nagajisの日不定記。
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06年8月号(第11号)から07年6月号(第16号)までの1年分を#2とする。修正、開始。いきなり斜陽かよと思わないでもないが。
本日はTRDBを修正。フォーマットが固まっている企画であり、当初から解像度の高いpdfを作っていたおかげで前面作り直しはわずか。そのかわりバックボタンを揃えていなかったのと、Acrobat 8対策にフォームを使わない形式へ変更せねばならない(11〜14号まで)。地味に大変。
新しくカテゴリ立てて始めよう。でもPicasaの調子が悪いみたいなので写真は少なめ。
6時に一度目が覚めたらしいが、2度寝して、再び目覚めたのが8時。さっそく疲れが溜まっているnagajis。飯を喰って西田幾太郎の「善の研究」を読んでいたと記録にある。読んだという記録ばかりで善々頭に入っていないし身にもついていない(ツアーの最後まで持ち歩いていたはずだが、ついぞ理解することができなかったな)。そうしてその残り滓が「純粋経験」というナタの名前として残っているだけという、西田幾太郎が知ったら泣いて悲しむようなことになっている。いや、なっていた。違うな、なるのであった、か。
昼からポタリング。公園前の道を東へ、菩提峠経由土仏峠。地形図を見て旧峠があることに気付いていたから、車道の峠から稜線沿いに移動して探検した。岩出町はこの頃地籍調査の真っ最中で、山の斜面のあちこちでそんな標識が建っていた。30年に一度の大仕事だ(多分)。土仏峠は確かに旧峠が存在した。これは報告書にしている。ただ旧峠の切り通しと、前後にわずかな道跡があっただけで、他の痕跡は何も残っていなかった。「旧道があった」という記録だけの報告書ほど面白くないものはない。あれも無聊を慰めるために書いた埋め草だ。
この後、中畑を経由して中畑峠へ。市街側を辿ろうとして途中で断念。写真は途中にあった崩壊地点。これだけ抜き出してもさっぱり意味がわからないな。そうして池田隧道の前を通って−−−旧池田隧道への分岐のある林道をこの時に通っている。旧隧道があることを知って再び訪れたのはその2年後−−−。志野峠、松峠へ。いずれももうどんな峠だったか(写真を見なければ)思い出せないようになってしまった。松峠には葛城の峰巡りの経塚があったっけか。そのかわり、松峠から麓へ下る道はよく覚えている。みかん畑の斜面に、池が広がっていて。自分にとっては見たことのない光景。このへんでようやく、自分は旅をしているんだなあと思った。無意味に花写真を撮ってみたり。
帰りがけにファーマーズなんとかというショッピングセンター(農産物直売所の大きくなったようなもの)で買い出し。自転車旅行の楽しみの一つは晩飯の買い出しだ。見知らぬ土地の商店・スーパーに紛れ込んで、その土地の雰囲気を楽しんだり、雰囲気に紛れ込めない自分の浮きっぷりを楽しんだり。しかしこの日のファーマーズなんちゃらはあからさまに「外向け」の店で、しかも野菜と肉だけだった。ぐるぐる回った挙句にメニューは水炊きと相成る。この日も再びトイレの裏の人。