トップ «前の日記(2007-06-19) 最新 次の日記(2007-06-22)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業資産 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2007-06-21 作業報国 [長年日記]

 ま、何やっても国の為にはならんのだけどね。エントロピーを増大させる(=人間的活動をしない)のには協力するがな。

 アンケートが没になり急遽作成しなおし。ご意見・ご感想を尋ねるだけのさみしいものになる予定。すまんのうゴホゴホ。

[企画] OFF会につき

 しおりは地形図を入手すれば完成。明日には公開できれば・・・。各自印刷してお持ちいただく、と。

 今の所、ヨッキ氏、tori氏、謎の自衛官氏、張子の虎氏、あきら氏が参加されるかも知れない。その他参加される方はnagajis@the-orj.orgまで一報いただけると(私が)安心します。といった事務連絡は改めてwhatsnewか掲示板で。

 集合は車・バイクの方は1日10時に清滝にて集合。自転車・徒歩組は9時に京福電鉄嵐山駅集合で清滝に向かう。

 嵐山から清滝までの平坦線はそれほど見どころはないようだ。せいぜい清滝トンネルと、清滝駅跡のレール流用ガードレール?くらいではなかろうか。なので車の方は素通りして清滝で待っていただいたほうが早いと思う。狭いしね。

 索道線を登り、愛宕駅周辺を散策。登山道で下山。時間があれば清滝周辺の散策。そういえば清滝発電所も明治年間に作られた古いものだったな。

[懐古] 2002年ダイジェスト

6月13日
余りの荷の重さにザックを放棄。2年後に取りに行くが無くなっていた。単パンのまま芦原峠に突っ込み草負けする。壷坂峠を越えて奈良県津風呂ダム脇に泊。この頃から蕁麻疹が出始める。
6月14日
鹿路トンネル→竜在峠←→細峠→芋ヶ峠で再びダム脇泊。鹿路トンネルの急勾配+簡易舗装の○○○の連なり+トンネル前の溝に何故か赤フナがいたこと以外はほとんど記憶に残っていない。いや、明日香村の民家の玄関に手形にシャモジを添えた張り紙があったな。八十八才と書いてあったから、この地方では米寿のおまじないなのだろう。いろんな変化があるものだ(c.f.クツメキ御免by柳田翁)。
6月15日
この辺りからようやく足が回り始める。√370、√166等を経て御杖村。この時に弁才天のトンネルを通っている。木津の旧トンネル、一度ちゃんと調べたい。
6月16日
一日担ぎ通し。新道峠→白髪峠→請取峠→高見峠→西杉峠。新道峠は江戸時代に開削、請取峠は上田口(弁才天)の伊勢本街道の延長として車道化されていることを最近知った。なるほど確かに、付近の峠群の中では最も平坦に近い。夕暮れの西杉峠。
6月17日
休息日。青少年旅行村のアスレチックで日記を書いたり昼寝したり。御杖村の商店で何故か感謝される。
6月18日
移動日。無くしたインフレを名張の細川自転車商会にて購入。地味にパーツが豊富。そうしてそのインフレを今でも使っている。シンプルだが使いやすく頑丈だ。√165旧道泊。
6月19日
荷物をデポ、青山山地?をうろつく。√165旧道→青山高原道路→布引峠→塩見峠(with非常に嫌らしい丸木橋渡り)→布引峠→桜峠→√165旧道。ミニ八十八ケ所巡りする。
6月20日
雨。体調も良くなく連泊。飯を買いに下界に下ったのみ。

[橋梁] 叡山電鉄のポーナルガーダー

昭和5年開業の路線に英国式ガーダーが使われている不思議。叡山電鉄の前身・鞍馬鉄道は京阪と京都電燈の共同出資。京阪は明治43年(だったっけ)開業だから直接的には無関係か(開業時によそから買い受けた→さらに流用、の可能性はあるが)。京電というのも微妙。明治20〜30年代に開業していたのは伏見線のみ。せめて銘版でもついていれば。。。

なお確認できたポーナルガーダーは市原〜二之瀬間に2スパン(名前忘れた G / 二之瀬橋梁 g+G+2g)、貴船口〜鞍馬間に1スパン(鞍馬第一第二橋梁 g+G+7g)。高瀬川橋梁、市原駅の直上の橋梁はノーマルのリベット打ちガーダー、貴船口手前はI鋼桁だった(平坦線は鉄材供給で運休になっている。市原までと市原より上流は開通年度が違う。残り2橋は?)。


トップ «前の日記(2007-06-19) 最新 次の日記(2007-06-22)» 編集