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2007-05-30 [長年日記]

[ORJ] 次号も遅れます

 月末にかけてヨッキれん氏が出張。TUKA氏もそれにお付き合い。というわけで編集部が機能せず、3日まで延期します。例のごとくで申し訳茄子。他の原稿はみなできてるんだけどね。いや、nagajisのhyはできてないか。

[独言] 近畿産業考古学会 見学会@加古川

 去る日曜日に近畿産業考古学会(KINIAS)の見学会が開催された。ナガジsも会員になって初めて参加した。

 いやー、なかなか面白かった。分別のある、かつ好奇心いっぱいのイイ大人が10数人、寄って集って産業遺産を批評する。こんな光景はそうそう見られない。結構気ままに歩き回って、特に拘束されたりすることもなく(密かに自己紹介させられたりしたらどうしよかと思っていたけれども、そんなこともなく。ただし神吉先生や岡田先生とはちゃっかり名刺交換してきたりしたのだった)。詳細はまたいつか報告したい。ここでは概略をば。

 午前中は加古川市の日本毛織株式会社・加古川工場を見学。明治の末から大正にかけて作られた煉瓦造りの工場建屋がよく残っている。ちゃんと工場の方が付き添って下さり、現場視点で解説もしてくださるという(自分にとっては)非常にゴージャスな内容。もうこの時点で鼻血が出そう。

 ニッケというと大きな煉瓦塔が有名だけれども、これがある建物が最初に作られた第一工場(明治32年竣功)。一つの建物の中に動力室や作業場などが一体となった構造になっている。続いてその西側に第二工場、東南に第三工場が建てられた(川向こうの印南にも印南工場が作られている)けれども、第三工場は廃止となって、今のニッケパークタウンになっている。

 よく工場のイラストでノコギリ状になった絵を見かけると思う。自分もそんな工場をよく描くのだけれど、実はこのノコギリ状の工場って、ここのような織物工場を模したものだったりする。ふんだんに光を取り入れるため、垂直になったところに窓があるのだ(窓はすべて北側を向いている。南ではなく。これは一年中安定した日光を取り入れるための工夫)。

 工場の大部分が建設当時の煉瓦造りのまま。「どこを向いても煉瓦建屋」状態なので、一見するとどれも同じように見えてしまうが、仔細を見ると決してそんなことはない。建屋の性質によって構造が違うのはもちろんのこと、軒下のデンティルのつけ方が建物ごとに微妙に変えられていたり、丸窓の作り方、窓枠の作り方が異なっていたりと、小さな発見が続々。一人鼻血ブーになりそうなのを抑えてみなさんの後ろについて回った。

 午後は山田疎水の平木橋へ移動。山田疎水は稲美・加古川の台地を灌漑するために作られた疎水路で、平木橋はその末端に位置していた水路橋(大正4年竣功)だ。日本でも稀に見る構造・特徴がある橋なのだけれども、東播磨南北道路の工事区間と重なってしまい、移設されることになっている。実はその保存運動を推し進めた先生方がKINIAS会員であり今回の見学会でも解説してくださったのだった。これで鼻血が出ないほうがオカシイ。そんなこともないか。

 平木橋は建設資金のすべてを地元負担で賄ったという、地元の人による地元の人のための水路橋。聞いたところでは1軒当たり平均年収の3倍近い借金を背負ってまで作ったのだとか。しかし灌漑の最末端にあるせいでほとんど水が回って来ず、下流にある溜池が満杯になることはなかったそうで、建設直後から忘れられたような存在だったと言われている。それでも先生方が積極的に働きかけ、地元の方々と保存運動を繰り広げて、その結果として移設保存にこぎつけたのも、地元の人々が独力で作り上げたという「土木遺産」であるからだった。

 平木橋の技術的な特徴。何と言っても、アーチのライズとスパンの比が1:5という超スレンダーなアーチ。これだけアーチが浅いと施工や設計も大変だったろうし、ちょっとのズレにも敏感だったろうが、阪神大震災でも倒れることがなかった。縦横を交互に組み合わせたアーチ環の工夫が効いたのかも知れない。

 側面に「HIRAKI AQUEDUCT 1915」という銘板が張られているのもユニーク。橋側面に銘版があるのも珍しいが、そのうえに英語表記になっているのは全国でもここだけとのこと。設計者の自由な発想がそのまま具現化されていて、とても面白く感じた。

 平木橋は今年の9月から解体が始まり、来年には下流の池に移設されるとのこと。ただし池の中に小島を2つ作ってそこにモニュメント的に飾るという、あんまり橋らしくない方式になる予定。予算的にもこれが限界、といった所らしい。何しろ最初は解体撤去で済まされるところだったのだから、残されることになっただけでも素晴らしいことだと思わねば(そこまで持っていった先生方・地元の方々の努力や推して知るべし)。

 最後に、短い時間ながら周辺の水路跡を散策。ひとつは平木橋の下を通っていた江戸時代の水路跡(そうそう、平木橋はこの水路を跨ぐためのもの。水路の立体交差だった訳だ)を辿って下流の池へ。ここは昭和に入って使われなくなったため、今は草ぼうぼうの広場でしかない。続いて平木橋の上流方向へ。道路を挟んで反対側にある民家の庭に煉瓦の煙突みたいなものが建っている。これが実は水路に関係する遺構だ。このへんは土工協のこのページを参照されたし。

 山田疎水はこの辺りでは土手の上を通っていた。地面からおよそ2〜3mほどの高さ。これが2つの道路と交差するために、この付近で「逆サイフォン」になっていたという。その逆サイフォンの遺構だ。

 お言葉に甘えて、井筒の上に登ってみた。覗き込むと確かに底のほうに水が見える。おおお、これがあのエントツの中かー。フツーに一人で探索してたら、決して見ることなどできない光景。気分はもう有頂天である。

 そうして加古川駅にて解散。この日は特に何も無く、三々五々散っていく皆さんだった。自分はこれくらいサッパリしたほうが好きだな。次回もぜひ参加したい。

[pdf] 画質・解像度の最適化

 ちょっと思うところがあって、Distillerのパラメータがどれだけファイルサイズに影響するのか調べてみた。原稿ほっぽってそんなことしてていいのかと思いつつ。

 Distillerの画像圧縮には「画質」と「解像度」、それに圧縮方法のパラメーターがある。圧縮方法はJPEGかZIPを選べて、JPEGの時は画質を最低〜最高までの5段階に設定できる。これはJPEG画像の画質設定と同じものだろう。ZIPを選ぶと4bit、8bitが選べる。これは色のビット数?らしい。そのそれぞれで解像度が設定できる。

 ORJではふだん100から300までの解像度で作っている。そこで同じページを100、150、200、300の解像度で、画質をそれぞれ変えた設定でDistillerにかけた時、出来上がったpdfのサイズがどうなるのか、実際にやってみることにした。

 前提条件として「テキストが主で画像は画面の1/4程度」というページ(P2)と「画像メインで5点ほどの画像で画面が埋まっているページ」(P4)を用意。eps形式で保存して、フォント埋め込み、テキストとラインアートの圧縮をonにして「画質」「解像度」などのパラメーターを変化させたDistillerに通す。

画像の説明

 上図は解像度を固定して画質を変化させた場合のファイルサイズ。ちょっと端折って解像度200、解像度150のものは画質「最高」「中」「最低」の3種類だけにした。

 解像度が同じだと画質が高くなるにつれてファイルサイズが大きくなるのは当然として、正比例ではなく2次関数的に増加しているのがわかる。これで見ると300dpi/画質「低」と200dpi/画質「中」、150dpi/画質「高」あたりがほとんど同じサイズになっている。むやみに解像度を上げたり画質を上げたりしても意味がないということだ。

 解像度が高ければ高いほど拡大できるので、小さな面積を占める画像は高解像度にしたい。逆に扉一枚を画像にするような大きな画像の場合は解像度を下げたいところ。しかしDistillerではページ単位でしか指定できないから、大小の画像が混在しているようなページを作るときに苦労する。大きめに作って不必要なものの解像度を下げるなどの工夫が必要。

画像の説明

 「圧縮」のパラメーターをZIPにした場合はどうなるか。解像度を固定して画質を変化させたものにZIPを選んだ場合を並べてみた。解像度100の場合はZIP4bitはほとんどJPEGの「最高」と同じ。ただしZIPでは色が間引かれるようで、出てくる画像はなんとも情けないものになってしまう。ZIP8bitは本当に圧縮してるのかと思うようなファイルサイズに。画像多目のP4だとJPEG/画質「高」よりも大きくなる、Zip8bitでは爆発的にファイルサイズがデカくなる。

 「圧縮」のパラメーターにはもう一つ「自動」というのがある。場合によってJPEGとZIPを使い分けるらしいのだけど、実際に比べてみると、解像度100の時にはZIP4bitに近いものに、300の時にはJPEGに近いものになった。出力されたpdfもそんな感じの色になっている。一見すると賢そうな「自動」だが、出力がぶれるという意味で使い物にならないと思う。

 自分の参考のために、作成したpdfを一枚にまとめ、画像部分だけを切り抜いて並べた画質と解像度の関係がわかるようなpdfを作ってみた。出力は解像度350/ZIP8bitにしたので元のpdfの画像とほぼ同じものになっているはず(JPEG「最高」では少しダウングレードされてしまう模様)。お暇な方はどうぞ。

 末尾のページはZIPがどんな場面で役立つのか試したもの。A4サイズにPC画面のキャプチャ3枚を貼り付けたものをpdf化して並べている(キャプチャは解像度300にして100%で配置)。これを見ると解像度200まではZIP4bit>JPEG「中」で、300dpiではこの関係が逆転している。解像度が高くて色数減になってもかまわないような画像の場合はZIPが使えるのかも知れない(が、やっぱりJPEG「低」くらいでも充分使えているし小さくなる)。特に今回はグレースケールの場合にどうなるかを試していないので、こういう場合には使えるのかも。(あ、200/ZIP4bitと8bitが300のになってるっぽい。また今度直します)


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