向で。
いろいろとデザインを考えてはみたのだが、決定打がないのだ。
とりあえず、汚れてもいい色ということで黒地に白を考える(必ずしも黒白でなくてもいいんだけど他に思い付かず。真っ赤に黄色とかいいかも知れぬが)
化繊にするとやたらと高価なので躊躇している。これは課題。
ロゴの「廃」を使って何かをーと思いつつ、これだけでは締まりがない。何のTシャツなのかも解らん。左下に何かよい言葉を入れようと試行錯誤するが...
個人的には隧道とか作ってみたいのだけど、新しく正面図を描くのが大変だ。オススメがあれば作ります(湖北は以前に作ってたのを発掘してきた。廃道ではないので却下)
だんだん疲れて来て現実逃避。石投げられそうだ。
みんな!いいデザインを考えてくれ!
そういえば今頃に旅行に出たんだっけ、と思い出した。悪いことばかりじゃ、ないよな。
昨年も埋め草に追憶企画をやろうと思っていたけれど、何やかやで出来なかった。格好悪く今頃から始めてみることにする。
ともかく峠に登るだけの旅。日本の分水嶺を走り尽くしたいと、それまで行ったことのなかった峠を渡り歩くのが目的。あても期限もない、本当に好きなことができた旅だった。それをちょっと、久しぶりに思い出してみよう。
出発は6月4日。この日は雄の山峠を越えて和歌山入りしただけだ。5日は西側へ向かって付近の峠を回って、岩出町の若もの広場に泊。5年前の今日は3日目となる。
若もの広場のトイレの裏に荷物を隠して郷ノ峠へ。登る途中で(何故か)道に沿ってみかんが落ちていた(後にこの写真をI氏に見せたら(何故か)気に入られて壁紙にされてしまう)。郷ノ峠には「霞峠やすみ松」という碑が立っていてちょっと謎。未だに解けていない。峠北は細長い谷全部が段々水田。
北に下って境谷から登山道の峠・槌の子峠を担ぎ越えて楠峠へ向かう。槌の子峠の麓の集落は狭い谷にぎっしりと民家が詰まっていて、これは今でも鮮明に覚えている。あまりに密度が高過ぎて車さえ入ることができない(集落手前に駐車場がある)。その家々の間を縫って峠へ。今はほとんど用途のないようなルートだが四石山への登山道になっているらしく割合きれいに残っていたと記憶する。写真は槌の子峠。ああ思い出すぞ、この強烈な日射しとコントラスト…
反対側は栗林になっていて、作業道として使われていた。ここから楠峠へ向かう途中で初代のナタ「最小自乗法」を無くしたんだっけ。それで風吹峠へ抜けて岩出に降り、すぐに新しいナタを購入。おおそうか、今日は純粋経験の購入記念日だったか。
その新ナタを手に反対側から楠峠を目指すも、道を見失って敗退。どういう道でどういうルートを取ったかはもう思い出すことができない。最後に岩がちの沢になり枯れ木に囲まれてOUTになったのだけは確か(写真)。この時点ではまだ足も気力も出来上がっていなかったからな。
この日は若もの広場に連泊。ワールドカップを聞きながら寝る。
ぐだぐだ書く記事になると断っておいたのだから,そうなったところで何をか恥じる必要やある.そう開き直ってぐだぐだ書くことにした.ようやく一通り書き終えた現在,約25000W,長さ的には80%,完成度は40%.はて,ここからどう持っていくかな.月報だから2分割するわけにもイカンザスシチー.
五新線に過去の探索の結果も混ぜ込むことにした.特定層の若干の興味を引く記事になるかも知れない.大した発見はないのだけど,生子トンネルより北はこれで網羅できた(できる)筈.ここだけ紙芝居にしてもいいか.
歳を取って賢くなったとは思えない.単に狡猾さが身についただけだ.
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1141015/237
三石津久見工場
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920412/103
丹治煉瓦合資会社は大正元年創業
類聚大阪府布達全書. 第1編 第3巻 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788317/53
明治六年八月十二日第三百廿三号達 今般産業為引立上本町二丁目旧授産所跡並難波村新川平野町三丁目へ勧業場取開き絹綿織方メリヤス織方仕立縫煉化石製造漉紙養蚕其他百工の職業手広く教授せしめ候条人々力らに食むの旨趣に基き其業に志あるもの男女の差別なく右場所に附きて受業可致事上本町二丁目/難波村新川/平野町三丁目、なのねえ。煉瓦工場はたしか第二勧業場で、平野は第三なので、たぶん難波村新川が「阪府授産所」の生誕地。藤伝の製革場=煉瓦工場は難波新地六番町で、難波新川を挟んだ反対側(今の南海なんば駅の附近)になる。しかし授産所は難波新地六番町にあったことになっとーる。ま、難波新川=難波新地六番町ということなんやろな。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1237091/366
ちゃんと書いとるやん。明治5年8月から明治6年8月まで授産所、その後第二勧業場。ここだけは長続きして、明治11年3月に藤伝に払い下げ。
なんば駅の開設は明治18年。なので19年の図には載っていない。まあ、15年に地元に買われているわけだし、そこまで長続きしたわけじゃない。
うん、だんだんわかってきたなー。
三石 大正5年10月27日 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1237091/366
宇治市の住宅街で。窯業マークの中に「ヲ」が添えられている。同型刻印は「国内煉瓦刻印集成」に収録されてたはず。って確かめたら蹴上浄水場使用煉瓦かぁ。自分は蹴上では江州煉瓦しか見なかった。
「ヲヲサカ」の「ヲ」と読むべきか、イロハ12番の「ヲ」なのか。同じ位置に数字が入るバージョンもあるので余計に判断に苦しむ。
Bフレッツなくせに上り下り15kb/sとかなってしまってにんともかんともである。昨日だったか一昨日だったか、モデムの赤ランプが点灯しているのを発見して「なんじゃこりゃ」と思っていたが特に何も起こっていなかったので無視した。昨晩も[禁則事項です]を見て[禁則事項です]したはずなのだ。何のストレスもなく。しかし今日FTPでファイルを引っ張って来ようとしたらこの体たらく。して改めてランプを確認したら「FIBER」が赤色で点滅しておる。外界に通じる光ケーブルがなんかおかしいらしい。(PCがXpなせいではない。タブレットも同じ状況だ)
この状況に難儀を加える要素が嫌らしく用意されていたりする。Bフレッツファミリータイプが廃止になるため今月18日に工事が入ることになっている。仮にファイバーがおかしかったとして、その点検をしてもらうことになった場合、18日にまとめてやっちゃっていいですか?とか言われそうな気がする。NTTならやりかねぬ。そうなったら次号発行が覚束ない。今の状況で30MB超なんてアップロードできるわけがねえ。
ここら一帯の工事を集中的に行なっているらしいので、その影響でおかしくなっているのだったら---屋内の何かをいじらなくて済むんだったらいいのだけど。ともかく明日電話しなければならぬ。
ああ、原稿早めにあげておいてよかった。
キキというと真っ先に「空中ブランコ乗りのキキ」を思い出す40代男性である。小学校の国語の教科書に載っていた作品。詳細はもう忘れたが最後はキキが死ぬ話である(えらくざっくりだな)。その内容ではなくお話をひととおりうやったあとに聞かされた朗読テープのことをよく覚えている。
冒頭でサーカスのMCが主人公たる空中ブランコ乗りのキキを紹介するシーンがあるのだが、まあサーカスの場という臨場感を出すためだろう、多少大袈裟に「空中ブランコ乗りの、キッ、キーー!!!」と叫ぶのである。その「キッ、キーー!!!」という叫びがどういう具合かわかるようなわからないような巧みさで子供心をわし掴みにしたのだった。私だけでない。クラスの男子生徒はみなその「キッ、キーー!!!」に魅了された。魅了されれば即ち真似てみたくなるものである。以降何日も「キッ、キーー!!!」の叫びが休み時間を満たしていたように思う。改めて書いてみれば歯牙にかける余地もないくらいに他愛もない記憶である。
それと同時に西門君のことを思い出す。この作品のラストの辺りでキキが老婆に忠告されるシーンがある。なぜ老婆、なぜそういう言葉かけであったのかは忘れてしまったが、ともかく「死ぬなよ」と忠告されるのだ---より高いブランコに挑戦するのだったか、自分の死期が近いことを勘づいていながらなお空中ブランコを続けようとしていたのだったか---。ともかくその「死ぬなよ」のセリフを、朗読指名された西門君はさもさりげなく「死ぬよ」と読んでしまったのだ。言い切ってしまったのだ。結末は死ぬのだから(いや死んだのか死ななかったのかはっきりしない終わり方で「どっちでしょう」みたいな読解をやった気もするな。しかしストーリー的には死んでいる流れであったはずだ)そう言い間違える可能性はあり得たと思うが、何の前触れもなくそう断ぜられたことに、私を含むクラス全員は大笑いに笑ったのだった。
大笑いはしたけれども、その後「それのほうが相応しくね?」という意見があがり、その見解が主流になった。死ぬかもしれない人間に「死ぬなよ」と声をかけるのは当たり前過ぎる。「おはよう」「おやすみ」「こんばんは」と声をかけるのとさして変わらない。「申す申す」の略として言っているのだと意識せずに「もしもし」を使うようなものである。それよりもむしろ「飛んだら間違いなく死ぬよ」と言われてもなお飛ぼうとする(そして実際飛んで死んだ)キキの決意の強さであるとか心意気であるとかがかえって強調されるようであると、まあそんな感じの解釈がクラスを席巻したのであった。
ある意味怪我の功名を得た西門君。渦中にあって彼はそのことを誇りもせず又恥じもせず、例の多少困惑した顔をしただけで場は収まった。そうして相変わらず足が早くてドッジボールが上手な人気者であり続けたのだった。
_ 学生服のヤマダ [お、 廃道界の「西の雄」と「東の雄」が相会して探索をされるのですね。 これは関西近県にお住まいの方では「そりゃぁ、のっぴきならねえぞ」と思われる方もいらっしゃる事でしょうね。 当方も7月に入ったら..]