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旧道倶樂部録"

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2007-06-28 Decrescend 綴はうろ覚え [長年日記]

[企画] off会

大学は違えどサイクリングの先輩であるyanoさんが参加されることに。にぎやかな一行になりそうでなによりです。うちも受付連れて行こうか。

そうしてmultiさんの所の表記を間違えていた!!大変失礼しました。。。。

●現時点での参加予定(アイウエオ順)

あきら氏(R173-net)、asamo氏(漂ヘド沈マズ)、絹道氏、グロメク氏(漂ヘド沈マズ)、tori氏、nagajis、謎の自衛官氏(デミオが行く)、張子の虎氏、multi氏(満流智隧道)、yano氏(大教大サイクリング部OB)、ヨッキれん氏(山さ行がねが)

さらに「索道線→鋼索線」の間違いでは?というご指摘をいただいたという連絡。確かに間違いだ。慌てて表紙をでっちあげ直す&本文修正する。カナは難しい。変に今風になってしまった。

[橋梁] しょぼーん

いいもの見つけたと思ったんだけどなあ。やはり今ある鉄道橋は知られ尽くしているのだろうか?でも、自分にとっては発見なのさ!

[懐古] 2002年6月27日

今現在のnagajisがどうであろうとなかろうと旅は続く。再びの腹痛と蕁麻疹に加えて食うものがないという三重苦にのたうちながら気がつけば朝。ロクに眠ることができなかった自分とそのテントを異様に濃い朝霧が包んで。幻想的かつ絶望的な状況の中、ほとんどヤケクソで越えたのが治田峠だった。

のっけの倒木。自転車を担いで道無き斜面を右往左往。諦めかけた所で発見した赤テープ。ヘロヘロになりながら沢を遡った。とはいえ沢にさえ降りてしまえば、もう、こっちのものだ。

沢は所どころで広い砂地を形成している。錆びてボロボロになったカメラが一つ、砂に埋もれているのを見た。古そうだがいかにも量産型っぽい小さなカメラ。誰かが何十年か前に撮った風景が、この中に入ったまま失われたのだろうかと思って、ちょっと切なくなったのを覚えている。

峠下の″切り返し″は運が良かった。少し行きすぎてしまって、いくらなんでも行きすぎだろうと思って引き返す時に赤テープを見つけたのだった(そのかわり休憩した場所にライターを落とす)。残りは一本調子の、しかししっかり大地に刻み込まれた塹壕道。

鋭い尾根を乗り越える峠。縦走線ばかりが目立ち、峠らしくもない。建てられた看板も御池や藤原岳などを指し示していて、ここが峠であることさえ書いてあったかどうか。しかしこの峠は茨川の人々にとっての生命線だった。いろんな思いが越えただろうと思うと、目の前の看板に落書された「縦走記念」云々という文字が余計に腹立たしく思えたのだった。あなたのためにある峠じゃない、ここは。

東側への下りは深く掘り込まれた塹壕道。傾斜もきつく、小さなつづらでどんどん高度を下げて行く。これが中尾地蔵の所で一変し、山腹をゆっくりと巻きながら降りる道に変わる。そういう道の変化の目印としての中尾地蔵。存在にも名前にも意味があることを思う。これもまた落書だらけだった。節操のない、自制心のない人々め。

降り着いた先は小さな草原だった。左を見れば谷の対岸の斜面がかなたに見えている。ものすごく深い谷の、その谷の中腹に出来た小さな広場。棚のような広場。すぐに車道に出そうな気もしたけれど、ここからしばらくはこんな草地と薄い林とを交互に通って行くような道だった。それが治田鉱山跡に出た時の場面展開までは覚えていない。これは旅行直後でも思い出すことができず。

いつまにか辺りは平らになっていた。右側に迫っていた山の斜面が遠のいて、小さな平地を抱え込む杉木立になって。あっ、何か違うな、と思った次の瞬間には隧道の前だった。それを迂回する道もあったのだけど、向こうも見えていたしで、その隧道を潜って。出た所に日の岡稲荷の真っ赤な鳥居が建っていて、それで治田鉱山跡だと知ったのだった。

さらに進めば、道はだだっ広い河原に降りる。後に読んだ本ではここでキャンパーが輪になってラジオ体操している写真があった。2、30人はいた。それでもまだ前後左右が余るくらいの広さ。川下できゅっと狭まって、大分で言うサコになっている。ここは岩場を鎖でへつらなければならない。その場面転換の面白さ。有無を言わさず(言う事も出来ず)自転車もろとも鎖へつり。

車道との合流点はその先だった。

まずは飯だ。飯。飯が買える所を探して走る。三重県を三重県だと意識して走ったのはこの時が最初で、そういう時はその時の思いがその県のイメージになってしまったりするのだけれど、その結果「三重県は東西に平坦だ」「店がない」という誤った印象になってしまった(そもそも1週間ほど前に名張辺りを通っているんだが、どうも奈良の続きという印象がある)。いくら走っても変化がなく、ぽつぽつと家があるばかりで、ここぞという町の焦点が、民家の集まってるような場所が見当たらない。起伏が少なく見通しできないせいもあって、余計にそれがわからず、ただ闇雲に走るしかなかった。そうしてようやく見つけた小スーパー。食糧を得る。生き返る。煙草を吹かす。川沿いのコンクリートの壁に座って、いくつ菓子パンを食ったっけ。

帰りは石榑峠を越えて。石榑峠は幅制限のコンクリートブロックばかりが有名だが、個人的には峠道の擁壁に描かれた絵のほうを推したい。登るにつれてどんどん写実的になっていく壁画群。最後のほうで現われる猿などは実にいい顔をして遠くを見つめていた。こんな道だ、誰を楽しませるでもなく在り続けて、そのほとんどはもう色褪せつつある、そんな姿が涙を誘った。そうして幅制限のコンクリートは確かに必要性を感じた。記録には「送電鉄塔が峠の目印になる」と書いているが、そんなことはもう忘れた。

ユズリ葉尾の商店で買い足し(といってもラーメンとコモパンくらいしかないさ)、再び茨川林道。まだこの時点では、林道を下ったことがない。同じ道を2度続けて登る変な感覚。

なお、写真は三重側麓で撮ったもの。単に「電光掲示板には難しい漢字が入ってないんだ」と感心しただけ。


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